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筆者は筑波大学図書館情報メディア系教授とのことだが、本書の引用の仕方は正しいのでしょうか?使われている図像には出典が書かれていないし、引用文も原文を併記して欲しいところである。また、筆者は読書家であるのだろうが、文章中に多くの歴史小説が出てくるのには閉口した。
ただ、宗祇の「髭に伽羅炊く」人物像をこの本で知ったことが良かったところである。江戸時代の宗祇のイメージについて興味を持った。
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連歌について知りたくて、まず書店で目についた本書を手にしましたが、もう少し基本的なことが私の頭に入っていないと、楽しめないのかなぁ、というのが現時点での感想。
同じ著者の「連歌とは何か」を読ませていただいてから、改めて本書について改めて評価したいと思います。
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戦国時代の連歌師は、ただ連歌を詠む、という役割だけでなく、インテリジェンス要員として機能していたらしい。あちらこちらに顔を出し、情報を持っていったり、ネゴシエーションをしたり。フリーランスが多かったようだが、お抱え諜報部員のような連歌師もいたそうだ。
連歌は当然1人では出来ないので、集団の連帯感を高める、という点で戦闘集団たる武士にも尊ばれた。連歌師はそうした指導をすることもあるし、誰誰さんに指導した、指導してもらった、という「ハク」も、商売上必要なものだったようだ。
連歌師は、古今伝授を秘伝らしく創作して、それをまことしやかに伝えることで名を売っていったりしていたらしい。
政治家同士がゴルフをやりにいっているのを、単純にゴルフを楽しんでるんだなあ、と見る人はいないだろう。連歌も同じで、連歌を詠む、というその場には、さまざまな情報交換や鞘当てがあったのだろう。
そこら辺の詳しいことが知りたいところだが、そういう特定秘密のような記録はなかなかないのだろう。本書でも、そうした部分はメインにはなっていない。
黒田官兵衛も連歌師とよく通じていたという。本当に風雅であった、という面もあるにしても、そこはやっぱり政治家のゴルフであろう。
現代はネットで検索するとあれこれと有象無象の情報が出てくるが、いい話は、やっぱり誰かと直接会って聞くことが多い。それが転じてネットワークビジネスのような職業も生まれている。連歌師はネットワークビジネスの戦国版のような面も多分にあったのだろう。何しろ本書のいう連歌師は、「戦乱の時代にはあやしい異能者が跋扈する」という書かれ方であるから。
連歌師は、連歌より面白い、と著者は言う。そうだ、僕も常々思うのは、何かを突き詰めている人は、「何か」より、その人自身が面白いのだ。連歌師が気になって仕方ない。
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連歌というかなり知的に高度な遊びがあったことや、明智光秀の本能寺前の有名な連歌会とかも知っていたが、連歌と戦国にフォーカスした本は今までになく面白かった。武士には必須の教養でありコミュニケーションツールでもあった連歌。そのファシリテーターを務めたり採点したりした連歌師は今で言えば俳句の夏井先生みたいな感じか。