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一度の過ちもせずに、君は人生を終えられると思う?——米文学賞「デイビッド・グディス賞」受賞作家にして『掏摸』等が世界中で翻訳されベストセラーとなった著者が放つ至極の作品集。
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糸杉
嘔吐
三つの車両
セールス・マン
体操座り
妖怪の村
三つのボール
蛇
信者たち
晩餐は続く
A
B
二年前のこと
ちんこ連発しているものや、変態官能、戦争、真に迫った私小説など様々。
短編だと苦しくなる前にすとんと終わって良いのやら悪いのやら。
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人間がもつ多面性をえぐりだす現代アートのような短編集。
最初の短編「糸杉」はマジで傑作だと思う。抜け出せない魔力に身を任せてるのか抗ってるのか、現実と空想とどっちなのか。曖昧な別世界に行き来できるゲートとして糸杉はそこにある。
表題作の「A」の軍人が狂っていく心の描写は、ジェノサイドの史実を渦中から正面切って捉えている。なんというリアリティー。
他にも官能的なやつや、かなり下衆いものまで。人間の暗部をテンポよく書き切る才能に、またしても呆然とさせられるのであった。
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「A」というのは表題作ではあるが、タイトルをAにしたのはこの短編が「この本を代表しているからではない」と、書き手自身があとがきの中で言っている。
そうかもしれないが、書き手が殊更には特別な作品ではないと装っているこの「A」と、それに続く「B」こそが、この短編集を代表してはいないかもしれないが、今世界の中の、そして歴史の中を生きる作家としての書き手が、渾身の思いを込めて世に問うた問題作たるべき書、だと私は思う。
善良で臆病であったはずだったにわか下士官が、捕虜虐殺を強いられ、生還の見込みの無い絶望の果ての戦場の地獄の中で自ずから悪鬼と化していく「A」。
やはり善良なだけであったはずの従軍医師は、朝鮮人の少女が事実上騙されて慰安所に連れて来られる現実を医師として目撃する「B」。しかし、その自分もその虐げられた少女を汚すことでのみひとときの、ほんとうにひと時だけの安息を得る。なぜなら、彼自身もまた人間が味わらされてはならない絶望の地獄の底にあるのだ。
この短編の書き手は、もちろん虚構として、ということは匿名としてあの時代中国大陸や朝鮮半島に居た数十万の日本人兵士の真実を抉り記している。
今、私たち日本人は、匿名ではない日本国民として歴史認識を問われている。認識ではなく「あった事実」としては、「A」であり「B」でありは否定のし難い事実に他なるまい。AもBも全てが全ての日本兵であり、それはすべてが日本人でもある。少なくとも私はそう思いたい。そうして、外に向かって声を大にして言うことはできないが、日本人だけじゃ無い、すべての戦争が、全ての人間がAでありBなのではないのか。
だからこそこの二つの物語りは虚構であり匿名なのだ。今世界の一部から日本が問われている歴史認識問題が、匿名ではない日本国と、地獄のような戦場で死んだか、あるいは生還して過去をなかったことにしてしか生きることができなかった私たちの父たちを、死者を鞭打つがごとくに名指しで断罪するものなのならば、やはり私たちは受け入れることができない。
加害者であり敗戦国であるものの開き直りであると彼らは言うだろう。
だが、私たちは多くの被害者とともに加害者たることから逃れられなかった父たちの魂をも、悼まないではいられないのだ。
書き手の照れ隠しだろうか。
「A」という何気ないタイトルに、世界に向けた確固たる発言者であろうとする書き手の、隠された意気込みを感じるのは私だけだろうか。
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こんな訳のわからん話やエロい話ばかり集めた本を、なんでわざわざ出版したのでしょうか?
私には理解できませんでした・・・
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時間をかけて
いや、時間がかかって読みました
難解、わけわかんない
共感なし、不思議な世界
短編で終わってしまうので
何もわからないうちに終わる
どうしたらいいのだろう・・・この気持ち
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13の短篇集。
短編になると中村文則は、抽象画の画家のようになる。
《糸杉》に中に書かれている、
「一番恐ろしいのは、その糸杉の中だった。
葉の茂りの奥に、何かがある」
まさにその言葉通り、彼の書く短編は、
曖昧な色と象徴的な点の中において
輪郭は蜃気楼の様にぼやけて見えるのだが、
しかしその抽象画の奥に、何かがある。
その何かがいつも、私の命を興奮させる。
「糸杉」「嘔吐」「三つの車両」「セールス・マン」
「体操座り」「妖怪の村」「三つのボール」
「蛇」「信者たち」「晩餐は続く」「A」「B」
「二年前のこと」
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人間の色々な狂気が散りばめられ、重苦しいが印象に残る作品達。人間の本質は、極限状態では、こうなのかもしれないが…
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薄氷の上をそろそろと渡るような、ぎりぎりの線の上でとどまっている危うさに満ちた短編集だった。
「糸杉」「蛇」「信者たち」「妖怪の村」が特に好き。
「糸杉」、ゴッホの風景画は好きだけど糸杉をそういう風に鑑賞したことはなかったな。ただ、あの絵は本当に不気味。あれを思い浮かべながら読んだら本当に気味の悪い小説だと思う。
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世の不条理さと、人の理不尽さに鬱屈しながら生きる。自分の心から逃避し、醜い社会を歪めて見ることで受け入れようとする。抗わずに流されて生きる、それはそれで、いやむしろその方が辛いのかもしれない。
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作品の中で残ったことばが偶然、帯に書いてあったことばと同じだったという。そして本のタイトルの「A」に対する疑問も、あとがきにまるでわかっていたかのように書かれていて。本作は実にいろいろな中村氏の短編集。しかし、この人の作品にひかれる何かを、わたしはつかまれているんだな。
「一度の過ちもせずに、君は人生を終えられると思う?」
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気持ち悪い、狂ってる、でも、わかる。
わかるところばかりでも、わからないところばかりでもなく、狂ってるところばかりでもなく、正常なところばかりでもない。
全部狂ってるかと思いきや、その中にひとつだけ正常な部分がある。
正常な中に 異様に怪しく光る異常な部分がある。
わたしも、あなたも、あの人も、誰でも。
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「・・・憂鬱を売るの?」
「そうです。・・・僕にはそれしかないので」
売るものがなく色々なものと交換をして街を歩く
「セールス・マン」
浮気を繰り返す夫に復讐する妻の話し
「晩餐は続く」
この作品はじわじわと怖さが染みてきた。
「私はその自分の変化に自分を心地よく預けていく。」
その立場になれば誰でも
同じ思いに至ってしまうのだろうか。
読んでいて悲しくて苦しくなった「A」と「B」。
おもしろく読んだのは「妖怪の村」。
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短編集でしたが、寄せ集め?だったため、かなり中身もバラバラ。
個人的には
嘔吐
セールス・マン
信者たち
が好きでした。
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不思議な世界に連れて行ってくれる短編集。短編集ながら,どこか物語がつながっているような気がして,さくっと読める一冊。