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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2005.9
- 出版社: 早川書房
- サイズ:20cm/396p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-15-208673-4
紙の本
誰も読まなかったコペルニクス 科学革命をもたらした本をめぐる書誌学的冒険
【ゲスナー賞(第5回)】コペルニクスの「天球の回転について」に残された書き込みの跡を通じ、コペルニクスに続くブラーエ、ケプラー、ガリレオなどの、科学革命の時代を彩った天才...
誰も読まなかったコペルニクス 科学革命をもたらした本をめぐる書誌学的冒険
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商品説明
【ゲスナー賞(第5回)】コペルニクスの「天球の回転について」に残された書き込みの跡を通じ、コペルニクスに続くブラーエ、ケプラー、ガリレオなどの、科学革命の時代を彩った天才たちがどのように影響しあっていたのかを探る。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
オーウェン・ギンガリッチ
- 略歴
- 〈ギンガリッチ〉1930年生まれ。スミソニアン天文台名誉教授、ハーバード大学天文学・天文学史教授。
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紙の本
古典をめぐる知的冒険
2006/01/13 18:11
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:桑畑三十郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
天動説が信じられていた時代に、地動説を提唱したコペルニクスの「天球の回転について」。この本は、あまりに専門的な上に退屈だったので「誰にも読まれなかった本」と言われていた。だが本当に読まれなかったのだろうか。著者はその疑問を解消するため、30年にわたって世界中の図書館や収集家のもとを訪ねる。その結果1543年に出版された初版276冊(日本には6冊)、1566年に出た第二版325冊(日本には2冊)の所在をたしかめる。たいへんな執念だ。状態のよい初版は100万ドルの価値があるとか。それにしても450年も前の本がけっこう残っているものだ。
調査の結果、ガリレオやケプラーも所有していたことがわかる。図法で有名なメルカトルや、18世紀の経済学者アダム・スミスも所有していた。本に残された書き込みを調べることによって、コペルニクスの学説がどう広まっていったかがわかってくる。誰にも読まれなかったどころか、多くの人に読まれていたのだ。特に興味深いのはコペルニクスと同時代の天文学者ティコ・ブラーエだ。彼は「天球の回転について」を4冊も所有しており、それぞれに書き込みがあった。なぜ彼は4冊も持っていたのか。著者はその謎を探るうち、謎の人物パウル・ヴィッティッヒにいきあたる。ヴィッティッヒは非常に優秀な科学者だったようだが、現代には無名である。その理由は「すばらしく有能かつ着想豊かでありながら、どうしても自分の研究結果を出版可能な論文にまとめる気になれずにいる科学者」タイプだったのではと著者は推測する。
ほかにも多数の書き込みが調べられ、筆跡を調べるところはさしずめ名探偵だ。それらの書き込みから、当時の科学者のものの考え方までもわかってくる。
また1970年代に旧ソ連や旧東ドイツで本を閲覧する難しさや、欠けたページを「洗練する」方法など、天文ファンだけでなく、古書ファンも読んでおもしろいだろう。
紙の本
書き込みからたどる知識の伝播の軌跡。推理の面白さがあり、「古本の価値」を考えさせる。
2010/11/08 16:56
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「あまりに難しいので誰も読まなかった」とケストラーが断じたというコペルニクスの「天体の回転について」(『回転について』と略)。しかし、誰も読まなかったなどということがあるのだろうか。著者はそう思い、1973のコペルニクス生誕500年記念行事をきっかけに「誰が、どのように読んだのか」を追いかけた。初版と2版合わせて500冊近くを、世界中の図書館、博物館、個人蔵書家を訪ねて追跡。2002年に調査結果をまとめた本を出版する。30年近くの調査結果は膨大なものであるが、本書はその調査過程を、裏話的なものも含めて一般向けにわかりやすい角度から書いた本である。
一体何冊ぐらい『回転について』は印刷され、当時の天文学者はどう読んだのか。後のケプラーやガリレオは読んだのか。
タイトルに取り上げた「誰も読まなかった」というケストラーの断言に反し、『回転について』は多数の人が読み、書き込みをしていたことがわかる。もちろん、数学や天文の知識がなければ、ほとんどの部分は一般向けではない。(岩波文庫になっているのも、短い第一章だけである。)そっけない書き込みだけのものも多かったらしいが、教会の教義に触れないようにとの配慮がみえる序文や、法王庁の訂正書き込みの指示の跡などを追いかけているだけでも、出版後の様々な動向が垣間見えて面白い。
書き込みの筆跡から書き込みの主を辿っていくと、当時の科学者の関係も見えてくる。「批評の書き込みが、間違ったものもそのまま何冊かの本に書き込まれている」のは、有名著者の本を教科書として使った講義で、教授が自分の考えを述べたままに書き込む学生の姿が目に見えるようである。
かなり厚い本なので、詳しい追跡は少々読むのに疲れてくるところもある。ロシアなどへの調査訪問のくだりでは、アメリカ人的な共産国へのステレオタイプな見方(ほんとにそうなのかもしれないが)が鼻につくこともある。
図書館から巧妙に盗み出された一冊を特定していく過程など、推理小説の面白さもあり、盗品裁判の状況や、オークションでの取引風景なども上手く挿入されているので面白く読ませられてしまった。
出版当初は印刷したばらばらの紙の状態で売られ、購入者が自分で装丁をしたなどは、初めて知った話であった。製本の仕方で何冊か同時に入手したことがわかったり、紙の透かしの位置で後から足りない頁が補われたりもする。この「不足の頁を補う」ことで「きれいな完品」が作成され、「歴史的には」貴重な一冊が消失してしまうことなどもあるというのは、「何が大事か」を考えさせられてしまう話であろう。
著者は語り方が上手い。どこかで最近見かけた名前だと思ったが、著者は『オックスフォード科学の肖像 』(大月書店)というシリーズの編集代表であった。このシリーズもなかなか面白くまとまった科学者の伝記シリーズである。
書き込みの追跡などを読んでいると、どうしても今後の電子書籍時代に考えが向いて仕方がなかった。本書にあるような書き込みの意味を見出すことは、電子書籍の時代にはなくなってしまうのだろうか。今でさえ科学論文はオンラインにほとんど変貌し、ダウンロードして使用するようになっている。1953のワトソン・クリックの論文でさえ、コピーをとって書き込みをしていた人は多かったかもしれないがそれはもう知るすべはないだろう。
それでも、たとえば私でも、古本屋で尊敬する先達の書き込みがある書籍を見つけたりしたら、飛び上がるように嬉しいと思う。(そんな話は「書藪巡歴」(林望)の中にもあった。)そういう「書籍を通じたつながり」はどこへ行ってしまうのだろう。それが少し寂しくもあり、あらたなつながりを電子書籍の時代に見つけたい、とも思うのである。