紙の本
果敢に泥臭く生きている
2020/06/28 18:04
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
上京した20代半ばの詩人の人生経験を綴ったエッセイ。初めての八百屋、ジム、テレビ出演、ストリップ鑑賞。「詩人の目線を通したら」みたいな肩肘張った文章じゃなくて、一人の女性が文筆業で食べていく上での上京物語みたいな温かさがあるエッセイ集だった。
生活の中に潜む、厄介な体育会系ノリ、詩に対する世間の目線、誹謗中傷、異性のクソ言動etc様々な壁に対峙する姿は「洗礼ダイアリー」よりも果敢で泥臭くて親近感を覚えた。詩人だって、仕事で飯が食えないと焦るし、エゴサで見つけた中傷ツイートで凹む。そんな当たり前のことに目を瞠る本だった。
投稿元:
レビューを見る
文月さんの人生観というか、詩人としてじゃなくて1人の人間としての言葉の選択・表現が本当に独特で、こういう表し方もあるのか!と新しい発見もありつつ、自分の経験談と重なったりして安心感も得たり出来た。
何が大切なのか、自分はなんなのか、臆病な自分について向き合いたくはない状態であるとちゃんと分かっている彼女は自分を愛せているんだろうと思った。
自己満でも自己中でもいいから、私はどうしたいのかってちゃんと考えていくこと、あわよくば行動に移していきたいと思った。
投稿元:
レビューを見る
この世界が怖い、
明日が怖い
過去が怖い
未来が怖い
人が怖い
怖いものなんて
いくらでもある
その中で
頑張らなくてはいけないのは自分で
自分のためにしか
頑張れなくて
努力の仕方を教えてもらえない人は
一体どうやって 自分の足跡を残していけばいいのか
傷ついた分だけ 過去という頂は高くそびえる
未来は地平であるはずなのに
その峰が 立ちはだかる
未来へ行くということは
生きるということと同じ
未来が怖いということは
生きることが 怖いということ
臆病なことが だめなのではなくて
自信がないことが だめなのではなくて
狡いことが だめなのではなくて
そういう自分をしめだして
遠くに閉じ込めてしまうことで
自分で自分を 苦しめてしまうことが
結果的に 未来の自分を だめにしていく
言葉は灯だと思う
過去を受け入れつつ 今を受け入れ
未来へと歩んでいくための 導なのだと
弱くても 傷ついても
前に進むことを選んだ人は
大丈夫
あなたは強い人 だと思う
自分を変えたい
そう思ったなら きっと変えられる
過去に蓋をして 遠くの場所に置いてきてしまった自分と
また出会ったら 未来は もっと あなたの味方になる
挑戦は続く
その生き方は とても尊い
文月氏の生き方に 賛辞を贈りたい
投稿元:
レビューを見る
「早熟」「天才」と騒がれた女子高生も、今や臆病で夢見がちな冴えない女。ないない尽くしの私は、現実に向き合うことができるのか-。JK詩人からの脱却を図った体当たりエッセイ集。『cakes』連載に加筆し単行本化。
どうして図書館へ予約を入れたのかは忘れたのだが,なかなか面白い。詩も読んでみようかと思った。
投稿元:
レビューを見る
寺山修司よろしく
書を捨て街に出ようと
体当たりエッセイを
キラキラ系ネットメディアcakesで
連載してたものが本になったもの。
体験したからと行って人間簡単に考え方が変わるわけでも
強くなるわけでもない
いつも、ふみつきさんは臆病でどっちつかず。
読者にとってはそのグラグラ加減に
イライラしてしまうかもしれませんが
その過程を曝け出せるのも個性というか持ち味だと
思います。
またそのさらけ出してるのが私の持ち味だと思っていたら
アーティストのチョーヒカルさんにガツンと食らうとか。
詩人をやってますというと
ポエムですか?とか聞いてきた人との乖離に毎回苦しんでる著者がそれでもなぜ詩なのか?と問われた時
この社会に風穴をあけたいと普段オロオロしているひとがそこだけしっかりと答えた時に
おぉーというか、にやというか驚かされた。
投稿元:
レビューを見る
ガラスの針のように繊細な表現の中に、卑屈さや韜晦が入り混じった文章で、そのバランスがすてきだった。タイトルにもあるように、「言葉」や「詩」というジャンルへの強い信頼感を持っているんだろうなあ。
投稿元:
レビューを見る
購入して読了、手放した後、気になる箇所があり図書館で再び手に取る。
文月悠光さんは詩集という形では読んだことはないけど、このエッセイでの物事の捉え方は好き。
今回もう一度読みたかった部分はチョーヒカルさんとのやりとり。
創作と人間関係の在り方についての部分では、家族や友人とのプライベートな時間の写真をウェブ上に公開することについて以前から考えていたことに繋がって、『どちらをどれだけ大切にするか』というのは常に考えるようになった。
また、受動的な態度でいることは積極的な人にとってはコミュニケーションの『搾取』とも考え得ることを言及される部分は、自分にもザクザク刺さって痛かった。
創作と人間関係の在り方については、1度目に読んだ頃と同時期に資生堂のPR誌「花椿」で連載されていた『ダルちゃん』にも同様のやりとりがあったことも印象に残っている。
表紙写真の撮影は岩倉しおりさん。
投稿元:
レビューを見る
生まれたたての子供が、初めて町に出て、翻弄されたり、驚いたり、うろたえている姿を嘘偽りなく、描いたような、素敵なエッセイ。
投稿元:
レビューを見る
八百屋、初詣などささやかな初体験から少々ぶっ飛んだ初体験まで普通の人と臆病な詩人のどちらの感性も見えるエッセイ。
色んな人に「普通」と言われているようですが、大学教授にとんでもない言葉を言われた事、告白されて寝込んだ事などなんとも言えない体験を言葉で表現できるあたりが「普通」ではありません。どんな感情であれ、言葉で表現する事をためらわない、表現することを諦めない所がよかったです。
投稿元:
レビューを見る
cakesでの連載をまとめた本書には、著者が初めてストリップ劇場に行った際のエピソードも掲載。cakes記事(有料)でも読むことができます。
https://cakes.mu/posts/17044
投稿元:
レビューを見る
才能があっても努力していても完璧に見えても、実は「等身大」じゃない人間なんていないんじゃないか。自分の見たものをちゃんと受け止められるだけのまっすぐな感性を持って生きていきたいな〜。
投稿元:
レビューを見る
幾度となく文中で使われてきた「臆病」という言葉通り、文月さんはそういう人なのかも知れない。
だからこそ、時折垣間見える詩を書くことへ対する覚悟の強さ、物事の捉え方のピントが合っている感じにハッとさせられた。
自分の言葉で表現できることの自由さがとても、羨ましく思います。
繊細だからこそ紡げる言葉があるんだろうな。
ストリップ劇場の話にぐっときました。
投稿元:
レビューを見る
とてもいい文章を書くなあと思った。
奇をてらうわけでもなく、平凡なわけでもなく、
当たり前のような書き方の中に個性がじんわりとにじむ。
言葉の選び方、表現の仕方が適度で気持ちよく面白い。
恋愛に関する4つの章は、距離感が良かったなあ。
小説のようでもあり、飾らず淡々と追っていく感じも切なくて。
全編を通じて、自分の臆病さ、弱さ、逃げる態度に気付き、
突き付けられていることにちゃんと向き合っていることも、
やろうと思ってもなかなか難しく、怖い事だと思う。
相手から言葉を「ぶつけ」られることの乱暴さへの抵抗を語った章は力強くて泣けた。
投稿元:
レビューを見る
若くして多くの賞を受賞した詩人と言えど20代の若者である。20代の自意識が的確な言葉で率直に綴られていて、自分が20代だった頃の気負いや臆病、止むことのない自己分析・自己言及を思い出させられる。これを本谷有希子がリライトしたら…と、やや意地悪な考えが頭をよぎった。あと、「フィンランドで愛のムチ」はグサっときた。
投稿元:
レビューを見る
日本において、承認の基準は〈社会〉にある。〈地位を築くこと〉や〈社会への貢献度合い〉ばかり評価の対象となり、その社会的評価によって自分を位置づけている。だがドバイでは、依存先を社会に限定しない。モスクは社会的地位に関係なく、地域の子どもからお年寄りまで集う。一日五回の礼拝の時間は、太陽の動きと共にある。夕焼けの光に包まれながら、モスクへと吸い込まれていく人々。祈りを捧げる人々を見て、社会から切り離されて、自分自身と向き合う時間があるってなんて幸福なことだと思った。