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とにかく日本語が堪能な方です。
語彙から文章から、そのすごさが伝わってくると思います。
スーダンの人が身近に感じられることがないので、
この、モハメドさんはわたしにとってスーダン代表のようになりました。
これだけ日本に住んでいるので、きっとお会いしてお話したりすれば、
きっと日本人ぽいところも感じられるのかもしれませんが、読み進めていくと思ったよりもスーダン人を感じる部分がたくさんあって、
やっぱり外国の方だなーと苦笑する部分もありました。
ふと忘れてしまいがちですが、盲目で、慣れない環境で生活しているということを思わず忘れそうになるくらい、この本ではモハメドさんの言葉がいきいきしています。
もうちょっと読んでみたかったことが書かれてなかったので☆☆☆
追記:
スーダンでは近親での結婚がけっこう当たり前らしく、その影響でモハメドさんも視力に難を受けたとのこと。
それを受け入れる意識にカルチャーショックだったのをふと思い出した。
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数ページ読んだところで、スーダンのことがもっと知りたくなり、中程まで進むと表紙の著者(最初は見知らぬ外人のおっさんにしか見えなかった写真)に親しみがわいてきました。さらに目次をあまり見ずに読んでいったので、後半の展開にはびっくり。ぜひ、2冊目、3冊目と日本語で本を出して欲しいものです!
先日読んだルイ・ブライユを紹介した本は、イラスト部分に点字の間違いがいくつかあってがっかりしたのですが、こちらはもちろん大丈夫。中のページにちゃんと凹凸のある点字(墨字も併記)で、タイトル・著者名などが記されています。
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著者を直接知っていますが、ポプラビーチへの連載を読んでいた時点から、笑いと新鮮な驚きの連続でした。
法学を志していたはずのやんちゃなスーダン全盲男子が、どうして日本で親父ギャグを連発し白杖を蹴りながらスキップする外大のプチ有名人になったのか――その驚くべきプロセスと葛藤に触れる読者に、笑いと元気をくれる一冊です。彼の視点の新鮮さもさることながら、「日本語ってこう使えるのか!」と度肝を抜かれるような言葉遣いも必見。障害者、アフリカ、日本、そして言語に対する既成概念と”常識”から、読者は一歩踏み外…じゃなかった、解放されるキッカケを得るものと思います。
彼が視る日本の姿、是非これからも発信してほしいですね。サイン会と次作(あるのかしら?)を楽しみにしています。
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図書館で数人の予約待ちをしていたのが届く。私のうしろにも数人の予約待ち。
もとは、ポプラビーチで連載されていたものらしい。ポプラビーチ発の本は、なかなかおもしろい。有名なのは大野更紗さんの『困ってるひと』とか。
この『わが盲想』の著者、モハメド・オマル・アブディンさんは、スーダン生まれ。本の時点で35歳のおっさん。19歳で来日し、福井の盲学校で学び、その後いろいろあって東京外語大へ。いまもそこで研究を続けてはるらしい。
この本は、音声読み上げソフトを使って、アブディンさん自身が書いたもの。漢字変換がちょっとへんだったところは、編集者が指摘して直したりもしたというが、母語が日本語でない人が、しかも漢字圏の出身ではない人が、そして見えない人が、的確に漢字を綴っていることに、すげーと思う。
『We』で、みんぱくの広瀬浩二郎さんにインタビューをもうしこんだとき、初めていただいたメールで、私の姓名がきちんと漢字変換されていて、ほんとうに驚いた。見える人からのメールでも違う漢字で変換されることがしょっちゅうあるので、読み上げソフトでどのように漢字を選ぶのか、そしてたとえば「冠」という字はどう説明されるのかと思った。
弱視だったのが12歳で視力を失うなど、アブディンさんは、ちょっと広瀬さんに似ている。おやじギャグをかましまくるらしいところも似ている。この本の章タイトルも、最初がトライ(try)と渡来をかけてあったり、とちゅうでは「酒って避けては通れない道」とか、ダジャレにまみれている。スーダンの広瀬浩二郎か?という感じである。本のタイトルも、『わが闘争』ならぬ"盲想"だ。
スーダンはどんな国と訊かれたら「スーダンは日本より数段広くて、数段暑い国だ」と答えたり、スーダンの位置を訊かれて「ヨルダンという国があるでしょ?その隣にヒルダンがあって、その真南にアサダンとスーダンがある」と言ってみたり。
耳から字を学ぶ、というのは、音で言葉を扱うということで、同音の言葉を使い分けていくことに長けるのかなと思った。アブディンさんもこう書いている。
▼日本語は子音が少ないだけに、作れる音のパターンも少ない。すると、違う言葉を同じように発音することが多くなる。いわゆる「同音異義語」というやつだ。…同じ音の言葉がたくさんあるので、これは漢字を見て判別するしかなくなる。しかし、漢字を見ることができないぼくは、おやじギャグを使って同音異義語を覚えていった。ぼくにとって、音の似た言葉を見つけて言葉遊びをするのは、見える人に比べて日常的なことなので、すごく簡単にでき、それを楽しむこともできた。(p.177)
日本語がまったく分からないで、19歳で来日したアブディンさん。ご苦労も多かったと思うし、苦悩の日々もこの本には綴られているけれど、新たなことに出会う楽しみ、喜びが明るく書かれているのがこの本の魅力。
▼この15年間の日本生活は、新しい発見と、自らの再発見に満ちたものでした。その間、何度となく、ぼくは悲しみと歓喜の涙を流しました。目標を失いかけて、ふらふら過ごす日々も少なくありませんでした。(p.272)
そして、そんなふらふら学生だったアブディンさんは、結婚し、二人の子どもがうまれた。
▼この本は、ぼくの盲想をフルに働かせて書いて来ましたが、今後は日本語のわからない妻、見えないぼく、子ども目線の娘二人というユニークな四人体制で、日本という面白世界を探索していきたいと思います。(p.275)
スーダンにいたころ、日本へ留学するという話をもちだしたときの、ライオンのような父との交渉風景も、かなり笑える。だが、スーダンの政情は笑えることばかりではなくて、アブディンさんの友人の多くが10代後半で命を落としているという。政治について自由に論じることもできないという。
そんなスーダンと日本とを比べて、若者の態度に言及しているところなど、硬派な面もこの本にはあって、そういうところは広瀬さんの『触る門には福来たる』なんかにも似ている。
かなりオモロイ本だった。
(11/9了)
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スーダンから日本に来て、日本語を学び、研究者として生きる筆者の話。ほぼ全盲で読み上げソフトを使って自分で日本語で書いたというところに驚く。
恐るべき努力の賜物でありながら、酒に溺れたり大学で遅刻欠席を繰り返したりするところもあるところがすごい。
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英語・日本語・福井弁を使い分け、好きな作家は夏目漱石と三浦綾子。ラジオが好きで、広島カープファンでサッカーではストライカー、そしてダジャレが好き。そんな著者はスーダン人、そして盲目!!
「情報というのは視覚によるものが7割あるらしい。その情報が得られない、しかも日本語もわからない外国人が
いかにして見知らぬ日本という国をサバイブ(生き残る)してきたか」(本人談)
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長年にわたる内乱が治まったスーダンから単身日本にやってきた目の不自由な青年のすったもんだ日本滞在記。「我が闘争」を連想させるタイトルだけど「盲想」という発想に脱帽です。奥様の腹の据わりっぷりにも脱帽。
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日本にトライ(渡来)してから学校に入学するための猛勉強。そして数年が経ち、がむしゃらに勉強していた時の「一生懸命さ」を取り戻したいという気持ち。
日本の大学の就活に対しての素直な思いも共感できます。
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日本の生活習慣、家庭、学校、さらにはサラリーマンの日常や就職活動に至るまで、この社会の外側から感じたこの社会の姿が、とても新鮮な作品。
普段この社会で暮らす自分たちに着いている、先入観や思い込みを持たず、ありのままの日本を、視覚以外の感覚すべてで感じ取っている著者の、感性の結晶のようなエッセイです。
とにかく、緊張したり、わくわくしたり、驚いたり、楽しかったり。著者の体験を自分たちも体感できる、臨場感に満ちています!
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1998年に来日した盲目のスーダン人
アブラディンさんの話はとても面白いと高野秀行さんが書いていた。
そのアブラディンさんが 本を書いた。
とても面白い。日本語の表現力、その観察眼、そして頑張る力
どれをとっても素晴らしい。
読んで面白く 元気になる本です。
そしてこの本にでてくる高野さんもまた 笑わせてくれます。
人に勧めたくなる本。
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先日、図書館の新着案内を見ていたら、この本が紹介されていた。なんせ高野秀行さんプロデュースだからね、たくさん読まれてほしいと贔屓しているのだが、よく見ると、ジャンルが「闘病記」となっている。闘病記! そ、それはないでしょう~。
高野さんも書いていたが、まあ確かに中味が紹介しにくい本ではある。「全盲のスーダン人の若者が、縁もゆかりもない日本にやってきて、東京外大の大学院生となる現在までのことを語る」 大ざっぱに言えばこういうことなんだろうけど、普通、じゃあこんな内容じゃないかと想像するようなものとは微妙にずれている。
そりゃあ大変だっただろうなあと誰でも思うわけだが、彼の面白いところは、「盲人であること」「外国人であること」を特別なこととして、そこを強調するわけではない点だ。もちろん、目が見えないことでの苦労は当然いろいろあるし、全く文化が違う国(しかも最初の三年は福井県にいた)での生活に戸惑いがないわけがない。
でも、そういうことと同じ調子で、彼は一人の若者としての悩みや喜びを率直に語っていて、読んでいるとつい、彼が目が見えないことを忘れてしまう。日本行きに反対していた厳格な父との駆け引き、寂しくて彼女がほしい気持ち、勉強のしんどさ、日本へ来て知ったプロ野球の面白さなどなど、得意のダジャレをまじえつつ披露されるエピソードがとても面白い。
まったく「普通ではない」経歴の持ち主が、いたって自然な明るさで普通におしゃべりをしている感じ、とでも言うのかな。「感動」方面に行かないところがいい。でもまさにその点が、高野さんの期待したようにどーんと売れるというわけにはいかない理由でもあると思うよ。みんなお涙頂戴が好きだもの。そういうのがキライな方におすすめ。
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私より先に6年生の息子が一気読み。げらげら笑いながら、だけど、目の見えない世界、スーダン、そして我が日本について考える契機になった模様。異国でがんばる幼馴染(中学2年生)への誕生日プレゼントにもするそう。
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スーダン出身の視覚障害者のアブディンさんの流暢な日本語で書かれた日本滞在記。高野さんの本「異国トーキョー漂流記」で紹介された「マフディ」さんが、今でも日本に在住しているとは知らなかった。全般的に明るいモードの一方で、反政府運動で殺された友人のことが書かれていて、母国の複雑な政治情勢が垣間見えた。
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読みやすい文章で、とても自然体の著者に好感が持てた。
日本語・点字・学問を一度に学ぶという、ものすごい努力の過程があっただろうに、さらっと書いてて、しかもユーモアを忘れない。
どんな状況でも、楽しむ事、卑屈にならない事のすごさを知りました。
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同い年のスーダン人。盲目だけど、単身で来日して、日本語はもちろん鍼灸や点字を勉強して、現在は東京外国語大学で研究し、本も出版している。日本語も俺より上手かも。日本人の俺ががんばらねば!!