紙の本
「ネタバレ」ありでも要約です。 本の帯の推薦文の近藤誠先生のご理論とは内容が違うので誤解に注意!本書内にはコメントもかかれていません
2020/02/18 17:13
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:et.et. - この投稿者のレビュー一覧を見る
「適正な時期に見つければ、寿命を伸ばせる癌もある」
「癌を必死に探すことが最も安全なアプローチではない」
「程々のスクリーニングをすること(遅い年齢からはじめ ある年齢になったらやめる)を推奨する医者やあせって生検したりしない医者は悪い医者ではないと気づくべき」
最近前立腺癌、甲状腺癌などの中に寿命に関わらない進行の非常に遅い癌が存在することが分かってきました。
医療は変わってきています
パターナリズム(医師が治療を強い権限を持ち一方的に決定する)からインフォームドコンセントへ(患者・家族に情報を伝え一緒に考えていく)
癌は告知しないから告知するへ(裁判で告知は義務違反という判例が出た)
今回はおそらくこの上の2つのように未来に変わるであろう医療のお話でした。
現在の医療では癌の見落としは裁判でほぼ医師側が負ける。が、
寿命に関わらない癌を見つけすぎ、いらない治療をしてQOL(人生の質)を下げたとしても、がん保険に入れなくしたとしても、医師はおそらく責任をとわれない
そういった不要な被害を被らず、適正な医療だけを受けるためにはとうしたらいいのか
といった話。
例えばPSAで見つかる前立腺癌(死亡率が低い)
前立腺癌の治療でインポテンツ 排尿困難 手術後の死亡 放射線治療により排便がこらえられないといった治療のしすぎによる悲しい被害をうけることもある事例、臨床疫学の腫瘍内科医の同僚でさえこの罠にはまってしまい後悔している話
「病気のリスクについて十分に知らせることが本当に健康な社会につながる道なのか?」
「そこに存在しない癌を見つけることが良いことなのか?」
早期発見すればするほど長生きできる人がでてくる
でもそれは同じ80歳の寿命でも75歳で見つかれば余命5年延長 50歳で見つかれば余命30年延長かも
寿命に関係ない癌を拾ってしまっただけかも とはいえ
こう言う結果が出ると 早期発見すばらしいとなるから実際には中止できない
こういったバイアスを排除して本当に効果のある検査だけを上手にうけるのが理想
結論は
「早期発見に対して健全な猜疑心を持ち一定の距離をもつこと」
症状のある人は良くなったか悪くなったかがわかるが症状のない人はわからない
「健康であるために、過剰診断 過剰治療の害を被る可能性が増すことを知っていても、
死を避けるために努力し、医療にかかることを選ぶことがある」
「それが最良の戦略だと思っている人もいる」
「全てが大丈夫であると確認すればするほと 皮肉なことにどこか悪いところがあると言われる可能性がかえって高まってしまうことを知ること」と作者は語る。
投稿元:
レビューを見る
早期診断・早期発見による過剰診断・過剰治療の危険な罠に鋭いメスをいれる。
具体的には基準値の引き下げ、がん検診や早期発見推奨、メタボ検診等々。
多くの実例と数字を基礎にして、過剰診断の不合理性を的確に暴いていく。
投稿元:
レビューを見る
症状のないひとに継続的な治療を施すという意味で、高血圧はパラダイムシフトであった。その後、過剰診断が横行しているが、そのために症状が出たり死んだりしないのであれば病気と診断する必要はないという。
検査のカットオフ値を広げる(DM、コレステロール)とか、技術面での進歩(画像診断とか)によって、症状がないにも関わらず異常を指摘される人が年々増えてきている。これに今後、遺伝子検査が導入されるようになると、様々な疾患のリスク、という形で診断が行われるようになり、ほぼ全ての人がリスクを保有しているということになるだろうという。
症状がない時点で診断を下すのは過剰診断だ、というのはちょっと単純化し過ぎと思うが、記憶にとどめておくべき内容も多い。
例えば、早期診断はつねに生存期間を延ばす。実際的には誰も延命していないにもかかわらず延ばす。これをリードタイムバイアスという。すなわち、発症したら5年で死ぬ病気を、その二年前に見つければ、何も治療しなくても余命が5年から7年に延長される。
また、検査は命を救うために行うべきで、病気を見つけるためではない。
これを誤解しているために過剰診断自身がその有用性を主張することになる。放置しておいても症状が出たり死んだりしない病気を見つけると、その予後は当然よいため、過剰診断によって治療成績が上がったように解釈される。
投稿元:
レビューを見る
糖尿病、血圧、コレステロール等の基準値が変更されたことによって、病人が増えたという指摘は以前から知っていたが、本書では多くの事例を含めて、総括的な論考で過剰診断を糾弾している好著だ.p259の結論に出てくる「過剰診断は、何百万人もの人々を不必要に患者にし、自分の健康に不安を抱かせ、不必要な治療を受けさせ、診断と治療に伴う不便や経済的な負担を負わせている.私達の医療システムには既に過度の負担がかかっているというのに、過剰診断のために、さらに膨大な費用がかかっている.」がこの問題を的確に言い表していると感じた.
投稿元:
レビューを見る
早期発見は患者にとって必ずしも良いとは限らない。検査を始め、医療的な介入にはつねに何らかのリスクがある。個人レベルでは、健康な人ほど、介入するメリットは小さくなり、検査や治療にかかる負担や被害が上回ってしまうことがある。あるいは、本来生活に支障がないのに、診断と治療のサイクルに閉じ込められ、心身に強い負担がかかることもある。社会的にも、診断基準を引き下げることで膨大な「患者」が発生したり、検査対象が広がったがために、治療を要する患者を拾い上げる以上の手間や犠牲が出ることもある。本書の大半はそうした実際例が紹介されている。
検査は必要な人に対して行うこと。それが過剰診断の防止には必要であり、そのためには過剰診断自体がデメリットをもたらすということを、医療者も市民も認識すべきなのだろう。それは期せずして、このコロナ禍においても言えることであるから、いま一読されると面白く読めると思う。
投稿元:
レビューを見る
医者があなたを殺す、系の本だと思うなかれ。医者はあなたを救う。ただ、救わなくていい症状まで救おうとすると、もしかすると殺すかもしれない。
航空写真で見たら、いくつか見つかる湖も、近くによると、もっとたくさんある。でも、池も湖なのか。水たまりレベルまで湖にしていいのか。
過剰診断とは、ようするにそういうことだ。
前立腺がんは、診断技術の向上でかなり多く見つかるようになったという。探せば探すだけ、どんどん見つかるらしい。見つかった人で、幸い命が助かる人もいるが、その1人を探すために、30人とも50人ともいわれる、別に放っておいてもよかったひとも、がんと診断される。
これはがんに限らないが、患者の心理的インパクトの点から、がん、ということで考えてみよう。
水たまりを湖と見立てるような検査で、あなたはがんですよ、といわれれば多くの人は助かりたいと考え、治療に走るだろう。ただ、水たまりが湖になるか、水たまりのままなのかはわからないのだ。わからなくても、自分がそうなりたくない、という心理は否定できまい。
過剰診断は、もちろん経済(というより経営)的な事情からも行われる。けれど、本書の肝はそこにはないと思う。不確実なことに、医者も患者も耐え難い、ということではないか。だからたいていのちょっとした不調にも、がんばって○○炎、などという名前がついてしまう。ここをクリアできないと、過剰診断はなくならないだろうが、むずかしい。僕だって、体が不調だったら原因を知りたい。
過剰診断に対抗できるのは、「健全な懐疑心」だ。健全な懐疑心って、まさに自分のために用意されたような言葉。頭ごなしに否定もしないし、でもホントかいな、と考えることだ。そのための材料として、大変よい本だった。
少々残念なこともある。
帯は近藤誠。「医療もビジネス。病人を増やすカラクリがよくわかる本」とある。
この人の名が出てくると、医療否定本のように見えてしまう。たしかに「医療もビジネス」的な面にも触れられているが、前述のように、そこが本筋と見ると、健全な懐疑心が働かなくなってしまう。
帯を頼む相手を間違えてる、という気もするが、出版もビジネス。読者を増やすカラクリを考えねばならない。