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  3. 銀の皿さんのレビュー一覧

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先月(2017年5月)

銀の皿さんのレビュー一覧

投稿者:銀の皿

1,153 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

医療崩壊 「立ち去り型サボタージュ」とは何か

力作である。立場を越えて読んで欲しい。

21人中、21人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「小児科医が足りない、産科が、勤務医が減っている」。。。ニュースにもなるこれらの現象を「立ち去り型サボタージュ」と名付け、医師の気力を減じ現場を去らせている原因、医療全体の問題に対する医師の立場からの意見を著者はこの一冊にまとめている。力作である。医療に現在問われている問題に対する鋭い問いかけの本であるとともに、「人であること」「社会に生きること」を医療という具体論からとりあげた優れた本にもなっていると思う。
 「立ち去り型サボタージュ」という現象については、もちろん「できるだけ重大責任の少ない、楽な仕事を」と勤務医よりは開業医、外科よりは眼科、というような判断をする医師自体の問題もあると思う。それは例えば、「つらい」とすぐ仕事を変わろうとするというような、他の職業に携わる人たちにも共通する別の原因も感じさせる。しかし、人一倍の勉強をし、医師になりたいと医学部に入ってくる若者は「金」や「生きるための手段の一つ」ではなく「人を助けたい」「役立ちたい」という職業への思いが(少なくともなった当初は)平均よりも強いと思うのだがどうだろうか。さらに、医療には行政的にも、倫理的にも一つの大きな集団としての特徴があることも確かである。医師個人の問題にばかり帰することは出来ないだろう。
 著者はこの本の前に「慈恵医大青戸病院事件」を著しているが、本書では問題をより普遍的に扱っている。慈恵医大の事件も含め多数の具体例も引き、医師としての著者の専門的視点から問題点を丁寧に論じていく。心情的な意見も、感情的にならず、しかし見過ごすことなく書き込まれているので、共感を持つにしろ、疑問をもつにしろ、冷静に読み、考えることができる。
 医療を受ける側として読む方々には「医療者側にも真剣に考えている人がある」ことを知り、自らも反省することがないか批判受容力(本書には医師の能力としてこの重要性が書かれている。p92)を発揮して欲しい。医療に携わる方々には「良く書いてくれた」と思うだけに留まらず、ここから積極的に踏み出して欲しい。事件として扱う立場の人たちも、立場を越えて読んで欲しい一冊である。
 「医療、病院、医師への過剰の期待」「事故の責任が個人に向けられる構造」など、論点は各個人の考え方から、市場原理や共通資本という経済学としての考え方、司法の問題、ジャーナリズムの問題まで多岐に渡っている。「立ち去り型サボタージュ」の問題点は、医療の現状が、真面目な医師の努力を評価する方向になく、そのために志ある医師が気力をなくしてしまっているのだということになるが、読み進むうちにこれは医師、医療の分野のみの問題ではないこともひしひしと感じられる。
 何度か引用される「人は誰でも間違える」ものであるということ、「人は誰でもいつかは死ぬ」という事実。それらを誰もがきちんと理解すれはもう少し状況は良くなる、という著者の意見には賛成である。そして多分「それでも「自分だけは」と目をつぶって生きている」のが人間であるということも意識しなくてはならないだろう。そういうことを知ってもまだ、必ず「誰でも間違えるんだから自分だって悪くない」と言い出す人間はいるだろうが。。。
 著者は「事故防止に医師に必要なもの」として「批判受容力」をあげているけれども、これもまた人は誰しも身に付けなければいけないものなのではないだろうか。そして、それがきちんと発揮され、受け入れられるための社会システムを考えていかなければいけないと思う。
 少々厚めの一冊であるが、著者の真摯な書き方、熱意に助けられ、一気に読み通してしまった。是非、開いてみて欲しい。そして、立場を越えて対話し、歩み寄り、事態を脱する方向へ進めることを期待したい。

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紙の本

沈黙 改版

紙の本沈黙 改版

2006/02/27 11:07

神はこのようにして見出されたのかもしれない

20人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 キリシタン迫害史を背景に、信仰の根源に迫る小説。何度か読んだのであるが、今回感じたのは「人間とは認められたい動物なのだ」ということだった。
 作者は長崎で一つの磨り減った踏絵を見たことでこの小説を書いたのだそうである。師が転宗してしまったと伝え聞き、その後を継がねばと日本に向かった主人公の司祭。彼がキリシタンの里に隠れ、捕まり、師に会い、彼もまた踏絵を踏んで転宗していく過程の描写はぐいぐいと読者を引っ張っていき、映画を観ているようである。まるでユダのように転宗、裏切りを繰り返すキチジロー、「日本にはそなたの宗教は根付かない」と文化の違いを語る凄腕の奉行など、主人公以外の登場人物にも考えさせられるところが多い。信仰とは何か、日本人の宗教とは何か、などを描いた小説として有名な作品であり、表題になった神の「沈黙」についても読者はそれぞれ、いろいろな考えを読み取るだろうと思う。
 最後に踏絵を踏む場面はこんな風に描かれる。:
「その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。」
 以前はこの文の後半に感動し、キリスト教とはこういうものか、と少しわかった気持ちがした。
今回は「この私が一番よく知っている。」の部分が心にささった。結局、主人公も「どんな選択をしても、神が知っていてくれる」と信じることで生き続けることができたのだろう。そうだとしたら、なんと人は「どこかで認知されている」ことを求めるものなのだろうか。日本人でも「お天道様が見ている」などと表現することがあるではないか。神とは、そのようにして人間に見いだされたものなのかもしれない。宗教とは、をこんな風に考えされられた。
 よい作品は読む度に新しい発見をくれる。「沈黙」もそんな一冊である。

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紙の本

働かないアリに意義がある

紙の本働かないアリに意義がある

2011/01/14 17:02

社会システムが複雑になると「ただ乗り」も増えるなんて・・・。身につまされる話です。

19人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 誰にでもちょっと魅力があるタイトルではないでしょうか。「働かないでいい」という言い訳にも使えそう、とか。帯には「7割は休んでいて、1割は一生働かない」とあり、さらに「身につまされる最新生物学」。「身につまされる」というところが気になります。
 主にアリの社会性行動の話なのですが、人の社会現象にもつなげてあるので身近に感じられ、ひきつけられてしまいます。といって「面白おかしい」書き方ではありません。平易ですが誠実で好感の持てる文章なので、結構真面目に考えさせられてしまいました。昆虫の行動の研究がかなりヒトの行動を説明できるところに来ていると感じます。

 アリの場合、普段休んでいる「7割」も結果的には「いざと言うときに働く力になる」という形で集団が長く存続する力となると考えられるそうです。その説明に使われている「反応閾値モデル」という言葉は、説明を読むととても納得できるものでした。例に使われているのは人間集団の掃除の話です。「掃除しなくちゃ」と思う程度(閾値)には人により差がある。普段は一番綺麗好きな(閾値が低い)人ばかりが掃除することになるが、その人がいなくなってしまう(例えば卒業してしまうとか)とその次に我慢できない人が始める・・・。結局最後まで掃除しない(閾値が極度に高い)人もいるわけですが、「人により差がある」ことで全体が上手く機能する(この場合は「どんな集団でも誰かが掃除してきれいにする」)という結果がおきる、というのです。これは、私自身の実体験にもとても符合しています。
 でもこれ、その集団としては上手く機能するかもしれませんが、「割りを食う個体はいつも先に割りを食う」。働いている個体の立場からみたらちっとも「上手い」とはいえないですよね。やっぱり身につまされます。
 こういった身近な行動の中にも、ヒトにも昆虫にも共通する原理があるというのは、わかってみるとやっぱり感動でした。

 もちろん、アリでは説明できるけれどヒトにはそのまま適用できない話もあります。アリはハチなどと同じく、女王アリが産んだ子供で構成され、しかもオスは「染色体がメスの半分」という社会。働きアリ(メス)にとっては姉妹と兄弟の価値が違ってしまうというところがある。そんな話も、わかりやすいので「じゃあ、人間だったらどうだろう」と考える材料提供に充分なってくれます。

 集団で生きて行く事が有利だったから集団を維持する様々な行動システムが生まれてきた。本書の最後に近づくにつれ、そのことが良くわかってきます。
 しかし「メリットあればデメリットあり」。システムができると、うまく「ただ乗り」をするものが入り込む隙間も多くなる。実際のアリの社会にもある、というのは驚きです。人間社会の複雑化したシステムは、人間社会を広げたけれど「ただ乗り」も増やした、ということは考えれば思いつくことがたくさんあるところ。ほんとに「身につまされる」話です。規則をつくればつくるほど・・、という苦労はほんとにたくさんころがっていますもの。

 アリの社会の研究から、著者はいろんなことを人間社会に引き寄せて考えさせてくれました。それでもまだまだ「理論」の矛盾はあるし、わからないこともたくさんある。理論にあてはめるだけでなく、説明できないことがあれば理論自身も再考していく。「まだみつかっていないこと」を示すのが学者、と書く著者の姿勢に誠実さを感じます。

 表題に戻ります。「働かないアリに意義がある」は確かに正しいのでしょうが、これを「働かない言い訳」に使っては「複雑化したシステムのただ乗り」でしょう。今の人間社会を考えると、「働きたいけど仕事がない」といったケースもある。「働かない」と「働けない」とはまた違う・・・。なんだかやっぱり「身につまされる」話です。

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紙の本

精霊の守り人

紙の本精霊の守り人

2008/07/31 17:13

読むたびにさまざまな角度から世界がみえる。

17人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 よいお話は、いろいろな読み方ができるもの。「精霊の守り人」もそういう類の冒険ファンタジーであった。
 精霊を守る役目を担わされてしまった皇子チャグムと、皇子を守る役目を担わされてしまった女槍使いバルサを中心に描かれる、人間の住む世界と重なって存在するもう一つの世界と関わっていく物語は、昔話にも似たこわごわ、ドキドキ、わくわく、のお話である。ときおり書き込まれている泉や水、風景の描写、なんでもない現世の村や村人の懐かしいような生活の描写にも引きこまれる。

 皇子チャグムは「どうして僕がこんな役目を負わされたのか」と八つ当たりをしたりもする。チャグムと同い年ぐらいで読めば、主人公に自分を重ね合わせ、大人になる過程での葛藤などに共感する部分があるかもしれない。(そしてそれを受け止めるチャグムにも心の変化があり、これはまた二作目へとつながっていく。)
 「年頃」の世代が読めば、女用心棒のバルサと呪術師見習いタンダの抑えた恋心の表現に引きこまれると思う。(「年頃」と括弧をつけたのは、バルサは中年のおばさんという設定なので「若い人」だけじゃない、といいたかっただけの事である。30そこそこらしいのだが。)二人の交わす言葉にもこもった思いは、「恋愛」を少しは体験した読者には不思議な味わいを残すだろう。荒っぽいようだがユーモアで気遣いを隠した言葉は「大人の会話」である。
 経験豊かで苦い苦労もした年代が読めば、伝説や歴史文書の役割、世界観の成立、政治とか社会の仕組みの裏表などについての著者のメッセージが聞こえるだろう。精霊を守るための方法は長い時の流れの中で忘れられていったし、伝承も作り変えられてしまった。伝説は強者が支配に用いるために捻じ曲げたりするばかりでなく、弱者すらも自らのプライドのために変えてしまうことがあるなど、著者の専門家としての眼がしっかりと現実の社会を捉えて書かれている。何時の世も変わらぬ人間社会のなりあいを指摘した言葉は心当たりのある読み手には結構鋭く刺さるのではないだろうか。
 さらりと一度読んだあと、二度三度と読み返してしまった。そのたびに少しずつ違う視点を感じて飽きさせない。見るたびにさまざまな角度から光が反射する、上手にカットされたガラス細工(にしては骨太な作品だが)とでもいえるだろうか。読み手がたくさんの視点を持っていればいるほどいろんな世界の見方が楽しめると思う。

 精霊の卵を食いに来た「もの」を人間が退散させた後、この卵は人間たちから他のこの世界の生き物に托される。小さい生き物がひとつ加わっただけなのであるが、「人間だけが関わっているのではない、他の生きものたちも」と目線がとても広いところに導かれていく。こんな広がりを感じさせたところで、目線はまた人間へと戻ってくる。ひとり旅立つバルサの「だれしもが、自分らしい、もがき方でいきぬいていく。全く後悔のない生き方など、きっとありはしないのだ。」という心の声は、じたばた生きている自分をも励ましてくれた、なかなか大人にも響く終り方であった。 
 広がる世界と、人間の心や言葉から見える卑近な世界の描写がお話のあちこちで上手く交じり合っている。こんなところにも、読み手にいろいろな視点で読ませてくれる、切り取り方の上手さが感じられる。

 著者のあとがきも、解説を書いた方々も、「ゲド戦記」や「指輪物語」を引いてこの作品を解説・紹介しているが、それもうなづける、しっかりとした物語世界があり、メッセージもあるお話であった。児童文学として分類されるが、大人の読み物としても充分手ごたえがあるところもこれらの名作、大作を感じさせる。
 続編がかなり出ていて、文庫化されていくようだ。楽しみである。

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紙の本

津波災害 減災社会を築く

紙の本津波災害 減災社会を築く

2011/03/27 17:03

津波の原理、被害、対策がバランスよく説明されている。

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者は工学系の、防災・減災・危機管理の専門家。本書は2010.2.27のチリ沖地震津波をきっかけとして書かれた。それまでも住民の避難率が低いことが問題になっていたので、これまで少なかった津波の防災に役立つ知識の本として書かれたということである。
 わかりやすい文章である。原理の説明も、被害の原因も、どうしたらいいのかの対策も、バランスよく説明されている。

 浮いてしまう家、数十分間隔で寄せる複数の波。コンビナートや住宅の火災。今度の地震による津波の災害を(もちろん素人の感覚ではあるが)いい当てていて恐ろしいほどであった。
 「津波は第一波が一番大きい?」「津波は引き波からやってくる?」など、小見出しになっている疑問文はよくある誤解を的確に示している。実際に第一波が収まり、帰宅して被害にあった事例、シミュレーションで第11波が最大になるという計算例も載っている。その中で「以前の小学校教科書に載っていた文章が、引き波で始まった津波を取り上げていたせいで『津波は引き波で始まる』と覚えてしまった人も多い」という話にはとても複雑なものを感じてしまった。「引き波から始まる場合も、そうでない場合もある」。そういうことをきちんと知っておかなくてはならないだろう。
 
 著者はつい陥りがちな災害時の心理も熟知している。津波の実践的な対応についてでは「とにかく逃げろ」と強調しているのだが、「車で山まで逃げられても、後続の事を考えて数キロは高くまで進むこと。」という提言を加えることも忘れていない。
 現代の日本での陥りやすい問題点・対策も多く指摘されている。例えば情報機器が発達すればするほど「避難警報がでていないから」と避難しない、自分で判断せず頼ってしまうことに慣れてしまう危険性。計器が壊れてしまったり、警報を伝える手段が故障してしまう場合もある。この指摘にはどきりとするものがあった。基本は「正しい知識と情報を個人が持って判断すること」につきるだろう。

 本書の出版は2010年12月。「もう少し早くこの本を読んでおけば」などとは言うまい。もし読んでいたとしても「そうか」と読み流してしまった可能性が高いからである。
 しかし、今から読んでも遅くはない。現実になってしまった災害をもう一度理解し、記憶に留めて生かすためにも、沢山の方に本書を読んで欲しいと思う。何時次の津波が近くで、旅行先で起きるかわからないのだから。

 早く忘れてしまいたい記憶も多いに違いない。しかし少しでも次の被災者を減らすため、記録し語り継いでいくことが残ったものの仕事の一つでもあるだろう。忘れたいことかもしれないが、語り伝える義務もある。
 記憶を留め、新しい発見、反省を積んでいく基礎としても、本書は大変役に立つと思う。

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紙の本

隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民

「隣りのアボリジニ」は「隣りのニッポンジン」。人間性の共通部分が見えてくる。

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「精霊の守り人」から始まるシリーズや「獣の奏者」シリーズなど、素晴らしいファンタジーの書き手である著者の背景を窺わせる、異民族の交流の話である。
 著者は文化人類学の研究者。本書は著者が初めてボランティア教師としてオーストラリアに行き、アボリジニの人たちと出会ったところから始まる。
 白人がオーストラリアに移住するようになり、アボリジニはそれまでとは異質の文明にさらされた。長い時間を経て都会になじんでしまったが、白人とはやはり違う文化を残しているのだけれども、もう昔には戻れないという人々が彼らの中には大勢いる。そんな人々と直接知り合う中で、「文化」や「人間」について著者が考えたこと。その中にはこれまでの著作を読んで「そうか!」と気づかされたことにつながるものがたくさんあった。こういった確固とした基礎の考えが、著者のファンタジーの深さ、濃さになるのだろう。

 聞き取りをすると、同じ事象が人により違った形で記憶され、語られることがあったこと。これは「精霊の守り人」では「伝説は征服者の都合のよいように書き換えられるばかりか、敗者の自尊心で変えられることもある」という言葉になっていく。現実の世界でも、戦争の体験が語られる中には、それぞれの状況で記憶が変わってしまったもの、変えてしまったものもあるだろう。「誰が書いた歴史なのか」といった「歴史とは何か」という問題でもあるのだ。
 アボリジニの変遷を著者はつづっているのだが、たかだか百年ぐらいでは人間の根本的な行動パターンは変わらないということを再確認したような気持ちになってくる話も多い。例えば、ある程度の生活が保障されても希望がもてないと、家に寄り付かず、刹那主義的に騒いで暮らす若者が出てくること。家に帰らず、繁華街で夜を過ごす日本の若者にもどこか同じ共通したところがあるのではないだろうか。
 アボリジニにも幾つかの異なる集団がある。アボリジニというのは、彼ら自身、白人が入ってくることで獲得した概念である」とあるところでは、それまでは「国といえば自分の藩」であった人々が黒船が外交を迫ってきたことにより「日本人」という概念で考え始めたことと似ている。似ている。同じ人間の認識、行為としての共通なのかもしれない。

 漫然と読めば、ここに登場するアボリジニの人たちを「可哀想な境遇」「難しい環境」と、「遠くのお話」で済ますことも出来る。しかし私たちにも共通する「人間性」の部分がみえてしまうと、問題は私たち自身のものに感じられてくる。
 「隣りのアボリジニ」は「隣りのニッポンジン」でもあるのだろう。変わらない「人間性」があるからこそ、「歴史は繰りかえす」ことにもなるのかも。
 
 本書は2005、ちくまプリマーブックスで刊行された。今度文庫になったことで、より広い範囲の人々に読まれることになると思うし、それだけの内容の本であると思う。文庫になることにはさらなるおまけの楽しみもある。著者が執筆当時を回想したり、反省をしたりして書いた「文庫本へのあとがき」もその一つ。解説を誰が書いているのかも味を添える。本書の解説は池上彰さん。どんな説明を書かれているのかだけでも、文庫本を手に取りたくなってくる。

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紙の本

おばさんとトメ (BIRZ EXTRA)

拾われて家族になった猫たちとの苦笑・爆笑・哀愁。「くるねこ」の姉妹版。

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「飼猫との日常」が楽しめる漫画「くるねこ」。これは本編「くるねこ」とは出版社が違うので、番外編というか、姉妹版というところでしょうか。登場人物(広義に解釈して下さい)は本編と同じですが、トメちゃんが中心です。
 帯にもあるように、たしかに「絶妙~の間」。笑えるところ、じーんとくるところ、そういう日常のできごとが、淡々と描かれてます。叱ったり困ったり、ドキドキしたり。べたべたしない描写が気持ちいいです。猫を飼いたくても飼えない私にはフラストレーション解消にもなっています。ついつい、何度でも読み返してしまうのです。

「笑」の例
1)ごみ捨てに行って作者が戻るのを見ていたトメちゃんの台詞。「おばさん  わすれものです」。いやー、飼い犬や飼猫が見ていたらほんとにそうおもわれてるかもね、と思ってしまいました。
2)「寝起きがオカルト」の猫の顔。飼ったことのある人にしかわからないものかもしれませんが、しゅん膜のかかった白目のような目はたしかに怖い。
「哀愁」の例
1)拾ったとき、のトメちゃんの台詞。「もっと遠くに捨てに行くの?」
2)なでようと手を出すと「叩くの?」と「耳ぺったんこ」になっちゃうのは、野良猫時代についた染み付いてしまった習性でしょうか。
 (拾われた頃、のことは「くるねこ」に詳しいです。)

 乳飲み子猫で拾われた弟猫は「おかーちゃん」と作者を呼ぶ(と作者が思っている)のに、トメちゃんは「おばさん」と呼ぶ(と作者が思っている)のも、拾われた時期や作者との位置関係を感じます。ちなみに兄猫のぼんは作者を「あねさん」と呼ぶ(と作者がおもっている)。家の中にちゃんと家族としての序列ができてますね。血はつながってなくても、いい家族です。
 読む人は、きっとそれぞれの家族の中に「肩入れ」する誰か、ができるのではないでしょうか。

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紙の本

解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯

ハンターを理解しなかった人々を、私たちは笑えない。

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 久しぶりに面白い人物の伝記に出会った。
 外科を科学にした男、ジョン・ハンター(1728-1793)。種痘を普及させたジェンナーの師、あるいはキリンやクジラ、大男の骨格標本から自分が手術した人間の臓器まで、希代の収集家。「ジキル博士とハイド氏」の発想の元となった家に住んでいたとも、「ドリトル先生」のモデルとも言われる外科医である。この18世紀イギリスの外科医について、日本語で今読めるまとまった伝記はこの本ぐらいだろう。
 著者はジャーナリスト。ハンターの伝記として、しっかりと抑えるところは抑え、面白いエピソード(もともとその類に事欠かない人でもあるが)をふんだんに加えて刺激的な楽しい読み物にしあげている。かなりの力作である。

 全体としては少々「際物」的なまとめ方をされているのだが、医学をマスターするために何が必要だと考えていたかがわかる、ハンターの価値をよく伝えてくれる文章である。特に第11章の、学生への講義の様子などにはそれがよく描かれている。
 ただしこの第11章のタイトルが「電気魚の発電器官」で、たしかにそのエピソードはあるのだが、ちょっと中身とずれている。他の章も、第1章から「御者の膝」、「死人の腕」、「墓泥棒の手」、「妊婦の子宮」・・・と少々おどろおどろしい。邦訳の表紙カバーも、ぎょっとするかもしれないような解剖図である。まあ、話題に事欠かない人物ではあったようなので、このような雰囲気もあってよいのだろうが、そちらばかりが強調されても、と言う気はする。

 権威の裏付けて信じられた治療法よりも、解剖で、自分の目で確認したことが大事であるいう考えを貫き、解剖を、自分の目で確認することを実践し続けたジョン・ハンター。機会の少ない人体解剖のために墓荒らしまでした、というところは解体新書の歴史背景との共通性をを想起する読者もあるかもしれない。それ以外にも派手な話題が多いのが彼らしいのであるが・・・。歴史ある病院や医師は彼のやり方に反対し、訴訟や誹謗の文章も書かれた。原題はThe Knife Man。まさにメスを振るうことで名を残した男である。

 翻訳書の場合、原著と原題や装丁などを比較してみると出版意図などの違いなど、結構いろいろなことが想像できてそれも一興なのだが、本書の原題の雰囲気もなかなかよいではないだろうか。カバーの絵は英語版はもっと「普通」であり、この手の本ではお定まりの「豊富な参考文献リスト、注釈、索引」が付いている。邦訳されるときにはページ数の問題もあるのだろうがこのあたりが省略されてしまうのはかなり「しっかり読みたい」者には残念である。

 山形浩生さんの解説も、ちょっとハンターが乗り移ったようで小気味がよい。指摘も鋭い。「ハンターを理解しなかった人々」と、私たちは同様なことを繰り返してはいないだろうか」というのである。確かに、現代のジョン・ハンター、時代に先行し奇異にも見える行動をする人々を私たちは正しく扱った、と後代の人は思ってくれるだろうか。この本はこんな問いかけも、メスのように突きつけてくる。ハンターを理解しなかった人々を、私たちは笑えない。

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紙の本

今こそアーレントを読み直す

紙の本今こそアーレントを読み直す

2009/08/25 16:47

「アーレントはひねくれている」というスタンスで「ひねくれて書いた」わりにはまともな入門書。

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 アメリカ的自由擁護、全体主義批判の政治学者として位置づけられることが多いのだが、必ずしもアメリカ的自由を全面的に支持しているわけでもない、アーレント。「エルサレムのアイヒマン」(1963)や「リトルロックについて考える」(1959)での比較的わかりやすい指摘には理解できうなづける部分が多い。でも、「ではどうしたらよいのか?」という問いかけにははっきりとは答えてくれないもどかしさもあるのがアーレント、というのが私的なアーレントの印象である。
 この本は、アーレントを読んでは見たけれどすっきりしない、わかりにくい。でも気になる、という人(そういう私もその一人)には「こういう見方もできる」とちょっと理解を進めさせてくれる本である。

 著者の執筆のスタンスが面白い。
 アーレントは「少しひねくれている」。「アーレント自身、”政治”に関心を持って熱くなっている読者を挑発するつもりで、わざと「非挑発的」に、自らの政治哲学を展開している気がする。P218」というのである。「答えをあえて示さない、それがアーレントへの好みのわかれめ」。
 だから著者自身も、「わかったつもりにさせることを拒否してアーレントを紹介する。」という方向で本書を書き始めている。
 『「政治」について語る思想家は往々にしてわかりやすい結論にいきがちである。これは「宗教」に近い営みであろう P9』、と著者は序論からすっぱりと書いてくれる。窓の外から響いてくる「ワン・フレーズ」を強調する選挙演説を聴きながら読んでいると、その意味がよくわかる。「政治に参加すること」を強調したアーレントであるが、彼女の言う「政治参加」とはこういう「お祭り騒ぎ」のような形での参加とは違うということが、この本を読めばかなりわかってくるだろう。こんな部分は著者の「ひねくれた」書き方が爽快でもある。

 しかし、著者には不本意かも知れないが、この本はちゃんとアーレントの代表著書の解説も入っていて、わかりやすい「入門書」にもなっている。
 タイトルのように「読み直す」人ばかりでなく、哲学にも政治にも興味のなかった人が読んでみても、現代のさまざまな政治状況に引き寄せての著者の「ひねくれた」スタンスの解説は身近で読みやすい。
 終わりの方は、ちょっと普通の「アーレント解説本」に近くなってしまったところもある。著者自身が翻訳などもされた研究者でもあるからか、カントの説明(アーレントのカント解釈)の解釈)はかなり「普通」になっている気がする。

 「わかりやすさに慣れすぎると、”我々”一人一人の思考が次第に単純化していき、複雑な事態を複雑なままに捉えることができなくなる。P13」。これは本当にその通りだと思う。政治の問題だけでなく、我々は「わかりやすく説明してよ」と安直に言ってしまう、期待してしまうことが多くなっていないだろうか。それは説明する側にもいえる。書評もそれを手伝っているのかもしれない、という自己反省も含めてそう思う。
 アーレントは、そんな「人間性」を戒めてくれるところがある。「安易に答えをもとめないこと」「単純、明快に走りすぎないこと」「思考を停止しないこと」。「楽」に傾きがちな「人間のさが」をジンワリと批判してくれる?といったところだろうか。
 難しくても、自分で苦労して育てなければ自分の理解、考えではない。喜びにはならない。アーレントは、もしかしたらそんな基本的なことを説き続けているのかもしれない。アーレントらしいひねくれた」書き方で。

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紙の本

調べる技術・書く技術

紙の本調べる技術・書く技術

2008/06/28 10:08

一昔前ならここまで手の内はださなかったかも。

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ノンフィクションの手法としてこれまで確立してきた「書き方のフォーム」をまとめたという本である。「記事」をまとめるための方法であるからインタビューの仕方などの特殊な部分もあるが、文章を書く場合すべてに共通する「基本心得」も入っている。なにか文章をまとめる必要があると思う方は一読して損はないだろう。きちんとした方法・手順をまとめた本で、読み応えはある。

・第一章 「テーマを決める」、第二章 「資料を集める」、第五章 「原稿を書く」などはノンフィクション記事だけでなく、一般に文章を書くための基本的な考え方として読める。第五章にはスクラップファイルの方法、索引やチャートなど、実際的なまとめ方の紹介があり、名作「知的生産の技術」を少し思い起させる「技術」が書かれている。ペン・シャープナー(文章を書く気になるためのきっかけ。興味がある方は是非読んでみてください)や「あれもこれも入れると締りが無くなる」という話は心当たりのある人には「確かに」とうなずきたくなるところであろう。このあたりは理系の作文にも共通する手法、考え方である。

・第三章「人に会う」、第四章「話を聞く」は、インタビューをして記事を書くというノンフィクションならではの技法についての部分である。対人的な部分だけあり、電話のかけ方、御礼の手紙文など、これってただの礼儀作法じゃないの、と思えることも結構書かれている。こういうこともマニュアル化しておかないといけない時代になったようだ。年寄りの繰言に過ぎないかもしれないが、そういうことは見ながら自分で学んだり工夫したりするものだと思っていた。分からないところは、まず見たり聞いたりしたことから自分で考えるという時代は過ぎ、「なんでも教えてもらう」時代になってしまったのだろうか。なんだかそれならコンピュータと同じみたいでちょっと寂しい。

・第六章「人物を書く」、第七章「事件を書く」、第八章「体験を書く」には実例として著者の文章が掲載されている。その文章自身もなかなか面白いし、具体的な題材を用いているので思考のポイントが分かりやすい。ちょっとした「メイキング」ものを読む感もある。そこまで書き方の手の内をみせてもいいんですか、と著者に効いてみたくなるほどであった。

 著者は「常識とされていたルールが次世代に伝わっていない。p9」危機感を持ち、この本を書くことにしたという。どんな分野にもそれなりに確立されてきた方式があるのだろう。一昔前なら、それぞれの「記者」が自分のスタイルは自分のもの、後輩にも「みておぼえろ」というような職人気質の世界ではなかっただろうか。なんだか「後継者」がないので、とにかく文書にして残しておこう、という文化の一面を見るような気もした。

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紙の本

イスラーム文化 その根柢にあるもの

宗教の本質を捉えている、イスラーム文化の第一級の啓蒙書

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 イスラーム教の根柢を説明する、第一級の啓蒙書。著者は岩波文庫の「コーラン」(上・中・下)を親しみやすい口語で訳している著名な宗教学者。ユダヤ教、キリスト教だけでなく、仏教にも言及しながらの、イスラーム教の成立、本質、内部の対立などについて体系だった明快な説明となっています。
 世界情勢にからんでイスラームを知りたいと考え、入門書をさがした中では最も理解を助けてくれたのが本書でした。目を通した中には、タイトルは目を引いても著者の旅行記の如くで終始していたり、著者の立場があまりにもですぎていたりするものもありました。本書は読みやすく、根元にせまるポイントを簡潔にまとめていて信頼できると感じさせます。他宗教との違いのみならず、普遍的な部分なども読み進むうちに感じ取れる、というのは本質を本当にきちんと摑まえて書かれているからだと思います。
 イスラーム教と言えば「片手にコーラン、片手に剣」と世界史の授業で習ったことぐらいしか覚えていなかったのですが、これも必ずしも真理ではないことなど、読み進むうち随分「イスラーム観」が変わってきました。
 副題にあるとおり、「根柢にあるもの」の説明ですから、現在の世界情勢に直接関連する説明としては物足りないかもしれません。しかし、「根柢にあるもの」を知った上でもっと具体的な事例にあたれば、より深い理解が得られると思います。
 講演の記録をおこした文章ということなので、少々くり返しがあったり、論旨が行ったり来たりするところもありますが、それでもポイントを理解するのが難しくなる、ということはありませんでした。
 これを読んでから著者訳の「コーラン」を読むと、さらに面白く、よく理解できる気がします。「コーラン」の各巻末にある著者解説も大変コンパクトによくまとまっていてわかりやすいです。

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紙の本

医薬品クライシス 78兆円市場の激震

薬の「2010年問題」とはなにか。「医薬品・医薬品業界」からこの問題を明快に説明する。

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 2010年は医薬品業界には大変な年なのだそうだ。一体どういうことなのか。ここ数年新薬がパタリと生まれなくなり、大きな利益を上げていた薬(ブロックバスターという)の多くで特許の期限が2010前後に切れてしまう。売れる薬の特許保護が外されて新薬も出てこない、ということは会社組織としては存亡の危機。簡単にするとこういうことらしい。

 なぜ新薬が生まれなくなったのか。なぜ特許で守られているのか。それがなぜ危機といわれるのか。本書は「薬とは何か」「医薬品を創るとはどういう行程か」からはじめ、要領よくこの問題を説明している。さらには組織というものの性(さが)までも考えさせてくれた。
 患者を救うという崇高な目的のもとに莫大な資金や情報が飛び交う薬の世界。薬の基礎から、製薬会社のありようと現代の問題までを小気味良く解説してくれる一冊である。

 著者は医薬品メーカーの研究職を経験し、現在はサイエンスライター。分子の面白さをわかりやすく説明した「有機化学美術館へようこそ」の著者でもある。本書もテンポの良い文章で、問題点を浮き出させている。
 前半部分は、薬や製薬会社の仕事を理解するための一寸した解説としても充分読める。具体的な医薬品の名前や作用、会社名なども出てくるが難しくならず、かえって「具体的で良くわかる」効果になっている。2010年問題に関心がなくても、面白い。
 新薬が登場しなくなった原因分析として、世界的な「大合併」にも要因がある、と著者は書く。大型化すれば扱う薬の種類も増え、安定するが特殊な活動はしづらくなる、などメリットとデメリットがともに発生するのである。
 終り近くの第五章で「画期的な医薬の創出に中心的な役割を果た研究者が何人も会社を中途退職している(P180)」とあるが、これなども巨大化したことで発生したマイナスの面の表われとも考えられる。これは「グローバルな競争力のため」と合併した他種の会社(銀行やスーパーなど、合併で名称がめまぐるしく変わり、覚えるのが辛い、と感じた人は少なくないだろう。)にも共通する問題点でもあると思う。
 しかし、ではもう新しい薬が世に出ることはないのかというと、暗い話題ばかりではない。幾つかの新しい模索の方向も示されている。「薬」という物質ではないが、病気を治療するものとして注目されているiPS細胞などにも触れ、今後への期待をつないでくれている。

 2010問題が現実化しても、一日でどうなる、ということはないとは思う。しかし薬のお世話になっていない人はいないぐらいの現代社会。薬のしくみ、薬が世に出るための仕組みを少しは知っておくことも必要なことだと思う。時にはこういう本で現状認識もしなおしてみたい。

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紙の本

100円ショップで大実験! 100円ショップは科学実験材料道具の宝庫!! 子どもといっしょにはまるウラワザ実験100

100円でもできること。100円だからできること。

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 楽しい科学実験を「100円ショップで買える物」でまとめたところがポイントである。100個の実験が、2ページほどにわかりやすい図解つきで並んでいる。

 何度か「たしかに。」と感心しながら読んだ。
 一つ目の「たしかに」は、「たしかに実感できる」。「底がざるでも表面張力で水は漏れない」など、簡単なことだが、「たしかに」である。実際に簡単にやって見ることができるのはとても大事なことである。
 二つ目の「たしかに」は、「たしかにこの値段なら惜しくない」。「分解してみたい!」という昔ながらの「探究心」を満たすのに、時計や電卓、タイマーなどの機械も100円で手に入る。昔できなかった「積年の思い」を思う存分はらしてみてもよいかもしれない。子供にも気の済むまでやらせることができるだろう。きちんと分解できたら誉めてあげたいし、きちんと組み立てられたら、もっと誉めてあげたい。
 三つ目の「たしかに」は、「たしかにいざと言うときこれは使える」。急な停電の時、こんなものもろうそく代わりに使える、とか電池が作れる、とか。科学の原理を考えれば「たしかに」なのである。100円ならちょっと余分に買っておいても、と言う気分にもなる。

 諸品価格高騰のおり、100円ショップは庶民の強い味方。ここで使われた商品がまだ100円かどうかは心もとないが、たとえ倍額になってもまだ「たしかに」と「このぐらいの投資なら」と思って気軽にできる「知的冒険」としての価値はある。さらには新しい商品をお店で探し出してみる、という楽しみも残っている、というものである。
 「楽しく科学を」ということでさまざまな実験キットなども販売されている。でも、こんな手近にあるものでもできることはたくさんあるのだ。新書の形態をしているが、「学研」らしい、読んだらなんだかやってみたくなる、楽しい科学の本であった。

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紙の本

哲学入門

紙の本哲学入門

2007/11/27 16:27

やはり「哲学入門」の名著。

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 世に出てそろそろ一世紀たとうかという、このラッセルの「哲学入門」。あらためて読み直してみてもやはり新鮮であり、読み継がれる理由がわかる名作である。ラッセルはその文章を引用されることも多く、核廃絶運動などの政治的な活動でも知られた多彩な側面をもつ哲学者であるが、彼の哲学的「態度」を理解するためにも、本書は読んでおきたい一冊であろう。
 「入門」とされてはいるが、「認識論」のポイント、問題点はしっかり押さえてあり、そこは原題The Problems of Phylosophyの通りである。言葉使いも平易で明解であるが、昨今の「入門」書にみられる若者向けに柔らかくした言葉ではない。
 よい「哲学入門書」として初学者にありがたいのは、全体量も少なく(文庫で200ページほど)、さらにそれが15の章に分けられていること。プラトン、カント、ヘーゲルなどの重要な人物の評価も短く、的確に書かれている。テーブルやシェークスピア「オセロ」などを例にとった説明は、「論理的な世界観をつくる思考の仕方」というものを具体的に示してくれる。現実と情報を区別すること、などの指摘・説明は、今も新鮮である。最終章(15章)「哲学の価値」は、哲学と科学の位置づけなどについてのラッセルの考え方がよく現れていると思う。
 「確実なものから積み上げていく」「どんな前提の上に積み上げたのかを常に意識する」「不確実だと思われる場合には常に確実なところまで戻ってみる」。ラッセルの論理的、現実的、堅実な態度は何度でも振り返って学ぶべきものだと思う。これは特に最近の情報過多、上滑りの思考に引きずられがちなわが身への反省でもある。

 注意をしたいのは、この書で主張したことから著者は後に意見を変えていることである。それだけ哲学の諸問題の根本はまだ「確定」というには距離があることを心において読みたい。著者自身、本書にも載せられている1924年のドイツ語版への序文でも見解の変化を述べている。こういった「変更を加え続ける」態度も、本書から、あるいはラッセルから学ぶべきものといえるだろう。

 他の翻訳の読後感の記憶はないのだが、少なくともこの訳文はわかりやすい。翻訳者自身の解説も丁寧で、どのような方向で翻訳をされたのかが伝わってきて参考になる。

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紙の本

秘密の花園

紙の本秘密の花園

2007/10/19 10:56

贅沢な育ち方でも楽しくない子供たち。現代の子供にも通じる、子育てについて考えさせられる。

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 我儘に育ち、突然両親を失った少女が叔父の家に引き取られる。急にまったく違う環境に放り込まれて成長する子供、というプロットは、同じ著者の「小公子」「小公女」と似ているところではあるが「秘密」「花園」という言葉のせいか、想像をかきたてる「児童文学」である。
 子供の頃に読んだ「子供向け」の翻訳がどうだったかの記憶はもうないので比較のしようもないのだが、この光文社の新訳はきちんと大人も読める文章に訳されている。淡々としているのに容赦ない、子供の性格描写。移り変わる自然を描写する美しい文章。子育てに関する格言のような鋭い言葉。大人になって読んだほうが味わえる部分がたくさんあることがわかった。

 主人公メアリは、はじめ不機嫌で可愛げのない「つむじ曲がり」の性格と書かれている。お話もなんだかじめじめと始まる。その中に「人は笑うとずいぶんいい顔になるのだな、と思った。」といった文章がきらり、と現れ少しホッとさせられる。お話が進むにつれ、この「きらり」が増えていき、ホッとがにこり、にこりがくすり、くすりがあはは、と楽しく引きこまれていく。子供にも楽しいお話だったはずである。コマドリなどの野生動物との交流、広い庭や古い屋敷の探検もわくわくさせられる。
 だんだん明るくなってきたメアリが、もう一人の我儘で不幸な少年コリンと対峙する場面は「正しい喧嘩」を見るようだった。「コリンの父親は、息子が起きているときに会いにくることはめったになかったものの、息子が楽しく過ごせるよう必要なものを惜しみなく与えていた。けれども、コリンは少しも楽しそうではなかった。コリンは望むものをすべて与えられ、望まないことは何ひとつ強いられずに育ってきたようだった。」「子供にとって最悪なのは、一つは何も望みどおりにならないことで、もひとつは何でも望みどおりになっちまうことだって。」これらの言葉は、現代の子供たちにも当てはまる部分が大いにあるのではないだろうか。(この頃は大人になっても、望みどおりにいかなくてぐずってしまったり病気になってしまう「子供」が多すぎるし。)
 この物語の子供らのように、自然の中で喧嘩をしながら育ったほうが良いのかも知れない子が今でもたくさんいるに違いない。ただ、この物語のように「安全な野外」がもう望めない。どうすることがよいのか。大人になった
今読むと、そんなことも考えてしまう。

 子供の頃「少年少女文学全集」などで子供向けの翻訳を読み、なんとなく記憶にある本はもう一度読んでみたらよいものが結構あるかもしれない。この本もそんな一冊だった。
 光文社の古典新訳シリーズは「ちいさな王子」「飛ぶ教室」など、そういった「読み直し」のチャンスを大人にくれるとても楽しみなシリーズでもある。

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