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ちょうどタイムリーだったので映画館で見てきました。
解体がうわさされるジブリスタジオであるが、手書きの海や緑の暖かさを目にしたとき、昔も今も変わらない、宮崎監督が残したものが今もなお息づいているのだと改めて感じた。
物語の筋書きは原作となった児童文学から借りてきたとおりだと思う。ひと夏の出来事が、傷ついた子どもを癒し、新しい力を与えてくれる。
自分という存在、他人という存在に気付きはじめていくうちに、ないものを探してしまったり、わからないものを強く求めてしまったり、どうにもならないものを拒絶してしまったりという、ひととして成長をはじめるその大切な時期にあるひとを、海や緑、共に生きる人と相まって本当に美しく描き出している。
実写や文字だけではおそらくこんなに確固たる透明感を描き出せないと思う。転べば汚れるし、血もでる。海に入れば、潮で服がべたつくし、生き物のにおいだってする。文字でこうしたことを描かない場合、ことばは読むひとそれぞれに委ねられるから、この透明感が汚されてしまう。かといって実写で描かないと、嘘くささが全体を覆ってしまい、これもまた透明感が汚されてしまう。
こうした作り手の切り出す世界観がアニメだとぼやかしすぎず、描きすぎずができる。それがこの映画を支配する透明さであったり、きれいさであるのだと思う。
改めて、アニメというものが持つ力を感じた。主人公がさつきちゃんに似てるとか、さやかがどう見たってメイちゃんだとか、マーニーとアンナの言動が百合っぽいとか、そんなものはこれを映画として、ジブリのものとして語るには失礼きわまりない。ジブリはそんなところで映画をつくっていない。そして、ジブリ以外でこういうところを越えて勝負しているアニメをいまだかつて知らない。
ただ見ていて少し嫌悪したのが、いかなる家庭環境や生い立ちがあるにしろ、アンナが12歳の女性というところだ。このことについてはもっと考えてもよかったのではないか。まるで女の子の方が断然早熟、みたいなジブリの伝統のようなものを感じてしまったから。アンナの年齢はあえて示す必要があったのだろうか。必要があったとしたら、なぜ12歳にしたのか。そして、ここまできれいさ美しさが出せるなら、なぜ女の子というのを示す必要があったのか。それから、まるで木々や水に囲まれているのが自然、という考えもどうしても頂けない。ひとだって自然なのだ。自然は都会から離れたところにあるのではなく、今ここにあるのに。まるで都会から離れないと自然は見つけられないというのが、どうも違和感。