紙の本
苦しい時に笑い飛ばせるかどうか。その鍵を教えてくれます。
2006/06/19 00:06
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本文の最後には、視野狭窄症にかからないためのオマジナイが記されております。
「病気とか、不運な事故とか、人を失ったり裏切られたりする悲しみとか、悔しさとか、理不尽な差別とか、不公正とか、腹立たしい悪政とか、単なる間の悪さとか、窮地に立つと、人は視野が狭くなって、ますます自分を追い詰めてしまいがち。苦しいときこそ、そんな自分や不幸の元を突き放して笑い飛ばしたいものだ。・・」
ここで「笑い」のオマジナイは
「小咄という文学ジャンル(と言ってしまおう!!)」と宣言になっております
(ここは笑うところではありません)。
その大いに役立つ方法論を、この新書で生み出そうとしておりました。
さて、小咄をさっそく引用ちゃいましょう。
こんなのはどうです。
「地獄の悪魔代表チームが天国の天使代表チームにサッカーの試合を申し込んだところ、天使側は快諾した。
『ああ、いいですよ。でも、勝ちはこちらがいただきですね。だって、いいサッカー選手、ほぼ全員、こちらの住人になってますもん』『そりゃあそうかもしれんが、やはり勝ちはこちらがいただきだね』と悪魔側。『何しろ、審判はどいつもこいつも、こちら側の住人になったからね』」(p134)
せっかくですから、
小咄の裾野を知るために、
もう一つ、引用しておきます。
「秋には総裁選も予想されますので、有権者の抱く理想の政治指導者像についてアンケート調査を実施します。
1.非合法の金融業者や暴力団関係者との並々ならぬ間柄について噂が絶えない。病気持ち。妻以外に愛人が二人。ヘビー・スモーカー。毎日マティーニを八〜十杯引っかけている。
2.二度も免職されたことがある。夜更かしで正午まで寝ているクセが抜けない。学生時代には麻薬を吸っていた。毎晩ブランデーを一本飲み干す。
3.勇猛果敢な軍人としていくつかの勲章を授与されている。ベジタリアンにして非喫煙者。酒は、ビールのみを愛飲している。マフィア、刑事犯、マネーロンダリング、その他の不法行為とのいかなるかかわり合いも疑われたことがない。贅沢嫌いで生活はつつましい。
以上のように三人の有力政治家の皆さまのキャラクターを記しましたので、理想とする政治家の番号を○で囲んでください。あなたの貴重なご意見は、総裁候補選出に際して必ず参考にさせていただきます。ご協力ありがとうございました。
なお各番号に相当する政治家は、次の方々です。
1. フランクリン・ルーズヴェルト
2. ウインストン・チャーチル
3. アドルフ・ヒットラー 」(p179)
小咄の引用は、
二つで十分でしょう。
まだ、読み足りない方のために、この新書が読まれるのを待っております。そして残念ながら、当のご本人はこの5月25日、56歳で亡くなっております。
この新書の「あとがき」が、まるで読者への最後の挨拶でもしているように。手を振って笑ってでもいるように、私には読める文になっております。
小咄はちょっとという方には、この「あとがき」だけでも、お薦めしたくなります。
紙の本
抱腹絶倒ではない。むしろ緻密な。
2008/07/15 22:06
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ばんろく - この投稿者のレビュー一覧を見る
小咄集である。小咄を集めてその構造を分析する。趣旨はなかなか面白い。読み心地もよい。しかし読みながらどうしても感じてしまうのは、ここに載っている小咄、ほとんどが別にそんなに面白くない、ということである。いや、面白くないと言うのはちがうか。ただ、思わず笑うというよりは、そうきたかと感心させられてしまうようなものが多い。では米原さん自身はなぜ抱腹絶倒などという言葉を使うのだろうか。一冊の本にするために、玉石混淆を承知で褒めそやしたのだろうか。いや、どうもそうではないらしい。
一つにはネタとなる文化が違うこともあろう。だが、我々の日常では(正直に言ってここでの我々をどこまで一般化できるかは心許ないが)このような「ハナシ」となるほどの比較的長い小咄を使う機会がない、という点に違和感を感じるのではないだろうか。ここに紹介されている小咄は、分析されうるほどに論理的なのである。オチに対して、そのオチが裏切るべき予定調和を演繹するに十分な状況説明がついている。そう、どれも前振りが長いのだ。日常で前振りが長い話は好まれない。
しかしよく考えてみると、長い前振りがなくても理解できる話というのは、そこが浅い、バリエーションが少ないともいえる。といってしまっては語弊を生むだろうが、前振りが少ないということは、オチが裏切るのは常識的な感覚ということになり、ここから逆算すると、互いに常識が共有されていることが前提条件にならないだろうか。
ここで米原さんを信用して(?)、少なくとも彼女にとってはこれが抱腹絶倒ということを真であるとする。これを彼女の職業に結びつけて考えるならば、国際感覚というものが少し見えるような気がする。我々が日常ともにする仲間との会話は、行き着く先を常に常識が想定させるが、互いに常識の異なる者同士が予定調和を生み出すためには(ここでの話題はそれをさらに裏切ることにあるわけだが)、どうしても理屈による話題の方向性の提示が必要となってくる。最初に「我々」という言葉の及ぶ範囲の曖昧さを断ったのは、別に国内にいようと常に異なる立場の者と関わるような環境に身を置く人間は、このような「際」の感覚はわざわざ言及するまでもないであろうと想定するからである。
米原さんはよくシモネタは世界共通ということを言われていた。冗談混じりで、聞いたほうも思わずにやりと笑ってそりゃそうでしょうと受け流しがちだが、必ずしも常識というものに身をあずけられない世界では、シモネタというのは共通の論理帰結を有した安全地帯なのかもしれない。
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昔から存在してた小咄‐各国のブラックユーモアも紹介。
小咄のテクニックのノウハウを分類し展開。
そしてちょっぴりの政治的ブラックユーモア。
そして言語は使い方によって状況を覆すほどの力を持っていることがわかる。
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日本人離れしたユーモアセンスの持ち主である著者が、その明晰な頭脳で世の中の笑いを分析、解説。窮地に立った時こそ、お笑いだー!!
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エッ勝手リーナ。もっと生きて、活躍して欲しかった。闘病しながらこんな本を書いていたなんて、なんという女。
生きていて欲しかった。
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確かに小話については結構考察されているような気もするが、日本でこの本に出てくるような話し方をする人はあんまりいないと思う。実践的ではない。
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日常的な小咄の分析にこれくらい情熱をもって考えてみる心の余裕を私も持ちたいと思いました。人生って何なのかね。
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おーもーしーろーいっ!!!かねてから、米原さんのエッセイとかでは小咄話がでてきてたけどこういう風にジャンル分けすると、おもしろさ爆発。最後の練習問題は、頭をひねってひねって楽しかった。1番おもしろかったのをココに。−クリスマス・イブの夜、息子に向かって父親がややかしこまって告げる。「ツトムももう大きくなったから、父さんも本当のことを言おう。サンタクロースなんてこの世にはいないんだ。あれは父さんだったんだよ」「うん、そんなこと、とっくの昔に知ってたよ。コウノトリだって、実は父さんなんだよね」−
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単なる優越感ゆえに笑うのではなく、騙される側にいながら、騙されていた事実と意外な騙しの手口を知らされた瞬間に笑ってしまう
ミスリードによって生まれる点線と実線との落差がオチを可能にするわけで、オチそのものが必ずしも面白かったり可笑しかったりする必要はない
オチをオチ足らしめるミスリード部分こそ作者の腕の見せ所
平凡な台詞が非凡なオチに聞こえるように、前提条件のほうを非凡にしてしまう
オチとは、前提部分によって聞き手や読み手の頭の中に生まれるだろう予想と、実際の結末との間の落差によって生まれる。この落差を設けるためにこそ心血を注ぐべき
オチはゼロから創造するというよりも、見いだして演出するもの。「最初からオチなんてない。オチにしてやるのだ。」ということ
話の各構成要素の中から、順序を買えて最後に持ってくればオチになりそうな要素を見いだし、それをオチとして引き立てるために、他の構成要素の順序を買え、字句の修正、削除、加筆、登場人物の設定変更などを施す。
ミスリードによって生まれる落差がオチを可能にするわけで、オチそのものが必ずしも面白かったり可笑しかったりする必要はない
人は謎に取り憑かれると、他のことを顧みなくなるので、ミスリードしやすくなる
ミスリード=話のリアルさ、もっともらしさ
情報提供の順序
1.オチが最後に来ること
2.オチを成立させるための前提条件を先行させること
3.オチも前提条件もあたかも必然であるよう、要するに取って付けたような感じがしないように取り繕うべく他の情報の順序に配置すること
4.最後のオチまで付き合ってもらえるよう、謎と答えを小出しにしていくこと
5.できれば謎解きとミスリードをシンクロさせること
6.理想は、最大の謎の氷解とオチを一致させること
オチを演出する、つまり、落とすためには、先に落ち上げなくてはならない
・大切なのは、わたしたちの予測を裏切るような、素っ頓狂な論理の持ち主が、それを笑わせたり冗談を言ったりするつもりではなく、大真面目に考え、行動し、発言しているということである ex. 子供、動物
・異なる論理と視点が出合うことによって生じる落差こそがオチになる可能性を秘めている(常識的な論理とは異なる論理の持ち主、人生の優先順位が異なる人々、漫才コンビの一方が愚者を演じ、他方がそれをたしなめる常識家を演じるのは、この構造に則っている)
・相手のお株を奪って反撃
2つの異なる論理を印象的に対峙させる方法、反撃するとは思いも及ばないような人物の設定、Aの論理が想定している対象を正反対のものに転化することで、論理をハイジャックする方法
相手の論理に従っているように見せながら、その実、相手の論理の部分的欠陥に付け入ったり、主客転倒させたり、論点のアクセントを移動させたりして、転覆させてしまう別な論理
他人事になると、Aの論理がBの論理にひっくり返される瞬間に笑ってしまう。いずれも、自分の利害を当然無視していて、同じような利害が相手にもあることを想像だにしていない。自分達��例外だと思い込んでいる。別な視点や論理に対する想像力の欠如こそが、小咄に必要な盲点を形作る。この盲点を突くだけで、オチになるのだから、Aは一見常識的で、その常識は疑わない人、要するに、視野が狭く生真面目で一辺倒な思い込みの持ち主であることが望ましい
AとBのコントラスト
A:観念主義的、理想主義的、夢見がち、独りよがり
B:現実的、冷静
ある論理や物の見方を、突然他の論理を持ち込むことで相対化させる。ときには、転覆してしまう、その相対化や転覆の瞬間こそがオチになる
・木を見せてから森を見せる
ある論理や物の見方を、突然他の論理を持ち込むことの一つ、どアップから突然ズームアウトする。
ミクロな視点からマクロな視点への移動。ディテールに拘ってから、そのディテールを取り巻く文脈を示して見せる方法。
たいがいの悩みや苦しみや怒りや憎しみは、至近距離の事態に対して抱くもので、その事態を突き放して大局的な見地から見据えたとたんに、悲劇が喜劇に転じることはよくある。
・神様は3がお好き
3つの立場を並べて見せるやり方。先行する論理で形成された期待値を、次の論理でずらす、あるいは破綻させる。
・誇張と矮小化
死という人間にとっての最重要事項をあたかも些細なことのように矮小化することによって絶景の素晴らしさを誇張する
異常に誇張すると、目前の出来事とは別のリアリティ、別な論理、別な見方が出てきて、不愉快な現実を相対化する、取るに足らないことであるように思わせる効果がある
・絶体絶命の効用
本来再重要視されるべき死よりも、日常の些末事を優先させている。どんな人間にも決して避けることのできない、最大の恐怖の元、それが死。恐れているからこそ人間にはこの死を、なあに大したことではない、恐れるほどのことはない、と思いたい、できれば笑い飛ばしたいという願望が元々強いのではないだろうか
些末事を生死より上に置くという、この優先順位逆転の方法をとると、実に簡単に小咄が出来上がる
・言わぬが花
考え方を最後まで言い切らずに、聞く者や読む者の想像に任せてしまうことで効果を倍増する方法
比喩やほのめかしによって、短い小咄に、建前と本音、思い込みと現実などなど2つの立場を共存させることが可能になる
・悪魔は細部に宿る 部分と全体
出来合いの論理または物語の本質ではなく、脇道に、大枠ではなく細部に視点を転じて、勝負の土俵をすり替える方法
物語の最も基本的な構造が、失われたものの回復、あるいはその代償だとしたら、小咄の基本的構造は、失われたものの回復の失敗、あるいは、予定されていた回復の処方箋が無効であることの言い渡し
ほとんどの小咄は、映像や場面や事件ではなく、言葉と観念をもてあそぶことで成り立っている。肝心のオチとなる悪魔の声ももちろん、何らかの場面や行動や事件の叙述というよりは、何らかの言葉によって示されるのである。言ってみれば、小咄は、常に言葉の意味と無関心に関心を集中している。別な言い方をすれば、生真面目で支配的な現実の解釈から言葉を(そして、言葉に込められた感情と思考を)解き放とうと努めてきた
本筋本論に対して正面切って反論しない。「セックスは汚らわしい」というシスターに対して「いいえ、セックスは素晴らしい」と大見得を切って主張するのではなく、シスターの論旨のディティールに過ぎない「わずか一時間の快楽」という部分にスポットライトを当てて、「快楽を一時間も長引かせる」というほうへテーマの重心を移してしまう。懺悔に異議を唱えるのではなく、懺悔推奨の延長線上に懺悔の趣旨に反する論理を滑り込ませる。「妻の駆け落ち」という一大事を「運転手の視力」というディテールに。「罰金額の増加」という理不尽を「豚肉の値段」という些末事に軸足をずらすことによって、ひっくり返すか、肩すかしを食らわせるか、無意味化する
本来全体に奉仕すべき細部を取り出して、その細部に全体を奉仕させてしまう
・権威は笑いの放牧場
権力や権威あるモノを意識の中のみではあるが、一瞬のうちに破壊し転覆させる意地悪な優越感の笑いも含まれている
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SSの参考になりそうな本でした。
1. 詐欺の手口
2. 悲劇喜劇も紙一重
3. 動物と子どもには勝てない
4. お株を奪って反撃
5. 木を見せてから森を見せる
6. 神様は三がお好き
7. 誇張と矮小化
8. 絶対絶命の効用
9. 言わぬが花
10. 悪魔は細部に宿る
11. 権威は笑いの放牧場
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【内容】
短くて人を笑わせる話―単にネタを暗記するのではなく、笑いの構造を理解すれば、臨機応変・自由自在に小咄を創り出せる。本書では、日本人離れしたユーモアセンスの持ち主である著者が、世間に流布する笑いの法則を突き止めて分類し、自作も含めて豊富な例をあげながら、笑いの本質に迫る。詐欺にも似た、相手を錯覚させる方法、同じ内容の順番を変えるだけで悲劇が喜劇になる方法、マクロとミクロを反転させる方法など、思いがけないオチをつけるテクニックをマスターして、窮地に立ったときこそ、周囲に笑いを呼び込もう。
【感想】
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私の話にオチがないのは、
自他共に認めるところ。
それを克服し、且つ楽しめるという本書は
私にとって好都合。
練習問題までついているのだから。
あとがきに著者が述べていることから考えると、
人を笑わせるというのは、
感動させるよりも難しいのだ。
そこに重きを置いて、
小咄を系統別に分析分類してしまうのだから
すごい。
がんと戦いながらも仕上げた本書、
もうこの世にいない著者のことをおもうと
妙にしんみりしてしまうが
彼女はきっとこんなこともどこかで笑い飛ばしているんじゃないだろうかと
あったこともない人のことをふと考えた。
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米原万里による小咄のエッセイ。優れたエッセイストにしてロシア語通訳者であった彼女のこと、国際感覚豊かな小咄を語らせたら右に出るものはいない。……はずが、本書はあまり面白くない。基本的に、彼女のエッセイは豊富な体験談に裏打ちされて輝くもので、あまり分類学的な方向に向くと、軽妙な語り口が失われる。おまけに、たまに挟まれる政治的主張を含んだ皮肉が妙に軽薄で、知識人として底の浅さすら感じさせてしまう始末。本書のように古典的な小咄の分類を試みるよりも、彼女の体験談をそのまま小咄調にアレンジしたほうが、きっと優れた読み物になっていただろう。なんとも残念な一冊だった。
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[ 内容 ]
短くて人を笑わせる話―単にネタを暗記するのではなく、笑いの構造を理解すれば、臨機応変・自由自在に小咄を創り出せる。
本書では、日本人離れしたユーモアセンスの持ち主である著者が、世間に流布する笑いの法則を突き止めて分類し、自作も含めて豊富な例をあげながら、笑いの本質に迫る。
詐欺にも似た、相手を錯覚させる方法、同じ内容の順番を変えるだけで悲劇が喜劇になる方法、マクロとミクロを反転させる方法など、思いがけないオチをつけるテクニックをマスターして、窮地に立ったときこそ、周囲に笑いを呼び込もう。
[ 目次 ]
詐欺の手口
悲劇喜劇も紙一重
動物と子どもには勝てない
お株を奪って反撃
木を見せてから森を見せる
神様は三がお好き
誇張と矮小化
絶体絶命の効用
言わぬが花
悪魔は細部に宿る
権威は笑いの放牧場
耳を傾けさせてこその小咄
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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題名どおり、小咄について分析した一冊。もちろん、例として笑える小咄が満載。そして、筆者の晩年の作品にまいどのことだが、政治に対する皮肉もたっぷり。