紙の本
これ一冊で充分
2017/01/14 00:22
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投稿者:四郎丸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
テーラワーダ系仏教の瞑想の方法論・指導者および団体紹介として、他に類を見ない網羅性を有しています。これを読んで、気になった団体を気軽に尋ねるとよろしい。
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季刊誌『サンガジャパン』の別冊が刊行されました。仏教瞑想の特集です。
瞑想はスポーツジムでも取り入れられており、身近に仏教を体験できるもの。
表紙は、日本にテーラワーダ仏教伝統のヴィパッサナー瞑想を広めたスマナサーラ師の横顔です。
瞑想や座禅は、日本人なら誰でもやったことのあるなじみの深いものですが、本格的な実践法についてはあまりわかりません。
ただ、日常生活の一つひとつの事柄に心をこめるという意味で、和歌、武士道、作動、能楽などの日本芸術との共通点が感じられます。
この別冊には、初心者向けの基本用語から、上級者向けのミャンマー瞑想道場の紹介まで、理論と実践を織り交ぜた情報が幅広く掲載されています。
普段、個人で行う瞑想は「精神集中→心を落ち着ける→リラックスする」というところで終わりがちですが、仏教瞑想は、リラックスした状態でさらに「物事のありのままを洞察する→思い込みを手放す→真実を受容する」という境地を目指すもの。
日本では、瞑想といえば仏教が連想されますが、ほかの宗教でもそれに近いものはあり、イスラームのスーフィズムでも、トルコのメヴレヴィー教団の旋回瞑想が知られています。
宗教の違いがあっても共有しているものが、祈りや瞑想だと言えます。
また、西洋仏教の中では、仏教瞑想はマインドフルネスとして、医療現場にも受け入れられています。
マインドフルネスという概念は英語圏から出たものかと思いきや、ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン師が広めた言葉だとか。
哲学だけでなく、心理学や医学にも近い領域となっています。
仏教で目指すべき悟りとは、感覚に対しての執着を捨てること。
病気の苦しみにもとらわれずにいることです。
よほど修行を積まない限り、病魔に冒されていてもクールでいられる人は少ないと思いますが、仏教にはほかの宗教のように、病気を治すという話がないのだそう。
治したところで結局は死んでしまう有限の私たちなので、病気を治すことに意味はないとのこと。
病気にこだわらないことが仏教の教えとなっています。
悲しみを嫌だと思う感覚は怒りとなり、楽しみを心地よいと思う感覚は欲となるとのこと。
そのような無情の感覚に引っかかってはいけないと説きます。
ブッダが唯一アドバイスをした「心を清らかにすること」が、すなわち悟りを意味します。
無心でいることはとても難しいものですが、逆に現在の主流となっている「折れない心」や「ブレない自分」を求める気持ちは、仏教の観点からすると過剰なのだそう。
自分は完全ではなく、折れるものだしブレるものだという弱さを受け入れることが、生きていくうえで必要で、その理解に瞑想が適しているとのことです。
どうしても人は感情に振り回されてしまいますが、悟りきった無の境地に捉えられない以上は、その苦しみから目をそらさず、ありのままに見つめてゆくことで、真の意味で苦しみから解放されるというのが、ブッダの思想。
苦しみを見つめ、耐えてゆくことで、乗り越える強さを得られるとい��ことです。
「折れない心」を目指すことで無理を重ね、逆にポキッと折れてしまう脆さがみられる現代社会。
瞑想は、リラックスや精神集中にとどまらず、弱さを認め、苦しむ自分ととことん向き合うもの。
そう考えると、瞑想とは、実はなかなか普段は機会のない、自己との対話をするひと時なのだと思いました。
仏教瞑想の歴史的背景や現代における実践状況について、くまなく網羅された一冊です。