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紙の本
東大俊英のケインズ論
2002/11/06 01:19
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BCKT - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は東京生まれ(1951年)。東大経済学部で宇沢弘文のゼミを卒業(74年)後,イェール大学で「アメリカ・ケインジアンの総帥」(191頁)=ジェームズ・トービン(トービンの指導教官はシュンペータ)のもと,Ph.D取得。ニューヨーク州立大学(78年就職),大阪大学社会経済研究所(82年転職)を経て,東京大学経済学部に逢着(88年)。『マクロ経済学研究』(?年)で日本経済図書文化賞とサントリー学芸賞を,『日本経済とマクロ経済学』(92年)で,エコノミスト賞を,それぞれ受賞。本書刊行は著者44歳のとき。
構成は,(1)生い立ち(I「エコノミスト誕生」),(2)時代背景(II「第一次世界大戦」),(3)前半生の理論(III「『貨幣論』まで」),(4)後半生の理論(IV「『一般理論』」),(5)現代における意義(V「五十年の後」)。標準的。
副題「時代と経済学」は,対象素材がケインズであることを考えれば,「ケインズ」と同義。西部の言う通り,彼は,「時代の難局に全面的にかかわった人間としては,経済学者であることを超えていた」(『ケインズ』,199頁)から。早坂と西部に共通点があるとすれば(大学と職場が同じだったなんてつまらん事は除く),理論家吉川は伊東に比肩するし,実際,伊東と同じように,IVでは数式やら図式やらを用いているが,伊東が「“新しい経済学”の誕生」に焦点を当てていたのに対し,吉川は「時代と経済学」に当てようとしているのがわかる。まず,出版事情があるだろう(伊東の時代はケインズ入門書の入手可能性が小さかった違いない)。
つぎに,理論家吉川には,『日本経済とマクロ経済学』の場合のような,統計やら推計式やらで実物分析を披瀝する舞台が与えられており,この伝記は自分の理論的歴史家としての可能性を探った作品なのかもしれない。その証拠に,(a)ケインズ30歳直前の著作『インドの通貨と金融』という,事情に通じない私のような素人にはチンプンカンプンな著作から解説している(著作の価値を毀損するつもりは豪もないが,伊東にはこれがない)。吉川は,ケインズのデビュー作=『インド』のなかに,ブレトンウッズ体制の構築に結びつくケインズ晩年の提言を見出しており,同時に,彼が,金本位制下の国際通貨(当時はポンド)供給国(当時はイギリス)の特権を「完全に理解した数少ない同時代人」(41頁)であることを宣言している(ヒュームの正貨流出入メカニズムの非現実性の指摘)。また,(b)紀貫之やガロアやパスツールの言葉を引用してみたり,ケインズの嫁=リディア・ロポコバの死(81年)を報じた新聞切抜きを載せてみたり(108頁),ロシアにおける福田徳三のケインズについてのコメントまで資料にしていたりと(いくらなんでもこれはハロッドには無理だろう),そうとう調べて書いたこと(あるいはそもそも博識なこと)が伺われる。最後に,(c)『一般理論』後の経済学の展開まで射程に収めている。
吉川もまた,早坂と同じように,「文明ではなく,文明の可能性の担い手たる経済学者たちに乾杯」というケインズの台詞を引いている(199頁)。半世紀後に実現されるであろう物質的な豊かさの後に来るのは芸術である(200頁),などという,お気楽イギリス人男爵(ティルトン卿)の希望的観測も引いている。第三世界で資本主義化に喘いでいる国々は言うまでもなく,イギリスには依然として失業者はいるし,実際,現時点で私的にはまったく“実現”されていないぞ。経済学者の皆さん,ノーベル賞を狙うんだったら,「文明の可能性」を実現して下さい。