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目も鼻もないというのは半分しか本当ではありません。
まつ毛と瞼と小さな眼窩はあるけれど眼球がない、鼻はあるけれど鼻骨がない赤ちゃんを授かったお母さんの話です。
目が見えないのと目(眼球)がないことの違いの大きさを知りました。
眼球がないと目の周りの骨も発達しないため、成長しない骨格の影響で顔にも歪みが出て来ること。(このゆがみを避けるために義眼を入れる。成長に合わせて義眼の大きさを変えていく)。網膜がなければ深く眠るためのホルモンが作れず、目覚めやすい浅い睡眠しかとれないこと。
義眼を入れるために繰り返される手術や、何年も何年も続く「昼夜を問わない夜泣き(表現矛盾ですが)」に対応する育児は、愛情と体力なしには成り立たないでしょう。
著者は「自分は立派な親じゃない」と書いていますが、困難な育児を乗り越える愛情の深さと体力は尊敬に値すると思います。
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裁判の件については、賛否両論だとは思うけど、全編を通して、素直に自分の言葉で書いてある感じがしました。決して美化するでもなく、子どもの障害に悩みながら、頑張っておられます。それまでの人生が順風満帆だっただけに、他の誰かに八つ当たりしたくなる気持ちも分からないではない。
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「泣いていても、笑っていても、同じ子育てをするなら笑って子育てをしたい」というような内容の言葉が心に残った。
たび重なる手術に、こんなに続けてする必要があるのかなと、素人ながらの考えで思ってしまいました。
それぐらいに、千璃ちゃんのために病院に何回も通い、合間に仕事も家事もこなし、毎日一生懸命になっている姿に、その力はいったいどこから湧きあがってくるんだろうと思いましたが、我が子を思う親の愛からきてるんだろうな~。
子供たちを心から愛しているお父さん、お母さん、そしてきょうだいたちに囲まれていることが、千璃ちゃんにとって一番の幸せなことではないかなと思いました。
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世の中には、私の知らない病気がたくさんありますね。
五体満足で生まれる、生きていることがこんなに幸せなんて。
もっとしっかり毎日を生きないとと改めて、感じました。
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斎藤さんからのご紹介本。
闘病記はいくつも読んだけど、この方は本当にありのままを書かれていた。アマゾンの書評は様々(散々)だったけど、私は彼女の気持が理解できる。分娩台の上で「おめでとうございます」と言われなかった、一母として。
受容するということは、簡単ではない。したものにしか理解はされまい。
読みたくないものは読まなければいい。
この本は、届けたい人に届けば良い、そういう本なのだから。
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まえがき…順風満帆な出産までの人生を、淡々と嫌味なくつづっているけれど、終わりごろに、娘の障害へのとまどいがのぞき、これからのこの本の壮絶さが予想される出だしとなる。
著者は、ユーモアのある人…おもしろい人なのだろうなぁと思う。髪の毛が頭にペターッと張り付いたような娘に似ているうさぎのぬいぐるみに、「のりちゃん」と名前をつけるとか。
やはり母親は、娘に何かあると自分のせいではないかと責める。この人も、娘の障害は原因不明であるのに、責めずにはいられない。私も先日監督しきれずに娘を階段から落っことしており、意味はぜんぜん違うけれど自分を責めた。そのため、共感せずにはいられず苦しい気持ちになった。そして読み進めると、客室乗務員時代に度重なるフライト中に浴びた放射線(宇宙線?)の影響も考えたことがあるような記述があり、震撼した。
入院しつづけるだけの異常がなければ即刻退院とさせられるなど、アメリカの病院事情の厳しさ。訴訟を恐れる医師やナースの自己弁護の数々。
p85あたり
「親孝行ってなんだろう」と。五体満足な娘を生めなくて、親不幸だと思う。そうだろうか。当事者しかわからない苦労をおいて考えれば、こんなにうちのめされながら育児に仕事にさらには裁判と奮闘する娘をもてたことは、親にとっては幸せなことなのではないか。私だったら、立派な娘をもったとおののくほどかもしれない。娘には五体満足な子を授かってほしい。けれどもかなわなかったのなら、できるだけ手をさしのべ、力になりたいと思うだけなのではないかと想像する。
「障害のある子は、ちゃんと育ててくれる親を選んで生まれてくる」。繰り返される手術などの試練や、出産時にはじまるつらい仕打ちもすべて越えて、この人バージョンのこの子の子育てをしている。この子にはこの親しかいないのだけれど、親が別の人だったらここまでの強さを発揮できるものだろうか?やはり、乗り越えられる人にしか与えられない運命なのかと思ってしまう。
p165あたり。2人目の子どもについての葛藤。その後、驚きの4人兄弟になってしまうのだから、やっぱり強い強い母親だとまた思うけれど、子どもの数だけ大変さは増すけれど幸せもじわじわ増え、それで千璃ちゃんの育児への活力も得ていったに違いない。…と決めつけるにいたる2児の母の日常。
p174「ああ、やっぱりこの子の強い生命力を信じよう。どんなに不自由であっても、この世に生まれてきたいと思ってきたのだという言葉を信じよう」
。裁判でこの人が勝ち得たかったのは何か?と読みながら探っていた。著者が最後に求めたのは、検診をずっと見てきて、出産に立ち会い逃げるように去ったO医師の「おめでとう」の一言だった。つまり、千璃ちゃんがこの世に生まれたことを認めてほしい、ということか。新しい命が生まれる尊いその瞬間を、迎え入れる体制を自分の子につくっておいてやれなかった。それはそれは無念に違いない。命の存在を受け入れてほしい。同じ世にこれから生きる一人として見てほしい。親としてそれを求めるのは自然で、それがかなわないなんて痛いほど辛い気持ちだろう。生きてほしい��認めてほしいという親の気持ちをひっくりかえして当の子どもの側からみると、この世界に社会に生きたいという気持ちと同じなのだろうから。
p306 手術をくりかえして、コスメティックな問題ばかり追っているのではないか…?と途中思ったりもしたが、娘を「好奇の目で見られる」のは親としてはやはりつらいだろう…。親としてであるが、実際はそう見られている、娘を不憫に思ったときに。本当に何回も何回も繰り返される手術に、術後の様子の描写に、親も子も想像を絶する苦労の連続であることが私もちょっとだけ理解できたのである。しかしそれでも打ちのめされずにきっと子供たちと今日も生きている著者に、感服。強い女だ。
あとがき…p314 「千璃、ママの顔は見えなくても、きっと貴女の心に届いているね。」に涙した。そうなのだ。母親にはわかるのだ。他人には寝ているのか起きているのかすらわからなくても、母親にはそれがわかる。むしろそんなのはわかって当然のようなもので、母と子にしかわからない、通じ合うものがいっぱいあるのだ。
だって、生まれる前も、今も一緒にいるから。
壮絶な苦労の傍ら、仕事もし、障害のある子の他に3人も
異国の地で育てる強さにただ脱帽。
本当に、強い女。同じ女で、よかった!
障害のある子を育てる、ということの実際を垣間見て、
母親の葛藤や親子の成長から学ぶものがあった。
繰り返される手術に、痛々しさはすごいのだけれど
親も、心身ともにボロボロになりながら立ち向かって。
感情が入ってわたしも胸がぎゅーぎゅーなる思いでした。
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テレビで娘さんのことを知って読んでみました。
両方とも眼球のない状態で生まれ、鼻から額にかけても形成以上が見られるせりちゃん。
そんなせりちゃんの子育てを綴った本科と思って読み始めたのですが…。
読み終わった今でも教官出来ないという思いが残るばかり。
どうしてなのかなと読みながらもずっと考えていました。
今まで読んだ「障害児を育てているお母さんの本」と何が違うのかな、と。
いくつか思ったこと。
一つは「せりちゃんの様子がほとんど書かれていない」ということなんです。
度重なる手術の様子、そのために著者がどれだけ大変な思いをしたか、そういうことはかなり細かく書かれています。
ですが、せりちゃんがどんなことが出来るようになったか、どんな成長を見せたかということはほとんど書かれていません。
少なくとも私は印象に残りませんでした。
他にも数々の違和感がありました。
それは、世界で13例目という大手術を一歳にならない子供に受けさせられる経済力。
何千万というお金を支払って、何度も手術を受けさせられる経済力。
「経済的に大変」と書きながらせりちゃんの後に次々と3人の子供を出産してること。
ところどころに記される莫大な医療費を支払いながら、治療を受け、生活が出来ているということ。
ベビーシッターを雇い彼女も仕事をして、本の執筆までしていること。
何か感覚が違うなという感じでしたね。
すごく特別な人の一つのやり方を見たという感じでしょうか。
さらに娘さんの妊娠・出産時にかかわっていた医者を医療訴訟で訴えているんです。
読み進めていってもこの裁判の意図は私には分かりませんでした。
子供を育てるためのお金が欲しいわけではないと書かれていましたが、出産時に医師が「おめでとう」と言ってくれなかった、そのことだけで本当に裁判を起こしたのか、はっきり見えてきませんでした。
そしてこれが決定的かなぁと思ったこと。
それは自分の子供を哀れな存在として見ているんだろうなということです。
それが文章から伝わってきました。
「娘のことを周りに紹介することが出来なかった」という記述もありました。
息子さんの保育園のママたちには「体の弱い姉」とだけしか言ってなかったらしい。
それってどうなのかなぁとここでも思った。
「私はがんばり続ける」
という用な文章を読んでも
「そうですか。がんばってください」
という気持ちにしかならなかった。
何なんでしょうね。ちらっと検索したら似たような感想を書いてる人がたくさんいたことにもびっくりしています。
たくさんの人が「違和感」「読後感が悪い」という言葉で記していましたね。
続けて障害児を持つお母さんの本を読もうと思ってたけど、路線変更です。
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順風満帆なキャリアウーマンの元に生まれてきたのは、目も鼻もない子供だった。
アメリカに住んでいるため、手伝ってくれる身内もいなければ、度重なる長女セリちゃんの手術費用も保険が効かないため莫大になる。
そんな中、夫と共に二男二女を育てている母親の奮闘ぶりを書いている。
…確かに普通以上に奮闘しているとは思うけど、親目線でセリちゃんの内面的な部分を描いていないせいか、「私は可哀想な子供を持った綺麗な母なの」と言っているように思える。
手術について書かれてる場面で、セリの唯一の取り柄である白い肌に傷つくのが…などと書いてあるけど、確かに「美香の子供なら美人でしょ」と言われる程著者は美しいのかもしれないけど、そういうセリフは娘を可哀想な子と認識していない限り出ないものだと思う。
また、4児の育児は大変そうだが、もう少し年を離して生むこともできた訳だし、自分の意思で生んだ以上、育児が大変でも育て切るしかないのでは?と言いたくなってしまう。
さらに、まだ乳児や幼児と呼ばれるような幼い時期に莫大な費用をかけて手術をさせているところ。さらには生まれた時におめでとうと言ってくれなかった上に不誠実だという理由で医師を訴えているところ。もちろん、生活費が…といった記述や、アメリカで病院にかかるとどれほどお金がかかるか、といった事情は書かれているが、それでも4人の子供を育てる余裕がある。世の中には障がいや病気でもお金がなくて医療を受けられない人がいることを考えると、かなりこの家族は選ばれた部類に入るのでは?と思ってしまう。
私と同じようなことを別の人も書いているのを知って驚いた。
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普通でも大変な異国での子育てなのに、重い障害を持った千璃ちゃんをしかも仕事をしながら育てていくことがどんなに大変か、かなりしんどい気持ちになって読みました。そのうえ、後3人の子供も出産し、また裁判まで始めて、倉本さんのバイタリティーにただただびっくりです。
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今私はこの本を読んだらどう思うのかを考えて購入。
自分だったらどうするだろう?と考えながら最後まで読んだ。違う行動をとると思ったところもあるし、いまいち理解できないところも正直あった。けれど、筆者の考えを否定する気持ちもない。正解はないことだから。
筆者の考えに賛否両論あるのは置いておいて、そこに愛情があるのは伝わってきたし、自分たちのもとにどんな子が産まれてきても絶対に精一杯愛そうと思った。自分との対話をしながら読んだ1冊。
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最初はテレビで知りました。
気になっているうちに。
出版のコトを知って。
いろいろな子がいる。
と、いうより。
こぉいう子もいる!
と、強く感じました。
アメリカでの子育て。
事情も違う中。
ひとつ、ひとつ出てくる問題。
と、絶え間ない日常。
淡々と、素直に書かれているからか。
対処方法に感心したり。
笑ったり。
ふむ・・・。と、思ったりしながら。
あっという間に読めました。
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子育ても含めてすべてに短期集中
美貌と頭の良さと人一倍の努力で
次々目標を達成
さらに上へ上へ
彼女の人生に無駄は無い。
セリちゃん
あなたのお母さんはすごいよ!
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アメリカで障がいのあるお子さんの子育て、どんなに大変かと思う。でも、どうしても少し引っかかる所があった。あまりお子さん達の様子が書かれていなくて、親の大変さにばかり焦点が合っていた気がする。それだけ大変なんだとは思うけど…
まぁ、その大変さを体験してない人が色々と言う権利はないし、立派に子育てしていらっしゃってすごいと思います。
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祖母に
「これから結婚する人にどうかと思うけど、すごいいい話やから」
と、もらった本。
「そんなに見た目って大事かな」と疑問ばかり浮かぶ。
眼球がないから人前に連れて出られへんの?
人間いろいろやのに、実の親にそう思われ続ける子の気持ちを思うと悲しくて仕方がない。
忙しくされてるのに、大変やったんやろうな思うけど、なんで見た目を直さなあかんの?
そればかり。
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昔読んだ気がしていたが、ブクログに登録してなかった様子。
再読。
レビューにいろいろ書かれているが、たしかに金銭的に恵まれた人だとは思うが、それだけで、ここまでのことはとてもできないと思う。
同じ立場だったとして、同じことをすると思えないが、心のままに綴った本としては、なかなか真似のできることではないと思う。