紙の本
芥川賞でありながら、通俗小説のようなプロットを持っていて尚且つ通俗小説とは一線を隔す作品
2001/02/22 00:10
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:55555 - この投稿者のレビュー一覧を見る
何処かしら大江健三郎に似ているような気がした。「佐我里さん」が「父」にケイちゃんと呼ばれているせいかもしれけれど、そんなような気がした。実際青来さんは若いころ大江健三郎氏を読んでいたと新聞にも書いてあった。そう考えるとやっぱり似てるような気がしてきた。
筋も何処となく似ているような気がする、聖水でぼろ儲けした「佐我里さん」はギー兄ちゃんと例えることができるし、最後に仲間から排除される所も似てるような気がする。
只、青来さんの場合は文体が違うし、それほどつきつめていないような気がする。
つまり、青来さんの作品は芥川賞受賞作品でありながら、通俗小説のようなプロットを持っていて尚且つ通俗小説とは一線を隔すものだと思う。
紙の本
「聖なるもの」を非凡な筆力で描きだす、青来有一の芥川賞受賞作
2001/03/14 18:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:藤崎康 - この投稿者のレビュー一覧を見る
このほど芥川賞を受賞した青来(せいらい)有一の『聖水』は、文章に非凡な力があり、物語のメリハリも効いていて、とても面白く読めた。松浦寿輝にしろ堀江敏幸にしろ、仏文学系の芥川賞受賞作家の書く息の長い、レトリカルな文章に、私はいまひとつ波長が合わなかったのだが、青来の本作は、言葉の流れに身をゆだねるようにして、スムーズに読み通すことができた。
『聖水』の物語は、豊かな自然に恵まれた長崎郊外を舞台に展開するが、語り手の「ぼく」の視点から、癌に冒され死期の近い「ぼく」の父親、佐我里(さがり)という、ドラマの中心に位置する「教祖」的人物、佐我里の運営する大羽ストアの女子従業員カヤノなどの人物像は、いずれも興味深く描かれている。
物語のポイントのひとつは、オウム真理教などの「カルト教団」のリーダーを連想させなくもない、その佐我里という男をめぐるサスペンスである。佐俄里は、エコショップやリサイクル工房を営み、夢のお告げで発見したと称する泉の「奇蹟の水」(ミネラルウォーター)を販売しており、「ぼく」の父親の経営する工場とも連携しているが、彼の主宰する「聖水会」の信者たちは、明治初年に棄教した隠れキリシタンであるウノスケという人物の末裔だという。しかも佐我里は、長崎に投下された原爆で一瞬のうちに消滅したひとの記憶が胎児のだった自分に宿っている、と信じているという(一種の神秘的・オカルト的な前世記憶のモチーフ)。また、女性信者たちをカリスマ的オーラで魅了してもいる佐我里は、だから実務家的な手腕と教祖的魅力を兼ねそなえた「危うい」人物として、この小説の肝(きも)をなしている。
しかし、作者は佐我里をおぞましい悪魔的な男としては描かずに、あくまで、どこか胡散臭い謎の人物としてのみ登場させる(「油断できないマキャベリスト」「独特の心理家」〔P.254〕などと書かれはするが)。佐我里の人物像をめぐって、芥川賞の選者の一人・田久保英夫は、「教祖風の人物の実体がよく伝わってこない」と不満をのべているが、それは見当はずれというものだ。田久保はまず、『聖水』が1人称で書かれている点を見落としている。また、たとえば佐我里が美人の女性信者を選りすぐってハーレムを作っていたとか、オウムの教祖のように殺人教義を奉じていたとか、メスカリンを用いて薬物修行をしていたとかの設定にしてしまったら、それはもはや大塚英志やTV映画の「Xファイル」の(そして現実の!)世界になってしまい、とうてい芥川賞という「ブンガク賞」の対象にはならぬだろう。
したがって、青来有一を「小説の王道、物語の面白さを書ける人だ」という石原慎太郎の賛辞も、やや正確さを欠いている。むしろ青来は、「物語を宙吊りにする面白さ」が書ける作家なのではないか。堀江敏幸のように、作品をエッセー風に弛緩させる(それも歴とした才能だが)のではなく、青来は物語をあくまでも求心的に構築しながら、ぎりぎりのところで物語を脱臼させてしまう、といえようか……。
また、自然や事物を描く青来の巧みさにも感心させられる。たとえば……「薄い雲が太陽を遮ったのか、庭が翳り、廊下の板を輝かせていた日も消えて、座敷に集まる親戚たちの相貌も沈むようだった」(P.225)「遥か上空に浮かぶ、くすんだ金色の月は流れていく黒雲でなかば霞んで、崩れかけた卵黄にも見える」(P.251)……といった細部は、青来の「詩的」な感受性の鋭さを証しだてている。むろん『聖水』には、人間どうしの微妙な関係も、確かな視線によってリアルに捕らえられているが、とりわけ、佐我里をめぐるドラマの着地点には驚かされる(ここでは伏せておくが)。 (bk1ブックナビゲーター:藤崎康/現代文化論・映画批評 2001.03.15)
紙の本
著者・内容紹介
2001/01/26 19:47
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る
●●第124回芥川賞受賞!
「何もかも忘れて読みふける、そんな面白い小説が書きたい—」
●小説の「正統」を引き継ぐ新鋭の登場!
●父はなぜ「聖水」などを信じたのか?
従兄弟の正体は教祖か、詐欺師か?
スーパーの経営をめぐって繰り広げられる暗闇。
はたして「オラショ」は救いとなるのか?
表題作「聖水」は、地方のスーパーストアチェーンの創業社長で、病で死に瀕している「父」と、その幼馴染で「聖水」と名づけたミネラルウォーターで儲け、一部から詐欺師呼ばわりされている「佐我里さん」との交流を「ぼく」の視点から描いた作品。
その他、有明海に面した漁師町の「札付き一家」の物語である『泥海の兄弟』時代劇映画のロケ現場で起きた事件を綴る『信長の守護神』、文学界新人賞受賞作『ジェロニモの十字架』の三篇を併録。
投稿元:
レビューを見る
裏切り者によって死の苦しみを受けた隠れキリシタンの集落に済む信者たちは、受け継いだ血の苦しみから逃れられることは出来なかった。
現代に時を移し、ぼくの父はいとこの佐我里と会社を経営する。
しかし、万病に効くという聖水の水脈を佐我里が発見し、販売するようになってから、しだいに「信者」を増やしてまるで宗教組織ができたようになった。
佐我里は隠れキリシタンの末裔であることをもっとも深く身体に刻んでいたのだろう。
学生運動で仲間を「ウノスケ縛り」で拷問に掛け、死へと追いやり、今や地元コミュニティに広まるチケット制のショップは、政治権力からの脱退を試みるかのように広まりつつある。
ぼくは佐我里からマキャベリズムを感じ、生理的に警戒を行う。
父が死に近づくと共に、警戒感を高める、ましてや会社の後継者に収まろうとしているのだからなおさらのことである。
しかし、役員会でそれは否決され、佐我里は会社からも追放されてしまう。
社長への裏切り、父への裏切りの何者でもなかった。
父は怒りのあまり、身体を震わせ危篤状態に陥る。
そこへ佐我里がオラショを読誦するように集った末裔達に促し、その合唱の中父は一瞬息を吹き返し、そしてなくなるのであった。
20世紀に入って後も、地縁と血のつながりから逃れることの出来なかった人々の、因果が深い事を思わせる物語である。
投稿元:
レビューを見る
結構てこずりました・・・
長崎の歴史には無知だし
キリスト教に造詣も無いし・・・
疲れたわ。
投稿元:
レビューを見る
青来有一というペンネームはセーラームーンに由来するんだって。
なーんていう変な事前情報がありましたが、
難しい本でした。
信仰というもの。信じるということ。
うーん。難しいな。
ただ、「初めてのデートでこんなところに連れこみますか?」
ってのは、ちょっとウケた。
投稿元:
レビューを見る
癌におかされた父の願いで、秀信の一家は、かつて潜伏キリシタンが隠れ住んでいた山里にある父の生家に越してきた。迎え出た父の従兄弟で宗教家然とした佐我里さんや、その土地の放つ信仰の空気に触れ、戸惑いを感じる秀信。長崎という一種独特な宗教の歴史を持つ土地を舞台に繰り広げられる信仰をテーマとした物語。
表題作や「ジェロニモの十字架」は、宗教的かつ観念的な色彩が濃くて、ちょっとコワイ。自身の生まれである長崎を舞台として選んでしまったために、多少気張りすぎてるかなという気も…。二作に挟まれて収録されている「泥海の兄弟」や「信長の守護神」の方がとっつきやすい。
☆芥川賞
投稿元:
レビューを見る
何を信じるか、
生があるかぎり、死はいつだって付きまとっている。
そういう日常で、何を信じるか、何に希望を見いだすか。
父が始めた商売は伯父の影響を受けだんだんと宗教じみた団体になりつつあるなかで
父は病で衰え死のにおいを漂わせながら聖水とよばれるものにしがみつく。
聖水ふくめた4つの短篇。
どれも印象的すぎる。
生きる死ぬとか
何かを信じたり依存することで不安な世の中で生きていこうとするんだぬ。
ぞわぞわした)^o^(
投稿元:
レビューを見る
表題作は芥川賞受賞作。
読み応えがあった。
登場人物の中で、神のようなものを信じる人々はみんな、何かが欠けていたり、コミュニティから弾かれたような人ばかり。
いわゆる『境界』に位置する人で、あちらとこちらを結ぶ接点に近い人。
そういう人には、普通の人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる。
他人から変な目で見られるからこそ、人間関係がうまくきずけず、誰からも侵されない、自分だけの絶対的な存在を崇拝するようになるのかな。
人智を超えた存在は、肯定するのも否定するのも万人が納得出来る根拠を示せるものじゃないから。
いると信じる人の中にいるものなんだろう。
いないと思う人は、そんなものがなくても満たされているんだろう。
ただ、完璧な人なんてそうはいないから、いつそれを認める時が来るのかわからない。
死の瞬間、最もあちら側に近づいたとき、その存在は姿を現すかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
青来有一著『聖水』読了。
表題作を含め四編が収められています。その四篇全てが芥川賞候補に挙がった作品で、表題作は、2001年に第124回芥川賞を受賞しています。
『聖水』は、ガン末期の父が、一家で生家に越してくるところから物語が始まります。商店を経営する父は、従兄弟でエコショップ経営者の佐我里を後継者にしたいと考えていますが、佐我里は奇跡の水「聖水」を売り教祖のように信心を集めていることから、それを胡散臭いと思う他の役員の反対にあっています。しかし、ガン末期の父は聖水の効果を信じており、どうしても佐我里に事業を任せたいと主張します。
佐我里と父の繋がりは、だた聖水を信じているだけではありません。父や佐我里、そして聖水を信心する「聖水会」は、隠れキリシタンの裏切り者である「山村卯之助」の末裔たちで、自分たちには隠れキリシタンの血が流れていると自覚しています。
死を目前にした者にとって信心とはなにかを、長崎という、隠れキリシタンや原
爆被害という独特な歴史を持つ土地を舞台に描いています。
またこの作品は情景描写が緻密で、風景が眼前に浮かんでくるようです。
読み応えのある作品でした。オススメです。
投稿元:
レビューを見る
「ジェロニモの十字架」
キリストは神の子どもと呼ばれたが
一方では常に悪魔の声を聞き、悩まされていた人でもあった
悪魔は人間の心の隙間につけこんで堕落させようとする
キリストも、救い主を装いながら
そんな方法で信徒を増やすことがあったかもしれない
「泥海の兄弟」
ピカレスク主人公としての生き様を地域住民から期待され煽られ
真面目に生きていくことも邪魔されて
ヤクザから足ぬけした過去をいつまでも馬鹿にされる父親
その息子は、奇妙なミタマ信仰にとりつかれている
物語批判の物語だが誰も救われない
「信長の守護神」
二次創作・海賊版に寛容なそぶりを見せるゲームクリエーター
しかし人に頭を下げることだけは我慢ならない
ポストモダンの本質を見事に突いた作品で
やや詰め込みすぎに感じられるあたりも、かえってそれらしい
ちょっと「ガンパレード・マーチ」を思い出したな…
「聖水」
使用期限半年の「チケット」を地域通貨として流通させ
従業員の給料もそれでまかない
仕入れの多くを粗大ゴミあさりに頼るリサイクル・エコショップ
その求心力を支えるのは
「聖水」と呼ばれるミネラルウォーター販売だった
ニューアカ(具体的にはNAM)の理想が行きつく果ては
カルト宗教でしかないということか
投稿元:
レビューを見る
恥ずかしい話、物をしらないのです。青来有一
名前も聞くのも見るのも始めて。
あおきと思ってましたが、せいらいとは。
せいらい有一。
読んでない芥川賞、直木賞、まあ他にも
本屋大賞やこのミスとか
片っ端から「大袈裟」読んでやろうということで
目についた、「聖水」
聖水ーたぶんキリスト教的なと想像通りの
隠れキリシタン、殉教者的な感じです。
その中に退転者ーウノスケ
やはりいるんだ!
舞台は「長崎」被爆地。
浦上天主堂のそば、
信ずるということの尊さ反面、怖さ、愚かさ
奇跡の聖水ー飲むことで痛みが取れる???
遠藤周作作品的な。
前述のウノスケの
ウノスケ縛り
裸にして両腕は後手に縛り、胸と頭を股の中に入れ両足で挟む形ー屈辱的な形
これを吊す、まあ拷問こんな話も出てくる
自分福岡ですので、長崎はたまには行きます。
だから空気感、イメージはつきやすい
被爆地長崎
主人公の父親は最後の体力を振り絞っても原爆記念式典に参加したがった。
宗教が絡んだ偏頗な限られたテーマ
死に向かっていく時の恐れ、慄き「どこに行くのだろう、死んでしまったらいったいどこにいくのだろうやはり魂はあるのだろうか?
穏やかな死を迎えられるのかー本文より、
他にも2.3作品が「小指が燃える」「人間のしわざ」
人間は
まず生まれた場所で一番めの幸不幸が決まる。
戦闘盛んな国、他にも問題はあるにせよ平和な国
大違いだ。
視覚的にはつゆ草「群生で咲いてる」の青が目蓋に残る。
投稿元:
レビューを見る
短編集です。2001年芥川賞受賞作品の「聖水」。好きな作品です。静かに重みのある中で、カルトを扱っている。金銭に替わり、チケットなるものが流通し、人々は「聖水」を求める。あれ、この世界の何がダメなんだっけ?と思えてしまう。信仰に線を引くなんて誰にもできないことなんだろう。