紙の本
アフリカはアルファでありオメガである。
2010/10/20 10:38
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投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
アフリカと聞けば人類誕生の地と思う。エイズを思う。西欧の奴隷制と植民地主義の圧政を脱して60年代に活躍したガーナのエンクルマやコンゴのルムンバの雄姿を思う。パン・アフリカ主義とアフリカ合衆国構想、アジア・アフリカ会議を思う。
雄大な自然と野生の動植物たちを思う。キリマンジャロの雪に横たわる1匹のヒョウや百獣の王ライオンの恫喝にもひるまぬ真の密林の帝王ゾウの突進を思う。「アウト・オブ・アフリカ」で流れたモーツアルトのイ長調ピアノ協奏曲のアダージオを思う。
ランボーやニザンやカミュや、強烈な色彩と骨太の線で80年代のアフリカを象徴したムパタの絵を思う。そのムパタにあこがれてケニアに「窓を開ければジラフが見える」ホテルを建てた編集者を思う。彼は「君の息子もあそこへ行けばきっと良くなるよ」と言ってくれた。
アフリカはアルファでありオメガである。希望の端緒であり絶望の果ての地でもある。
そのアフリカを40年間にわたって駆け巡ったポーランドのジャーナリストがいた。
こよなく愛するアフリカについて、豊富な現地体験に基づいてルポルタージュしつくした本書には、そんな懐かしく、貧しく、残酷なアフリカの面影が、強烈な色彩のコントラストとともにくっきりと描き出されている。
ガーナ、タンガニイカ、ウガンダ、ナイジェリア、エチオピア、ルワンダ、スーダン、ソマリア、カメルーン、リベリア、セネガル、エリトリアを旅した大旅行家は、植民地支配にもとづく全体主義、人種差別主義、異質者への嫌悪、軽蔑、排除欲求は、西欧世界に登場する100年前にすでにアフリカで実行されていた、という。
そしてまた、「アフリカはなんて存在しない。国や地域によって全部違う」という。すぐれたリアリストの言葉だ。だから全体より細部が大切なのだ。
しかしにもかかわらず、アフリカという全体は存在し胎動している。
かつてのカダフィ大佐による「アフリカは一つ」も、岡倉天心による「アジアは一つ」も一つの大いなる虚妄であったが、では今日のEUやFTAやEPAはどうなのか。それは新たな戦いの始まりではないのだろうか?
世界は再び巨大な共同体へと再編され、過去のいずれの時代よりももっと巨大な相克が始まろうとしているような気がする。
10月の16日に蝉が鳴く誰かさんの誕生日を祝うがごとく 茫洋
紙の本
ルポルタージュ。
2019/04/29 16:42
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投稿者:ROVA - この投稿者のレビュー一覧を見る
淡々と、あらゆる事柄が語られる。重い内容が多い。
『冷たき地獄』の章は特に救いようの無い絶望感に苛まれる。
しかし作者が希望を捨てているようには見えない。
それでも変化したアフリカを発見し、視点を変えて希望を見る。
この文学全集を順々に読んできた身としてはどうしても『アフリカの日々』を思い出す。
あちらもノンフィクション。視点は違うが、ベースは同じ。読み比べも良いでしょう。
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コユイけど、軽い。長いけど、読んでると意外と短い。
テーマのほとんどは、悲惨で無残で絶望的です。しかしなんでだろうか、カプシチンスキ氏の文体だろうか、非常に軽快で明るく感じられます。
ザンジバルのクーデター取材行、独裁者アミン、「ルワンダ講義」など白眉ですが、それよりも日々のアフリカの過酷さ、自然、風土、アフリカ人のものの考え方が、報道よりもいっそう生々しく理解できます。
アフリカに行ってみたい気にもなるし、行くたくなくなりもする本です。
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重い内容ではあるがどんよりと思いつめた雰囲気までにはならないのは、それぞれが短い章で区切られているせいか。そのせいか、で、結局どうなったんだろう、、、と思うところも多数あったのは確か。
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アフリカのルポルタージュ。これぞ傑作。読んでいて熱に浮かされるような感覚があった。アフリカ各地を訪れ住民と言葉を交わし、私では想像を絶するような体験をしてきた著者による29篇。ある部族の密かな慣習から独裁者の素顔、凄惨な内戦の解説まで。アフリカをもっと知りたい、世界をもっと知りたいと思った。
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ポーランド出身の世界的ジャーナリスト、リシャルト・カプシチンスキ氏による壮大なアフリカのルポルタージュ。二十九章に及ぶ短編の一つ一つは、それぞれが完結したエピソードになっており、その卓越した観察と、美しい描写は「ルポルタージュの皇帝」の名に恥じないものである。また、いくつものルポの中から全体像を浮かび上がらせ、本質を鮮やかに描き出す手法は、「文学的コラージュ」とも呼ばれおり、本作においても圧巻の完成度を誇る。
著者は、第三世界の取材を好み、それを自身の使命と感じていたそうだ。何度となく大病に見舞われながらも、精力的に現地へかけつかた胸のうちには、貧者、弱者といった光の当たる場所から閉め出された人の声を届けたいという強い思いがあったという。その思いは、ルポを生み出す著者の目線にも顕著に表れている。一切の既成概念を取っ払い、己の傾聴、観察のみに忠実であったその目線は、著者自身が好んで使った「文化の翻訳」という概念に結実している。おそらく彼は、アフリカの貧しさの中に、自分たちの心の貧しさを見ていたに違いない。
◆本書で紹介されている「文化の翻訳」
・時間の観念
アフリカのある村で集会が開かれると聞き、その場所に行ったが、人っ子ひとりいない。「集会はいつですか」と聞くと「みんなが集まったときですよ」と回答が返ってくる。彼らにとって時間とは、緩やかで、オープンで、弾力性のある、主観的なカテゴリーである。一方で、ヨーロッパ人にとって時間とは、絶対的で、真実で、いかなる客体とも無関係なニュートン流なのである。すなわち時間の奴隷であり、時間に従属し、時間の家来なのである。
・神聖なる象
その昔、ポルトガル人がやってきて象牙の買い付けを始めたとき、死んだ象を見つけて取るから、象の墓を教えてくれと言った。しかし、アフリカ人は決してそれを教えずに秘密にしてきた。象は自分で死期を悟ると、沼や池に自ら入っていき、永遠に水底へと消える。アフリカ人にとって象は神聖な生き物なのである。
・批判能力
ヨーロッパの文化が他の文化と違うのは批判能力、なかでも自己を批判的に見る能力があるというところだ。対して、他の文化では、自己を美化し、自分たちのものはなにもかもすばらしいと考える傾向がある。アフリカもまた、不可侵の無批判性を持つのか?アフリカ人はそれを考え始めている。なぜ大陸対抗レースでビリを走っているのかの答えを求めて。
・多様性
ヨーロッパの植民地主義者がアフリカを分割した、と一般に言われている。しかしアフリカ側の視点でモノを見ると逆になる。「分割?あれは兵火と殺戮によって行われた野蛮な統合だ。数万あったものがたったの五十に減らされたのだから」。アフリカの本質とは無限の多様性なのである。
なお、本書の素晴らしさを語るにあたって、翻訳のレベルの高さに触れないわけにはいかない。「文化の翻訳」を、さらに言語で翻訳しているにもかかわらず、全く臨場感を損なっておらず、文字が目に染み込むように入ってくる。本書の完成度に翻訳者の方の知識、技量が大きく寄与していることは疑い���余地がない。
エジプトやチュニジアに始まった情報革命の波は、やがてアフリカ全域に広がり、アフリカ社会の均質化を産むことにつながっていくかもしれない。そこに何とも言えぬ寂しさを感じ、アフリカの多様性をいつまでも保持してほしいと思うのは、西欧的で傲慢な視点なのであろうか。
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異文化に対して真摯に向き合うジャーナリストのアフリカルポ集。アフリカという多様性に満ちた世界をより深く理解する手助けになる良書。アフリカの紛争や貧困といった暗い側面-これは事実存在する-を持つもののそれ以上に魅力的な精神世界、文化、多様性を持つ事を改めて気づかされる。
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カプシチンスキが昔からやけに好きで、「皇帝ハイレ・セラシエ」を高校生のころに読んでやけに壺にはまった覚えがある。大学生のころにサッカー戦争を読んだのかな。
その後、帝国も読んだが、こっちはあまり分からなかった。今読めば違うかもしれない。
自分でもマイナーな作家が好きなものだと思っていたけど、海外では有名なことも知っていた。だから知らないだけでもっと訳書が出ていると思っていたが、実はこれで全部らしい。
つまり日本ではマイナーなわけで、それを、知らず知らずのうちに出版直後ぐらいに全部読んでいて、はまりすぎて、「ポーランド語は無理だけど、英語で全集はあるらしいから、英語で読んだろか」と思わせたわけだ。
この人のどこにそれだけ惹かれたのかは分からないが、とにかく本との出会いというのは、それだけの力があるのだろう。
この「黒檀」も出たばかりの本である。なにもウォッチしていたわけではない。twitter(そんなに数多くフォローしているわけではない)にたまたま情報が流れてきた。
人と本の縁は本当に奇なるものだ。
読んで満足。やはり面白い。
正直言うと、ちょっとヨーロッパ中心主義的な感じがする。「混沌の大地アフリカ」じゃないんじゃないか。
だけどやはり面白い。
ちょうどこの本の前に読んだ「ブルーセーター」も、ルワンダ虐殺がポイントになっているが、カプシチンスキの描く「ルワンダ講義」は全然違う。同じものを書いているとは思えない。そしてどっちに軍配が上がるかは明白だ。これとくらべたら、ブルーセーターは、小学生の作文みたいなものだ。
あと、「オニチャの大穴」は面白いな。
カプシチンスキがノーベル文学賞の候補になって、ノンフィクションだから紛糾して、というのも分かる気がする。これは文学だ。
この本は1958年のガーナから筆を起こす。
独立期、冷戦期、そして現在。それぞれを同じ筆致で書きだす。半世紀にわたるダイナミックな歴史と社会の変化に惑わされずに同じように描いて見せて、そのくせ「マダム・デュフ、バマコに帰る」で、どうでもいいような市井のおばちゃんの記述で歴史的構造変化を描いて見せる。
文句もあるが、やはり読んで打ちふるえる。一言でいうと、惚れたんだろうな。
やはり英語で頑張って読んでみるか… って無理だろうけど。
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アフリカの現在の状態ーーー貧困や飢餓が何を発端にしているか、ーーー単純に政情不安・内乱と言ってしまえば簡単だが、そうなる背景にあるもの、人々の宗教観や氏族の結びつき、そして過去の奴隷制度が及ぼした影響が現在のアフリカを作っているのが理解できる。
この先アフリカの行く末が著者の考えるとおり、ようやくアフリカがアフリカ人の手に戻ろうとしているとは思えない。
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この本に書かれている内容は決して新しいことではないのだが、カプシチンスキのフィルターを通すと新しく生まれ変わり、普遍的なものとなる。英訳で読んだのだが、とてもよかったので邦訳で読み直した。
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読みながら、たびたび思い出したのは長田弘氏の詩だった。思索的でありながら、索漠とした散文ではない、詩心を感じさせてくれる文章なのだ。解説の中でカプシチンスキがほんとうに詩人だったことを知り、納得した。これは詩人の筆になるアフリカ大陸に住む人々に関する優れたルポルタージュであり、エッセイであり、紀行である。ノーベル文学賞候補に挙げられながら、ノンフィクションであることを理由に受賞を逸したという話が伝わるが、おかしな話だ。事実に基づいて書かれようが、一人の人間の眼や耳を通って入ってきた情報を同じ人物が頭や心を働かせて言葉にすれば、そこに現れるのは最早ただの事実の記録ではなく、ひとつの作品である。そういう意味で、これはりっぱな文学作品といえる。それも折り紙つきの。
ルポルタージュといえば、理不尽な状況下にある国家に潜入し、飢餓や差別、貧困にあえぐ住民の姿を記者が報告するといった態のものが多いが、そこには西欧的、人道的な視点から見た独裁政権に対する批判がつきもので、高所から義憤をもらすといった一種のお定まりのスタイルに落ち着きがちだ。記者の側も自分の身の安全を顧みず、危険な場所で記事を書くわけで、高揚感がつきまとうのも無理はない。
『黒檀』の凄いところは、そういった説教臭さや上から目線があまり感じられないところにある。はじめのうちこそ、政治家、高官へのインタビューが混じるが、次第に視線はもっと身近な場所、近くにいる人々にそそがれるようになる。それは、乗せてもらったトラックの運転手や、知り合いになった現地人から、彼らを通じてその家族、氏族、部族の長といったアフリカの内部というか深奥部にいる人々につながってゆく。われわれ外部の者が、アフリカと聞いて思いつくのは、新聞等で見聞きした内戦や飢餓の話題である。そこには原因とされる何かがあり、それを解明し、対策が立てられれば、一件落着。興味関心は別の事件に移る。
カプシチンスキに非凡なところは、単身その現場に乗り込み、白人が住む町ではなく、現地の人が暮らすゲットーを根城に、自分の体で現場を知ろうとするところにある。亀ほどの大きさのゴキブリが密集し、ゴソゴソと動き回る部屋ではさすがに寝られず、部屋の外で朝を迎えるが。アフリカの動物で何が一番怖いかといえば、ライオンでも象でもない。それは蚊だ。マラリアに侵され、結核になり、それでも帰国すれば二度と戻れないからと、現地にとどまり、治療を受けつつ記事を書く毎日。
それでも、町にいる場合はまだ安全だ。車を駆り、砂漠に出たり、徒歩で移動したりする旅の苛酷さは、いつも死と隣りあわせだ。クーデターの渦中にある国に入国し、そこから出るまでの経緯を書いた「ザンジバル」篇などは冒険小説そこのけである。それだけ、危険な目に遭いながらも、その筆にはどこか突き抜けたような澄明さがあるのがカプシチンスキの書くものの魅力なのだが、それはどこから来るのだろうか。考えてみれば、危地を脱したものでないと、その記録はかけないわけで、どうにか生き延びたという安心感の裏打ちがあっての文章の明るさなのかもしれない。
全二十九編��どれもそう長いものではない。出来事のすべてが記録されているわけでもない。いわば、その「切り取り」の上手さが命の文章である。だらだらとした長い文章ほど読者を疲れさせるものはない。カプシチンスキのそれはまさにその逆をいく。自分が感銘を受けた人物なり部族なりを追いかけ、その核心部を突く。そこには、彼ら西欧人の理解を超える生き方や、考え方、信仰心、生活の流儀がある。彼らと同じものを食べ、同じ道を歩ききったものにしか知ることのできないものが。その内奥に触れることで西欧人であることの意味などは簡単に覆されてしまう。ここには、西欧的な思考にない時間や空間、人間観が詰まっている。
アフリカには定規で線を引いたような国境線で分割された国があるが、それに何ほどの意味があるのか。旧宗主国による勝手な線引きをこえたものとして部族がある。ルワンダ内戦におけるツチ族とフツ族による虐殺について、新聞等で読んではいたが、カースト制にも似た差別構造や隣国との関係など、これを読んではじめて知ったことは数知れない。アフリカのことが書かれているのだが、読んでいて、これは今のこの国のことではないか、と何度も考えさせられた。たとえば、次のようなところ。ヨーロッパ文化にあって、アフリカにないものを「批判能力」だと言いつつこう書いている。
「概して他の文化にはこの批判精神はない。それどころか、自己を美化し、自分たちのものはなにもかもすばらしいと考える傾向がある。つまり自己に対して無批判なのである。あらゆる悪いことは、自分たち以外のもの、他の勢力(陰謀、外国の手先、さまざまな形での外国による支配)のせいにする。自分たちへの苦言はすべて、悪意ある攻撃や偏見や人種差別だと見なす。こうした文化の代表者たちは、批判されると、それを個人への侮辱であり愚弄でありいたぶりでさえあるとして、憤慨する。(略)自己を批判的に見る精神の代わりに、悪意、歪んだコンプレックス、妬みや苛立ち、不平不満や被害妄想でいっぱいだ。結果、彼らは、恒常的・構造的な文化上の特性として、進歩する能力に欠け、自らの内に変化と発展への意志を創り出す力を持たない。」
これはアフリカ人のことだろうか。私には現今の日本を支配する人々を指している文章としか読めない。
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ルポルタージュ文学の第一人者カプシチンスキが、その人生の大半をかけて足繁く訪れたアフリカ。その昔と今を伝えた記録。
全29章どこから読んでも前のめりになる面白さです。1つ1つの章は独立し短いものですが、エピソードを読み進めていくとアフリカ全土としての姿や歴史、課題が浮き彫りになっていきます。
地域柄かおのずと自然を表現する描写が多く描かれています。本作のなかでも特に評価の高い『ルワンダ講義』の章では、1950年代のツチとフツの殺戮の歴史に触れています。少ないページ数で歴史を的確に捉えた構成も素晴らしいのですが、最も印象に残るのはルワンダの広大な自然の美しさを伝える描写です。
「目の前に、高いけれどけっしてけわしくない山々の広がりが、果てしなく続いています。曙光のなか、山は翡翠色、菫色、緑、と千変万化します。(中略)ルワンダの山は暖かさと優しさを振り撒き、その美と静観、クリスタルガラスのように澄みきった空気、なだらかな稜線と見事な形でぼくらを魅了します。早朝の緑の谷は、透明な霧で満たされます。あたかも、陽光に輝く明るくて軽やかなレースのカーテンのよう。透かして見ると、ユーカリの木々やバナナの林、そして畑で働く人々が見えます。」(P201)
自身の目で見たそのままを伝えようとしたカプシチンスキの表現には余計な肉付けがありません。アフリカを訪れた経験のない私でもその景色がイメージしやすく、そこで生きる人々の日常に触れることができました。
そんな穏やかな自然に反し、治安面では街中でとつぜん銃声が鳴り響き、悲鳴があがる瞬間も。待ち伏せ攻撃(アンブッシュ)に逢った描写では、死が目の前に迫る緊張感が十分すぎるほど伝わってきます。秩序も統制も及ばない地域。そういった場所が存在し、自身もその被害者となる可能性があるという現実を知ることとなります。
著者であるカプシチンスキは、生涯で銃撃されること4度、戦争の最前線に立つこと12回、革命・クーデターの目撃証人となること27回、死にかけたことは数知れずという常人離れの経歴を持ちながらも74年の人生を往生したというあっぱれな方。人生を注ぐ仕事に巡り合い、理解ある奥様にも恵まれ、ジャーナリストのみならず多分野で才能を発揮し死ぬまで世界を飛び回っていたというのだから見事の一言です。
著者を「カプさん」と呼び盟友でもあった工藤幸雄氏の訳は素晴らしいし、翻訳本を手に取ることができるのが有難い。池澤夏樹氏による月報もとても良かったのでぜひ。
いつか文庫版が刊行される日を期待しています。
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世界の小説を読む第15冊目ポーランド
「黒檀」リシャルト・カプシチンスキ
久々のルポ。ネットで見た評判に違わず、非常に面白かった。動乱の1960年代のアフリカ諸国を中心に、記者として活躍した作者のエピソードをまとめた一冊。歴史の転換点とも言える様々なシーンをしっかり切り取れているのは、自分の命をどうとも思わぬ放胆さがあったからだろうか。こういう生き方をしてみたい。皆が言っている事だが、外国人がアフリカの実情を描く作品には珍しく、優越感に根差した穿った見方をするでも、変な同情心を抱く訳でもなく、ただただ冷静に現場を写実的に描写している姿勢に好感を持てた。
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十数ページほどの短いルポルタージュが二十九編収められている。基本的には一話完結なので、好きな時に好きなところから読み始められます。著者はジャーナリスト(ポーランドの通信社からアフリカに派遣された特派員)で詩人。
アフリカの厳しい自然、貧しい人々の暮らし、独自の文化、植民地支配からの解放と混乱、独裁、クーデター、部族間の争い…… それらが冷静に観察され記述されていく。そこに先入観や無用の価値判断は差し挟まない。著者自身の生死を分けるような体験(サバンナや砂漠の中の道なき道のドライブ、マラリア感染、ザンジバルからのボートでの脱出など)について語るときでさえ、淡々として客観的です。
そして文章が読みやすく新鮮で美しい。常套句(クリシェ)はひとつも使われていない。情景描写のための言葉の選び方が特に素晴らしく、文字を読めば心のスクリーンに映像が浮かびます。
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アフリカを行ったり来たり、死にかけたり生き延びたり。
これ以上はないと言える。
ルポタージュの代表的な作家らしい。
誰にでも勧めたい、