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こうめさんのレビュー一覧

投稿者:こうめ

5 件中 1 件~ 5 件を表示

紙の本

世界はクソである

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「すごい!」の一言に尽きる。悪夢のような、ときにふわふわととりとめなく流れ、ねじれる言葉で、流刑植民地タスマニアの成り立ちを語る。語り手は絵のうまい囚人グールド。彼の描く魚の絵が章立てになっていて、彼はその魚に身近な人間を忍ばせている(挿絵の魚の顔は確かにひどく人間的だ、いやそれは人間の傲慢かも。人間がそもそも魚的なのか)。
病んだ白人支配層に想像を絶した虐待を受ける囚人たち、現地人たち。物語はその底辺から世界を見る。切断される首、手足。滴る血。傷に蠢くウジ。腐肉。クソ。読んでいくうちにふと思う。そう、これはタスマニアだけを語っているのではない。この現世自体がクソなのだ。そして、物語を綴る囚人グールドは、クソみたいな世界を書くために実際にクソを使っているのである(ちゃんと、その部分は文字が茶色になっている!白水社さん、センスいい!)。
炸裂するイメージがとにかく素晴らしい。悪夢のラビリンスである。物語を綴るうちにグールドは、綴っている自分とその中で綴られている自分の区別も曖昧になり、現実がイメージに浸食される。読み終わっても、物語を読んだのか夢(絢爛たる汚辱にまみれたとびっきりの悪夢!)を見たのかよくわからないような、そんな本だ。
抑圧される側から見た物語ではあるが、支配者×被支配者のステレオタイプとは無縁。そんな単純な物語ではない。グールドは言う。これをおれたちにしたのはイギリス人じゃなくおれたち自身だ、囚人が囚人をむち打って黒人たちに小便をかけ互いを偵察し、黒人男が犬を手に入れるために黒人女を売り飛ばし脱走する囚人を槍で突き、白人のアザラシ漁師が黒人女を殺したり強姦したりして、黒人女ができた子供を殺した、これが事実だ、と。そして彼は「世界はとてつもなくおぞましい」という認識と「生きることは実にすばらしい」という感覚の折り合いをつけられなくて悩む。そう、この物語がかくもおぞましい出来事の羅列なのにも関わらず、陰惨な読後感ではなく、海のような広がりと明るさを持っているのは、この生きる力への肯定があるからかもしれない。
しかし、こんな悪夢のような文章をちゃんと日本語にしてくれた訳者はすごい!渡辺佐智江さんの訳されたものはいつもハズレがないが、この本はまさに渡辺さんの訳ならでは、です。ちなみにもうひとつ感心したのが、原書のペーパーバック(買ったはいいけど読みかねているうちに、白水社から渡辺さんの訳で出るという情報を得て、邦訳を待っていたのです)とページ数がなんと2ページしか違っていないということ。訳に無駄がないのだろうと思います。本当にすごい!

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紙の本

捨てる人あれば、、、

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

モンゴとは、使える、つまりなんらかの価値のあるゴミを指すスラングらしい。作者テッド・ボサは、ニューヨークでこうしたモンゴを拾うストリートコレクターの生態をタイプ別に分けて綴っている。
もちろん、拾った空き缶を売って生計をたてるホームレスや、ゴミの中から価値あるものを見つけて売りさばくのを商売にする人々も登場するが、作者が注目するのは、拾って集めること自体が目的になっている人々である。『蒐集』という、このなんとも摩訶不思議な人間の性癖に鋭く迫っているところが本書のミソ。
そしてもうひとつ考えさせられるのが物の価値ということである。捨てる側はゴミだと思って捨てているのだが、拾う側はそのゴミに価値を見出す。それどころか、売って利益を得、売られたゴミは更にとんでもない値段で転売されたりするのである。そういう市場にも人間の『蒐集欲』が絡んで来るわけだが。欲しがる人がいるから価値が生じ、そんな市場に詳しいと、ゴミが宝の山になる。例えば古本の価値は内容で決まるわけではなく、あくまで需給関係と本の話題性。名作の初版本が必ずしも価値があるわけではない。
拾った食べ物だけで暮らす、しかもベジタリアンのグループが登場する。ゴミ箱から拾った食べ物、というとちょっと引いてしまうが、閉店前のスーパーで半額の生鮮食品を漁っている節約主婦の身としては、あと数歩で閉店後のゴミ箱に行き着くと思えば考えられなくはない。高級菓子店の店頭に並ぶ高価な菓子が、閉店後はゴミになるのだ。裏口の中と外の違いで、無料で食べられるのだから。
モンゴを漁るのはゴミ箱ばかりではない。下水の汚泥浚えを専門にするグループがいる。うっかりトイレに宝飾品などを流してしまう人は結構多いのである。磨けば出所は知れない。ニューヨークも一昔前は屋外トイレが普通だったとか。もちろんボッタン便所である。ゴミは何でも放り込まれた。それを掘り出す。いまや堆肥となったネトネトの中から古い瓶がたくさん出てくる。珍しいものだと高値で売れるのである。
ちょっとぞわっとしたのが、パソコンの専門家。個人情報を拾うのだ。『蒐集』であるからして、悪用はしない、とのこと。壊されたハードディスクから、使用者の人となりを知っては満足しているのだというが、、、、。
読めば読むほど、人間って、本当にヘンテコな生き物だなあと思う。ゴミといういわば裏の世界から眺めた人間社会。豊富にあふれる「物」との付き合い方や「物」の価値について、改めて考えさせられる。

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紙の本

紙の本ミリオンズ

2005/05/26 16:42

子供から大人までみんなでお金のお勉強

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

五年生の男の子ダミアンが語り手。家族は父親とひとつ上の兄のアンソニー。母親はつい最近死んでしまったばかり。父親はクイズマニアで、アンソニーは「お金」マニア。子供のクセして財テク系の知識がやたら豊富。そしてダミアンは聖人マニア。ネットで調べて、むごたらしい殉教の有様からそれぞれの守護の担当まで実によく知っている。こういうオタッキーな一家の知識があちこちで披露されているのも楽しい。
さて、設定は近未来で、いよいよ英国もユーロに加盟、ポンドが使える日も残りわずかという頃、ある夜ダミアンの目の前におよそ23万ポンドもの大金が詰まったバッグが降ってくる。これは神の贈り物か? もちろんそんなわけはなく、焼却炉へと運ばれるポンド紙幣が強奪され、その一部だったのであるが、兄弟は天からの授かりものを使えるうちに有難く使っちまおうとする。この「金を使う」あれこれに、金を取り戻そうと兄弟の身辺に迫る犯人の影を絡め、大ドタバタ劇が展開するのだが、とにかく面白い!
金は魔物である。兄弟が金に糸目をつけずに級友たちから物を買ったり宿題をやらせたりするうちに、あっという間に学校は金余りのインフレ状態となり、物価はうなぎのぼり。ダミアンは大好きな聖人たちのひそみにならって、苦しむ人々貧しい人々の救済に金を使おうとするのだが、これがなかなか難しい。宗教団体の郵便受けに札束を放り込むと、そこのメンバーが突如高額商品を買いまくり始める。子供の話を聞いて、親までが兄弟に金をねだりにやってくる。
この物語が楽しいのは、徹底してダミアンの子供の視点で描かれているからである。通常の社会的ルールは無視。金を見るとまずみんな「欲しい」「使いたい」となって、金の出所を確かめようだの、本来の持ち主に返さなきゃなんてことだのは考えない。大人も子供も、とにかく「金、欲しい」なのである。ファンタジーであるからして、警察もなんだかいいかげんで、結末も、ええっ、そんなんで通っちゃうわけ?ってな感じであるが、それでいいのである。面白いんだから。
兄弟が困った場面になると使う魔法の言葉も面白い。「お母さんが死んだんです」と言うと、大人はみんな困った顔になって、なんでも通っちゃうのである。ただし、兄弟も父親ももちろん、お母さんの死に深く傷ついていて、それがこのコメディーの底流にメランコリーな味わいを添えていて、おかしいんだけど、ときどき泣かせてくれる。
ひとつ残念なのは、しっかりと子供の読者に向けて書かれた物語らしいのに、訳や本の作りが大人の読者に色目を使ったものになっていることだ。こういう面白くて力のある物語こそ、まず子供のものにしておいてほしい。それを大人がいっしょに読んで楽しめばよいのである。

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紙の本

紙の本奇跡も語る者がいなければ

2004/12/26 09:41

日常のなかの奇跡

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

物語は、1997年8月31日のイギリスのとある小さな街角での一日についての現在形による克明な描写と、その三年後の、街角の住人の一人だった女の子の一人称の語りが交互に現れて進められる。夏の最後の日は、語り手の「わたし」も含めて、大学卒業生達にとってその街で過ごす最後の日だった。そして本文では一切触れられていないが、ダイアナ妃が事故死した日でもある。大きく取り上げられたあの事件と違って、恐らくなんの報道もされなかったであろう小さな事件が街角で起こる。その事件を目撃することになる人々も、それぞれの不幸や悩みや過去を抱えている。住人の一人、水子地蔵に関心を持って日本へ行ってみたいと思っているシャイな男子学生は、実は「わたし」に憧れている。
三年後、彼の双子の兄弟から「わたし」はそれを聞かされることになる。取り返しのつかない時の経過を経て。その三年後の「わたし」はといえば、行きずりの恋による妊娠で不安な気持ちでいる。こんなときに頼りにすべき母親とはあまりしっくりいっていない。母は、そのまた母の死を知らされた時に泣き出すほどの安堵感に包まれたような親子関係のトラウマで、自分の娘との関係をうまく築いてこれなかったらしい。

独特の文章である。原文は読んでいないが、恐らく原文のスタイルをなんとか再現しようと翻訳者が苦心したあげくの訳文なのではないか。最初ちょっと読みづらいと思っても、どうか本を置かないで欲しい。それはあまりにもったいない。少したつと、この作者が描きたかったものが見えてきて、あとはもう読むのをやめられなくなる。
まず書き方のスタイルが、実に真摯でオリジナル。手垢のついた表現を極力避けて、言葉という抽象的なものでなんとか「現実」をそのままに描き出そうとする熱意がジンジン読者に響いてくる。映画ならワンシーンで済むものに、作者は何ページも言葉を連ねる。そこに、文学にしかなしえないものがたち現れる。まさに小説の醍醐味。テーマはといえば、「わたし」に心を寄せるシャイな学生の趣味が、作者の思いを反映しているのではないか。彼は通りで見つけたどうってことのないものを蒐集するのだ。破れたページ、レシート、捨てられた針。持ち帰れないものは写真に撮る。「何もかもが無視され、失われ、捨て去られるのが嫌」だから。「現在を掘り起こす考古学者」なのだ。この作品もそうである。無視され、忘れられていくような人間の日々の営みに光をあてて、克明に掘り起こす。言葉の使い方も、言葉を使って描き出すものも、真摯で優しい。

訳者あとがきで説明されている全体の構成の妙には、なるほど、と膝を打ってしまう。双子や水子地蔵や妊娠などなど、あちこちで様々な運命が微妙に共振しあっているのも面白い。

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紙の本

カレーの魔法

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 カレーソーセージ? 私は初耳だったのだが、ベルリンやハンブルグなどドイツ北部で人気の屋台フードらしい。ケチャップベースのカレー入りソースをからめたソーセージとのこと。ハンブルグ出身の「僕」は、子供の頃から行きつけだった屋台のおばちゃんレーナこそがこの戦後急速に広がった食物の元祖だと信じている。そして、今は老人ホームにいるレーナにその真偽を確かめにいく。老女は、ゆっくりと終戦直前の日々を語り始める。
 当時レーナは40代、ろくでなしの夫は数年前から姿を見せず、娘と息子は動員で家を離れていた。そんなある日、休暇中だった20代の水兵を一晩泊めることに。妻子持ちの水兵は、生還の確率が低い前線へ戻る気が失せ、美人でスタイル抜群ながらそろそろ「老い」の兆しを感じる中年女レーナと、今は90近い彼女が頬を染めて「いい愛人だった」という若い男との人目をしのぶ同棲生活が始まる。見つかれば脱走兵として捕まる。同じアパートのカチカチのナチ心酔者の男や階下の口うるさい女の疑念をなんとかくぐり抜けながら、二人の愛の生活は続く。そんな夜にレーナは水兵からカレーの話を聞く。インドでホームシックで体調を崩したときに初めて食べたカレーは、「楽園の味、別世界の味」で、「風が体の中を駆け抜けた」という。
やがて敗戦。だがレーナは別れが嫌さに水兵にそれを告げない。籠もりきりの生活に苛立つ彼。告げるのを一日延ばしにするレーナ。街では、ナチ信奉者の男が自殺し、ユダヤ人虐殺が明らかになってレーナの心を凍らせる。そしてある日真実を知った水兵は出て行ってしまう。
 息子と、父親のない子を連れた娘が戻り、夫まで戻ってくるがこれはまた追い出し、レーナは物々交換の闇市経済の中をたくましく生きる。だが生活は苦しい。一家の行く末をかけてソーセージの屋台を出すことにしたレーナは、基盤作りの大事な取引でふとカレー粉という言葉を聞き、思わず取引してしまう。だが、さっそく舐めてみると食べられたものではない。なんとバカなことをしたのかと気落ちするレーナ。だが、ここで運命は思いがけない悪戯をしてカレーソーセージが誕生するのである。失敗から素晴らしい料理が生まれた例は多々あるが、これもその一つらしい。レーナの屋台の初めての客となった、疲れ果てた売春婦たちは、一口食べて「音楽が聞こえてくる」「人間に必要なものはこれなんだ」と思う。そして、ある日ふと客として立ち寄ったかの水兵にも、素晴らしい奇跡をもたらすのである。
 敗戦前後のハンブルグの庶民の生活が鮮やかに描かれ、そこに女としての盛りを過ぎかけたレーナの哀しい恋と、その実直でたくましい生き方が重ねられる。人間に対する温かな眼差しに満ちた、とても魅力的な物語。読後すぐにレーナのレシピを真似してカレーソーセージを作ってみた。美味しかったが、カレー慣れしている私の舌には、魔法は起きなかった。

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