紙の本
物事の真実を見るために
2015/12/27 03:30
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
自らの人生に終わりをつげた主人公はあてもなく彷徨する。愚かな行いの人々に対して、「善哉善哉」と見下ろす。ずべてを捨てて死を意識することで、初めて大切なことに気付くのかもしれない。
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献本で読了。久しぶりの町田康。いつもの語り口調は小気味良い。寂れた温泉街で、目にはいるものに何を思うか。超然といきたい余は、なかなか超然にはなれないが、そこを認めるのも超然なんだなぁ。単なるつまらない男の戯言という意見もあるが、あそこまで考えられるか?というとなかなか出来ないはずだ。世俗に流されないって難しい。まさに、どつぼにはまるのだ。
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ブクログ様献本企画で頂きました。ブクログ様ありがとうございます。
町田康さんの本は初体験ということで何の前情報もなく読み始めました。
フィクションなのかエッセイ的なものなのか分からない文体で、主人公のひねくれた、頭の中でよくそんなに思考をめぐらせられるなっという独り問答の展開に驚きました。衝撃的なファーストインパクト。
一体なんなんだこの人は?奇怪なものを見るように読み進むうちに、主人公というか著者の人間観察力とシュールな着眼点にニヤニヤしてしまいました。特に写真がある部分の話はシュールで笑えました。超然ってかっこいいかもしれん。
普通だったら見逃してしまう事を自己展開し、思考がフライハイするという。人の頭を覗いているような感覚。
町田康という人の思考や感性を楽しめたという点ではとても満足でしたが、その展開についていくのにはかなりパワーが必要でした。少し読みづらかったという印象です。
しかし、読後、妙にこの本の内容が頭に残っていて、思い出してしまうのがなんとも不思議。
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ブクログ様から頂いた本です。抽選に当たることなんて何百年ぶりでしょう。とても嬉しいです。ありがとうございました。
この作品は随筆だと思って読み進めていたので、最後の最後にフィクションです、実在する人物、団体等とは一切関係ありませんと告げられ、拍子抜けした。事実、田宮市は存在しないようだが、モデルは熱海らしい。
序盤の「超然」を目指してもんどりうちながら、思考がぐにゃぐにゃ、まさにどつぼにはまってしまう「余」の非超然とした姿がすごく面白い。
人間の不完全な部分の可笑しさがたっぷり詰まっていた。
パンクロッカーが気にするような事とは思えない、とてつもなく些細な「変な所」に目を付けて、ずるずると彼の思索の世界に読者を巻き込んでいく力に感動した。
自分も一人称を変えてみたくなる(笑)
でも読み進めていくうちに、正直なところまどろっこしい独特の文章に飽きがきた。
死を覚悟したあたりまでがピークなのかな、とも感じる。
といっても、笑った箇所は多々あるけど。引用したい文も沢山あるけど!
ただなんというか、中盤から読んでいて疲れるような気がした。
マーチダさんの素敵な屁理屈に魅了されたのは本当。
結論として、超然とするよりも、普通でいるよりも、異常になるよりも、元気なのがいちばんってことだ(笑)
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ブクログ様のキャンペーンでいただきました。ありがとうございます。
独特な口語体の文章というものに弱いのでずっと興味をもっていた町田康、この機に初めて読むことが出来ました。
何事も問題にせず、世俗的なことと無関係にあり、全てを「善哉、善哉」で済ませる超然。都会にて飄然と生きることに失敗した主人公は、一人称を“余”に改め、田舎で超然と生きようとする。
超然を試みながら散策をする主人公だが、海で浴衣姿のままキャッチボールをする娘さんを前にあっけなく敗北。海辺で、浴衣で、キャッチボールを物ともせずにこなす娘さん。なんという超然っぷり。
“余”は娘さんとの敗北に死を決意、死に場所を求めてまた彷徨う。
文章は全て“超然”にとりつかれた主人公の語りからなっていて、“余”がほてほてと歩くうちに脳に浮かんだ、くるくると展開して膨らむ自意識、妄想、くだらないこと大切なことが直接流れ込んでくる。
何かに目をつけてはそこから妄想が広がって話があらぬ方向へと飛び…の繰り返しだけど、話が進むにつれて主人公の超然っぷりが板についてきているのが面白い(笑)
とどまるところを知らない妄想に笑わさせられる。
ストーリーは基本的にヤマなしオチなし意味はある…かな?って感じだけど、読みながら主人公と同様に「それってなんかいいよね」って気分になってしまう。
バスの中で老人にガン見されて超然の境地に到達し、水着姿でキャッチボールをする娘さんを前に死を決意する。人生は行き当たりばったりだけど、なにはともあれ、とりあえず生き抜いてやろうじゃないの、って本。
ただ、のらりくらりとした、意味があるようなないような展開は魅力でもあったけど、長ったらしくも感じられた。 期待通り私の好みの作家さんだったので、次はもっとスピード感のある作品を読んでみたい。
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人生、苦しいこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう、でも大丈夫。そういう時は『どつぼ超然』を読みましょう!すると人生『頑張るぞー、頑張って、死ぬぞー』って気になりますから!
すると悠々と人生を超然と見据える事が出来るようになり、「善きかな、善きかな、ほほほ。」と言えるようになる・・ハズ!!((笑))
文章の書き方が主人公の独り言の形で物語が書かれているのですが、実は私、こういう文法?っていうんですか?例えば森見登美彦さんの【恋文の技術】や、アンシリーズの【アンの友情】など、台詞があまりない文章を読むのは(しかも、それが状況説明ではなく、独り言だったりすると)集中力を欠いてしまうんです。
なので、例えに出した作品も、最後は面白く読み終わったのですが、本の世界に入り込むまで時間がかかってしまうのですが、この『どつぼ超然』に限って言えば、最初っから、一気に読んでしまいました。
一言で言えば『お笑い読本』ですね。
特に気にいったところ(笑ったの)は、P139の『そこで余は、下りていく男の背中に向かい、心内語、「ばーか」と言い、少し足りないような気もしたので念のため、「ばーか、ばーか、ばーか」と付け加えた。完璧である。』という部分です。
しかも、この作者の偉いところは、これが『何とかの遠吠え』(もちろん、負け犬遠吠えですよ。これが『オオカミの遠吠え』や、『おっかさん!の遠吠え』だったりしたら、怖いだけですからね。)の証拠を、例え話で非常に上手く説明してるんですね。で、最後は『そうか~、そんな小さい事を考えているようではまだまだ凡人、善きかな、善きかな、ほほほ。』とつぶやいてしまっているんですから、恐るべし、どつぼ超然!と思いました。(ホントか?ホントです(爆)
他にも人生を超然と生きるためのバイブルが盛り沢山と書かれていますが、一番盛り上がったのは自殺するための場所選びの主人公の考えている事や行動、縄と踏み台の配色などを遠くから真剣に眺めたりするところでしょうか?
あと、どうしても分からなかったのが、どうして突然主人公が自殺しようと思ったのか?という部分です。その理由が、あまりに超然過ぎて凡人の私などには、とてもとても(ここで手のひらを上に向け、両肩をすくめ、首を左右にゆっくり振る)。理解できなかった次第でして・・うーむ、、やはりまだまだ修行が足りないようです。
最後に主人公が「善きかな、善きかな。」とつぶやいたあと付け加える「ほほほ。」これにも深い意味があるとみました。ただ「善きかな、善きかな。」とつぶやくだけより、そのあとに「ほほほ。」と付け加えるだけで、あ~ら不思議、主人公が心から「善きかな、善きかな。」と思っている時と、実は無理して「善きかな、善きかな。」と思っている事が分かって面白いと思いました。
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ブクログさんより献本していただきました。ありがとうございます。
町田康の小説を評するなど、凡人の自分にはまあ不可能だと思われますので感想をば書かせていただきます。
「くっすん大黒」では大黒像を捨てなければ自分は幸福になれないと思い込み、「きれぎれ」では画家として売れた旧友への嫉妬心を晴らすために、彷徨・思考を繰り返す主人公を描き、僕を悶絶と爆笑の世界に連れて行ってくれた町田康の、久々に時代小説(風)な設定から離れた最新作。
本作は、初期の上記2作と似たような印象を受けたが、彷徨・思考する方向性が短絡的な目的ではなく、超然とした人間になるという点が大きく違う。
もちろん短絡的な目的・意図を、得意の被害妄想満点の思考力で展開する初期2作は(目的が自分勝手すぎるため)かえって爆笑を生むのだけれども、本作は(一応)高尚な目的・意図を持って主人公が行動・妄想するところがポイントだと思った。
高尚な「超然とした人間」になろうと心に決めたものの、そこはやはり持って生まれた被害妄想・誇大妄想の脳内パレードにより、自分勝手な目的よりもさらに多くの困難や、脳内からの反論に見舞われ、そのたびに自分を保つために最大限の言い訳をおこなうさまに、初期2作の自分勝手すぎる主人公の所作に対する情けなさに対する笑いではなく、人間の滑稽さを露骨に見せ付けられ笑いが止まらなかった。
被害妄想による脳内からの反論に、時に論理的に、ほとんどは詭弁で返し、さらに広がる妄想ドライブに読んでるこちらの脳もぐらんぐらん揺さぶられ、にへらにへらと笑みがこぼれ、ファミレスで読み始めたことに大きな後悔を覚えさせてくれる。
特にP103「二十四の瞳」の教師を「瞳が二十四ある女教師」と説明するくだり、P133の「当初のコンセプトを最後まで保ち続ける重要性」を説くくだりでは声を出して笑わされた。
何とか評論チックに書こうと思ったが、やはり町田康相手では無理だなと痛感したので、結局最終的に伝えたいことを書かせていただくと
「この本は僕が読んだ中でも一番と言ってもいいくらいに爆笑できる稀有な本なので、みんなも読んだほうがいいよ」
というあまりにありきたりな感想となってしまいましたw
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大して中身はない。ほほほ。善哉善哉。
正直評価に困る作品ではあります。
もしかしたらこれは町田康渾身の、魂を削った大自信作なのかもしれないし、
もしかしたらとりあえずページを埋めるためにいつもの文体で思いつくままに適当に書き連ねていっただけのようにも見える。
どちらにしろ、今作は町田康という作家が好きでかつ、「好きな作家の思考に寄り添って、流れに身を任せるのが楽しい」と感じられる人にはオススメできるし、
逆に町田作品を読んだことが無い、あるいは大して好きでもないという人が読むのはちょっと大変だろうなという気も。
個人的にはなかなか面白かったです。最初は、「ずっとこの調子で中身無いまま続くのキツいかもなーw」と思っていたけど、案外苦痛も覚えずスラスラと楽しめてしまったのは、あらためて氏の文体のリズムが自分と合ってるんだなぁと実感。
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ブクログ献本キャンペーンより。
やはり町田康の世界。
語りのうねりに流されながら読みすすめていくうちに、「余」の自意識に飲み込まれてクラクラ。
しかし、そのクラクラの最中にもたまにぐっと心をつかまれて泣きそうになってしまう時があったりする。
最後の章。何が普通で何が異常で、そして何が芸術で何が我が儘なのか、考えている間に虚無がたちのぼる。
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善哉、善哉。マーチダさんは熱海で暮らし始めたらしいですね。熱海は観光地であるから、きゃっきゃっ遊びに来ているのはヤングからオールドな方まで様々いるのですが、マーチダさんの超然としようとする視線でみつめると熱海もまた古くて新しく、猥雑な感じがします。熱海の地理に詳しくなってから読むほうがきっと楽しいはず。熱海のパロディ、土地の本歌取りといおうか、熱海、のようなところに何しに行ったの?という話です。
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ブクログ様よりいただきました。
ありがとうございました。黙っておられず周りに随分言いふらしてしまった・・・
さて、田宮に引っ越した、“僕改め、我輩改め、余”氏は死に場所を探して、なんてうそばっかり。面白く斜めに見てやろうという気構え十分。そこらここらを徘徊している人たちがうっかりすると皆、同じようなことを考えているのでは?などと私まで斜めに見てしまう癖が付いてしまいそう、ほほほ、善哉、善哉。
町田節、炸裂!!!最高です。小心者の(?)町田某氏が小心者の私に代わって世間をたたっ斬ってくれました。
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飄然から超然へ。世界を睥睨する町田文学の新境地。
って、これのどこがだよ! と、ついつい声を荒げてしまいそうになる作品。
観光地(モデルは熱海)を練り歩きながら、どーでもいい思念を繰り広げるだけで、物語性などは皆無である。
死を決意したりもするが、そこには人生に向き合う真摯な姿勢は微塵もない。しかしそのいい加減さは逆に生と死の在り方を浮き上がらせているような気もする。でもやっぱそれは考えすぎだな。
町田の言葉が生み出すバカバカしいウネリに身を任せ、ヘラヘラと笑うのが正しい読み方であろう。
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ブクログ様から献本いただきました。どうもありがとうございます。
町山康の名前こそ知っていましたが、これまで作品を読んだことがなく、作風も全然知らないまま読みはじめました。なんというか、読んでも人生の役には全く立たない本でした(笑)
ジャンルとしては、いちおう私小説になるのでしょうか。誰がどう見ても熱海と思われる「田宮」に引っ越した語り手が、自分のことを「余」と名乗ることにして、超然を求めつつ、死に場所を求めて島に渡ったり、市民祭に行ったり、文豪たちが泊まった旅館を見学したりするという、要約すると1〜2行で収まる話がものすごーく引き延ばされて書かれています。
語り手の意識は、ストーリーの本筋とは無関係な脇道にすぐふらふらと漂流してしまい、延々と脇道について語って本筋に戻ったと思ったら、また脇道に逸れるという具合です。
じゃあ、面白くないのかというと、それなりに面白かったりするので、さすがの筆力だなぁと思った次第。個人的には、p.214「待つわ」(とは明言されていませんが、そのまんまです)の歌詞の町田解説を電車の中で読んで、思わず、噴き出しそうになりました。
合わない人には全く合わない小説だと思いますので、これから本書を手に取る人は、「超絶」という言葉を胸に読まれる方がいいかと。
帯のコピーによれば、本書は「町田文学の新境地」ということらしいのですが、読了後に、コピーを見て「いったい文学ってなんだろう?」と疑問に思ったことも付記しておきます。
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献本企画で頂いた本。多謝。
自らを“余”と称することを決め、
超然という境地を相手取った自意識によって、
逆に決して超然となれずに、
世間、自然、人工、人間、その他視界に入るありとあらゆるものを
切り取っては徹底的に思考していく主人公の日常が、
町田氏独特の言葉と文体によって綴られた一冊。
人生の可笑しさがつまっている。
「どつぼ超然」というタイトルがいい。
超然として見える人は、
何かその人の道を究めることに集中していて、ある意味どつぼに入っている。
そう思うと、この本は、
「死」のどつぼに入らんと超然を目指した主人公が、
最終的には「生」のどつぼに入り超然を得る、
という話なのかもしれない。
どつぼ超然。善哉。
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ブクログさんから献本。
有難うございました。
名前は知ってたものの、町田作品は、初めてでした。
独特の口語体が入り、しかも、一段落の文章も長めでもあり、
やや読み終えるまでに、パワーが必要とされました。
読了まで1週間もかかってしまい、感想の締切日に
ようやく間に合いました。
余の語り口が、パロディーも含めてるところには、時折面白さを
かもし出してくれるところもあったものの、彼自身の人物像が
はっきりつかめないまま、自殺願望からの展開も、同様でした。
“超然”についての余の語りは、たらたらと歩きながら、浮かぶ事、
妄想、自意識、くだらないことではあっても、そこに読み手に
伝える意味は?なんだろうと、手探りで探し探し読んだのですが、
私には、やや読み進めるには、難解な部分もあったのが、正直な
本音です。
ですが、町田作品、1冊で終わらずに、他の作品にも
触れてみると、作風に少しは馴染めて行く可能性も
あるのでは?と思っています。