紙の本
常に第三者の目線から語られる大量殺人事件。当事者の感情が入り込まないぶん、背筋に冷たさを感じる。
2011/11/06 18:31
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みす・れもん - この投稿者のレビュー一覧を見る
何とも物騒なタイトルである。原題は「Running Wild」。「暴れ回る」という雰囲気だろうか。確かに本作で繰り広げられる32人の惨殺事件は何かが駆け抜けるように暴れ回ったかのような印象を受ける。しかも、そこに住む子どもが全て行方不明となっているのだ。この殺人と子どもたちの失踪事件はすべて朝のわずかな時間で行われたのだから、まさに何か恐ろしいものが疾風の如くやってきて、そして去っていったのだ。
本作は殺人事件が起き、精神科医がその謎を解くという構成になってはいるが、ミステリに分類されるものではない。出版社も「創元”推理”文庫」ではなく、「創元”SF”文庫」としている。”SF”の定義が難しいところではあるが、ミステリでないことはハッキリしているのではないだろうか。けれど、未読の方で結末を知りたくないという場合には、読了後にこれ以降を読んでいただけると有り難い。結末に触れずに記事を書くのはかなり困難な作品なのだ。
大量殺人の舞台となったのはロンドンの”超”高級住宅地。 この住宅地の入り口にはガードマンにより24時間監視されており、家の中でも様々な形で生活がコントロールされている。住むことができるのは、もちろん社会的地位の高い人ばかりだ。子どもたちも大人から守られるように大切に育てられている。大人が考える全ての「悪」から遠ざけられ、それはそれは大切に…。
人は「ないものねだり」な生き物なのだろうか。大人は自分が子どもの頃に得られなかったものを、自分の子には与えようとする。自分のように得られずに悔しい思いをさせたくないという気持ちなのか、子どもをより幸せにしたいという気持ちからなのか。しかし、大人が考える「子どもの幸せ」と、子ども自身が感じる「幸せ」とはかなりの隔たりがある。
この高級住宅地の子どもたちは「普通」の育てられ方をされなかった。読む本、観るテレビ番組、参加するスポーツの種類、考え方まで、全てを親に管理されていた。決して”強制”という形ではなく。大人たちは子どもを叱ることもなく、ただ巧みに自分の思うようにコントロールしているのだ。大人が考える「よい子」になるようにし向けられてきた。大人たちは自分は子どもにありったけの愛情を注いでいるのだ、できることを全てしてやっているのだと思っていただろう。けれど、それは結局のところ「自己愛」に過ぎない。そういう風に子どもにしてやれる自分を愛していたのだ。子どもたちの本当の幸せを考えていたなら、もっと子どもたちと本音で向き合っていただろう。建前だけじゃなく、心の底の声に耳を傾けていただろう。
ここまで読んでいただければ、この殺人を行ったのは誰なのか、子どもたちが失踪した理由はなんなのか察していただけるかと思う。そうだ。これは、自然に抱く欲望を大人たちに巧みに抑制された子どもたちによる凶行なのだ。きっかけはなんでもよかったのだろう。ただそれ以上、精神的に自由のない生活を続けることができないまでに子どもたちは追い詰められていた。押しつけられる”愛情”で窒息死しそうになっていた。
8歳から17歳までの13人の子どもたちが考え行動して、32人の大人を次々と殺して姿を消す。非現実的なストーリーではあるが、妙にリアリティがある。当事者ではない第三者の目線で語られる事件からは、冷たい恐怖を感じる。
モンスター・ペアレンツと呼ばれる親が世界中で登場してからどのくらい経つのだろう。
「子ども」を愛しているのか、それとも「子どもを愛している自分」を愛しているのか。
「傷つけられた子ども」のための行動なのか、それとも「(自分のものである)子どもを傷つけられた自分の傷を癒す」ための行動なのか。
両者を混同して混乱している子どもを取り巻く世界。
1980年代後半に描かれた本書の世界がリアリティを持って身に迫ってくるように感じるのは、私自身も現状に対して危機感を持っているからなのだろうか。
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閉鎖的な超高級住宅街で32人の大人全員が殺害され、13人の子供が誘拐される。迷宮入りしかけたこの事件に、精神分析医グレヴィルを招聘されるのだが……。
ミステリとしてみた場合、犯人はバレバレだけれども、そんなことはどうでもいい。大事なのはWhoじゃなくてWhy。作中にもある「やさしさという独裁」という言葉や、”原因”と殺人という”結果”との凄まじいギャップや不条理感が興味深い。
事件の再現シーンの手に汗握る緊迫感も見事。同時にどこかで爽快感すら感じていることに戦慄させられる。
それにしても20年以上前にコレを書いたってのは凄いね。
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犯人について最初っからネタはふってるし、動機についても捜査途中であらかた見当がついてしまうし、多分謎解きにウェイトを置いているのではないんだろう。報告書の形式であることもあって、相変わらず身も蓋もない文体は読みやすく、最後の事件の再現はスピード感と迫力がある。良く書けた小品という感が否めない…なんて偉そうにまとめかけたところで、発行年が88年ということに気付いて愕然とする。設定もテーマも、四半世紀も前の作品とは思えない!
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事件の真相って何? 動機ってそれとどう関係するんだろう、とかちょっと本筋とは違うことをあれこれ考えちゃったりして、何かが刺激される小品。
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20年以上振りにJ・G・バラードさんを読みましたが、本作は私には合いませんでした。犯人からのメッセージもなく、犯人へのメッセージもなく、想像した動機に対する良き社会人からの反論もない。だから何という感じのまま終わってしまい、命を取り扱っておいて、そりゃないんじゃないかいと思いましたです。
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何とも物騒なタイトルである。原題は「Running Wild」。「暴れ回る」という雰囲気だろうか。確かに本作で繰り広げられる32人の惨殺事件は何かが駆け抜けるように暴れ回ったかのような印象を受ける。しかも、そこに住む子どもが全て行方不明となっているのだ。この殺人と子どもたちの失踪事件はすべて朝のわずかな時間で行われたのだから、まさに何か恐ろしいものが疾風の如くやってきて、そして去っていったのだ。
本作は殺人事件が起き、精神科医がその謎を解くという構成になってはいるが、ミステリに分類されるものではない。出版社も「創元”推理”文庫」ではなく、「創元”SF”文庫」としている。”SF”の定義が難しいところではあるが、ミステリでないことはハッキリしているのではないだろうか。けれど、未読の方で結末を知りたくないという場合には、読了後にこれ以降を読んでいただけると有り難い。結末に触れずに記事を書くのはかなり困難な作品なのだ。
大量殺人の舞台となったのはロンドンの”超”高級住宅地。 この住宅地の入り口にはガードマンにより24時間監視されており、家の中でも様々な形で生活がコントロールされている。住むことができるのは、もちろん社会的地位の高い人ばかりだ。子どもたちも大人から守られるように大切に育てられている。大人が考える全ての「悪」から遠ざけられ、それはそれは大切に…。
人は「ないものねだり」な生き物なのだろうか。大人は自分が子どもの頃に得られなかったものを、自分の子には与えようとする。自分のように得られずに悔しい思いをさせたくないという気持ちなのか、子どもをより幸せにしたいという気持ちからなのか。しかし、大人が考える「子どもの幸せ」と、子ども自身が感じる「幸せ」とはかなりの隔たりがある。
この高級住宅地の子どもたちは「普通」の育てられ方をされなかった。読む本、観るテレビ番組、参加するスポーツの種類、考え方まで、全てを親に管理されていた。決して”強制”という形ではなく。大人たちは子どもを叱ることもなく、ただ巧みに自分の思うようにコントロールしているのだ。大人が考える「よい子」になるようにし向けられてきた。大人たちは自分は子どもにありったけの愛情を注いでいるのだ、できることを全てしてやっているのだと思っていただろう。けれど、それは結局のところ「自己愛」に過ぎない。そういう風に子どもにしてやれる自分を愛していたのだ。子どもたちの本当の幸せを考えていたなら、もっと子どもたちと本音で向き合っていただろう。建前だけじゃなく、心の底の声に耳を傾けていただろう。
ここまで読んでいただければ、この殺人を行ったのは誰なのか、子どもたちが失踪した理由はなんなのか察していただけるかと思う。そうだ。これは、自然に抱く欲望を大人たちに巧みに抑制された子どもたちによる凶行なのだ。きっかけはなんでもよかったのだろう。ただそれ以上、精神的に自由のない生活を続けることができないまでに子どもたちは追い詰められていた。押しつけられる”愛情”で窒息死しそうになっていた。
8歳から17歳までの13人の子どもたちが考え行動して、32人の大人を次々と殺して姿を��す。非現実的なストーリーではあるが、妙にリアリティがある。当事者ではない第三者の目線で語られる事件からは、冷たい恐怖を感じる。
モンスター・ペアレンツと呼ばれる親が世界中で登場してからどのくらい経つのだろう。
「子ども」を愛しているのか、それとも「子どもを愛している自分」を愛しているのか。
「傷つけられた子ども」のための行動なのか、それとも「(自分のものである)子どもを傷つけられた自分の傷を癒す」ための行動なのか。
両者を混同して混乱している子どもを取り巻く世界。
1980年代後半に描かれた本書の世界がリアリティを持って身に迫ってくるように感じるのは、私自身も現状に対して危機感を持っているからなのだろうか。
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英国のSF作家J・G・バラード(1930-2009)による所謂ディストピア小説、1988年作。原題は『Running Wild』。
ディストピアとは、大量殺人が起きた小説内の gated community ではなく、そうした gated community が増殖し続けながら、内からも外からも暴動の一つでも起きることなく猶も整然と安定しているかの如き現実世界の在りようのほうだ。
「全体的にみれば正気で健全な生活の中で、狂気だけが唯一の自由だったのだ」
その"正気さ"も"健全さ"も全て、大量投入されたスペクタクルによって糊塗された即物的な野蛮の上に於いて初めて可能になる、「社会」を挙げての壮大な虚偽である。そして現代では、膨大なスペクタクルに埋め尽くされることによって、狂気への感性すらが予め囲い込まれ簒奪されているのである。狂気への自由が予め圧殺されているのである。
そしてこの情況の極限に於いてこそ、「社会」の側が狂気と呼ぶ当のものが間歇的に出現するが、それ自体がもはや見世物として囲い込まれてしまう出口無しの支配秩序が世界を埋め立ててしまっている。これこそが、現代のディストピアではないか。
ディストピアは既に深化してしまった。その意味でこの小説は、もはや牧歌的ですらある。近年に書かれた作品であるがゆえにこそ、contemporal な速度で古びてしまった感がある。
小説自体としても差して面白いとは思えなかった。カヴァーに書かれた概略を読めば話の展開も予想できてしまうし、文体も徒に説明的だ。
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初バラード。
さほど長い話ではないしあっさり読めてしまったが、内容は濃い。クレジットを見ると80年代の作品で、よく言われる『バラードの先見性』とはこういうことなのかと納得。
犯人とトリック(?)に驚きが無かったのがやや残念だった。
幾つか気になるあらすじのものがあったので、次はその辺からチョイスしてみよう。
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御大、老いてますます盛んなりといった感じ。
純粋培養した人間なんてどこかに嫌悪の対象を見つけるだろうと思っているのだが、この作品はまさにそんな結末を突きつける。
ただ、running wildの原題に比べるとセンスのない邦題にがっかり。
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多くの読者がそうであるように僕も序盤で犯人が分かった。でもきっとその展開は80年代であってもそれほど斬新なアイデアでもないと思う。この物語の斬新さというか面白いところは、真犯人の正体ではなくて、犯人を突き動かす動機が“完璧だと思われている社会環境”から産み出されているという点であって、そういう空間って今の社会にはたくさんあるよねっていう。
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若い精神は自由をみつける方法として、みずから進んで狂気に身をゆだねたのだ、と強く思った。
バラードの悪夢の論理。
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のっけから狂気パウダーが文面から立ちこめ、その芳香に酔いしれる。もうそれだけで十分だったが感想を。ロンドンの高級住宅10戸にて大人全員死亡、子供全員失踪。事件は憶測ばかりで解決に向かわないので、精神科医が派遣される。主役この人。部長刑事と共に現場を廻る。ほとんどが二人の会話。この刑事のにくにくしさがいい。酒場で酒飲んでから帰宅するタイプ。日本人なら焼酎派。物語はこの精神科医の立てた仮説にて終わるが、それが真相なのでしょうか。この作品はナイフで刺して無言で去っていくかのように、素晴らしく簡潔にまとめてある。
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1988年なら印象的かも?
今読むとありえそうだが
寓話的なラッキーなどが目について
逆に気になった。
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積読SF消化キャンペーン中。
子供たちが淡々と目的を遂行していく様子はスタイリッシュでかっこよかった。
ただこのストーリーにあまりメッセージ性を求めるのはどうかと思うが。完璧主義な教育や環境が子供たちを追い詰めたとか、教育の効果なんてそんな単純に語れるものじゃないと思うし。ただ思春期に、反抗期&中二病のせいで恵まれた環境が欺瞞に思えるというのは、ありがちな心理かもとは思う。
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物騒な邦題だが、原題は “running wild”。
最初からヒントが出ていた(笑)。
SFではなくミステリ中編。
異常な事件の発生から二ヶ月後、
その分析を委ねられた精神科医の日誌という形式の
フィクション。
1988年6月25日(土)朝、
ロンドン郊外の超高級住宅街で凄惨な大量殺人事件が起きた。
居住者とハウスキーパーやガードマンら32人が惨殺されたのだ。
リチャード・グレヴィル医師と、
補佐役となったレディング署のペイン部長刑事が犯人像を推理。
資料映像(防犯ビデオ他)を丹念にチェックし、
現場に足を踏み入れることによって浮かび上がった
可能性とは――。
犯人にはすぐ見当がつくのだけれども、問題は動機。
精神科医の目線で縺れた糸をほぐしていくと姿を現したのは……。
あり余るほどの愛情が却って子供の首をジワジワ絞める
真綿となってしまったのでは……というのが
語り手の推測で、
一読して、ああ、なるほどなぁ――と思ったのだが、
「親ガチャ」論が話題となる現代の若者には
ピンと来ない可能性もあるなと感じた。
客観的な目線で“引いて”見たら楽園のような場所が、
中にいる当事者にはまるで地獄という図式から
ゴールディング『蠅の王』、
夢野久作「瓶詰の地獄」を連想し、また、
主人公がある程度真相に近づきはするものの
全容解明に至らないところは
スタニスワフ・レム『捜査』風だと思った。
映像作品になっても面白そう(絵面がエグイだろうけれど)。