紙の本
世界はクソである
2005/08/05 10:21
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:こうめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「すごい!」の一言に尽きる。悪夢のような、ときにふわふわととりとめなく流れ、ねじれる言葉で、流刑植民地タスマニアの成り立ちを語る。語り手は絵のうまい囚人グールド。彼の描く魚の絵が章立てになっていて、彼はその魚に身近な人間を忍ばせている(挿絵の魚の顔は確かにひどく人間的だ、いやそれは人間の傲慢かも。人間がそもそも魚的なのか)。
病んだ白人支配層に想像を絶した虐待を受ける囚人たち、現地人たち。物語はその底辺から世界を見る。切断される首、手足。滴る血。傷に蠢くウジ。腐肉。クソ。読んでいくうちにふと思う。そう、これはタスマニアだけを語っているのではない。この現世自体がクソなのだ。そして、物語を綴る囚人グールドは、クソみたいな世界を書くために実際にクソを使っているのである(ちゃんと、その部分は文字が茶色になっている!白水社さん、センスいい!)。
炸裂するイメージがとにかく素晴らしい。悪夢のラビリンスである。物語を綴るうちにグールドは、綴っている自分とその中で綴られている自分の区別も曖昧になり、現実がイメージに浸食される。読み終わっても、物語を読んだのか夢(絢爛たる汚辱にまみれたとびっきりの悪夢!)を見たのかよくわからないような、そんな本だ。
抑圧される側から見た物語ではあるが、支配者×被支配者のステレオタイプとは無縁。そんな単純な物語ではない。グールドは言う。これをおれたちにしたのはイギリス人じゃなくおれたち自身だ、囚人が囚人をむち打って黒人たちに小便をかけ互いを偵察し、黒人男が犬を手に入れるために黒人女を売り飛ばし脱走する囚人を槍で突き、白人のアザラシ漁師が黒人女を殺したり強姦したりして、黒人女ができた子供を殺した、これが事実だ、と。そして彼は「世界はとてつもなくおぞましい」という認識と「生きることは実にすばらしい」という感覚の折り合いをつけられなくて悩む。そう、この物語がかくもおぞましい出来事の羅列なのにも関わらず、陰惨な読後感ではなく、海のような広がりと明るさを持っているのは、この生きる力への肯定があるからかもしれない。
しかし、こんな悪夢のような文章をちゃんと日本語にしてくれた訳者はすごい!渡辺佐智江さんの訳されたものはいつもハズレがないが、この本はまさに渡辺さんの訳ならでは、です。ちなみにもうひとつ感心したのが、原書のペーパーバック(買ったはいいけど読みかねているうちに、白水社から渡辺さんの訳で出るという情報を得て、邦訳を待っていたのです)とページ数がなんと2ページしか違っていないということ。訳に無駄がないのだろうと思います。本当にすごい!
紙の本
流刑地での驚きの物語
2006/01/21 19:26
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:読み人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は説明するのが、ちょっと難しいのですが、ファン・ディーモンズ・ランドと呼ばれる島(現在のタスマニア)に流刑になった、グールドが、描いた魚類画帖(本書に従って、古い漢字使用)が、あるそうです。
その絵から、自由に発想を得たリチャード・フラナガンが、その、グールドの一代記にあたるような、この流刑地での物語をつむぎだしました。
十二枚の絵が、あるのですが、(オリジナルは何枚か知りませんが)
それが、各一章になっていて、話しが展開します。
なかには、強引にその魚と話を結び付けたなぁと、いうのも、ありますが、
中々よく出来ています。
因みに、少し、話は、変わりますが、
U2というバンドの、「ラトル・アンド・ハム」というアルバムには、
”ヴァン・デイモンズ・ランド”と、いう歌が、あり、
本書と同じく、(読み方、若干違うだけ)流刑になる男の運命を
唄っています。
閑話休題。
本書を書くにあてった、フラナガンは、取り分け、リサーチはしなかった
と、語っています。
国家による、犯罪にも近い、強引な流刑と殖民の上になりたつ、
タスマニアという地に住むことから、本書を描いたと、言っているだけあり、
強烈なまでの、暴力と大げさにまで、誇張された、登場人物の異常性、
笑うには、度が過ぎていて、笑えない、シニカルさに全編包まれた、
大変変わった小説です。
中盤までは、どんな風に本書を楽しめば、よいのか、判らなかったので結構
苦労しましたが、後半からは、二転三転の大展開になっていきます。
正に冒険小説も顔負けの展開でした。
一風変わった、世界文学を読みたい方には、オススメの一冊です。
投稿元:
レビューを見る
タスマニアの孤島に流刑された画家グールド。残虐な獄につながれ、魚の絵
を描き、処刑の日を待つが…。タスマニア出身の気鋭作家による、奇怪な夢想
と、驚きに満ちた世界。魚のカラー画収録。
投稿元:
レビューを見る
ある日ガラクタの中から見つけた、流刑の地で囚人が描いた魚の画帳。その隙間にびっしりと埋められた手記のようなもの。それはなんとも言いがたい魅力で人を絡め取る。
時に詩的な悪態のような、時に熱にうなされて見る夢のような文体が物語が、自分にとってやけに馴染みが良いというか気持ちが良くて、早く先が読みたいというよりも読み終わるのが惜しい。ずっとこの本の中にいたい。噛みしめていたい。漂っていたい。あたかも魚が水の中で泳ぎ回っているがごとく。そしてそれは作中で「魚の本」について言及している気持ちと一緒なんだなあ。まるで自分のためだけに存在する物語かのような錯覚を抱く。かと言って、描かれているのは癒しとか穏やかさとは真逆の、不整脈を起こすほどの凄まじく酷い世界。
全く何の前知識もなく本屋の棚で偶然出会ったのだが、これほどの本に出会えることはそうそうあるものではない。カンが冴えてる時というのはあるものだ。
もう傲慢を覚悟で言えば、これは「私の」本ということにしたい。
きっと私はこれから先何度でもこの本を読み返すんだろう。
投稿元:
レビューを見る
本書は十二の章に分かれているが、短編として成り立っているのではなく、連続している長編である。
その間に、同じ画家の描いた十二の魚類の絵が挿入されている。
小説は、タスマニアで骨董家具を商にする男がアカシアの洋服ダンスの引き出しから二世紀の埃を纏った一冊の書物を発見する。
その書物には、魚の水彩画と縺れた手書きの字。
記録のような奇異な書物はグールドという囚人ので、流刑地の外科医に、命じられてタスマニアで捕れる魚類を描いたらしかった。
絵と共に、日記のようなものが書かれていたが、禁止されている囚人が文章を書くということを強いて行ったグールドの記したものに小説の場面は移り、読者はそれらの記述に圧倒されていく。
現地人に行った凄まじい残虐行為、悪魔の島と呼ばれた南半球でもっとも恐れられたサラ島での監禁生活、その汚辱に満ちた毎日のなかで、人間の暗部、残虐性、絶望、抗えない歴史の波、苦悶の生、死などを鋭く描ききっているこの作品は、良書であるといえる。
投稿元:
レビューを見る
第1章は観光客相手にインチキ商売をしていた男が画帖を手にするまでのお話で、その画帖の隙間に埋め尽くすように書かれていた手記が2章から始まります。
グールドは実在の人物。
現在のタスマニアがイギリスの流刑植民地だった19世紀はじめに囚人として送られ、絵を描く才により当地の外科医のもとに下僕として仕えた悪夢のような日々の物語。
内容はあくまで著者のフィクション(だと思うの)ですが、リアリティに富んだ醜悪で惨たらしい日々を、淡々とした言葉の洪水で読者を溺れさせんとするかのようです。
ラストはそのすべてからの開放…になるのでしょうか…?
幻惑されそうです。
読後もしやと思って「物語 世界動物史」を開いてみると似た名前がありました。
が、そちらの動物画家ジョン・グールドとは別人のようです。もちろん進化生物学者のS・J・グールドとも。^^
本書に載せられていた魚類画はこちらで見ることができます。
http://catalogue.statelibrary.tas.gov.au/item/?q=sketchbook+of+fishes&i=1&id=80818
投稿元:
レビューを見る
久々に、読書半ばにして読了を諦めてしまいました。
設定は、冒頭からリアルさと多少のファンタジックさをもっていて悪くは無いなと思ったのですが、文章(和訳)がどうにも読みにくく、文体の相性がワシとは合わないな、と判断。展開そのものは多少先が気になりつつですが、2ヶ月掛けても読み進められなかったので諦めました。
投稿元:
レビューを見る
第一に汚辱の物語。それから伝奇小説で、メタフィクション。
そのメタ構造が作用したのか何なのか、悪夢のような話を読んでいるとすぐに眠くなり、眠っては小説の夢を見るという体験をした。何度読んでいる間に居眠りをしたかわからない。
単純に原文あるいは訳文の語り方が非常に煩わしいために眠くなっている気もするけれど、その眠気と覚醒が、潮が満ちては引く独房のイメージと重なった。
各章のはじめに差し込まれる、この物語の着想となったグールドの魚の絵は確かに奇妙な魅力があり、どれも美しい。特にシルバー・ドーリーの絵からは、作者の言う「人間のような表情」を強く感じた。
かなり読み辛い部類の本だと思うのだけれど、作品としてなかなかに強度があって独特の世界がある。最後の展開と文章は見事。
投稿元:
レビューを見る
現代から過去へ。少しユーモラスで美しい魚のイラストから見事に誘われていく凝った小説。イギリスでの暮らしも貧しく不運であるけど、流刑地の島ではもはや尊厳のない日々。現地人への残虐行為、不潔、悪臭、腐敗、暴力、欲…死んだ後まで気分の悪くなる状況の描写が、悪夢のように果てしなく続く。オーストラリアの暗黒史、当時の犯罪者の過酷な状況をしたたかに生きる主人公。ユニークな最後やサバイバル小説のようにも読めとても盛りだくさんな力作だった。
投稿元:
レビューを見る
糞尿と血と精液にまみれた系の小説を読むのはずいぶんひさしぶり。
最近はいわゆるエモい小説ばかり読んでいて、ちょっとどうかしていたのだが、ここにきて自分の好みを再認識した次第。とはいえ単にきたなくて怖気をふるうだけの小説ではもちろんない。フラナガンの超絶技巧にもふるえるのだ。
物語はとある男が発見した一冊の本に端を発する。
魚の絵に錯乱した文章が付されたその本は、どうやら十九世紀タスマニアに実在した監獄島の獄中で、ひとりの狂人めいた画家により書かれたものらしく、男はその本と魚の絵に奇妙に惹きつけられていく。男は本についての調査を開始するも一向はかどらず、本は消失し、喪失感に陥った男はついには水槽を泳ぐ魚の眼をとおして、狂気の画家グールドの生涯を追体験……というよりもグールド自身として生きることになる。
こう書くと一体全体なにがなにやらという感じだが、語り手が語られる対象と一体化していく物語の手法は、レイナルド・アレナス『めくるめく世界』などに近いし、夢と現実の境界が融解していく感覚は、フリオ・コルタサルの短篇「山椒魚」や「夜、あおむけにされて」あたりを彷彿させる。
「書いているわたしが書かれているのか、書かれているわたしが書いているのか」という不純な堂々めぐり。それは要するに、「世界のなかに言葉が内包されているのか、言葉のなかに世界が内包されているのか」というテーゼに通じる。アレナスも後期コルタサルも言語の過剰な乱用によって世界を描き、しかしある時には描かない、というパラノイア的筆法を用いて言葉の軛から解き放たれようとするし、反対にテクストを自縄自縛の状態に導いていきもする。本書において、フラナガンもまたそうした文体を駆使しているのである。<腐肉と糞尿の美学>というべき、絢爛豪華にしておどろおどろの極み、みたいなこの文体は、単なる頽廃趣味では決してない、きわめて方法論的に選び取られたものといえる。
という小難しい話は抜きにしても、画家グールドを取り巻く架空の(あるいは真実の?)監獄島の描写は、この世の狂気と汚穢を全部乗せしました、と言わんばかりにすさまじく、登場人物は全員気が狂っているし、原住民はありんこのように虐殺されるし、外科医は去勢されるし、豚は巨大化するし、司令官は気が狂っているし、大鉄道は建設されるし、ヴォルテールは肥満女の×××に突っ込まれるし、それを言うなら登場人物は全員気が狂っているし……という感じで、おもしろいのおもしろくないのって、おもしろすきて眩暈がしてくる。
さながらよくないお薬か爆弾酒みたいな小説で、読んでいる間中ひたすらどぶ泥めいた悪夢の世界を彷徨できる(しかし悪酔い必至の)ツールとしてすばらしいの一言なのだが、「わたしはどうしてわたしなのか」というエモーショナルな部分も存分にかきまわしてくれる(結局そこに行き着くのか……)。ちょっと気の狂った物語を愛する人は、絶対に読んだほうがいい。全身全霊をもってオススメする。
余談だが、原書には作中グールドがそうしたように六色のカラー印刷が施されているという。こんな本、どうせ原語で読めるはずもないが、生きているうちに一度は手に取ってみたいものである。
投稿元:
レビューを見る
読み終えてこんなにも感情がまとまらず、吐き気が止まらない本も初めてである。
今まで読んでいたこの本は一体何だったのか、書物とはどこまで恐ろしい物なのか、物語が「物語られるもの」にたいしてどれほどの力を持つのか
全てを文章ではなく体験として叩き込まれたような強烈な読後感である。
陰鬱な流刑島に流された囚人であり画家であるグールドの語りによるこの本は彼の残した12の魚の画とともに物語が展開されていく。
魚のモチーフとなった人々の話が語られ、進んでいく毎にそれらが絡み合いそしてグルード自身の物語もドライヴしていく。しかし不思議なことに物語は進めば進むほど不安定さを増していき書物と現実との戦いでは現実が敗北していく
物語や書物へ持っていた認識が強烈にぐらつかされる作品であった。
投稿元:
レビューを見る
『「エラスムス・ダーウィンーー賢者」と言ったと思ったら、「だがなぜ緑茶にレモンを入れるのだ?」』―『ポーキュパイン・フィッシュ』
修辞学的な表現で語られるのは、スカトロでありエロでありグロであり、つまりはナンセンスで誇大妄想的な話なのだが、通底するのは悲哀だ。それでいてこの本は歴史書であり人間の本質を描いた文学書であって、とても極端に言うなら遠藤周作の「沈黙」をひっくり返したような話とでも言ったら良いのだろうか。違いといえば、修道士が罪人であることと、島原がタスマニアであること位で、人間の非道さには何の違いもない。
ものすごく単純に要約すると、聖職者が聖人として列伝されるが如く罪人であるグールドが魚となってオムニポテントな存在に変わっていく話なのだが、その構成はウンベルト・エーコばりに本の中に本を内包する形となっていて、修辞学的な趣きが弥がうえにも強調される。しかし、一人称の視点なんの断りもなしに三人称になって読み手の来た道を失わせたかと思えば、それが単に自分自身を卑下するときの表現であることが明かされて安心したのも束の間、二千一年宇宙の旅の主人公デヴィット・ボーマン船長のように始まりも終わりも無い存在となって時を越え空間を越え、本の中の本から抜け出してメタな物語に侵食する。最後に全てが循環する壮大な物語として、大きな円環の如く宙に浮かぶのかと思いきや、半ば予想された事とはいえ、その円環をしゅっと矮小化する一文で物語は一つの点に収束し、点に収束するというからには定義上は物理的な大きさを持たない無となり、壮絶に湧き上がっていた業火は灰となって終息する。業火となった山火の種がグールドが熾した焚火であったのかと想像は膨らむが、ボーンファイアは天に魂を還すのみ。
『彼らが金を払う代わりに求めたのはこのことだけーー嘘をついてもらい、欺いてもらい、たった一つの最も重要なこと、つまり、自分は安全だという感覚』―『ポットベリード・シーホース』
全ては虚であり空である。しかし空であるとは二律背反的に色でもある。つまりは全て真実でもあるということになる。それ故に胆汁を嘗めたような苦味が読後感として残るのだろう。人間という奴はどこまで非道になれるものなのか。
投稿元:
レビューを見る
新世界という名の植民地での生々しい残酷さと、怪談のような幻想が混じり合った小説。
ちょっと文章が難しかった。
投稿元:
レビューを見る
「人は、人間であることの不思議さを受け入れるよりも、魚としての生を生きるほうが楽だろうか?」
すんごい本と出会ってしまいました。
記憶と現実が、過去と未来が、そして本の読み手と書き手が、とにかく全てがごちゃごちゃに絡まりあったタスマニア島の囚人世界が舞台となるこの本。最後には、果たしてこの本は本当に本なのかとさえ疑ってしまう、不思議で難解で常軌を逸した本でした。
この本の中には、十二の魚類の絵が描かれています。グールド・ウィリアム・ピューロウという十八世紀に英国に生まれやがて軽犯罪でタスマニアに島流しにあった、実在する囚人が描いたとされるものです。そしてこの本は、タスマニア出身(いまも在住)の筆者が、その十二の魚の絵それぞれに物語を付していく形の小説です。グールドという囚人であり画家は実在し、十二の絵も実在するものですが、著者によって付された物語はフィクションという事になっています。ただ、フィクションとは言っても、タスマニアに産まれ育ち、タスマニアの歴史学を専攻した筆者(ちなみに筆者自身の先祖も軽犯罪による囚人でタスマニアに島流しにあったというのがルーツの筆者)が魚の絵に付すその物語や登場人物は、現実に起きた歴史と近いものであるとする見方があるそうです。物語には、島の全周がたった1.5kmしかない孤島に蒸気機関車のレールを作って走らせるよう囚人に命じたあげく完成式典では蒸気機関車の先頭に囚人を磔(はりつけ)て夜通しぐるぐる走らせるといった奇行をタスマニアの繁栄の為だといって平然とやらかすイカれた司令官が居たり、科学者としての殿堂入りを果たすべく研究用として黒人の頭蓋骨を収集するために生きた黒人の囚人の首を9体分切って樽に保存して腐らないように薬液を足してかき混ぜ続ける医師が居たりして、どうか完全なフィクションであってほしいと読者が願わずにはいられないグロテスクなシーンが随所にあります。
グールドは、ある事がきっかけで、この囚人島で起きていることを本国である英国に報告する書類にこれらの奇行が一切記載されていないばかりか、統制され組織化されたタスマニア島の輝きを主張するでっち上げの文章ばかりが並ぶ報告書類の束を目にし、「本物の歴史を元に文章が作られるのではない、偽りの文章から歴史が作られるのだ」と気づきます。囚人であり何の力もなく何もできないながらもそのでっち上げの事実を暴露しようと脱獄を企て、しかし最後にグールドは魚になって、言葉を持たない魚となったグールドが水槽の中から最後に見たものとは一体。
「魚が一匹死ぬたびに、世界からはその生き物の分の愛の量が減るんだろうか?魚が一匹網にかかって引き上げられるたび、その分の脅威と美が減った状態で世界は続いていくんだろうか?そして、もしおれたちが、取り上げ、略奪し、殺し続けるなら、その結果、世界から愛と驚嘆と美がどんどん奪われ続けるなら、最期には、何が残るんだろうか?」
とにかく長編で難解で、最後まで読んでそのまままた一ページから読み直さないと内容の理解が追い付かない(だけど一方でそんな気力も残っていないほどに難解な)、本当にとてつもない本です。一冊四千円もするので読書を始めたばかりの方にはお薦めしませんが、こんな物語が世の中に存在するんだなと感動した本であったことも事実です。
投稿元:
レビューを見る
評価がとてもつけにくい。
囚人が描いた魚の絵を見て、これだけの話を紡ぎ出せる想像力は尊敬に値する。
信じられないような話だが、タスマニアの史実にも基づいているという点にも驚く。
しかし読みにくさも半端ではない。
円環構造をたどるという点、マジック・リアリズム的な表現などは、ラテンアメリカ文学を髣髴とさせる。
もう一度読む元気はない。