紙の本
装丁も素晴らしい
2014/10/30 02:54
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投稿者:jim - この投稿者のレビュー一覧を見る
マッサン関連本はたくさん出版されているので、読んでみようと物色していたところ御本人が著述されたこの一冊を発見。他の第三者が書いた本と異なり、ウイスキーへの情熱のみならず、明治生まれの人ならではの言葉がそのまま文章化されたような時代の息吹を感じられる好著でした。装丁は岡孝治氏で以前、戸田ツトム氏の事務所に所属されていた方だと存じ上げます。ハードカバーに箔押しのタイトル文字と飾り罫が美しく、しおりの色使いといい、紙の質感も内容にふさわしい手触りですべてがさりげなく、しかし計算しつくされており、書物を所有する喜びが味わえます。本文のフォントも素朴で年代物のウィスキーのようにまったりとした著者の語り口とマッチしてます。外カバーを外した表紙も凝っており、久々にいい仕事の本に出会えました。箱入りでもよかったかも...
紙の本
分野は「経済・ビジネス」の書籍
2016/03/26 00:41
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投稿者:紙の書籍が好き - この投稿者のレビュー一覧を見る
竹鶴政孝の名前を知ったのは、確か「美味しんぼ」だったか。主人公が竹鶴の功績を紹介していたように思う。最近では「マッサン」と言った方が、通りが良いかもしれない。日本のウイスキーの父。道無き道に最初の第一歩を踏み出した人物。一読の価値あり。
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ご参考までに。
“本書は、昭和四十七年二月に
ニッカウヰスキー株式会社が発行した
単行本『ウイスキーと私』(非売品)を、
改訂復刻し、新たに巻末寄稿を加えたものです。”
〜4頁より〜
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NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデル・竹鶴政孝のユーモアとダンディズムあふれる伝説的自伝。
日本でのウイスキー醸造に人生を捧げた、ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝。ただひたすらにウイスキーを愛した男が自らを語った自伝の改訂復刻版。若き日、単身スコットランドに留学し、幾多の苦難を乗り越えてジャパニーズ・ウイスキーを完成させるまでの日々や、伴侶となるリタのことなどが鮮やかに描かれる。復刊にあたり、歌手・谷村新司の特別寄稿を収載。(親本は1972年刊、改訂復刻2014年)
・ウイスキーと私(竹鶴政孝)
・註
・竹鶴コラム
・随想(星野直樹、野田卯一)
・巻末寄稿(矢島裕紀彦、谷村新司、竹鶴孝太郎)
以前から、竹鶴政孝という人物に興味があったので購入。本書の元は、日経新聞の私の履歴書であるという。本人の貴重な証言は貴重で、しかも読みやすい。写真が多数収録されているのも嬉しい。
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日本にウイスキーを根付かせた人、竹鶴政孝。
もともとは、40年くらい前に書かれた本なのかな。
ニッカウヰスキーの創業者でもあり、山崎の生みの親でもある。ジャパニーズウイスキーの今があるのも、竹鶴さんのおかげということか。
この本の中で、フランス人は食事の楽しみ方がとてもうまく、日本人はせかせか食べていて、食事を楽しんでいないというようなことが書かれていた。
その通りだなと思いながら読んでいたけれど、効率を求めるあまりに、普段の生活の中でお酒を含む食事をないがしろにしているなと感じた。
もっと、作ってくれた人に敬意をもって食事をいただこうと思った。
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竹鶴政孝という人がいなければ、今のサントリーもニッカもなかった。私は山崎が大好きで、よくサントリーの山崎蒸溜所に行っていたけれど、その山崎も竹鶴氏がいなければ当然存在しなかった。今更ながら竹鶴政孝という人物を知って、感謝せずにはいられない。いまこうして美味しい山崎を飲めるのも彼がいてこそだったんだな。そして、恥ずかしながらニッカは殆ど飲んだことがない。今度ニッカのウイスキーも飲んでみようと思った。
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マッサン関係の特設コーナーに平積みされていた。
本人が書いた本。内容はどうにも薄い感じ。
”ウイスキー・バカ”だったのだろうから、しかたないか(´・ω・`)
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10月からの朝ドラがおもしろく購入。テレビは最初回想シーンが交互に入り少しみずらかったが、やはり泉ピン子の木魚ぽくぽく場面でこりゃおもしろいとなった。大阪の酒店の娘の意地悪場面も定番? なにか内助の功的描き方が強調されすぎてる気もするが、そこはテレビ、この竹鶴氏の自伝はテレビ以上におもしろい。いろいろ関連本が出てるがこれは昭和47年2月にニッカウヰスキーが発行した私家版の改定復刻版。日本経済新聞の「私の履歴書」を私家版として出したものなので、きっちり31回分、各回小見出し付き。実際の連載日は47年2月より少し前のことだろう。連載月日は記載が無いのでこの本ではよくわからない。
この本で竹鶴氏は自分は幸運に恵まれていた、と言っているが確かにイギリスへの渡航中、並走して航海していた船が沈没して1名を除き全員が死亡してしまったり、またイギリスでの留学中とか、日本に戻ってのウイスキー作りにかかわってからとか、いろいろ困難はあるがいい方に舵が向いて行くようである。しかし自伝をよむとそれはやはり努力の賜物あってのことだというのが分かる。
今の大阪大学の醸造科を出ているのだが、アメリカ経由で、サンフランシスコからニューヨークまで横断して、アメリカではアメリカ訛りの英語に悩まされたが、イギリスへ行っては「私の英語はよく通じ、相手の言葉のわかるのがなによりうれしかった」とある。アメリカで昼間ワイン工場を見学し夜は英会話を習ったとあるが、当時の大学出はやはり違うのか、と感心する。おまけにリタを伴って日本に来る際もアメリカ経由なのだが、リタのイギリス英語がアメリカで通じず、竹鶴氏が通訳した、などという話も載っている。
作り酒屋なのに洋酒を学びにイギリスへ、はたまたイギリス人の妻を伴って帰国、とそのたびに最初反対されるが最後には後押ししてくれたのは「母」だったとある。そこらへんドラマとは反対なのだが、履歴書では「顧みると、ウイスキーで苦しみ、ウイスキーで喜んだ人生であった」と締めくくられている。
思えば、自分の大学時代、昭和50年代前半、飲み会といえばビールか水割りだった。コーク杯なんかもあった。しかしサントリーのダルマの方が飲まれてたかなあ。しかしヒゲの顔は確かに記憶にある。
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森瑶子の望郷を先に読んだ。写真を見て、改めて興味が深まった。密造酒が、ウイスキーの発展に貢献したとは。大日本果汁から、ニッカとつけたとか、戦後の混乱期にアメリカ人と、英語でやりあったとか、妻リタが昭和36年に急亡したとか。
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NHK朝の連ドラのモデル、まっさんこと竹鶴政孝氏の自伝である。日経新聞の私の履歴書を本にまとめ直したものの要で、語り口は淡々としているものの日本のウイスキー黎明期を描き興味深く読める本である。
非常に努力をしその功績大ではあるにもかかわらず傲ることもなく全ては周りの人のおかげとするところは、この時代の人ならではでしょうか。
連ドラではあくまでもモデルと言うことで事実とは違うことはたくさんあるのでしょうが、やはり、あれドラマとはちょっと違うねえというところは随所にある。巻末寄稿文のお孫さんの話ではこの本の内容自体が事実と違うとことがいくつかあるようで、あえて慮るところがあり脚色している部分もあるようだ(記憶違いもある様子)
ウイスキーの知識もつくので、Bottleの裏ラベルをみて、この記載はそういう意味かと改めて知ることもできるのである。
読んでみて損はない本ですよ。
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NHKの連ドラ『マッサン』に影響されて、ウイスキーなど嗜みだした馬鹿者である。ドラマ自体はずば抜けて面白いわけではないが、モデルとなったニッカの竹鶴政孝とサントリーの鳥井信治郎の航跡はちょっと調べてみても面白い。ドラマは一部事実に基づき、一部は作り話になっている。
ドラマでマッサンがウイスキーをはじめて飲んで、そのうまさに惚れ込む場面があるが、ウイスキーのようなクセの強い嗜好品は何度も味わって慣れないと旨さがわからないものではないかと思う。竹鶴は実際どうやってウイスキーに目覚めたのだろう。
本書は日経に連載した「私の履歴書」を1972年にニッカが非売品として書籍化したものの復刻版である。『マッサン』の放映開始に合わせたNHKの商売上手である。本人の書いた内容が必ずしも正しいとはいえないが、まずは一次資料ではある。ところがどっこい、なかなか滋味ある語り口でこれが読ませるのである。
「私の履歴書」というのは産業界の成功者に自分の人生を語らせたものと思われるが、自分はウイスキー造りをしてきただけの男であり一言で終わりだというようなことを述べて竹鶴は話を始める。
上の疑問、ウイスキー開眼については、大学で醸造を勉強していた時期に洋酒にも興味を持ったとしか書かれていない。竹鶴家は広島に300年続く造り酒屋で、竹鶴は酒の名前だったのが、明治維新の時に間違えて苗字にされてしまったとか。政孝は三男だが、ふたりの兄は酒造業を継ごうとせず、彼におはちが回ってきたのだ。洋酒への興味から、大学を卒業して冬の日本酒の仕込みまでの間、大阪の摂津酒造に洋酒造りの勉強をさせてくれと頼み込む。この辺の行動力が竹鶴の美点で、まあ、体育会系なのだ。幼い頃、階段から落ちて鼻をひどく怪我して鼻が大きくなったのでにおいの嗅ぎわけがよくなったなどという。また、学生時代は柔道をやっていた。ドラマの二枚目マッサンとはちと違うようだ。
当時、摂津酒造は日本では数少ない洋酒製造業者だった。とはいえその頃の洋酒とはほとんどがイミテーションだった。摂津酒造の社長も本格的な洋酒を作りたいという気持ちは持っていたようだ。折しも景気はよかった。入社して1年もたたない竹鶴青年をスコットランドに留学させようという話になった。よほど気に入られたのであろうか。そう言われて行くほうも行くほうだ。飛行機の定期便があり、電子メールが瞬時に届く今と違って、当時のイギリスといったら月くらいに遠い感覚だったのではないかと思うのだが。
おかげで跡継ぎを失った実家の酒造は親戚に譲ってしまったという。
イギリス留学はアメリカ経由であった。カリフォルニアでワイン工場を見学するが、その大量生産方式を見て、「アメリカ人はよい酒を造る国民性に、どうも欠けている」などと述べている。スコットランドではグラズゴー大学で学びつつ、醸造所でウイスキー造りの実際を見せてもらった。一番世話になったのがクレンリベット醸造所だというが、国王の愛飲したクレンリベットがおお流行り、どこもかしこもグレンリベットを名乗るので、現在グレンリベットの酒瓶には「ザ・グレンリベット」と書かれている。竹鶴のいうグレンリベットは「ロ���グモーン・グレンリベット醸造所」ではないかと註にある。
留学中はウイスキーだけでなく、ボルドーにワイン醸造の見学に行ったりもするのだが、そこで第1次大戦の戦火を見て、戦争には勝者も敗者もないと述べるくだりでは、シリアやウクライナの映像を思い出さざるを得なかった。
ジェシー・リタ・カウンとの出会いも書かれている。クリスマスにプディングに銀貨と指ぬきを入れておき、それを引き当てた男女が将来結婚するという占いで、リタとマッサンが引き当てるというエピソードはここに書かれている。当時のイギリス人からしたら火星人くらいに異質な日本人と結婚し、火星くらい遠い日本によく来てくれたものだと思う。写真に見るリタは澄んだ瞳をしているが、いつも緊張した面持ちでどこか小動物が怯えているような印象を受けるのだが、明るく楽天的な人だったそうだ。
1918年に日本を発ち21年に帰国するのだが、この間に日本は不況に陥っており、摂津酒造でのウイスキー造りは適わず、そこに壽屋(現サントリー)の鳥井信治郎から声がかかる。10年の約束でウイスキー造りに取り組み、山崎醸造所を立ち上げ、白札(サントリー・ホワイト)を製品化する。その後、独立して北海道の余市に大日本果汁株式会社を設立し、リンゴジュースを作りながら、最低でも5年は寝かしておかねばならないウイスキー醸造をはじめるのだ。ニッカの名称は日果からとられている。
竹鶴の筆からは鳥井への感謝こそあれ、葛藤は書かれていないが、本当のところどうだったのであろうか。かたやサントリーのHPでは社歴に竹鶴の「た」の時も出てこないのだが。
余市醸造所ではハイランド風のモルトを、1969年稼働の宮城峡醸造所ではロウランド風のモルトを、西宮では(現在は宮城峡に移転しているようだが)カフェ式蒸留器によるグレーン・ウイスキーの製造をと技術者ならではの見識を持って事業を展開していく面白さはドラマには欠けている部分である(ここにも詳しく書かれているわけではないが)。だた好きなことをやり、人に恵まれてきただけだと述べ、苦労を嘆かず、成功を誇らぬ筆致には朴訥だが貴族的な人柄が偲ばれる。
巻末に本人や関係者による小文が付録となっているが、ウイスキーの飲み方について竹鶴は嗜好品だから好きに飲めばいいという趣旨を述べる。味や香りをみるにはストレートだが、毎日飲む人は胃がやられてはいけないので水割りがいい。オン・ザ・ロックは冷えすぎるのでいかんのだそうだ。
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仕事してる時は、夏はビール、冬は日本酒、春・秋はウィスキーやブランディをよく飲んでた気がしますw。ワインは身体にいいと聞いてますが、滅多に飲まないです。今はホッピーと焼酎甲類キンミヤ、日本酒が多く、時々ビールです。この本は、ニッカウィスキー創業者、竹鶴政孝氏(1894~1979)の自伝です。広島県、尾道と呉の中間、安芸の京都、頼山陽の生まれた地、竹原に生まれ、ただ一筋にウィスキーづくりに生きた男の物語です。真綿色したシクラメン、琥珀色したウィスキー、絵になりますね(^-^)
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文章から滲み出る、幸運への感謝と自身の努力、成果への自負。
驚くほど淡々とした筆致だが、それでもなおダイナミックだった氏の人生がありありと伝わってきた。
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マッサン放映後に読了。艱難辛苦なことが前面でなく、あっさりとしたエッセイ。スコットランドに単身で行き、日本を五大産地の一つにした偉業はすばらしい。研究者であり、経営者であり、職人であった。
何でウィスキーづくりを学びに行ったのだろう?
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スコットランドでウィスキー作りを学び、日本でウィスキーの製造を軌道に乗せるまでを書いた竹鶴政孝氏の自伝です。淡々と書かれていますがウィスキー作りについてだけでなく、第一次対戦から戦後までの時代感も伝わって来るのが面白いです。ウィスキーの好きな方はぜひ。