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読み始めが
パリ行きのファーストクラスの座席は
いつも隣を空けてもらっているのに
今回はどうしてもダメで不満という状況で
う~ん、金銭感覚の違うお金持ちの人の
贅沢な恋愛物語なの?と少し後悔しながらも
読んでいくと、いやいや、参りました
まっすぐに激しく正直に落ちていくような恋の始まり
若くはないからこそ生じるいくつかの問題と
いつの間にか身に付いている性(サガ)と原因
70を過ぎた笙子の素直でいて賢い気持ちの模様
胸が痛くて、辛くて、でも幸せで複雑
最後は、いつの間にか涙が出ていました
小説なんだけど、小説とは思えない、思いたくない
素敵な大人の恋愛でした
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70歳の女と60歳間近の男による恋愛譚。主人公たち、特に男性のキャラに現実味を感じられなかったのだが、ハイソである種のファンタジー的な恋愛としては、年輩の方はこういうのに憧れるのだろうか。私的には現実味が薄く、多分まだ実感できない部分なのだろう。
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老人ホームで働く職業柄、どうしても70代にさしかかる女性の恋愛話に戸惑いを感じたのも事実。
だって現実のホームでは、おむつをしている70代の利用者は普通にいる。
その歳で恋愛? その歳で男と溶け合う?
著者本人も何かの番組で、「70歳を超えると、認知症だとか、介護だとか、ネガティブで後ろ向きな話題ばかりになるけど、そういうのはやめにして、ポジティブに前向きな話をしませんか」という想いがそこに込められていると話したそうだが、それにしても女っぷりでも体力的にも70歳とは思えぬ主人公・笙子であった。
いくつになっても男は男、女は女。
そうわかっていても、どこか嫌悪感やら羞恥心やらが働くであろうに、こうも開けっぴろげに生きれるものであろうか。
国際ジャーナリストという職業柄、舞台がパリに上海にブダペストにとそれが極当たり前に地球上にまたがることに、どこか非凡人的な背景を感じ、自然と笙子は私の頭の中で岸惠子そのものとして演じられていた。
普通の男女なら、「プラハの春」から恋は始まらない。
それでも、読み進めるうちにのめりこみ、この若くない2人の恋愛の結末が気になることもあり、ページをめくる指は止まらなかった。
70歳ならではの恋の甘み、苦み、しがらみ、痛み。
描写も美しく、選ばれた言葉も美しい。
美しすぎて、逆に「こういうのもありかな」と思ってしまった。
そして最後の最後、笙子が導いた先は、「さすがだな」と思うとともに、「理想だな」とも思う。
岸惠子の自伝ではないだろうが、80歳を超えた岸惠子の美意識なんだろうなと感じた。
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文章が読みにくいので、とても残念。
人物の魅力もあまり感じられなかった。日記から書き起こしたのかなぁって感じ。
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以前大変話題になっていて興味はあったものの、70歳台の女性と60歳台の男性の恋愛小説だと聞いて少し怯んで結局読んでいませんでした。
今回読んでみたところ「恋愛」という面ではうーんという感じでした。恋する気持ちに年齢は関係ないとは思うものの、実際にはその年齢でどうなんだろうと若干ひいてしまいます。ただ、読みながらイメージするヒロインは美しく知的で洗練された岸恵子さんなので、それならありかなとも思えます。
とはいえ、小説の中身は恋愛だけにとどまらず、国際情勢や文学、映画、そして東日本大震災にも言及していて、著者のように幅広い教養を身につけ、自分の意見をしっかりと言える人になれたらいいなと思いました。
ただ恋の相手の男性は働きすぎです。「ワークライフバランス」について少しは考えてほしいです。
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骨粗鬆症なのに…、なんということ!
高齢者に関わる仕事をしている私にとっては生々しさが強く、美しいお話とは思えなかった。
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年齢のことを云々というか、恋をするのも続けるのも、所詮は恵まれた地位とお金のある人なのかな。庶民には現実感が乏しい。
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70代でもまだ恋ができるってことがすごいなぁと、しみじみ。しかもプラトニックじゃなく。
社会的地位もある70代なら、もういまさら男と女のあれこれなんて面倒くさいって思っちゃいそうだけど、そこにあえて飛び込んでいくバイタリティ。というかやはり恋は堕ちてしまうものなのか。
10歳も下の男性に対して何の引け目も感じないところもかっこいいけど、けど、その恋の向こう側を考えると、辛いねぇ。
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「いくつになっても恋したい」「恋するパワーをもらいたい」という思いで読み始めました。
が、読んでがっかり。
主人公は、自分のことしか考えていない。
恋の相手は、これまた自分中心な男。
そこに「ワタクシ、こんなに教養高くて素敵な女性なんですのよ」というエピソードの数々が割り込んでくる。
そこには、「この年齢になって恋なんて」という逡巡はまったくない。ためらい、悩みつつも恋の引力に負け、引きずられていくさまをこそ読みたかったのに、この主人公は「私は愛されて当然」とばかりに平然としている。(70なのに!)
普通のオバサン(っていうかおばあさん)にはできない芸当でございましょう。参考にはまったくならない。(あなたの参考にしてもらおうと思って書いた本じゃございませんことよ、という声が聞こえてきそう)
さらに、相手の男にまったく共感できないので、「恋」のリアリティがまったくない。
知り合ったのがファーストクラスってことで盛り上がったんだろうけど、そのチケットも何もかもすべて「会社の経費」でしょ。
さらに有名人の彼女を見せびらかそうとしたのか、現地の支店長をデートに連れてきたあげく、彼が彼女と楽しくおしゃべりしたと言ってめちゃくちゃ不機嫌になったり。……パワハラだろ、それ。
まあ、そんなこんなで、読んでてとても疲れました。
文章自体も、視点が定まっていなくて読みづらかったです。
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島耕作の相手が年上の有名人といった感じの話。
「いい年して」と思ってしまう。私には合わない小説だ。
大反響を知らなかったし衝撃的でもない。
ラジオに著者が出ていて知ったので図書館で借りてみた。
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【secret loveただ僕と一緒に歩いて】69女と58男の限りある未来の愛の道。最後の笙子の選択は苦しいけど潔い愛し方ね。「苦しくて耐え難い焔のような恋」老年女の潤い葛藤。私もその歳になった時、抱きしめ合える人が側にいて欲しいな。我慢強い笙子の性格が自分と重なる。我慢し診察で医師が驚くようなシーンも甘え方を知らないところも。九鬼の想いの強さ、ミモザの意味、クリムトの絵画も含めた話のネタは、絵画の意味を味わいながら再度読み直したい作品。『接吻』今すぐ見たいなぁ。クリムトの描く女性美は綺麗です。黄色いミモザの花言葉=秘密の恋、友情。イタリアでは男性が日頃の感謝の気持ちを込めて、妻や恋人、身近の女性にミモザの花を贈る習慣がある。九鬼さんが何もなくなった地に黄色いミモザの花盛りを眺めた時の涙の重さがとても切ない。ちと。読み進めるのに時間がかかった。現実的にありえないシチュエーションだからか?それとも本当にあった話だからか?
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70代の女性が50代の男性を相手に、
わりなき恋に落ちる物語。
理知的で道徳的な女性でも、
わからないモノだ。
そんなことあるはずがないと思ってる人にも訪れてしまうかも…と思わされた作品。
著者の経験がチラホラと垣間見られるような筆致。
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引用されている本が同時代だったな。とはいえ、作者は私よりかなり年上だ。きっと文化圏がちかかったのでしょうね。岸恵子さん
「存在の耐え難い軽さ」クンデラ1984
「いきの「構造」」九鬼周造
ルイーズ ルイーズドヴィルモランの生涯(読んでない)
「眠れる美女」川端康成
「伊勢物語」
映画
「リリー・マルレーン」
「かくも長き不在」
「第三の男」
「虎の尾を踏む男達」
「ゾルゲ事件」
男とはきれいに別れたい、という美学に基づいてかかれているのでしょうね。