紙の本
知的興味がつきない問答
2009/10/02 18:06
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:CAM - この投稿者のレビュー一覧を見る
1998年に出版されたものであるから発行後10年以上経過しているが、読み返してみてあらためて、始めから終わりまで知的興味がつきない問答であると思った。
本書で印象に残った部分を一つ挙げると、冠詞、数の表し方があいまいであるという日本語の問題点についてである。たとえば、日本国憲法は“翻訳憲法”であるということが言われるが、天皇の象徴的地位は“the sovereign will of the people”に基くとあるのを、「主権の存する日本国民の総意に基く」と訳したのは、意識的に日本語の盲点を突いたと思うという指摘である(丸山;87)。
本書で語られるように、「翻訳」は日本の近代化にあたって社会と文化に大きな影響を与えた。そのことは基本的には現在においても変わらないと言えるであろう。平均的日本人は、現在においても、外国情報を第一次情報源から得ているのではなく、翻訳された情報によって得ているのが一般的であるからである。
ただし、「あとがき」の最後で指摘されるように、現在の状況が明治初期と異なるのは、国際語としての英語が有する圧倒的な力である。 今後の日本は、明治初期の日本が解こうとした翻訳と文化的自立、翻訳文化の「一方通行」という問題と、同時に国際的コミュニケーションの必要性を、異なる条件のもとで解かざるを得ない、ということになる(加藤;189)。
その場合、国際的コミュニケーションの場に立つ者が高度の外国語表現能力を習得することは当然の必要条件である。しかし他方では、大部分の国民が高度な外国語力を身につけるという達成困難な条件が成就しない限り、日本人相互が外国語情報を共有するためには、翻訳は不可欠である。 外国語を翻訳せずにそのまま直解せよという一部の外国語教育者の主張では解決できない問題である。
一部の軽薄な英語教育論に流されないためにも、明治における翻訳主義についての検討、再評価についての重要性は高いと思う。本書は、そのための一素材としての価値は高いと考える。
紙の本
翻訳主義というアポリア
2004/01/18 13:35
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、丸山真男・加藤周一『日本思想大系 翻訳の思想』の編集過程で生まれた、いわば副産物だという。基本的には、加藤氏が丸山氏に聞くというスタイルが採られているが、二人の「対話」は、副産物と呼ぶにはあまりに豊穣である。
まず、2人は明治期に翻訳が求められた背景として、ペリー来航以来の危機の中で「近代化」を推し進める明治政府が求めた理想の情報源として「西洋」が目指された点を指摘する。つまりそれは、国内/外に関わる「近代化」=国民国家形成と連動した動きであったということになろう。同時に2氏は、江戸時代の翻訳観や翻訳をめぐる知の状況を連続=発展の相からも検討する。18世紀初頭、蘭学が興ろうとする時期の外国語文献の流入によって、言語に関する意識革命(「日本語は多くの言語の中の1つである」)が起きていたというのだ。その上で、自由民権運動なども含めた、明治期の翻訳主義=「翻訳文化の時代」が論じられていく。「何を、どう、翻訳したか」というテーマから、翻訳書のジャンルの問題や儒教との関係、造語等々実際的な翻訳をめぐる諸問題が、当時の文脈に即して縦横に語られていく。そして、明治期の翻訳の問題が集約されているという『万国公法』が、単語レベルから詳細に分析・検討されていく。
明治初期には、政府も翻訳(出版)に大きく関わり、幅広い層(階級)において、〈西洋=最新式〉というコードと高いリテラシーに基づいて翻訳文化は広まっていく。しかし、こうした本書の議論は単なる過去の歴史として読むべきものではない。もちろんそうした側面も否定できないが、加藤周一が「あとがき」で述べているように、明治初期の翻訳主義が突き当たった問題──「翻訳と文化的自立、翻訳文化の「一方通行」と国際的コンミュニケイションの要請」──は、解決済みの問題などでは決してないのだ。むしろ、グローバリズム/ナショナリズムといった世界規模の枠組みの中で複雑な事態が展開されている今こそ、現在という歴史的条件の中で再考すべき課題であろう。何も、先鋭的な文化理論を用いるまでもない、われわれの日常生活に偏在する言葉の多くに翻訳の影が落ちているのだから。
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目次
1 翻訳文化の到来
(時代状況を考える/日本にとって幸運な状況 ほか)
2 何を、どう、翻訳したか
(なぜ歴史書の翻訳が多いのか/歴史を重んずるのは日本的儒教だからか ほか)
3 「万国公法」をめぐって
(幕末の大ベストセラー/英語・中国語・日本語を対照する ほか)
4 社会・文化に与えた影響
(何が翻訳されたか/化学への関心はなぜか ほか)
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[ 内容 ]
日本の近代化にあたって、社会と文化に大きな影響を与えた「翻訳」。
何を、どのように訳したのか。
また、それを可能とした条件は何であり、その功罪とは何か。
加藤周一氏の問いに答えて、丸山真男氏が存分に語る。
日本近代思想大系『翻訳の思想』(1991年刊)編集過程でなされた貴重な問答の記録。
自由闊達なやりとりはまことに興味深い。
[ 目次 ]
1 翻訳文化の到来(時代状況を考える;日本にとって幸運な状況 ほか)
2 何を、どう、翻訳したか(なぜ歴史書の翻訳が多いのか;歴史を重んずるのは日本的儒教だからか ほか)
3 「万国公法」をめぐって(幕末の大ベストセラー;英語・中国語・日本語を対照する ほか)
4 社会・文化に与えた影響(何が翻訳されたか;化学への関心はなぜか ほか)
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逝きし世であった江戸から明治という近代へ、いかに西洋の概念を漢語を通じて日本に導入したか、という具体例に興味があったのだが、本書の中心となすのは明治期の翻訳の話ではなく、西洋文明を受け入れる日本の当時の思想的なバックグランドの話であるような印象を持った。特に印象に残ったのは次の3つの箇所。17P「最初に欧化を受け入れたのは、軍隊も含めてテクノクラートでしょうね。」46P「言葉が違ってしばえば、一つの国をなさないだけではなくて、下層階級の多くは国事の重大事から締め出されるであろう」翻訳主義をとらず、英語そのものをとりいれようとすると、インドを例に出して危惧した馬場辰猪の活動に関して触れているところ。P171福澤諭吉が社会主義の台頭に関して『民情一新』の中で「テクノロジーの進歩によってコミュニケーションが発達すると、思想がものすごく速く伝播する、そうすると、民衆にある観念が伝播した時、政府にもどうにもならない力を得ることがある」旨、言及していたところ。
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対話形式でとても読みやすいということはあれど、やはり内容はかなり難解だった。
翻訳文化、という事情はあれど日本の変わり方についての考察が面白い。
薩英戦争で負けたと思ったら英国に留学などの、驚くべき変わり身の早さ。これがやはり日本の良さ、成長の理由だと思う。
尊王攘夷を信じて西南戦争までつながる人と、イデオロギーを交換可能な道具と考えていた人。後者のような身の切り替えが出来ていた昔の人があってからこそ、だと思う。
難しさはあっても軽く読むことが出来た前半部が良い。
加藤周一のあとがき。文化の一方通行は社会の孤立を意味する、には鎖国時代の日本の遅れ、これが今にもつながってきている(=改善されていない)ことを表しているような気がして何とももどかしい感覚を覚えてしまう。
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対談あるいは聞き書きの体裁をとり、話はときどき脱線するものの、示唆に富む話が満載。明治初期の大混乱の時代に多数の翻訳書が出版されていたこと自体が新鮮。
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幕末~明治初期にかけて出版された数多の翻訳書。
昭和を代表する知の巨人・丸山眞男と加藤周一が、その翻訳過程と対象領域から日本の近代化を考察する。広範かつ深淵な教養に裏付けられた二人のやり取りが非常に面白い。
議論は、中国語に対する日本の漢文式な読解法が翻訳に過ぎないことに気が付いた荻生徂徠の転換論的発想から始まり、外国語の認知、翻訳による主張の過激化傾向、歴史と道徳に対する認識、そこから日本語訳の特徴が生み出されていく過程へと推移する。また、翻訳を渇望された軍事・歴史・化学に対する関心、そしてそれらが知識人に与えた影響に関しても問答がなされる。
長い歴史を持つ中国文明を受容してきたために、当時の日本が歴史的アプローチを好んでいたという指摘、また逆に中華思想の中国では歴史を超えた真理が重視されるという指摘が個人的には印象的だった。
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文化的一方通行に対する課題を,日本の歴史の中で位置づけることができるかもしれない。
再読の必要あり。
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徂徠・白石・福澤を褒め称える近一世代前の近代知識人の言葉は矢張りかび臭くも思えるが、中国の支那思想の受容に関して、また支那のエターナルなものへの関心と、日本の歴史への姿勢に関しては多くの示唆を得た。しかし、宣長の矛盾(神代を尊びながら歌論は古今という)は頂けない、その点、宣長の遺書より入った小林秀雄の文学的感受性の方が真に近づいている気がする。いづれにしても「矛盾」と見える心性は合理主義のものである。
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(1999.03.20読了)(1999.01.02購入)
(「BOOK」データベースより)
日本の近代化にあたって、社会と文化に大きな影響を与えた“翻訳”。何を、どのように訳したのか。また、それを可能とした条件は何であり、その功罪とは何か。加藤周一氏の問いに答えて、丸山真男氏が存分に語る。日本近代思想大系『翻訳の思想』(一九九一年刊)編集過程でなされた貴重な問答の記録。自由闊達なやりとりはまことに興味深い。
☆関連図書(既読)
「日本の思想」丸山真男著、岩波新書、1961.11.20
「雑種文化」加藤周一著、講談社文庫、1974.09.15
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以前,筆者は相模大野の市立図書館に足繁く通っていた時期があるのだが,そこで何気なく手にとって読んだら,これが抜群に面白い!!著者は誰だと思ったら丸山眞男と加藤周一という,知の両巨頭という。そりゃ面白いわけですね。
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丸山真男と加藤周一の二人の碩学による対談。
丸山真男は60年安保闘争でのオピニオンリーダーの一人だったが、70年安保闘争では、全共闘から批判され、心労と体調不良で逼塞するのだが、そういう政治色抜きで見ると、恐ろしいほどの碩学の徒であるのが分かる。「日本政治思想史」における業績や『福沢諭吉論』はそれ以降の思想史研究家にとって、現在まで見過ごすことのできない金字塔的な存在となっている。
本の冒頭の説明では「日本近代思想体系」の解説の作業にあたって、当時丸山真男が体調を崩していたので、その執筆を任された加藤周一が、丸山真男の意見を聞くための問答集という事になっているが、さすがに二人とも博学の主で問答の範囲は翻訳の問題を越えて拡がっていくのには、痺れる一方で、ついて行けない場面も多々あり、私の知的水準の低さを思い知らされた次第です。
タイトルは「翻訳と日本の近代」となっているが、江戸時代の荻生徂徠や本居宣長に話しが及び、江戸時代に既に翻訳という概念が出来上がっていたという処から話が始まる。その流れが、幕末~明治の広汎な西洋文献の翻訳、ひいては日本の近代化に繋がっていく。
面白かったのは、アヘン戦争で英国に敗れたのは中国なのに、中国人よりも、幕末の日本人の方が、熱心に英国事情を知ろうとして、近代化を急いだ。
その理由として、「戦闘者」=武士が支配階級だったことが大きく、中国のように文治官僚が支配階級だったら、そういう機敏な反応は出来ない。
当時の文献を読むと、天下大平が音を立てて崩れると、支配階級の武士に甦るのは戦国時代だと言う。サラリーマン化していた精神に武士の魂が現象的に甦る。これは吉田松陰だけでなく、広く本来の侍が、事態を軍事的脅威として受け取った。
また、明治5年に森有礼が大和言葉には抽象語がないから、とても西洋文明をものに出来ないと、「英語の国語科」を提唱し、それに対し、馬場辰緒が、日本で初めての日本語の文法辞典を書いたり、英語を国語にした場合の弊害を説いて反論している。兎に角、この時代に翻訳するに当たり、新しい日本語を創っていった福澤諭吉等の人々の努力には頭が下がります。
また、近年英語力の強化が叫ばれているが、幕末~明治にドップリと英語浸けになった人々は、この事態をどうみているのでしょうか?
色々と考えさせられる一冊でもあり、大変疲れる一冊でもありました。
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対談形式で読みやすい文章だと思ったのですが、確かに読みやすいのですが単語、人名などわからない事が多く結果的にあまり内容を理解できなかったと思います。本の中で福沢諭吉について話しているところが結構あったので手始めに「学問のすすめ」を買ってみました。
あまりにレベルの違うお話の内容だったので、星はつけられません。
いつかつけられるようになると嬉しいですね。
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維新後、西洋文明・西洋の情報を取得し、それら情報を広く流布させるため、洋書の翻訳が大々的に展開した。これは、中国などとは異質で、ある意味日本的特質と言ってよいとのことのようだ。
本書は、そのような状況が生じた背景、翻訳本が多数刊行されたことによる社会的影響等を、著者らが対談形式で論じあうもの。
法治国家形成のため、種々の法令を翻訳導入してきた経緯からみて、定義や概念の原語を日本語(つまり熟語)に変換・置換することに特段の奇異はない。森有礼が主張するように母国語を外国語にしない限りは…。
こちらとしては、むしろ、その必要不可欠な作業の事後的な帰結の方に興味が湧く。
その意味では、前提たる江戸期の在り様は流し読みに止まり、むしろ、翻訳本の流布による影響を書いたⅢ・Ⅳ章、特にその中でも福沢諭吉論が興味を引いた。
1996年刊行。