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収録作品一覧
グアテマラ | 9−23 | |
---|---|---|
「金の皮膚」の回想 | 25−37 | |
「火山」の伝説 | 41−50 |
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紙の本
神の土地の幻想に生きて、書く
2011/09/17 15:29
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
冒頭の短篇「グアテマラ」では、この土地に人々と神が棲みついてからの、その歴史を語る。人と神はいつも共にあって、その地層に幻想を重ねて来た。そこではマヤ文明と、征服者の幻想が二重写しであり、躍動的で、蠱惑的で、力強く、生命力に溢れている。作者自身(あるいはグアテマラのすべての人々)にとっての肉体であり精神の一部であり、罪と罰である。
それから数編の伝説集。山や川や空、植物や動物が神であり精霊であり人だった。修道女が生み出した怪物。樹木であり人である博士の破滅。戦争を予告し、結末を予言し、世界を終末に導く「火山」。魚たち、獣たち、鳥たち。後世に語られる神話というものが、神や権力の正当性のために論理的、合理的な装いを纏うとしたら、この作家の手になる神話は、自然と人間の衝突と混交を、行き当たりばったりなそれをダイナミックに語る。自然が神で、神が人間で、人間は自然だ。体系だってさえいない。
人間の思考に論理性を与えるのが言語だとしたら、自然と肉体の猥雑さを脳に刻み付けるための言語がマジックリアリズムなのかもしれない。
本の半分を占める長編戯曲「ククルカン」では、太陽神であるククルカンを巡る真実と矛盾を、オウムや亀や女たちが、歌うように戦わせる。ククルカンは強大であり、そのこと自体が謎を生み出し、人の目を真実から遠ざけていく、そういった過程が場面ごとの混乱に現されているのではないか。ククルカンが強大であることは、淫蕩で暴虐なことでもあり、それらは言葉から隠されるほどに明確なイメージを与える。
饒舌で色彩過多なのは文章ではなく世界の方だ。冷静であったり分析的であったりするより先に、グアテマラの人々の熱情、時代が積み重ねて来た血の疼きを表現しようとしているのだろう。文体が魔法であるというより、魔法的な世界を紙の上に引き写そうという努力なのだ。神々に蹂躙される人々、民衆に奉仕する人々、不条理に引き裂かれる人々の、迷宮的な世界にあっても漂う哀しみもまた、描かれなければならない。
そしてたぶんこの本の魅力を語るには、冒頭に収録されたポール・ヴァレリーによる紹介文がより適切かもしれない(きっとそうだ)。