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<目次>
序
第1章 東日本大震災と鉄道
第2章 天皇・皇后と鉄道
第3章 沿線文化の起源
第4章 断たれた鉄路を行く
第5章 鉄道をめぐる記憶と文学
第6章 乗客の横顔
第7章 鉄道復興の限界
第8章 海外の鉄道で考える
第9章 よみがえる「つばめ」「はと」
<内容>
新しいタイトルだが、『鉄道ひとつばなし』の第4弾。東日本大震災もあり、タイトルを変更した模様。序のところとあとがきでいろいろ書いてあるが、変えた理由がよくわからない…。内容的には、東日本大震災後、三陸地域のJR東日本の対応がいいかげんと、批判の部分が多い。またJR東海の新幹線神話に対してもやや批判的(第9章)。第2章が原さんらしいか…
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「鉄道ひとつばなし」シリーズのパート4。タイトルが違うのでそう思わず手に取ってしまった。中身はいつもの原ワールドだが、JR東に対する憤りは同感。
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東海道本線を走る特急つばめ、はとが復活したらを仮定したストーリーをオモシロく読みました。大阪9時発、東京16時半着。長時間の乗車であるため、駅弁を買い込み、PCを備えた個室で仕事をし、目が疲れると車窓を眺め、食堂車で沿線の特産品(由比の桜えびのかき揚げそばなど)を使った食事をしながら相席の客の話を聞いたり、個室のルームサービスでコーヒーや静岡茶を頼み、コリを解消するためのマッサージまで楽しんでもまだ着かない!
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「あまちゃん」の演出にはJR東日本に対する辛辣な批判が込められているといっても過言では無い。東北新幹線はいち早く復旧したのに、三陸沿岸のJR線は復旧の見通しすら立っていない。最終回でアキとユイが、現在の三陸鉄道北リアス線の終点になっている田野畑駅をモデルとする畑野駅から先に伸びる線路の上を歩きながら、来年開通すると話し合っていたのも、いつ復旧するかわからないJRと対比することで、そのセリフがいっそう際立つ。
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→:感想、他は引用。
第2章 天皇・皇居と鉄道
柿生・鶴川界隈」雑感
●太平洋戦争開戦直前に当たる1941年春、柿生、鶴川界隈に「柿生離宮」を造営する計画が持ち上がったことがある。離宮というのは名目で、実際には皇居の移転が計画されていたのだ。
第6章 乗客の横顔
四谷大塚中野校舎に通う小学6年生のB子のつぶやき
→四谷大塚中野校に通う小学6年生の女の子が、通塾時にみかけた白い犬の姿が見えなくなったことに気を取られ、中学受験に失敗してしまう話。これはどう読み解いたら良いのか疑問、謎。素直に、なにげなく眺める車窓の風景でさえも一人の人生を左右してしまうものがあると読むのか。それとも何か別の意味があるのか。
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講談社のPR誌「本」に長期連載中のコラム「鉄道ひとつばなし」をまとめたものであります。すでに既刊で三冊出てゐますので、本来なら『鉄道ひとつばなし4』となるべきところですが、今回はタイトルが『思索の源泉としての鉄道』となつてゐます。いささか仰仰しい表題ですね。故・森有正氏のエッセイ「思索の源泉としての音楽」から拝借したのださうです。ふうむ。森有正ねえ......ま、いいでせう。
連載当時が、東日本大震災直後にあたる本書。被災地を巡る発言が多くなつてゐます。『震災と鉄道』と被るところもありますが、それだけ深刻かつ重要な問題として、読者は捉へるべきでせう。
第1章の表題がまさに「東日本大震災と鉄道」で、第4章、第7章でも関連する文章が載つてゐます。特に三陸鉄道の奮闘を讃へ、対照的にJR東には批判的な姿勢が目立つのであります。
震災のわづか五日後に、復旧できる区間から運転再開したのみならず、復興列車として運賃無料で走らせた三陸鉄道。一方で、東北新幹線は逸早く復旧させたものの、肝心の被災地を走るローカル線に関しては放置し続けてゐるJR東。赤字路線にはカネを出したくないといふ本音が見え見えですね。
リニア建設を進めるJR海に対しても、どこか懐疑的な筆致の著者であります。トンネルばかりで車窓が見えないとか、その建設費で日韓トンネルが出来るぞとか。
しかしながら、私見ですが日韓直通特急が走つたとしても、時間がかかりすぎるので結局空路に勝てない。やはり三時間台で到達できるところを走らせるべきでせう。
また、「移動そのものを楽しむ列車」も結構ですが、その路線が本来の使命を果たした上で走らせていただきたいですな。ローカル線は、イベント列車ばかりではなく、まづ地元の人が使ひやすいダイヤで運行を望みます。
某ローカル私鉄の社長は、無理に地元の人に乗つて貰はなくてもいいと発言し、あの手この手のアイデアで企画列車を走らせてゐます。順番が逆だと思ふのです。
原氏は、例へばJR九の「ななつ星in九州」のやうな列車を評価してゐるやうですが、あれはまあ普通の庶民にとつてはどうでもいい列車であります。そもそもいつまでも水戸岡氏に頼るのはいかがなものかねと思ふのですが、それはまあいいとして、想定した乗客は日中韓の富裕層といふことで、始めからわたくしのやうな貧乏人は相手にされてゐないのだね、と不貞腐れてしまふのです。
最終章の「よみがえる「つばめ」「はと」」は、架空の乗車記。愉快な読み物ですが、東京-大阪間を従前のやうに7時間30分かけて運転するのならば、編成が地味過ぎはしないでせうか。即ち。
その一。「トワイライトエクスプレス」のやうな寝台列車ならともかく、普通座席車に長時間座り続けるのは辛い。最低でもグリーン車クラスが必要。
その二。従つて自由席は不要。豪華列車に自由席はそぐはない。グランクラス級座席車を中心に、一部普通グリーン車。
その三。フリースペースが無いので、ロビーカーを連結する。乗客同士で話が弾めば、長時間乗車も楽しからう。
その四。EF58に牽かせるのなら、10両編成くら��にしませう。
えー何だか色色といちやもんを付けたみたいですが、本意はさうではありません。「鉄道ひとつばなし」の長年のファンであるがゆゑの甘えと申せませう。特に第2章「天皇・皇后と鉄道」のやうな文章はもつと読みたいものです。このテエマだけで一冊書いていただきたい程であります。講談社には、今後も「本」での連載を続けて貰うふことを願ひ、この辺でご無礼いたします。では。
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-541.html
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僕は、マニアというほど鉄分は高くないつもりだけど、こういう本はやっぱり読んでて楽しい。鉄道の公共性や地域との関わりに関する記述を読むと、著者の鉄道に対する愛の深さがわかって、こちらまでにんまりしてしまう。鉄道に乗ってると、といっても新幹線ではなくローカル線に揺られていると、確かに「思索的」になる(なったような気がする)んだけど、あれはどうしてなんだろうか。
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いつもの原武史節が全開で一気に読めました。
東日本大地震後のJR東日本の三陸地方への対応については批判的な姿勢が貫かれています。以前より新幹線のようなスピード優先、旅情が脇役となる旅やには批判的、かつ取り残されるローカル線沿線の住民の目線がありました。それは災害時ほど顕著になるのだと思います。それが東北新幹線という「権力」という章のタイトルや、丸山眞男よりも車両で会話をする市井の人々の知性に軍配をあげるスタンスにもつながるのだと理解しました。
仮定の話ですが、いま経営難にあるJR北海道がJR東日本の支援を受けるとなった場合、ローカル線はどんな扱いになるのだろうと思いました。
最後の妄想コーナー、よみがえる「つばめ」と「はと」は