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たくさんの神社をめぐり、古代朝鮮との関係を探る本。
この本にある通り、古代の朝鮮半島から渡来人を通していろいろな技術や文化も伝わってきたのは事実でしょう。ただし、伝わってきた神もあるでしょうし、もともと日本にあったものが元になった神もあると思います。それらの神を日本に合う形にして、これまで現在の神道として残してきたのは日本人です。
もともと、バラバラの地域地域にあった氏神を統一していったのが今の形でしょうし、全部が全部朝鮮ゆかりというのは納得出来ないなあと思いました。
(以上、ブログ全文です。)
ブログはこちら。
http://blog.livedoor.jp/oda1979/archives/4601391.html
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日本の神社や韓国の歴史,地名(場所)などの〈前提となる知識〉がない私には,辞典やネット検索をしながらの読書となりました。
そもそも,こういう本を手に取る人は,そういう前提知識があると思われているのでしょうが,そうじゃない人もいるので,もう少し丁寧に解説してほしかったです。
ふりがながもっとたくさんほしいしね。
それでも,日本独自と言われている(一般的に,思われている)神社が,元をたどれば新羅や伽耶ではないか,という指摘は,とても刺激的でした。
記紀や風土記の記述も…難解ですが…十分,論拠を示してくれているようで,おもしろかったです。
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岡谷公二『神社の起源と古代朝鮮』平凡社新書、読了。神社は果たして日本固有の存在か? 本書は神社信仰の成立に古代朝鮮(新羅)の影響があるとして、日本各地から韓国まで歩いてその起源を探る試み。渡来人の神社は珍しくない。しかし日本文化の影響から神社化されたのではなくその逆だと著者は見る。
神社信仰の原型を自然に対する畏敬と捉えれば、その原初的な姿は、三輪神社をはじめ済州島やかつての新羅(韓国慶州)に見い出すことができる。著者の探求の旅はその消息を明らかにする。神社信仰の形式は新羅系渡来人によって伝えられたと読み解く。
著者の考察の真偽論よりも「起源」をめぐる「神話」創造が極めてアクチュアルなものとして立ち上がる。百済間新羅の政治性と発祥独自論は容易にねつ造へと傾くであろう。仏教正伝以前の新羅系弥勒信仰の原初的渡来など、本書の考察はスリリング。
岡谷公二さん「神社の起源と古代朝鮮」:読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20140106-OYT8T00662.htm?from=tw 「社殿を造るといった『人工的なさかしらさ』を嫌い、清らかな森で神を迎えたり、森そのものを神体としたりする信仰が朝鮮半島に存在し、それが新羅系渡来人によって日本に広く伝えられた」のでは。
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滋賀・福井方面を訪ねていると、どうしても渡来人のことが気になります。謎の多い継体天皇や応神天皇のゆかりが深い地です。本書は、現地に足を運びながら書かれていて、「街道をゆく」風で、読みやすいものです。古代史の全容を知るためにも、避けず掘り下げて欲しいテーマです。