「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
読割 50
紙の本
一億人の俳句入門 決定版 (講談社現代新書)
著者 長谷川 櫂 (著)
俳句をはじめようとするとき、目の前に立ちはだかるいくつもの約束。俳句の定型、切れ、季語の3つの約束の理由を明快に解説。字余りや字足らず、さまざまな切れ、季重なりや無季俳句...
一億人の俳句入門 決定版 (講談社現代新書)
決定版 一億人の俳句入門
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
俳句をはじめようとするとき、目の前に立ちはだかるいくつもの約束。俳句の定型、切れ、季語の3つの約束の理由を明快に解説。字余りや字足らず、さまざまな切れ、季重なりや無季俳句といった問題についての考え方がわかる。【「TRC MARC」の商品解説】
「五・七・五で詠む」「季語を入れる」「切れがある」等々の、俳句の約束事を明快に解説。この1冊で自在に詠める! 初心者から上級者まで必携の書。「朝日俳壇」、読売新聞「四季」等で人気の俳人による明快な俳句入門。凡百の入門書とは一線を画する、ユニークで有用性の高い内容です。
人気の俳人による俳句入門書。
「五・七・五で詠む」「季語を入れる」 「切れがある」等々の、俳句の約束事を明快に解説。
この1冊で自在に詠める!
初心者から上級者まで必携の書。【商品解説】
目次
- 第1章 俳句の音楽
- 第2章 一物仕立てと取り合わせ
- 第3章 切れと切字
- 第4章 一物仕立てと取り合わせの見分け方
- 第5章 一物仕立てと取り合わせの詠み方
- 第6章 季語と季題
- 第7章 無季と季重なり
- 第8章 循環する時間
- 第9章 日本語の構造
著者紹介
長谷川 櫂
- 略歴
- 〈長谷川櫂〉1954年熊本県生まれ。東京大学法学部卒業。俳句結社「古志」主宰。「季語と歳時記の会」代表。「俳句の宇宙」でサントリー学芸賞、句集「虚空」で読売文学賞を受賞。他の著書に「新年」等。
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
切れ字だけでなく俳句そのものについて関心を持つようになりました
2016/12/31 20:05
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:miyajima - この投稿者のレビュー一覧を見る
まずはこの著者の「古池に蛙は飛びこんだか」(中公文庫刊)というタイトルを見て即座に購入。「む? 飛び込んでないの? そうなの?」ということで。
でもそもそも俳句についての知識が無いので「入門」と書かれた本書を合わせ購入。
いや、面白い。
内容としては俳句の定型・切れ・季語という三つの約束について書かれています。
まずは俳句の定型について。
俳句には「一物仕立て(いちぶつじたて)」と「取り合わせ」という2つの型があります。一物仕立てとはその名のとおり、一つの素材(一物)を詠んで仕立てた句。AはBであるという仕立て。
行く春を近江の人とおしみける
というのがそう。
取り合わせとは2つの素材を組み合わせたもの。
旅人と我が名よばれん初しぐれ
というのがそう。「旅立つ私を人は旅人と呼ぶだろう」という芭蕉の思いと、「初しぐれ」を取り合わせているわけです。
次いで「切れ」について。「切れ」の働きはそもそも何なのか?
切れの部分に何かが省略されていると考える人がいます。そんな人は俳句を「省略の文芸」などと呼んだりしています。あるいはまた強調だという人もいます。
どちらも間違い。
切れと切れ字の働きは強調でも省略でもなくて、その名のとおり句を切ることにあるんです。その効果は、「間」を生むことにあります。絵画で言えば余白、音楽で言えば沈黙。
もし切れの働きを省略と考えると、俳句の解釈や鑑賞は省略されたものを復元する作業になってしまいます。しかし、俳句の切れはそうではないんですね。言うべきことだけを切り出しているんです。言いたいけれど言わないことなど存在しないということです。そこで、登場するのが、
古池や蛙飛びこむ水のおと
です。
この句は古池に蛙が飛びこんで水の音がしたと言っているのではないんです。蛙が水に飛び込む音を聞いて古池を思い浮かべたという句なんです。この古池は現実世界にあるのではなく、蛙が水に飛びこむ音によって芭蕉の心の中に出現した幻なのです。この句を一物仕立てと解釈するとまったくつまらない句になってしまうわけなんですね。ここでこの句の説明臭さを払い去っているのが切れ字の「や」。これにより「古池に」の持つ理屈が切断され、大きな「間」が浮かび上がる、ということなのです。
ということで、俳句を解釈する際に理解しておくべき「切れ」と「定型」について詳細に説明がなされています。この二つの重要性を理解するのに芭蕉の「古池や~」の句が大変に参考になるということなんです。
この二つがわからないと、「古池に蛙が飛び込んだ時に音がした」という凡庸な句になってしまうわけなのです。
こんなこと学校で教えてくれませんでした。俳句と「切れ字」と言えば、『ぞ・や・かな・けり』→この字がついているところが俳句の「句切れ」で、この字がついている言葉が「作者の感動の中心という程度の知識しか教わりませんでした。これでは芭蕉の句は決して解釈できないですよねえ。
とか言っても2冊ばかり読んだくらいで上からモノを語るのも間違いだと理解しております。ということで著者の他の本も読んでみることにした次第。