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常にとても丁寧な言葉を書く著者が、文字を題材に綴るエッセイ。滋味掬すべし。著書を読む度、日本という国が持っていた美しい部分の名残を感じる。
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さらさらっと読むと、
時々頭に入ってこないところがあるけれど、
この文章が好き
リズムや言葉遣いが気に入っている
小説とはちがって、
勝手な想像だけど、
石田さんのお人柄を感じる気がする
読むとほっとするので、
おやすみ前に毎日少しずつ読んだ
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『あたらしく生まれたことば、外国のことば。あふれかえり、出むかえの場にあらわれる。ただしく読み、書いて覚える。けれども声に出し、まる飲みするとき、カタカナが背負いつづける景色を、死んでしまった星ほどにと思い出さない』ー『レストラーソ』
石田千の視線は遠くに向けられることがない。遠くを思うのはいつも決まって心のまなざし。目の前に見えているものは、いつもほんの少しピンぼけ。足下の小さなものたちに向ける視線は、たおやかで確かなものだけれど、すぐにもとの場所に戻ろうとする。内省はいつまにか、穏やかな憤りとなったり、堪えた後の悲哀となったり、自分の感情の起伏の描写となる。見えているものは見ているもの。客観と主観は容易に入れ代わる。そのナルシシズムのような言葉の響きが、何故か心地好い。
言葉を尽くせば遠ざかり、言葉を省けば響き合う。重なり合ったと思った相手は、まぼろしのように、触れることも出来ず、すれ違う。どこまで行っても、頭の中はひとりきり。ひとりがさみしいと幾ら嘆いても、触れ合う相手がすぐそばに居ても、その事実は変えられない。そんなひとりの潔さが、幾ばくかの未練を残しつつ表現される、それが、石田千の魅力のひとつ。
『厭世隠遁を決意した西行も、死を覚悟で旅に出た芭蕉も、文字を残すことはやめられなかった。いまの世なら、むしろ雑踏のなかにこそ、孤独と静寂がある。なにが美しいか、なにが善いかは、ひとりもおなじではない。その健やかな別べつは、天からあたえられたもっとも豊かな贈りものと思う』ー『夏の手紙』
そう言い切ってみたとしても、それで心のなかが全てきれいに片づく訳でもなし。また明日になれば、人恋しくて、いそいそと夕方の湿り気の中に紛れにゆく。いつもの角を曲がりながら、見知らぬ街角に迷いこむことを、夢想して。その刹那的な生きざまの価値観を、拡大鏡でじっくり見つめれば、さっきまでのよるべなさは霧散する。その繰り返し。寂しくなって、じたばたと足掻いて、これで善いのだと達観して、その解脱したような思いを書き留める。言葉が、何かを定着してくれると信じて。でも書き留めた言葉の寿命も覚悟する。そんなひりひりとした思いを、イノセントに、だが、しなやかに辿る石田千の、不思議な艶やかさを思う。
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言葉選び、漢字かひらがなかの文字選び、言い回しにこだわり、個性が感じられる。言葉が多すぎる。読み慣れないと読みにくい。身の回りを文字視点で見渡すとおもしろそうだ。
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言葉をすごく考えている。
こんなに考えて考えて考えているひとが
いるなんて、と思った。
文字をいたわり、愛し、大事にしているのが伝わる。
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久しぶりの石田千~。
…文字と言うものに特に思い入れがないからか、そんなにあんまり…。
子供の頃から字が汚いと怒られてきましたが。
読めればいいじゃん…。