紙の本
自身のメモワールと、尋ね人の少女と、多くのユダヤ人の人生が縄を綯うようにして絡まりあう
2014/12/23 17:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る
一九四五年生まれの作家は、ある日、古い新聞「パリ・ソワール」紙を読んでいて、尋ね人の記事に目をとめる。日付は一九四一年十二月三十一日。十五歳の少女、ドラ・ブリュデールの失踪を告げるその記事に目を留めたのは、連絡先の両親の住所に覚えがあったからだ。パリ、オルナノ大通り41番地。クリニャン・クールの蚤の市で知られる界隈だ。子どもの頃母親にくっついてよく訪れた所だ。
「私」の回想がはじまる。「一九六五年一月。オルナノ大通りとシャンピオネ通りの交差点では夜のとばりが降りはじめていた。私は何の価値もない存在で、宵闇の街にとけ込んでいた」。まさにモディアノ調。アイデンティティの希薄な若者が、薄闇のパリの街角に佇んでいる様子が浮かび上がってくる。ところが、読者ははじめから知らされている。これがいつものフィクションではないことを。
ドラ・ブリュデールは、実在の少女で、両親が尋ね人の広告を出す二週間ほど前、寄宿学校から脱走している。一九四一年といえば、日本が対米戦争に突入した年である。パリはドイツの支配下にあった。ドラはフランス国籍を有していたが、両親はオーストリアとハンガリーのユダヤ系市民であり、胸に黄色い星をつけなければならない人々であった。
モディアノ自身がユダヤ系の父を持ち、ユダヤ人として小説を書いてきた。戦後生まれたモディアノは、戦争当時のフランスでユダヤ人がどんな扱いを受けたか実体験は持っていない。しかし、父が非合法活動に手を染めて家を出、役者だった母からも見捨てられ、孤独な少年時代を過ごさねばならなかった作家には、自身の過去と戦時下のフランスのユダヤ人差別は、切り離すことのできない問題であり、作家としての核ともいえる。
戦時下フランスにおけるユダヤ人差別を追う作家は、戦後それらの証拠となる資料の多くが廃棄されていることに気づく。アウシュヴィッツはナチス・ドイツの犯罪としてしまいたいフランスの思惑がそこにはあった。モディアノは彼の小説の主人公のように、資料をあさり、関係者をたずね、ドラの消息を明らかにしようとする。長きにわたるその経緯を書き留めたのが、このエッセイともフィクションとも言い切ることをためらわさせる作品なのだ。
ドラという少女の生を跡付ける試みであるのに、書かれた物からは、ドラと同じ程度、いやそれ以上にモディアノの過去が色濃く浮かび上がってくる。語り手は、ドラの歩いただろう駅から続く通りをたどりながら、当時自分がそこを歩いたときの気分を思い出し、寄宿学校を脱走しなければならなかった少女の気持ちを推し量る。少女の反抗は、モディアノ自身のものだったからだ。
こうして、単に地名や日時といった記号化された情報ではなく、小説家ならではの想像力が駆使された結果、そこにはジャン・バルジャンがコゼットと身を潜めた地が、ジャン・ジュネも入っていた感化院や監獄が重ねられ、失踪から、やがて送られる収容所までの一人のユダヤ系少女の足取りがくっきりと示されることになる。この、作家自身のメモワールと、尋ね人の少女と、当時迫害を受けた多くのユダヤ人の幾筋にもわたる人生が縄を綯うようにして絡まりあう叙述が、単なるノン・フィクションとの間に一本の線を引いている。
過去の過ちをいつまでも引きずりたくない、という思いはフランスだけの問題ではない。加害者側は忘れたくても被害を被った方は、告発や謝罪が済まない限り忘れられるものではない。時が過ぎて記憶が曖昧になる前に、たしかな事実を力ある言葉にすることが作家には求められている。モディアノの仕事は、その役目を果たしている。
投稿元:
レビューを見る
(2014.10.25読了)(2014.10.16借入)
【ノーベル文学賞受賞】
著者は、2014年のノーベル文学賞受賞が決まった方です。村上春樹さん、今年も残念でした。受賞のニュースが流れた後、図書館の蔵書を検索してみました。三冊ヒットしました。
ノン・フィクションから入るのもいいかな、とこの本を借りてきました。
第二次世界大戦のナチス占領下の、パリでのユダヤ人について書いたものです。著者もギリシャ系ユダヤ人ということです。ただし、生まれたのが、1945年ということですので、ナチス占領下のパリで暮らした体験があるわけではありません。
この本の原題は、「ドラ・ブリュデール」です。邦題の、1941年の新聞に掲載された尋ね人の名前です。ユダヤ人夫婦の15歳の子供が失踪(家出?)したので、知っている人がいたら知らせてほしいというものです。
著者は、1988年から1996年にかけて、ドラに関することを調べ、その足跡を記したのがこの本です。尋ね人の広告の後、ドラはいったん両親のもとへ戻ったようです。
最終的には、両親もドラもユダヤ人として収容所に送られ亡くなったとのことです。
戦後において、ドイツにおいては、ユダヤ人虐殺の問題は、けじめをつけないといけない課題ですが、フランスにおいても、ナチスに協力してユダヤ人虐殺にかかわった人たちには、同様のけじめをつけないといけない課題のようです。
日本においては、東京裁判が全てで、自国でのけじめはつけないまま、今日に至っています。
【目次】
日本の読者の皆さんに パトリック・モディアノ
1941年。パリの尋ね人
訳者あとがき 白井成雄
年表 ドラ・ブリュデールの運命とその時代
●作家の務め(176頁)
モディアノは「人生は浜辺に残された足跡のようなもので、打ち寄せる波によってたちまち跡形もなく消されてしまうものだ」と意識し、そのようなかすかな足跡を捉えて形に残すのが作家の務めである、と考えていた。
●対独協力(187頁)
フランス社会は1970年代以降から、占領下におけるヴィシー政府の対独協力政策の解明にのり出しており、ユダヤ人の絶滅収容所送りにフランス当局が積極的に参与した事実は、現在ではフランスの学校教育の現場でもはっきりと教えられている。
パトリック・モディアノ(Patrick Modiano)小説家
1945年7月30日、パリ近郊ブーローニュ=ビヤンクール生まれ
1968年、二十二歳の若さで発表した『エトワール広場』で鮮烈にデビュー
ロジェ・ニミエ賞受賞、フェネオン賞受賞
1972年、『パリ環状通り』でアカデミー・フランセーズ大賞受賞
1978年、『暗いブティック通り』(邦訳、講談社、1979)でゴンクール賞受賞
1996年、フランス文学大賞(全作品)受賞
2014年、ノーベル文学賞受賞
邦訳に、
『パリ環状通り』(講談社)、1972年作、野村圭介訳、
『イヴォンヌの香り』(集英社)、1975年作、柴田都志子訳、
『家族手帳』(水声社)、安永愛訳、1977年作、
『暗いブティック通り』(講談社/白水社)、1978年作、平岡篤頼訳、
『ある青春』(白水社)、1981年作、野村圭介訳、
『八月の日曜日』(水声社)、堀江敏幸訳、1986年作、
『いやなことは後まわし』(パロル舎)、根岸純訳、1988年作、
『カトリーヌとパパ』(講談社)、宇田川悟訳、1990年作、
『廃虚に咲く花』(パロル舎)、根岸純訳、1991年作、
『サーカスが通る』(集英社)、1992年作、石川美子訳、
『1941年。パリの尋ね人』(作品社)、1997年作、白井成雄訳、
『さびしい宝石』(作品社)、白井成雄訳、2001年作、
『失われた時のカフェで』、(作品社)、平中悠一訳、2007年作、
(2014年10月26日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
「尋ね人。名前ドラ・ブリュデール、女子、十五歳、目の色マロングレー、うりざね顔…」。1941年12月31日、占領下のパリの新聞に載った「尋ね人広告」。これを偶然発見した時から、作家モディアノの10年にわたる少女ドラの行方を探す旅がはじまった…。歴史の忘却に抗し、名もなきユダヤ人少女のかすかな足跡を追い求め、フランスを感動の渦に巻き込んだ名作。
投稿元:
レビューを見る
ユダヤにルーツを持つ著者が、戦時中にフランスからアウシュビッツに送られ、殺された、あるユダヤ系少女とその両親の当時の経緯を調べてわかった事実をまとめた一冊。歴史の闇に紛れてやがて忘れ去られていた市井のある無名の少女の人生は、調べてもわからないことが多い。でもそれでも、当時の彼女の行動を想像し同じ町並みをあるきながら、彼女の心や孤独に寄り添おうとする著者の姿勢に共感できる。
先日、広島に旅行し、平和記念資料館を訪れたときに持った感情をこの本を読んでいて呼び起こされた。
亡くなった人の数を聞いただけではピンとこなくても、このように、不条理に殺された一人一人の人生を思う時確実に感じられるものがあるし、それこそがまさに私達自身の未来にとっても大切なのだと思う。
ただ、少し理解し辛い文が散見されたのが残念だった。
投稿元:
レビューを見る
一九四五年生まれの作家は、ある日、古い新聞「パリ・ソワール」紙を読んでいて、尋ね人の記事に目をとめる。日付は一九四一年十二月三十一日。十五歳の少女、ドラ・ブリュデールの失踪を告げるその記事に目を留めたのは、連絡先の両親の住所に覚えがあったからだ。パリ、オルナノ大通り41番地。クリニャン・クールの蚤の市で知られる界隈だ。子どもの頃母親にくっついてよく訪れた所だ。
「私」の回想がはじまる。「一九六五年一月。オルナノ大通りとシャンピオネ通りの交差点では夜のとばりが降りはじめていた。私は何の価値もない存在で、宵闇の街にとけ込んでいた」。まさにモディアノ調。アイデンティティの希薄な若者が、薄闇のパリの街角に佇んでいる様子が浮かび上がってくる。ところが、読者ははじめから知らされている。これがいつものフィクションではないことを。
ドラ・ブリュデールは、実在の少女で、両親が尋ね人の広告を出す二週間ほど前、寄宿学校から脱走している。一九四一年といえば、日本が対米戦争に突入した年である。パリはドイツの支配下にあった。ドラはフランス国籍を有していたが、両親はオーストリアとハンガリーのユダヤ系市民であり、胸に黄色い星をつけなければならない人々であった。
モディアノ自身がユダヤ系の父を持ち、ユダヤ人として小説を書いてきた。戦後生まれたモディアノは、戦争当時のフランスでユダヤ人がどんな扱いを受けたか実体験は持っていない。しかし、父が非合法活動に手を染めて家を出、役者だった母からも見捨てられ、孤独な少年時代を過ごさねばならなかった作家には、自身の過去と戦時下のフランスのユダヤ人差別は、切り離すことのできない問題であり、作家としての核ともいえる。
戦時下フランスにおけるユダヤ人差別を追う作家は、戦後それらの証拠となる資料の多くが廃棄されていることに気づく。アウシュヴィッツはナチス・ドイツの犯罪としてしまいたいフランスの思惑がそこにはあった。モディアノは彼の小説の主人公のように、資料をあさり、関係者をたずね、ドラの消息を明らかにしようとする。長きにわたるその経緯を書き留めたのが、このエッセイともフィクションとも言い切ることをためらわさせる作品なのだ。
ドラという少女の生を跡付ける試みであるのに、書かれた物からは、ドラと同じ程度、いやそれ以上にモディアノの過去が色濃く浮かび上がってくる。語り手は、ドラの歩いただろう駅から続く通りをたどりながら、当時自分がそこを歩いたときの気分を思い出し、寄宿学校を脱走しなければならなかった少女の気持ちを推し量る。少女の反抗は、モディアノ自身のものだったからだ。
こうして、単に地名や日時といった記号化された情報ではなく、小説家ならではの想像力が駆使された結果、そこにはジャン・バルジャンがコゼットと身を潜めた地が、ジャン・ジュネも入っていた感化院や監獄が重ねられ、失踪から、やがて送られる収容所までの一人のユダヤ系少女の足取りがくっきりと示されることになる。この、作家自身のメモワールと、尋ね人の少女と、当時迫害を受けた多くのユダヤ人の幾筋にもわたる人生が縄を綯うようにして絡まりあう叙述が、単なるノン・フィクションとの間に一本の線を引いている。
過去の過ちをいつまでも引きずりたくない、という思いはフランスだけの問題ではない。加害者側は忘れたくても被害を被った方は、告発や謝罪が済まない限り忘れられるものではない。時が過ぎて記憶が曖昧になる前に、たしかな事実を力ある言葉にすることが作家には求められているのだろう。パトリック・モディアノの仕事は、その役目を果たしている。
投稿元:
レビューを見る
ノーベル賞の選考委員は本作を「記憶の芸術」と評した。
パリでノートルダム寺院やサン=ルイ島あたりをうろついて、さてマレ地区の方へでも行こうかなと右岸に渡った辺りに、無名ユダヤ人犠牲者記念堂がある。この一冊との出会いは、観光ガイドには一切紹介されていないあの建物の前を偶然通りがかり、あれなんだろうと覗き込み、ああそうかと気が付いて入場し、そうして簡単には言葉では言い尽くせない衝撃を受けたあの日のことを私に思い起こさせた。
国際空港のセキュリティーチェック以上の物々しい検査、中庭に建つ夥しい数の名が刻まれただけの壁、そうして1940年代の無数の老若男女の笑顔の写真、数え切れない数の家族の幸せな瞬間を写し止めたスナップ写真、それらは全てドイツ占領下のパリでそこから乱暴にもぎ取られアウシュビッツなどの収容所に送られ命を奪われた人たちがパリで生きていたときの「痕跡」であり「記憶」だった。
それらの「無名の人たちが生きた記憶」にまつわる展示を、現代のパリジャンたちが無言できわめて真摯な姿勢で見入っていた姿も忘れることができない。
パトリック・モディアノは、偶然見かけた尋ね人広告に載っていた15歳の少女ドラの足跡を、変質者かストーカーなみの執拗さで丹念に跡付ける。モディアノによって発掘された一人の少女の足跡は、あくまで無名の一人の少女にかかわりを持つ、家族や友人たちなどの、幾人かのやはり無名の人々の頭の中にあった「記憶」でしかない。
しかし、そのあくまで「個」の記憶はモディリアノの手によって、ドラと同じようにかつてはパリで普通に暮らしていたのに、突然捕えられアウシュビッツに送られ命を奪われたやはり無名の人たちの記録、すなわち無数の無名の記憶と結びつけられる。
そうして更に、モディアノ自身の実父とドラとの偶然の接点について語られる。無名の「個」の記憶と作家の「個」の記憶の接点は単なる「個」と「個」の偶然の邂逅ではない。徹底した「個」の記録にこだわった物語が人類の歴史の一断面という普遍性に出会った瞬間に立ち会った気がして、そのシーンで私は鳥肌が立つ思いがした。
「記憶の芸術」と評した選評は、
「忘却の彼方にある人々の運命を思い起こさせ、占領下の世界の人々を描き出した」
とも賞賛している。見事な表現だ。だが、この作品の歴史的意義と作者が結実させた芸術性には脱帽するけれども、普通の読者にとっては詳細すぎる記述は読み通すのに相当な根気を要することも言っておかねばならないだろう。
さらにまた、余計なことではあるかもしれないが、1941年の時点では世紀の悲劇の完全な被害者であったユダヤ人が、今日では様々なやむを得ざる理由はあるのかもしれないが、数多くの無名のパレスチナ人を殺す側に回っていることもまた事実である。
だから、モディアノの芸術は、1941年の悲劇の記憶のみを描いたのではなく、無名の人々の悲劇の全てが、今日の私たちを含むすべての私たちと無縁ではないのだという普遍的な訴えの書であってほしいと思う。タリバンの凶弾に襲われたマララさんが同時に平和賞を受賞したが、ノーベル���がナチスやイスラム原理主義を単純に糾弾する偏狭な価値観から自由であるのかどうかは私にはわからない。しかし、『1941年。パリの尋ね人』は、この世に忘れ去られてよい記憶など一つもなく、抹殺されてよい無辜の命だってひとつもないのだという普遍的な叫びなのだと信じて、「私の」ノーベル文学賞を贈りたい。
投稿元:
レビューを見る
戦時の異常な状況の下で普通の生活を営んでいた人達の人生を追いかけることで、重いテーマについて読者に問いかけてくる。どうしようもない暗い時代の雰囲気が伝わってきて、終わったことと一言で片付けられない、心にトゲが刺さったような気になる。
投稿元:
レビューを見る
ナチス占領下のパリで、新聞に掲載された尋人広告。ここから全てが始まり、ユダヤ人少女の足あとをモディアノが追跡するノンフィクション。その簡潔な筆致が、ものごとの本質を余すところなく伝え、深い印象を残していきます。
投稿元:
レビューを見る
1941年12月は占領開始後、パリの経験した最も陰鬱で息苦しい時期だった。2度にわたるテロへの報復として、ドイツ軍は12月8日から14日まで夕方6時以降の「夜間外出禁止令」を布告した。そして12月12にはフランス国籍ユダヤ人700人が一斉検挙された。12月15日には、ユダヤ人に10億フランが罰金として科せられた。同日朝、人質70人がモン・ヴァレルアンで銃殺された。
12月10日、「警視総監令」が発布され、セーヌ県在住のユダヤ人はフランス国籍、外国籍を問わず、「ユダヤ人男性」「ユダヤ人女性」の検印のある身分証明書を提示し、「定期的な監視」を受けるよう勧告を受けた。住所変更に当たっては24時間以内に警察に届けねばならなかった。そしてこれ以降セーヌ県を離れることは禁止された。12月1日から、ドイツ軍はパリ18区に立ち入ることはできなかった。18区の夜間外出禁止令は3日間続いた。これが解除されるとまもなく、ドイツ軍は10区全体にまた禁止令を出した。マジャンタ大通りで占領軍当局の一将校がピストルで何者かに狙撃されたからだ。そして12月8日から14日まで「全面的夜間外出禁止令」が敷かれた。
投稿元:
レビューを見る
ナチス占領下のパリで、15歳の少女ドラ・ブリュデ-ルを捜す両親の<尋ね人広告>が、1941年12月31日付けの新聞(パリ・ソワ-ル紙)に掲載されました。戦後この記事を目にした著者が、名もなきユダヤ少女の足跡を追い求めたドキュメンタリーです。ユダヤ人狩りに協力したフランス当局の存在、ドランシ-(パリ北東部の町)がアウシュヴィッツ絶滅収容所へ移送するための通過収容所の役割を負っていたこと、人道に背いた罪(1964年制定)で追及を受けたフランス人の存在など、悔恨の時代の深淵を思い知らされる作品でした。
投稿元:
レビューを見る
パリのドイツ軍占領下での、ユダヤ人少女ドラ・ブリュデールの消息を探す記録。
残酷な戦争の記憶を、尊い命を奪われた人びとの運命を忘れることはできない。
モディアノの“記憶の芸術”と称された作品。
投稿元:
レビューを見る
☆ドイツ占領下における娘を探す広告を発見し、彼女の行方を探し求めた記録。 ☆ノンフィクションなのだが、極めて自分のこと、両親のことも書かれている。ここにあるのは、喪失感であり、自分の出生につながる時代を想像している。 ☆本書のテーマではないかもしれないが、失われたものからのありえた現在、と、結果としていまある自分(あるいは今ないかもしれない自分)との対比なのではなかろうか。
投稿元:
レビューを見る
ナチス占領下、作者であるモディアノ自身が、ユダヤ人であるドラを探すといった話である。
モディアノの著書を初めて読んだ感想として、事実に即した文章体であり、あっさりとしているものの、中身は薄暗く不穏な空気が漂う。
そして、ドラという普通に生きる少女の痕跡を探していくというのが、モディアノが言う、「もはや名前もわからなくなった人々を死者の世界に探しに行くこと、文学はこれにつきるのかもしれない」というのがなんとなく分かる気がした。
モディアノ「人生は浜辺に残された足跡のようなもので、打ち寄せる波によってたちまち跡形もなく消されてしまうものだ」
投稿元:
レビューを見る
他人の持つ記憶、社会と歴史の記憶、場所の記憶を発掘し、そこに血を通わせ、更に自身の記憶を流し込むことで、個人史と集団史が響きあって溶け合って、記憶に厚みと深みが生まれる
記憶を大切にするモディアノの文学観がすき