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石、っていうと、やっぱり思い浮かぶのはつげ義春「無能の人」で、河原でなんでもない石を売っている(売れないんだけど。当然)ショボクレきったおじさんの姿がどうしても頭を離れない。タマキングは、そうじゃなく、かといってもちろん値打ちもんの石でもなく、侘び寂びでもなく、自分にとっての「いい感じ」の石を探しにあちこちへ行く。
その「いい感じ」とは何かということに、ああだこうだとこだわる所がタマキングらしいわけだけど、うーん、あんまり共感は誘わないかな…。どっちかというと、登場する「愛石家」の皆さんの話が面白い。いるんだなー、石を愛する人。いろいろな石が紹介されているけれど、自然の景色のように見える「風景石」には、おーっ!と驚いた。買おうとは思わないけどね。
読み始めたときは、石っころの話で一冊分飽きずに読めるかしら?と思ったが、結構楽しめた。タマキング節全開!というのもまた読みたい。
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私も石は好きで、きっと著者の言う「いい感じの」っていう意味がなんとなくわかる。
見たり触ったり飾っておくと精神の深みが癒される感じ。
私のおなじみスポットも掲載されてて石拾い仲間が増えたらどうしょうと落ちつかない
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風景石
薬石
錦石
水石 などなど
私も宮崎海岸でヒスイではないかと拾った石を車に乗せている。家にも気に入ったなんでもない石を玄関に置いてある。
ペットが飼われる前から石は人のペットの役割を担っていたんだろうか。めでて良し、触って良し、危険な状況に陥った時は投げて良し。
でも昔の人は あんまり石を拾ってくるなとも言ってたような… なにかがやどってるとか… 確かに賽ノ河原の話もあるしなぁ…。
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困窮してる生活の為に
「石よ、金になれ!」
と、必死で川原を捜し回っても
(あ~、やっぱり。そう簡単にはね…。)
案の定、値がつかぬ石にがっくり肩を落とす
つげ義晴の『無能の人』を見て
なんともやりきれない気持になったものだ。
この本を手にした時、
(紹介されているのは、その、”やりきれない石達”なのかな…。)
と、ちょっとどきどきした。
が、その心配は無かった。
値がつく、とかつかない、じゃなく
無数の石の中から、
自分と気の合いそうな石と出会いたいな~、
という、伴侶を求める気持で石探しをする著者の元へは
たくさんの花嫁候補が(我も我も。)と、挙手をする。(笑
もしかすると、自己満足的な本なのかも知れないが、
著者のまっすぐな石への愛には大変好感が持てたし、そのコレクションもなかなかのもの。
と、同時に風景石や水石など、本当に珍しい石をも目にできて面白かった。
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ガールって年ではないけれど、にわか石ガールです
で、この「なんかいい感じの石ころ」ですが
……わかるような、わからないような
奇岩ガールの星座石はかわいい
……
探していた蛇紋岩が落ちているものだと知り、勉強になりました
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子供のころ、道ばたに落ちている石を拾って、おっ、この石なかなかイイ感じだなと心惹かれ、ポケットに入れて帰ったことはありませんか?ボクはあります。そのころの気分は、大人になったいまも心のどこかに残っていて、そこらに落ちているなんでもない石ころを集めてみようかなぁなんて、心密かにたくらんでおりました。そんな折、志を同じくするちょうどイイ感じの本があったので読んでみました。
著者もそこらにただ落ちている石ころに魅力を感じて、ただ石ころを拾うためだけに、日本各地の川や海に出かけておられます。珍しい石や、鉱石収集とかいうのではなく、器に例えるなら、柿右衛門やマイセンでなく、普段使いのものの中に美を見出した柳宗悦のごとく、無価値な石ころにワビサビを求めようとしておられました。んが、なんとなく踏み込んだ石の世界のようでありましたが、石はいまちょっとしたブームのようで、森ガール、山ガールならぬ、石ガールなんて女子まで存在する始末。著者は高値で売買される石にも徐々に心奪われていきます。それは、本来の道筋を逸脱し、人としての生きざまにもかかわることのように思えますが、石の世界を知れば知るほど、著者の気持ちは情けないくらいにグラグラ揺れ続けるのでありました。
そんなこんなで、ボクも本書を読んで刺激され、イイ感じの石ころがあれば、拾って集めてみようかなぁなんて思いが再びフツフツと湧き上がり、闘志に火がつきメラメラ燃え上がってしまいました。なんてたって、石ころにはロマンがありますもんネ。ところが、あらためて気づいたのですが、町中に石は落ちていないのです。道はすべてアスファルトで舗装され、川岸はコンクリートで塗り固められ、石ころがひっそり暮らす場所なんて、いつの間にか都会から消えてしまっていたのです。びっくりです。ボクがいま石ころ以外に心惹かれるものとして苔があるのですが、苔はまだ町のあちこちで見かけることがあります。しかし、石ころが落ちていないなんて・・・。ときどき駐車場に砂利が敷かれているのを目にしますが、あれはあくまで砂利であって、石ころとは区別したいところです。砂利にロマンは感じられません。やっぱ、イイ感じの石ころを拾い集めるには、山や川、海辺を探索しなければならないのかなぁ。都会の石ころに明日はなさそうなので、また山歩きを再開するとしよう。山に行けば川もある。山も川もあるということは、山ガールもいれば、石ガールもいるかもしれない。なんだかロマンの気配がする・・・かも。
べそかきアルルカンの詩的日常
http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2
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だいたい共感できないことが多い宮田さんの好きなこと中では石拾いは楽しそうだなーって思った。
私なら文鎮に使えるような黒くて丸いすべすべした石を選ぶと思う。
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たしかツイッターでこの本を知った。
いつからか海や川で「お」と思う石を拾ってきていたので、共感することが多く、軽妙な文体にニヤニヤしながらどんどん読み進めてしまった。わたしはまだついで拾いの域だけど、石がために出かける日も、そう遠くはなさそう。
個人的には、巨石好きとプログレ愛好家の相関関係に興味津々。ロジャー・ディーンの手がけたジャケには確かに石が多いような…。
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宮田珠己さんの名前をよく見かけるようになり、以前から見かけてタイトルが気になっていた本書を手に取る。
まず驚いたのは、宮田さんが男性だったこと。
名前からずっと女性だと思っていた…!
そして本書は、タイトル通り、日本各地でひたすらいい感じの石を拾いに行った記録や、石拾いの先達者への取材で占められていた。
ここも勝手に、石をテーマにしたもっと広い内容のエッセイだと思っていた。
読んでみた感想は、赤瀬川原平や、三浦じゅんぽさがあった。
サブカルで笑えるかんじ。石や旅の方向性からか、健康的な雰囲気もある。
一応石の説明などもあり、ちょこちょこ出てくるカラーの石写真が楽しい。
本書を読んで、自分は石には詳しくないけど、石拾いは実際にやったら確かに面白いだろうなあと思う。
景色のいいところで足元を見て二時間。
たまに顔を上げて景色も楽しむ。
いいなあ。
愛石という、ぞのものずばりなネーミングの雑誌の編集長さんの話、アフリカ旅行会社の社員で石好きの人の話など、石に想いをかけるいろんな立場の人の話が面白かった。
石拾いの大家?の渡辺さんへの取材にあった、石の紹介をしてもらうシーンでの、渡辺さんの
「いま一番好きな石です」とあの石を見せる時の言葉が印象的だった。
いま、いちばん、すきな、いし…。
こんな言葉をいつか自分の口から発声することはあるだろうか。面白い言葉だった。
そういえば、詩人の蜂飼耳さんの初期エッセイにも石を拾って愛でて、たまに頭に置いて冷たさを楽しむ、とあったなあと思い出した。
石好きは結構いるんだな。
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まさに、いい感じの石ころを拾いに行く本。
こういうタイトルだと、エッセイ集で、そのうちの一つに石拾いがある、くらいに受け止めるかもしれないけど、違うのだ。全編、石。
石を愛でる人にもいろいろある。東京ミネラルショーなるものには昨今石ガールも来場し、石は来ている、ようにも見える。石は取引材料にもなり、売り買いもされるし、石の中にも貴賎がある、と考える人もいる。石も多様だ。こんなもの誰がほしがるんだろうか、なんて感想が飛び出ちゃったりもする。
割ったり磨いたりと、ものづくり的な石の楽しみ方もある。だが、そういうプレッシャーを受けてコレクションするよりも、まさに著者のように、何かいい感じの石ころを拾う、のが開放的で素敵だ。
とはいえ、度々出てくる石ワールドへの誘い人(というか、石マニア、石廃人?)は、やはり圧倒的に魅力的だ。
そして、著者がそこまで踏み込めない、と躊躇しながらも、徐々に石化していくさま。
読書マニアにも餌はたくさんある。「石ころかぶれ」と「太宰かぶれ」なんて見出しがあったら、読みたくなるでしょう?
石ワールドの深さも垣間見え、その考え方のどこに身を置くか、というだけでも相当に楽しい。
つげ義春の『無能の人』では、主人公が河原で拾った石をその場で売っていた。
僕はかの作品を、今で言うニート時代に噛み締めたため、石を拾う、という行為にどこか、戻るとヤバいノスタルジーを感じる。
だからかもしれないが、本書の石に対する素直さが痛烈に響く。
それは兎も角として、いい感じの石ころを拾いに。これは旅の究極ではないか。
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筆者が思う良い石かどうかという意見が終始うるさい。その人が思う良い石だったら良いじゃんと思うのだが、著者は何が良いのかさっぱりという態度をとり、理解しようとしていないのが少し腹が立った。