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内容については読み返してからということで。とりあえずu:sagaでアイスナインという術名を見て思いっきり吹いた事だけ記しておこう。
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ヴォネガットのすばらしいところは、読後3分間は確実に泣けるところ。知らない時代、知らない国、知らないところを旅できます。読み終えた瞬間、誰もがボコノン教徒になってしまうのもヤバイところ。
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カート・ヴォネガット・ジュニア。初めて読む作家。
架空の宗教と世界の終わりの話。結局世界は終わったのかははっきりしないけど。
面白い。これは一時期爆発的に流行ったというのも頷ける。荒唐無稽なようで実際荒唐無稽なんだけど、それとは裏腹に語り口は緻密で無駄がない。
あんまりあっさり話が進んでいくので、根っから読み飛ばす性質の私は何度か肝心な部分を見落として読み直してしまった。「あれ、いつのまに死んだの?!」みたいな。
誰かの作り出した想像の世界がこれだけすんなり飲み込めるのは何か不思議な感覚。じつは万人がそれぞれ勝手に膨らませる想像の世界って、並べてみたら驚くほど似てたりするんじゃないかしら。
そんなことをふと考える。
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学生時代にゼミの夏休みの宿題で読まされた一冊。
星新一系SFはもともと結構好きな方なので、活字アレルギーでも割と読み易くて面白かったです。
アイスナインが登場した時は、世界中が凍ってしまぅ!と本気で絶望的になりました;
読み終わる頃にはすっかりボコノン教に染まってるはず!
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冗談を言うみたいに世界が終末を向える。そんなお話。
読み終わる頃にはあなたもボコノン教の信者になっていることでしょう。
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適当に見えて、主人公とそのカラース達はしっかりばっちり世界を破滅に導いていたらしい。これはハマる訳だよ…
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これはいいなあ。
僕の中で本に当てる物差しというのは二本あって、それはつまり「面白い小説かどうか」と「良い小説かどうか」ということ。
「面白い小説かどうか」、というのはつまり物語として面白みがあるか、読み物として楽しめるか、ということ。これは単純にエンターテイメント性と言ってしまってもいいかもしれない。
それに対して「良い小説かどうか」、というのは文体・構造・意図などを通して心動かされるかどうか、ということで、あるいは世に言う「文学性」というものがこれにあたるんだろうと思う。「文学性」という言葉はどこかこそばゆく気恥ずかしいけれど。
そこでこの『猫のゆりかご』だけれど、どちらの物差しを持って読んでみても満足できる稀有な小説の一つ。翻訳もなかなか楽しい言葉選びをしていて(カート・ヴォネガットのジョーク性を汲み取ってのことだろう)、「ノーモアぬかるみ」なんて章題が飛び出してきたりする(そういえば確か初期の村上春樹はカート・ヴォネガット翻訳文体に直接的な影響を受けて『風の歌を聴け』を書いたんだったっけ)。
前々からカート・ヴォネガットは読んでみたかったものの、「ハヤカワ文庫SF」なんかに入っているのだから探し出せなかった。ハヤカワと言えばミステリやSFなんかの、読者層年齢の高い完全な娯楽小説だからまずその本棚を探してみるなんて事すらしていなかったのだ。不覚というのか何というのか。
これから他の作品もどんどん読んでいきたい。
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広島に原爆が落とされた日、アメリカの重要人物が何をしていたかを記す本「世界が終末をむかえた日」の執筆にとりかかった作家が遭遇する奇妙な事実の羅列。嘘と皮肉とたわごとからなる宗教、ボコノン教の教条を中心にして語られる、世界の終末を描いたSF作品。ボコノン教の聖典、「ボコノンの書」はこんな文章で始まる。すなわち「私がこれから語ろうとする様々な真実の事柄は、みんな真っ赤な嘘である」作中で幾度も引用されるボコノンの教義が物語の重要な根っことなるのだが、それらが全て上記のような人を食ったものばかりであり、決して明確なテーマなんぞはそこからはうかがえない。それでも本を読み終えたとき、肩の荷が降りたし、目の前が明るくなった、ボコノン教が好きになった。
人生の目的も見出せず、苦悶の中でウロウロしていることしかできない、人間存在の悲惨さが作品には描かれている。予期せず降りかかる不幸や苦難。それらに意味、意図があったのなら納得もできる。なぜ自分がこんな目にあうのか、と。旧約聖書の一遍「ヨブ記」では、神の気まぐれにより次々と苦しい試練を与えられる男ヨブのことが語られている。彼は信仰心の厚い自分が何故こんな目にあうのか、と嘆きながら悲惨な人生をおくることになる。それでも彼には神がいた。それが苦境の中での慰みになった。ひどい人生に耐えられた。では我々は?神を失ってしまった現代の多くの人のよりどころは何だろうか。ボコノン教はその役割をはたさないし、むしろ悩める人々を足蹴にしている。けれど、虚偽の上に成り立つ思想、信条を一度飲み込んでしまえたら。人が存在する事実だけを認め、これ以外に真実を求めなければ。ひどい人生を積極的に受け入れることもできるんじないかな。長い感想に目が回る、目が回る、目が回る・・・
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2007/6 「壮大なズシーン」という小題がとぼけていて好きだ。さみしいひとたちの物語なのだけど、へんにウェットじゃない。ウェットじゃないのだけれど、悲しい。
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2008.01.27 なかなかボコノンになじめなくて、途中くじけそうになったけど、なんとか読破。アイス・ナインのSFぽさがたまらないです。
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要するに、ボコノン。はい、読み終われば、あなたもボコノン教徒。
一緒にボコマルしましょ。
スローターハウス5よりも良かったなー。
もう、夢中。アイスナイン、うひょーーーー。
モナー!
みたいな。いいですね。ヴォネガット。
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いわずと知れた代表作のひとつ。
伊藤典夫さんによる名訳がぶいぶい冴えている。
この話は浅倉さんではなく、伊藤さんで正解だったと思う。
乾いたタッチ、クレイジーすぎる登場人物たち。
猫、いますか。ゆりかご、ありますか。
「フォーマを生きる寄る辺としなさい」...この本そのものがフォーマの塊だ。
真実を見つめるのはあまりにもつら過ぎる現実。
だから、無害な非真実=フォーマを見つめよう、とボコノンの書は解いている。
それにしてもヴォネガットさん、どえらい宗教を作ったもんだ。
無神論者・ヴォネガットの面目躍如。
このタッチは、後の「チャンピオンたちの朝食」に引き継がれているように思う。
好みは分かれるだろう。ナイス・ナイス・ヴェリ・ナイス。
余談:フランシーン・ペフコがこの本から登場していたのを改めて発見した。ハイホー。
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学校の宿題で読んだのがきっかけ。
頭の中をごっちゃごちゃに掻き回されるほど奇天烈な文章に最初は苦労したが、次第にその面白さに気づかされた。
ボコノン教・・・・・・。笑
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原爆の開発者が残した、全ての物を氷にしてしまう「アイス・ナイン」を中心に物語は回ります。開発者の三人の子供、サン・ロレンゾ共和国の独裁者モンザーノ、その養女モナ、そしてボコノン教の教祖ボコノン。主人公が遠くから眺めていた人たちが、話が進むにつれぐっと近づいて来ます。何とも忙しい話でした。章も細かく分かれています。色んなことが起こるけれど、しかしそれが嫌にならない。いったんはまり込むと最後まで止まらなくなる感じ。読み終わった後は誰もがボコノン信者になることでしょう。
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また酷いものを読んでしまった。
といっても退屈だとか言っているのではなく、その逆で、徹底的に打ちのめされたという意味で、酷い目にあった。
「愚昧を敵としては神々の闘いもむなしい」(アシモフの『神々自身』に繰り返し出てきた言葉。不正確)
を思い出した。
それはそれとして凄い。滅茶苦茶面白い。
SFアレルギーが今までどれだけの面白い本から自分を遠ざけていたのかと思うと悔しい気持と共に、うまくお近づきになれて良かったとも思う。
ヴォネガットもどんどん読みたいところです。
しかし、季節が6つってのは本当にある説なんだろうか。
だと思った。長いんだもんよ、冬が。
冷え性の身としては夏が8つ位欲しかったところである。
温暖化で実現しちゃったら笑えないが……。
2008/11/14