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庭師ただそこにいるだけの人 みんなのレビュー
- ジャージ・コジンスキー (著), 高橋 啓 (訳)
- 税込価格:1,870円(17pt)
- 出版社:飛鳥新社
- 発行年月:2005.1
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紙の本
おかしなおかしな一週間。
2005/12/27 22:58
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:求羅 - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公は、チャンスと名づけられている。
孤児だった彼は、偶然(バイ・チャンス)にも大富豪に拾われ、庭師として育て上げられた。
彼は屋敷と庭から一歩も外に出たことがない。学校にも通ったことがなく、読み書きもできない。庭仕事以外で好きなことといえば、テレビを見ること。
彼にとって庭は人生であり、彼の全てだった。
ある日、高齢の主人が死んでしまい、彼は生きてゆくため生まれて初めて外の世界に出ることに・・・。本書は、主人の死から始まる、チャンスの一週間を描いたものである。
不思議な小説である。
政治家や実業家たちの小難しい論理より、庭のことしか知らないチャンスの語る言葉が人々の心を打ち、魅了する。本書は、真理はシンプルなものだ、ということを教えてくれる。
かといって、チャンスを単純にピュアな心の持ち主と決め付けてよいものなのか。確かに、世間と隔絶した世界で生きていたせいか、スレていない。しかし、ひたすらテレビを見ている姿は不気味だし、あまり感情の起伏がないことが、彼の存在をあやふやなものにしてしまう。解釈に苦しみ、何度も読み返した。
思うに、チャンスは鏡なのではないか。それも、見る者の心の奥低に潜む願望を映し出す鏡。彼と接することで、大統領は自らの政策の正当性を見出し、不況にあえぐ民衆は希望を見る。愛情を求める女は欲求から解き放たれ真の喜びを見出す。鏡に感情はいらない。ただ、そこにあり、姿を映すだけだ。
本書は、現代社会に対する風刺が込められた寓話といえる。しかし、押し付けがましさはない。ただ静かに一週間を語り、読者に思索を促す。チャンスという鏡に映し出された人々の姿はどこか滑稽で、悲しくもある。
声を大にして訴える論調でなくとも、淡々と言葉を紡ぐことで、より読む者の心を揺さぶる作品が創り出せる、本書はそれを証明する格好の小説である。
紙の本
庭師から大統領候補へ 数奇な運命を辿る男の話
2007/08/18 09:09
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:星落秋風五丈原 - この投稿者のレビュー一覧を見る
生まれてすぐ富豪に育てられ、屋敷と庭から一歩も外に出た事がないチャンス。彼は、庭仕事をしている以外はひたすらTVを見ている。そんなある日、主人が急死し、使用人としても家人としても記録になかったチャンスは、屋敷を出なければならなくなる。チャンスが最後にたどり着いた場所とは?
シリアスでカッコいい役を演りたいのに、大当たりした『ピンク・パンサー』のクルーゾーみたいな役ばっかりタイプキャストしてくる製作サイド。そんな状況に腹を立てた俳優ピーター・セラーズが、「君達が見てるのは、君たちが見たいと思っている僕だ。それは本当の僕じゃない。」と言いたいがために、脚本を依頼して映画化。てっきりそんな経緯を思い描いていたので、原作が先にあったとは驚いた。
庭が世界の全てだったチャンスは、植物の事には詳しいが、本当の世界の事-経済理論も外交術も知らない。だから、何か聞かれても、知っている世界の範囲内でしか話せない。この時だって、そうだ。
「庭には成長にふさわしい季節があります。春と夏がありますが、秋と冬もあります。」
チャンスはあくまで庭について話しただけなのに、皆は不況にあえぐアメリカ経済界の今後の予測だと解釈する。またパーティで「我々の椅子は」云々とソ連の外交官に話すと、米国の対ソ外交政策の話と解釈される。もしチャンスが、誰の後ろ立てもなく、みすぼらしい姿で同じ事を言ったら、おそらくこうはならない。いや、そもそもインタビューされる機会なぞ、ない。仕立ての良い主人のスーツ、容姿端麗、おまけに政財界の大物夫妻が揃って彼にゾッコンという背景と外見が、チャンスを見る人々に「謎の大物」という色眼鏡をかけさせた。この話は、チャンス、周囲の人、どちらに焦点を置くかで、感じ方が異なる。チャンス以外の人にスポットを当ててみると、ちょっぴり皮肉な風刺劇だ。チャンスを崇め奉る人々は、自分が考えている事や言って欲しいと思っている事を、ありのままのチャンスの言葉に、当てはめているに過ぎない。戸籍がなく、過去が不明なのも本当の事なのに、「わざと隠した」と思い込む外国の要人達は、さしずめスパイごっこがお好きと言えようか。人間ほど、馬車馬のように、生まれてから死ぬまで、「変われ、先へ行け」と中から、外からせっつかれる生き物はない。皆何者かになりたくて、日々努力している現代において、チャンスだけは「ありのまま(=Being There)」でいる事が無条件で許されるどころか、むしろ賞賛される。社会的責任に雁字搦めになり、常に変化を求められる人々にとっては、チャンスはまさに理想形なのだ。
単純なものを、わざと複雑に考えて、人々は侃々諤々。その脇をすり抜けて、最もシンプルなチャンスが、誰一人届かぬ場所へ行く。そんな奇跡があるんだろうかと、ふと思ったが、著者の経歴を見て驚く。なるほど、事実は小説よりも奇なりだった。
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