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ドイツでどのようにナチスが拡大したのか、そこで過ごす人々の様子はどうだったのか。当時をドイツで過ごしていたアメリカ人達の記録を丹念に書くことで、今振り返るドイツではなく、その時々でどう受け止められていたのかが生々しく伝わってくる。
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「満州事変と政策の形成過程」、「昭和陸軍秘録 軍務局軍事課長の幻の証言 」といった本を読むたびに「そうだったのか!」と目から鱗だったが、この本もまさにそうであった。
ユダヤ人に対する憎悪はヒトラーだけでなく、ドイツ国民のみならずアメリカ国民も程度の差はあれ、感じていたこと(もちろん、そうでない国民も多くいたと思うけれど)、扇動者としてのヒトラーの能力は評価していたものの、当時の権力者は高をくくっていたことなど、ヒトラーの台頭を許した要因を当時のドイツに滞在していたアメリカ人記者の目から描写している。
また、ヒトラーが支配していたドイツに訪れたほとんどのアメリカ人が賞賛していたということにも驚かされるとともに、ヒトラー=ナチスドイツだけを戦争の元凶だと、それこそ「高をくくって」いたら、現代でも悲劇が繰り返されることを警鐘している書でもあると思う。
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ナチスやヒトラーについて、あまりにも多くのことを知りすぎて、心の整理がつかない。あえて率直な印象を表現するなら「第1次世界大戦のトラウマとヨーロッパを翻弄したアメリカが作り上げた虚像」とでも言おうか。かつて人類が経験したことのない惨劇を生んだ第1次世界大戦。戦火の再発に怯える戦勝国が、復讐に燃える敗戦国ドイツによって蹂躙されるという歪んだ構図。ビアホール一揆まではただの反逆者だったヒトラーが、世界最悪の独裁者へと変貌していく過程で常に存在したアメリカの陰。その中にヘンリー・フォードの名前が含まれているのには目を疑った。歴史を直視するのに、こんなにも勇気が必要とは。
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多くの歴史は、それが論理的帰結のように語られるが、その当時の当事者の想定を超えるケースがほとんど。
チャーチルに関する本を読んでみたい。
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アメリカっぽい感じの事実のみに目を向け、その内面には立ち入っていかないスタンスが気にならないことはないが、それを補って余りあるほどの分析。
現代にまで通じる、そしてまさに今ある様々な問題がそのままこの本の中で描き出されていて非常に興味深く、そしてある種の絶望も感じざるを得ない面もなくはない。
ただ日本に生きる人間としては、やはり著者による日本の読者宛のあとがきにつき深く考えるべきなんだろう。たぶん日本社会は歴史に対するセンスが世界と比較しイマイチではないかと当方思料するのだが、その痛い点を確実に突いてくる。
歴史を見るというのは自らの生きる社会のあり様を考えるという至極シンプルな話でもあるのだから。
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第三帝国〜第二次大戦の日本〜〜オウム
今考えると何故あの様な時代や社会を人々が疑問を持たずに、あるいは大いに疑問を持ちながら生きていたのかがわからない時代があり、その話に私は何故か惹きつけられる。それはもし自分がそんな時代に生きるとしたら何を感じてどんな生き方ができたのだろうと考えたくなるからだ。
アメリカの外交官やジャーナリストの目から見たヒトラーの時代は十人十色の受け取り方で素早くその邪悪さを理解したものもいればそうでないものもいた。それはドイツ国民も同じだろう。筆者が日本語版向けのメッセージに書いたように「日常生活を送る人にとって、目の前で起こっている歴史的なできごとの意味や政治的熱狂の危険性を把握することがいかに難しいか」は今の時代も含むどの時代にも適用できる。
アメリカのジャーナリストや外交官がドイツで過ごしたホテルでの奇妙な銃後の生活やプッツィ・ハンフシュテングルのグロテスクさマーサ・トッドの親ナチからソ連スパイに揺れる人生など興味深いシーンが多い。
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アメリカ人がよき勝者であると考えられた理由の1つとして、ドイツ人から好意的に迎えられたことで、彼らの方もドイツ人に好意的に接したことがあげられる。アメリカ人とドイツ人はまた、どちらにとっても「悪しき勝者」であったフランスに対するいらだちも共有していた。第一次大戦直後の混乱期、ワシントンとパリは敗戦国ドイツの扱いについてことごとく対立していた 。
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「ヒトラーランド」は当時ドイツ人とは立場の違う傍観者であった在独アメリカ人による証言等を集めた「のちに語られた歴史」ではないあの時の真実のドイツが見えてくる1冊。もちろんヒトラーのオリンピックといわれた「ベルリンオリンピック」も語られている。メダルの授与で黒人選手にヒトラーは握手を拒否したと言われるが当のアメリカ人選手ジェシー・オーエンスは侮辱を受けたとは感じていない。むしろアメリカ国内で侮辱を受けないことは不可能だったと語っている。人種差別に独裁国家。あってはならないことも視点を変えると焦点がぼやけてくる
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米国人ジャーナリストによるナチが台頭する状況を描いた本。当時の公文書や手紙等をもとにヒトラーが当時どのように評価され、各国が対応していったのかという事実の一端をうかがい知れた。ただ、完全に当時の状況に基づいているかといえばそうとも言えず、ヒトラーが一方的に非難される現在の価値観からの評価に引きずられたコメントが気に入らなかった。訳はとてもよい。
「歴史のなりゆきというのは、あとから振り返ったときにだけ、当然の帰結のように感じられるものだ」p13
「(リューデッケ(ナチ党員))ベルリンはマルクス主義者とユダヤ人の本拠地であり、ミュンヘンは彼らにとって敵の城塞であった」p26
「ヒトラーのお気に入りはブラックコーヒーとチョコレート」p64
「(ビアホール一揆後)ヒトラーの信奉者の妻である若いアメリカ人女性(ヘレン・ニーマイヤー)が、ヒトラーに自殺を思いとどまらせたという事実を知っているのは、ごく限られた関係者だけであった」p76
「奇妙に思われるだろうが、ドイツにいた2年間(1918~20)、ユダヤ人である私は、反ユダヤ主義運動など見たことも聞いたこともなかった。第一次世界大戦後のドイツで反ユダヤ主義運動について聞いたり、見たり、感じたり、気配を察したりする機会は、どの時代のアメリカよりも少なかった」p95
「(米国人記者 ニッカーボッカー 1932年)ヒトラーは、ナチ党の嗅覚として活躍するだろうが、表向きには党の代表の座に残ったとしても、彼がドイツのムッソリーニになるとは、私には思えない」p119
「(ニッカーボッカー 1933年)ドイツが戦争で負ける確率は極めて高く、せいぜい頭の狂ったドイツ人くらいしか、フランスやその連合国に対して戦争を仕掛けるようなことはしないだろう。国外で大勢を占める意見とは裏腹に、今日のドイツは、決して頭の狂った人間達に支配されているわけではないと断言できる。ヒトラーの言う平和とは、軍備を固めるまでの間、世界の安全を確保しておくためのものだ。軍備が世界を戦争から守ったことなど、これまで一度たりともない」p231
「(ハースト(米出版界の大物))アメリカ人は、ヒトラーのことを軽く見すぎている。ヒトラーは膨大なエネルギーと、強い熱意と、感動的な演説を行うすばらしい才能と、統率者としてのすぐれた技量を持っている。もちろん、こうした能力がすべて間違った方向に使われる可能性はある」p266
「(アン・リンドバーグ)ドイツの力、団結力、意志の強さは、だれの目にも明らかです。本当にすばらしい。これまでの人生で、あれほどの「統制された力」を強く意識したのははじめてでした。その力が人々、特に若い人たちのエネルギー、誇り、士気としてあふれ出すさまは、実に感動的です」p310
「(米外交官タルボット)ナチズムが成し遂げた物理的業績、立派な道路、ごたごたしたスラム街の撤去、新たな住宅供給、橋、公共建造物、これらすべてがこの国に新鮮な輝きを与えている。一方でナチ党のやり方には、背筋の寒くなるようなものもある」p367
「(ウェデマイヤー(ドイツへの軍事交換留学生))ドイツ式の手法と教育内容の質の高さに深く感銘を受け、ドイツの教授法と��リキュラムは、私が見たところ、わが国のそれよりもすぐれていたと述べている」p371
「(AP通信 ロックナー)あのパレードを見る限り、次の戦争は間違いなく、世界がこれまで見たこともないほど悲惨なものになる。きっと1914年の戦争が子供の火遊びのように思えるだろう」p383
「(ロックナー)自分の敵を過小評価するのは、いつでも危険なことだ。ドイツの最高指導者たちが、1914年から18年の過ちをもう一度繰り返すとは。覚えているか。かつてドイツは、アメリカが海を越えて軍隊を運ぶという考えを、ありえないと馬鹿にしていたんだ。そして今度はドイツの人々に、イギリスは年をとり過ぎて戦えない、フランスは国内紛争でズタズタ、アメリカは大ボラ吹きだなんだと吹き込んでいる。哀れなものだ」p384
「ヨーロッパを旅して回っていたニッカーボッカーによると、だれもがいちばん気にかけていたのは、フランスが軍を動かして助けに来てくれるまで、ポーランド軍が持ちこたえられるかどうかだったという。楽観的なポーランド人に聞くと、3年は持ちこたえると言った。悲観的なポーランド人は、1年だと言った。フランス人は、ポーランド人は6か月はもつだろうと思っていた」p384
「(独ソ不可侵条約)(CBS シャイラー)これは実質上の(独ソ)同盟であり、ナチズムとその侵略行為における最大の敵スターリンが、ドイツにどうぞこちらへ来てポーランドを片付けてくださいと言っているようなものだ」p389
「ドイツの急激な軍国化について鋭い分析を加えた報告書をワシントンに送り続け(しかし相手にされなかった)、1939年4月に最後のベルリン駐在を終えた大使館付武官のトルーマン・スミスと同じように、ビームもまた、悪いニュースというものは、まずそれをもたらした人間の動機が疑われるのだということを、身をもって思い知らされた」p419