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投稿者:tonma - この投稿者のレビュー一覧を見る
ネット万能と信じている人が多くなっていて、気持ちが悪くなっていた。この本を読んでその気がもっと強くなった。これもキーボードで打ち込んでいるが、紙に字を書くことを最近増やそうと思った。言葉も忘れるし、ただキーを押すのでなく、ペンをうまく動かそうとする事も少しは頭への刺激になるのではないかと思って。
紙の本
伝わってきた事
2015/12/03 00:30
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投稿者:いち映画ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
副題・先端技術がわたしたちにしていること
すべてが自動化する世界の真実
人間の生活を便利にしてくれている技術そのものが、人間を退化、弱体化していると警鐘を鳴らしている本です。
次のようなニュースを覚えているでしょうか。
エアバス機が離陸後、ガンの群れに遭遇し全てのエンジンがストップしてしまう。機長の機転で眼下の大河を滑走して着水し一人の犠牲者も出なかった。
この飛行機事故は199ページに詳しく書かれています。
しかし、著者は
飛行機運転という最先端技術分野では、自動操縦が非常に発達しパイロットは何もしなくてもいいようになっていると書いてあります。
その結果、何が起きるかというと不意のトラブルにパイロットは柔軟に対応する事が出来ずに不注意ミスを起こし大事故につながるというのです。
川に着水したケースは稀なケースだというのです。
ケアレスミスの飛行機事故のケースを
幾つか挙げてもいます。
どうしてかというと
自分でチェックしたり、判断したり、想定したりとの、連動の中でないと人は、うまくトラブルに対処できないと、いうのです。
このことはパイロットというエリート職業人ばかりではありません。我々のような普通の人々の生活にも大きな影響を及ぼしているのが現代だというのです。そんな警鐘を鳴らしているのが、この本の特徴といえます。
例えば次のようなもの。
スマホの中の検索をあげて検証しています。具体的にいうと位置情報を見て、目的地までスマホの案内で向かう事。これは脳の中の地理的認識能力を衰えさせてしまうというのです。
(現在、大問題になっている認知症。その症状の一つに道に迷う、帰宅でいない、脳の地理的認識能力の低下が挙げられている事は周知の事実です)
PC関連で
簡単に調べられる。何もかも、やってくれる。
車の運転にしてもドンドン
自動操縦に切り替わっていく。
その行き着く先は、チョとしたアクシデント、トラブルに対応できない。
感覚、気付き、発想を養っていないので、何かあったとしても、何もすることが出しない人間になっているというのです…
なかなか刺激的な内容でした。
ちょっと話が横道にずれますが…
世の主婦の家内労働一つを解放させてくれたのは
洗濯機なのです。
これで家事の大半の時間が機械任せで
その時間が使えたのです。
80年代
ヨーロッパ旅行は40~50万かかりました。
それを軽減したのが技術革新です。
だからでしょうか、なぜか、
読み終わった時の充実感というのでしょうか。
手ごたえというのでしょうか。
それが弱いのでした。
それは、多分ですが、その対応策についても
しっかりと論じきっていない気がしたからかも
しれません。
読みごたえは、あります。
それは感じました。
この本を参考にして~
明日からは、楽な生活から抜け出す事にしよう…
いや、来週からでもいいかな…
まあ、とりあえず、そのうちに、というところで
まあ決めるのは、何時でもできる…
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オートメーション化、ロボット化が我々に何を与えているのか?自由な時間、新たな創造、肉体労働からの解放等美辞麗句が並ぶ。
私たちはその未来を本当に求めているのか?ユーザーインターフェースは優しくなるが、ツールはどんどんブラックボックス化し、ツールを作る側と使う側の差が開く一方なのでは?
私たちにとって無条件に科学技術が発達することは幸せなのか?など哲学的なことを考えさせられた
エアバス社とボーイング社の飛行機の設計思想の違い等は驚きだったし、自動車の自動運転においての道徳問題も新たに考えなければいけない問題だと認識した。
"グーグルか自動運転車が走ればヒューマンミスが無くなり事故が激減すると言っているが、その事故の4分の1はスマホを操作中に起きた事故であったことは言わないし、運転中に操作できなくなるツールを作ろうともしていない"
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著者自身のマニュアルの車で散々苦労した後のオートマ車では、チャーリー・ワッツやジョン・ボーナムのリズムを刻めるほど楽だったとの体験で読者を掴んだところで、自動操縦の航空機での悲惨な事故を皮切りにまるでダッタイト運動の指導者の如くオートメーション化で人間がただ監視するだけになってしまう弊害を説く。終章では「草刈り」という詩を引用して道具は人間に力を与えるもので「ポストヒューマン」や「トランスヒューマン」であってはならない、生産の手段ではなく経験の道具としてツールを取り戻せと訴える。自動化によるコスト削減と身体性ともなった経験の排除、本書で説明されていたボーイングの身体性を残した操縦桿が印象に残りました。それにしてもタイトルのネット・バカに続くバカシリーズってもう少し何とかならなかったのでしょうか。
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機械化、自動化することが文明だと信じていたし、人間にとっても重労働や煩雑な仕事から解放されるので正しい進化の姿だと思っていた。
しかし、過度のオートメーション化は人間の思考形態をも変化させてしまうようだ。コンピューターやネットワークの進化のスピードが、人間の適応スピードを超えてしまっているのであろう。
極端な話、オートメーション化が進み過ぎると、自分が生きているのか、生かされているのか、はたまた本当に存在しているのかさえ分からなくなってしまいそうだ。
コンピューターやネットワークとの付き合い方を再考する必要があることを教えてくれる良書である。
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コンピュータによるオートメーション化によって、人間・社会に及ぼす悪影響などを述べている。
少し硬めの翻訳ですが、内容はぶれてないので読みにくくはなかったです。
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自動化によって人間の能力が失われる主題。
エアバスが自動操縦を進め非常事態に人間が対処できずに墜落する話は、名古屋中華航空事故に限らずあって、恐ろしいと思う。失速警報が鳴っている時に操縦スティックを引いていたという記録は、事例が複数あるだけに恐ろしい。ボーイングの操縦桿と異なりスティックのフィードバックがないので、操縦士の一方が逆向きの操作をしていることをエアバスでは他方の操縦士が知ることが難しいという指摘も改めて尤もだと思う。
鉄道の運転自動化については、TGV が新幹線を反面教師として人間の責任範囲を残した事例があるので、問題意識は決して新しいものではないと思う。本書もその方向の提案をしている。
その一方、自動車の自動運転は、責任のある運転者が要らなくなるまで、自分は欲しくないと思う。運転者が最終責任を負う制度で緊急事態回避のための介入を超える操作を自動化されてしまうと、自分の能力を失った状態で責任だけかかってくることになりそう。
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オートメーションは便利なのですが、人間の大事な考える過程が失われることも事実ですね。自動運転の車とか近い将来実現するでしょうし…
機械に頼らず自分で考えることも時には必要ですね。カーナビに頼らずに本の地図を見ながら目的地までドライブするとか。
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早く自動運転車がでてほしいと思ってる自分。多分、自分が運転するより安全な気がするんだよ。自動運転車なら、前と後ろ同時に見れるわけだし。
まあでも、自動化しすぎるのはある意味問題なところも多いのは確かかもしれない。車のアクセルとブレーキを踏み間違えた事故も、マニュアル車ならこんなこと起こらないからオートマは無くした方がいいということを言う人も見たことがあるし(そもそも、どう考えても踏み間違いやすい設計になっているのが問題だと思うのだけど。自分も事故までは起こらなかったけど踏み間違えたことはある)。
パイロット職って今は夢のある職業じゃないということが分かった。結構、楽な職業なんだなぁ。ただし、楽になりすぎて、緊急事態の時にうまく操作できなかったり、パニックに陥ったりすることが多いらしい。そういう訓練してないのだろうか。
GPSの指示にしたがいすぎて事故を起こすという話はたまに聞く。確か、ドイツだったと思うけど、どう見ても道じゃないのに、GPSがそっちに行くように言うから行ったら事故になったという話を昔聞いたことがある。あの事件は本当、まさしくバカだと思った。
ロボットという言葉の由来を初めて知った。チェコ語の"robota"という言葉が由来で、『奴隷』という意味らしい。ちょっと衝撃な事実だった。
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タイトル通り。
「オートメーション技術の進歩でますます便利になるけど、
そのせいで、知らないうちに我々人間が失っている能力・感性もあるんだよ」
・カーナビのせいで道を覚えられなくなった
・最近のウェブにおけるザッピングで本を深く読めなくなった等
豊富な事例と分析があり、昨今の人工知能関連技術の知識の幅を広げる意味ではよい。
ただし、それだけのことであり、個人的には世間で言われているほど面白くはなかった。
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出落ちというか、こういうアメリカの本って、ポジショントークがずっと続いてちょっと途中で辟易とするんですよね。本書もそういった傾向がなくはない。まあ、最終章のところでちょっといい感じになるんですが、そこはもう技術論というよりは文学。プロセス大事だよという日本人好みのネタが展開されています。村田兆治が新聞記者に語ったというワープロを使うと心がこもらない。って話ですね。そのころ村上龍とかもワープロによる文体の変化に関心を持ってました。それで、僕は本書にも引用されているケビン・ケリー的哲学の方針を支持します。つまり、技術は良い所もあるけど悪いところもある。でも良いほうがちょっとだけ多い。
エキスパートシステムへの批判をオートメーションに絡めていたりするけど、そりゃ無理筋だと思う。辞書は小説ではないみたいないいがかりに聞こえるね。まあ、でも、示唆に富んでるし、こういう本を読む時の資料とかビブリオとかの取り扱いのプロな感じはいい。大学教育がきちんとしている証拠ですな。
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技術の進化が人間を単純労働から解放し、人間は知的な生活環境で生きてゆくことができる。これが幻想で、人間を幸せにはしないことは、皆がわかってきている。しかしテクノロジーの進化を止めようとはしないだろう。人間は便利を求め、生産性を向上させることに全てをかけてきた。もう、行き着くところまで進むしかない。やはり「抵抗は無意味だ」
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オートメーションが変えていることを見定める。人間の仕事、能力、生活を損ない、視野を狭めて選択肢を限定することもある。
高能力の人間>コンピュータ>普通の人。普通の人には朗報だけど、人類に高能力者がいなくなるのはヤバい。
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航空機のオートパイロット、Googleによる自動運転カーに始まり、GPSによる経路自動検索、CADによる建築デザイン、金融業界の超高速取引などなど、我々を取り巻く「オートメーション」とその進化の先に何があるのか、といった問題を考えさせられる一冊。
この手の本だと仕方がないのかもしれないが、文章がなかなか身に入ってこない。
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オートメーション化する事での人類への危惧が述べられている。
確かに自動運転が普及してしまうと、解除後の運転者スキルは著しく低下しているかもしれない。
CADシステムしかり、かゆい所までも手に届き過ぎて考える力を失っていっているというのは頷ける所。
AIが普及した後の世界は、楽観論・悲観論織り交ぜて種々展開されているが、この書で提示されているものもそういった問題とまさしくリンクする