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表紙絵のお部屋の素敵なこと。ゲーム機いっぱい!ゲーム専用アナログテレビ!
まどかマギカ観てないので観なきゃ。赤朽葉家も読み直したい。
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若者・子どもに対する社会的な注目と非難の背景にこれからの社会を背負っていく世代としての期待からのまなざしがある。近年において、大人像を喪失したことが社会の危機意識、大人たちの危機か、若者・子どもたちへの関心が増える背景にあるのではないか。
一方で現代においては「大人になること」の難しさと同時に大人にしようとするエネルギーの増大(ex.早期教育、キャリア教育)が見て取れる。成長が進行する世界は引き伸ばし、しかし成長に関わる社会のシステムは短縮傾向という矛盾の中で、当事者たちはどう捉えているか。子ども・若者がつくる承認や自意識をめぐる交流=サブカルチャー世界を作る想像力に、それを理解しようとする想像力を駆使して挑んでいく試み。
目新しい感じはなかったけど、丁寧なサブカルチャー分析、という印象。
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若者論の本。表紙が10年以上前のゲーム機(ゲームキューブ、ドリームキャスト、PS2、ゲームボーイ、ワンダースワン)ばかりが並んでいるのだけど、どういう意図でこういう表紙になったのだろう。最近の若者について書くのであれば、最新のゲーム機を描くほうがあってると思うのだけど。
ところで、近年の子どもの学力は保護者、特に母親の最終学歴が大きく関わってるらしい。もちろん、母親の学歴が高ければ子どもの学力も高いのだろうけど、これ見て結婚するなら学歴が高い人がいいと思った自分(現実は、彼女すらできたことがないわけですが・・・)。
ところで、小中高生の大規模調査のデータにたいして、『サンプル数が多すぎて解析結果の妥当性がやや弱い』と書いてあるのはよく分からなかった。少ないならともかく、多すぎてなぜダメなんだろう? これが分からなかった。
後、大学の講義をしている時に最前列に座ってる学生が「二次元に行きたい」とつぶやいたという話。いったいどんな講義だったんだ・・・。
それと、『ニ・五次元』について、『マンガ原作の舞台化作品などを指すことが多い』と記述しているのだけれども、そうなのか? 2.5次元というと自分はフィギュアとか3Dモデルのキャラクター(アイマスとか)というイメージがあるのだけど。まだそれならドラマ化のほうが2.5次元っぽいような気もするけど・・・。舞台化ってほとんど3次元じゃないか?
他にも、『伝説の戦士であるプリキュア(伝説の戦士)』という記述もよく分からなかった。あれか、大事なことなので二回言いました的な。プリキュアは見たことないからよく分からないのだけれども。
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テーマが関心領域にどんぴしゃだったものの
読みづらさが半端なかった。。
まわりくどいというか、やたらな難解な表現というか。
自分の脳みその回転数の低さをただただ感じる。
若者にとってのキャラ、他人志向型、拡張する人間関係、
あたりがそれでも学びになったキーワードでしょうか。
サブカルチャーを絡めた分析は、新鮮で身近に感じられました。
まとめると)
現在の子ども若者たちの世界は「大きな物語」が消失し、「小さな物語」だけが残った世界。彼らを理解するには、自足的で自閉的な「半径1メートルの想像力」で起きていることをまるごと見通す想像力が問われる。
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2014年7月初版
山崎鎮親 著
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サブカルや現代コンテンツと若者のかかわり合い、そこから見えてくる日々の営みから展開された若者論。
現在の子ども若者たちの世界は「大きな物語」が消失し、「小さな物語」だけが残った世界。彼らを理解するには、自足的で自閉的な「半径1メートルの想像力」で起きていることをまるごと見通す想像力が問われると。
スマホに対しては「依存」なのではなく、若者にとっての”身体の拡張”なので、電波がつながらない=体の不調なのだ、という荻上チキさんのスマホ依存論が腹オチ。
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若者たちが紡ぎだす関係の世界は、承認を求める世界でもあり、彼らのアイデンティティが賭けられる世界でもある。友達をめぐる問いは自分の承認の物語でもある。「半径1メートルの想像力」とは、若者たちのギリギリの状況の中で生み出される虚構構築の企てを意味している。虚構が現実を切り拓くその可能性を探っていく。
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キャラのあたりからキャラクターがキャラ化されどうのこうのと、頭がこんがらがってしまった。
前何かの本で、「キャラに当てはめてしまった自己は成長しない。」というものを読んだけれど、その一歩先を行った感じ。
パフォーマーになり切れば見えてくるものもあるかもしれない。
でもそれは、「想像」の範疇を超えるものではない。
「普通」の定義が狭まるようなものの見方が瀰漫している。
そりゃ生きづらい。先が見えないのに、情報を得ることで何もかも知ったような気になる。その情報は、君の未来を切り開いてくれないのかい?何もかもを知ったような気でいるのに、先が見えないって、どういうことだい?
自分で何とかするしかないんだわ。
半径1メートルの世界の立ち位置を見つけるんじゃなくて、「見えないけれど存在する何か」に耳を傾けて、すごく先が見えなくても、少し先を見通せるだけの確信を灯りに変えて、自分の物語を紡いでいくしかないんだわ。
一人でも、平気。
だって私たちは少なくとも、「このどうしよもない孤独」を、共有している。
そう思えるような物語を、私は紡いでいきたいと、思う。
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サブカルの変化ともにそこから子ども、若者の現代像にせまっていく。キャラクター化、仮想から仮装、アバター、メタまでどう変化していくのか考えてしまった。