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凝りもせずに下手くそな小説を書いている者ですが、参考になればと購入しました。
参考になればどころじゃない、創作の実践に役立つ情報がてんこ盛りでした。
座右の書にしたいくらい。
いや、します。絶対に。
まず、冒頭部分の次の行に打ちのめされました。
「小説を書くとは、もはや無頼の世界に踏み込むことであり、良識を拒否することでもある」
作家の覚悟を示したものでしょう。
まったく痺れます。
小説家はまったき単独者でなければいけません。
良識も疑ってかからねばなりません。
疑ってかからねばなりません、というか、自分の場合はそもそも良識を疑うようなひねくれた人間だから、小説を書いているわけです。
本書は小説作法について書かれた本で、広義には「文章読本」というジャンルに属するものと言えます。
私もこの種の本は過去7冊くらい読みました。
どれも役に立ったと記憶(錯覚?)していますが、本書はそうしたジャンルの本の中でひときわ異彩を放っていると言えましょう。
単に創作の具体的な手法を指南しているわけではないからです。
だって第1の項目に挙げているのが、「凄味」ですよ。それから「色気」「揺蕩」と続きます。
さすが筒井先生、一筋縄ではいきません。
もちろん、創作の手法についても豊富な事例を引きながら教えてくれています。
小説を書く者なら誰でも一度は頭を抱える「視点」の問題とか、文体、会話、展開などについても解説しており、どれも参考になります。
私は気に入った記述のあるページの隅っこを折る癖がありますが、ほとんど全ページ折ってしまいました(笑)。
小説って本当に面白い。
心の底からそう感じさせる一冊。
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p.248「妄想」
妄想が軽蔑されるのは、多くの人が自身の妄想を顧みて自分で恥ずかしくなるからだ。最初に述べたさまざまな想像とこの妄想の異なるところは、たいてい人に言えば笑われてしまうような「くだらない」「馬鹿馬鹿しい」「いじましい」「子供っぽい」「けち臭い」「いやらしい」そしてある時には「おぞましい」「忌まわしい」内容だからであろう。だがいい小説を書きたいと願う者にとって妄想は必ずしもそうではない。妄想が頭に浮かんだ時たいていの人はこれを否定的に考える。そして忘却の彼方へ置去りにしようとする。これはつまり「こんなことはいい大人の考えることではない」「社会人がこんなことを考えては恥ずかしい」「自分はもっと高尚な人間なのだ」「人に言えないようなことを考えてはいけない」などの自戒によるものだが、文士はそのような束縛からは無縁である筈なのであり、子供っぽさも必要だし反社会性も必要、低劣さも必要、恥をかくことだって必要なのである。だからこそ、脳内に浮かんだ妄想を捨て去ろうとせず、この妄想の正体は何か何処までも追及し、この妄想の根源まで行き着きたいと追求し、もっと面白いことが考えられる筈だととことん追究するべきなのだ。
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店頭で著者サイン入り本を見かけて購入。長らく本棚に置いてあったけど、もっと早く読むべきだった。時々、読み返そう。
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作家を目指す人向けに書かれた本という体だけれど、筒井康隆ワールドがどうやって作られているのかが分かる本。
小説の読み方も変わるかもしれない。
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エッセイだから、小説を書こう・楽しく読もうと思って読むなら、本人も何度も引用していた、『小説の技巧』のほうが参考になると思う。
けれど、さらっと楽しく読むならこっちかも。
というか、筒井康隆さんの本って父がたくさん持っていたけれど、私は一度も読んだことがない…。
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作家歴60年のプロの作家に向けた遺言?いくつもの項目で語られ、関連する作品や作家が引き合いにだされるので、未読の本や作家が気になりました。展開の章では、島田雅彦「未確認飛行物体」が芥川賞の選に漏れたときの大江健三郎氏との選考過程でのやりとりなどが綴られ興味深かったです。反復の章では、自身のダンシング・ヴァニティが語られます。
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手を伸ばして届くところにこの本を置いておこうと思っています。守り本尊って感じで。
――町田康(52歳男・作家)
さっそく、行き詰っていた短篇の突破口が見えました。
――伊坂幸太郎(42歳男・作家)
これは作家としての遺言である――。『文学部唯野教授』実践篇。
まえがきからして、所謂巷の「小説作法」読本と異なることが書かれている。
作家としての遺言であり、エッセイでもある。気軽に読んで、と。
どの項目においても、関連する書籍や文章が紹介されており著者の見識の幅広さがうかがえる。
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唸ったり頷いたり呻いたりしながら読んでました。物書きをする人ももちろんですが、小説好きの人と筒井御大のファンの人はとても面白く読めそうです。小説ってすごい……、文章だけでこんなにも色んな表現を試した人がたくさんいたんだ……、と無知に打ちのめされながらも圧倒されました。読みたい本がまたたくさん増えてしまった。もっと色々読んで勉強せねばなぁ。
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筒井康隆の自称エッセイ集。さまざまなキーワードから小説の書き方についてゆるーく書いてある体だけれど、読み方指南としても読めた。さまざまな方向からの示唆に富んでいて、なるほどこういう読み方もあるかと膝を打つことも多々ありました。
序言ののっけから「この文章は謂わば筆者の、作家としての遺言である」という言葉が頭にこびりついてしまったため、気軽に楽しむというより、一字一句を記憶に焼きつけるような読み方におのずとなってしまった。御大には多大なる影響を受けているので、そういう読み方になってしまった。けれども、この作品にも伺える旺盛なる実験精神のもと、これからもいくつもの作品を生み出してほしいと願っている。
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著者が遺言と称する小説作法指南ではあるが、物事の着想・表現などにもとても刺激的なヒントになりそうな一冊、筒井康隆氏79歳まだまだ元気です。
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さすが筒井康隆、ぶっ飛んでしまうような凄い本である。
目次を見ると
凄味、色気、揺蕩、破綻、会話、語尾、異化、羅列などなど
31項目続く
序言では「この文章は謂わば筆者の、作家としての遺言である。」という言葉から始まる。
対象は「プロの作家になろうとしている人、そしてプロの作家すべて」という。
電話の話し言葉だけの小説
モノが延々と羅列されているだけの小説
作品の破綻にもいろいろあるのだ。ストーリーの破綻。首尾結構の破綻。中断。結末の破綻。
ヘミングウェイをはじめ、大江健三郎、丸谷才一・・・古今東西の小説、小説家を例に引いて解説している。
目からうろこ状態になる。へえ、小説ってのはこういうものだったんだと。
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筒井さんの作品は以前はよく読みました。最近は読んでないなぁ。
Booklogに読んだ本にはレビュー・感想掲載しているので、本の見方が変わるかもと思い手にとった本作です。
内容は読者に作家・作家志望者を想定してかかれたものです。
「凄み」「色気」「迫力」など心に迫る”何か”が感じられるか、読み手にとっても視点を与えてくれます。
また、「展開」「会話」「羅列」「語尾」などは、テクニークとしての視点を与えてくれました。
本読んで、これは面白いなと思うことは多々ありますが、どうして自分が面白いと感じたのかを表現するのは大変難しいです。これは音楽や映画でも共通します。こうゆう部分を鍛えたく本書を読んでみたのですが、効果はすぐにはわかりません。読んだだけでなく、実践でふと書いてあったことを思い出したときに、理解した、成長したとなるのでしょう。
テーマごとに理解できる、できない。納得できる、できない。読みやすい、読みにくいの振幅の大きい内容(書き方)だと感じました。
でも、なぜそう感じるのかが分析できないんだな、これが。
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序言、凄味、色気、揺蕩、破綻、濫觴、表題、迫力、展開、会話、語尾、省略、遅延、実験、意識、異化、薬物、逸脱、品格、電話、羅列、形容、細部、蘊蓄、連作、文体、人物、視点、妄想、諧謔、反復、幸福
目次を書き写し思い出すだけでもいい気分になれるほど、語り口にやられる。
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筒井康隆氏による創作エッセイ。軽くさらりと読み流せるものだと思い手にしてのだが、冒頭「作家としての遺言」とあり襟を正しながらページをめくった。本文中に出てくる小島信夫と中上建次のエピソードにはにやっとさせられたり、筒井氏のファンと公言されている岸本佐知子、その岸本押しの本谷有希子の名前をあげられ私までもがときめいてしまった。また自分でも挑戦してみたい課題が見つかったのも大きな収穫。氏の創作論になるほどと思ったり、頷いたり、と大変参考になった。その一方、読みたい本や観たい映画が増えてしまい困ったけど。
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筒井さんはよく勉強しているなあと感心する。理論や他の作家の作品を広くよく読んで、かつ自身の創作や評論に活かしている。
この本を読みながら昔読んだ作品を読み返してみると、また違った面白さが得られるだろう。楽しみ。