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市民の政治学 討議デモクラシーとは何か (岩波新書 新赤版)
市民の政治学―討議デモクラシーとは何か
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目次
- はじめに
- 第一章 近代社会はどう変わりつつあるか
- 1 近代の流れ
- 2 何が近代を準備したか
- 3 近代の構造
- 4 変容する近代
- 5 自省的近代化
- 第二章 「第二の近代」とその争点
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紙の本
市民の「条件」
2007/07/08 10:58
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
市民の(市民による)政治は、何を紡ぎ出すのか。
本書においては、「リベラル系左派、社会民主主義勢力、「第三の道」的なグループなどが、どのような民主社会をめざしているのか」と置き換えることもできるだろう。終盤近くまでは、その線での望ましい「市民」像が強調されているように取れる。NPOなどで市民活動している人の中には、そのようにグループ分けされるのを嫌う人もいる。それも配慮してほしいと本書に願うのは、高望みかもしれないが。
まず、気になるところから。「第二の近代」の解明を大きな柱にしていて、風呂敷を広げるのはいいが個々の分析が荒い。出してくる材料(根拠)の、批判的吟味が足りないと思える箇所が多い。
例えば、コルボーンの『奪われし未来』を無批判に肯定的に「のみ」出すところ。安保反対運動を、後の市民・住民運動の流れの「善き母体」であるかのように書いているところ。日本の右派的ポピュリズムの説明に、香山リカ氏の『ぷちナショナリズム症候群』を持ち出しているところなどである。
私も過剰にナショナリスティックなスポーツの応援は好かないが、以下は賛成しかねる。
《政治的関心や社会的関心を一向にもとうとせずに生活している一部の若者たちは、まさに新しい社会状況の生んだ子らである。対人関係に薄く、歴史的意識も乏しく、いわば横の関係でも縦の関係でも「引き離し」の状態にある。彼らは「第二の近代」に育った人びとであるので、その原子化、孤立化の影響をもっとも強く受けているのは当然であろう。》
昔は、「政治的関心や社会的関心」を持たない一部の若者はいなかったのか、それが「第二の近代」と以前とではどちらが多いのか、果たして現在は本当に対人関係に薄いのかなど、なんにも証明されていない。
これだけでも問題含みだが、《しかし彼らも群れ、つどって、エネルギーを発散させることがある。》と述べ、香山説を使って、その場がサッカーのワールドカップでの応援だと結論づける。その一部の若者たちが、どの程度の「政治的関心や社会的関心」を持っているのかについての実証的な調査もせず、応援には集合していったなどと決めつけるのでは、ポピュリズム的俗論と変わるところはないだろう。
良い点は、「討議デモクラシー」を具体例を挙げて紹介してくれたこと。しかし、さほど筆を割いていない。副題にしているのだから、ここにもっと重点を置いた構成すれば良かったと思う。
さて、市民の(市民による)政治には、シティズンシップを重視する人が多い。本書でも自発的結社や社会や政治に、一人でも多くの市民が積極的に参加することの重要性が説かれる。
ただ、通奏低音のように、「良き市民たれ」という訓辞的な呼びかけが響いているような気がする。「愛国心に満ちた良き国民たれ」よりはましだが、それと似た、ある種の窮屈さ息苦しさも感じる。
それを緩和しようとしたのか、終章でダールの「それなりの市民(アデクゥエイト・シティズン)」という概念で締めくくるのは良かった。これはエリート主義的観点から見た僭称ではない。現代においては、専門家も完全ではなく「それなり」なのだから。
《民主社会においては「それなりに良い市民(グッド・イナフ・シティズン)」がふえていけばよいのであって、完全な市民というイメージを想定したら、市民などは存在しなくなってしまう。こういう市民は、まず機会ごとの(オケーショナル)、断続的な、さらにパートタイム的市民であればよい。つまり問題の発生したときに政治に参加し、または継続して行うものでなくともよく、また参加するときもパートタイム的であればよいということであろう。》
この《一見平凡》ではあるが、ゆるやかで押しつけ度の弱いシティズンシップなら、市民の「条件」とするのにふさわしいのかもしれないと思った。