紙の本
時代が映画に追い付く
2021/03/19 14:39
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
夢物語だったはずのSF映画が、現実化していることに驚きです。AIやネットワークを駆使して、人間的な温かさを伝えることができるかもしれません。
投稿元:
レビューを見る
現代日本のケータイこそロボットである。そして最近はアンドロイドという名前の携帯が跋扈している。
人間とは何であり、またどのようなロボットならば自分本人であるとみなすことができ、時にはそれ以上の存在になりうるのか?
自殺することをスイッチを切る、と表現することがあるが、これは非常に高度な知能を持った人間だけの行動だ。
20年前に日本の電車でみんながケータイしているなんて誰も想像できなかった。これからもどうなるかわからない。
投稿元:
レビューを見る
★映画は意外に正統派★SF映画を手掛かりにロボット研究・開発の課題や行く末を語る。ロボット研究者がSF映画を軽視するのかと思いきや、ハリウッドのSF映画の多くにはむしろ感情移入している。つまり映画は現実の延長線上にある。物語を物語として成立させるために、それだけ精緻な現実の研究分析と想像力が伴うということなのか。フィクションの世界も侮れない。「サロゲート」「スター・トレック」「アンドリューNDR114」は見よう。ただし「A.I.」はアンドロイド学者から見るとてんでおかしいらしい。
投稿元:
レビューを見る
遠隔操作で動かせるロボットを作っている博士の本。
ロボットとは何か?というより、「人間と(人間が使うものとしての)ロボット」の関わりを重視している。
コレを読むと、ロボットはモノなんだなぁとしみじみ感じる。ロボットが何が出来るか、ではなく、人がロボットに何を投影するか、という視点が興味深い。
面白かった。
投稿元:
レビューを見る
タイトルはこの手の情報に興味のある人種を呼び寄せるキーワード。ロボットが涙を流すかは「心」の発生に係っており既にふたつの道がある。人間が彼らにそれの存在を感じるか、プログラムと学習が人にどこまで近づくか。個人的には全部のロボットに「心」とか「感情」があったら使役し難いので嫌だが、必要な処ではあって良いと思う。(医療関係、心のケア)ただ、難しいのはロボットにはスイッチがあって欲しい。人間としての弱さが露で情けないが、材料が人体より脆くて柔らかいなどあり得ないから。
投稿元:
レビューを見る
アンドロイド製作者の話を、初めて読みました。
やはり、アンドロイドをつくっていくうえで、人間とはなんなのかという考えに行き着くのが自然なことだと思いました。
「怒りたくても怒れない。怒っている人を見ると不思議になる。」といった、共感できるところも多く、さらに石黒浩さんのことを知りたくなるきっかけになったと思います。
投稿元:
レビューを見る
ロボットもの映画に絡めて研究の話とか四方山話。「アンドリューNDR115」今度見よう。知らない作品が山のようにある。
投稿元:
レビューを見る
人間型ロボットの分野で世界の先頭を走る著者の存在を知った時は、こんな研究者が日本にいたのだと感動しました。
「ロボットは何かを考える事は、人間とは何かを考える事になる」という言葉には含蓄があります。
本書では、「時代を予見していた」と思えるSF映画を切り口に使いながら、
ロボットの現実と近未来を縦横無尽に語っています。本当にワクワクさせられる本です。
採り上げられているSF映画は、「サロゲート」「アイ、ロボット」「スタートレック」「マトリックス」「トランスフォーマー」「ターミネーター」「A.I.」「スターウォーズ」「アンドリューNDR114」「攻殻機動隊」です。この本を読んで、見逃していた映画は全部観てしまいました。オススメの本です。
投稿元:
レビューを見る
先日、新宿高島屋のショーウィンドーで展示されたアンドロイドが話題になりました。こちらの製作者である、大阪大学教授の石黒浩さんによる著書です。動画を見て頂ければわかるとおり、怖いくらい人間にそっくりなアンドロイドの研究開発をされています。ロボット関係の本を読むと必ずといって言いほど登場する、この世界では有名な方のようですね。
ちなみに「はじめに」を読んで初めて、「映画と現実の狭間」という副題に気が付きました。最近の傾向としては、技術に比べて映画のほうが後れていると感じることがあるとか。目次を見ると、有名な映画やTVドラマ・アニメなどがぞろぞろ出てきます。観たことがない作品もありましたが、石黒さんの着目する点が「さすがアンドロイドの研究開発者」という感じがしました。
[続き]
http://wildhawkfield.blogspot.com/2012/02/blog-post_25.html
投稿元:
レビューを見る
様々なSF映画を題材にして、ロボットと人間や社会との関わりを考察している科学新書。大して分量もないので読みやすい。
著者は、いきなりプロローグで「人間とロボットのあいだに明確な境界はない」と言い切ってしまう。生き物を勉強してきた自分にとっても、「人間が核酸とタンパク質のロボットである」と言うことに抵抗はない。それならば「ロボットが金属の人間だ」と言ってしまうことも、十分うなずける考えである。
もちろん人間とロボットは違うモノだと考える人もいると思う。そこで特に言われるのは、感情の欠落だろう。しかしむしろ著者は「アンドロイドだから、いくらでも表情を豊かにすることができる」と述べている。あらかじめ様々な表情と身振りができるようにして、さらに言葉も表現力豊かなものをアーカイブしておけば、表現することに関して人間が敵うはずがない、という訳である。これは全くその通りで、人間であれば「あの時こう伝えられたら良かったのに」という場面は、ロボットから無くすことができるはずである。逆にその不完全さにこそ人間性があるのだと言われたならば、ある程度ロボットの機能を落とせばいい話なのだし。
それは不可能だ、と思われるかもしれないが、実際それは現実になってきているように思う。例えば質問をすると答えてくれるSiriは、データベースから言葉を紡ぐことができるという証明である。それに、自分はあまり知らないのだけれど、仮想の彼女を作るという某携帯ゲームにハマって、ゲーム機片手に一人でデート旅行するような人もいたらしい(今もいる?)。これなんかはまさに、人間が錯覚してしまうほどに、造られた感情が本物の感情に近付いてきている現れではないだろうか。
しかし、だからこそ著者は「人間は何をやるべきか」「人間とは何か」と何度も問うている。冒頭で「人間とロボットのあいだに明確な境界はない」と宣言した人物が、実は最も人間とロボットが違う存在なのだと信じたい人間なのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
ロボット研究をここまで哲学的に見ることができるのが石黒教授のすごいところであろう.たくさんのロボットに関連した映画がネタに出てくるが,映画の見方も一味違う.
投稿元:
レビューを見る
義手など機械化した人間を人間でないとは言えない。一方で人間生活の中に組み込まれ、人間と同じ役割を果たすロボットを人間でないとは言えない。人間とロボットの境界はどこなのか。
sf映画のアンドロイドはどれも「人間になりたい」と思っている。「人間とは何か」が問われる。
ロボットのシステムにゆらぎを追加すると効率良く行動できる。
投稿元:
レビューを見る
最近ロボットやアンドロイドが気になるので取っ掛かりの一冊として。
いくつかのSF映画の中でのロボットの扱われ方について、技術的な部分とともにストーリーにおける役割、意味づけを考察。「心」が存在するのかどうか、実は確かめようがないのは人間もロボットも同じ。「心」は他者との関係において承認され付与される。話しかければ頷き、笑い、返答し、コミュニケーションを取れるロボットは社会の一員として承認され得る。ではその時、ロボットと人間の違いはなにか、つまり、人間を人間たらしめるものはなにか?
ロボットの動きを人間に近づける技術、そして人間と「人間のようにふるまうもの」をめぐる哲学的な問い、という大きくふたつのアプローチからの議論が平易な言葉で展開。おもしろかったー、入り口に選んでよかったです。
投稿元:
レビューを見る
2017年12月12日読了。自分そっくりのロボット「ジェミノイド」で有名な石黒教授とサイエンスライターの池谷氏の対話から構成された、という本。教授の研究成果の様々なロボットたちの紹介と、SF映画に描かれてきたロボット・アンドロイドに対する紹介が折り重なっておりとても読みやすく、興味を引く。「他人に対して怒ることができなかったが、意識して怒るようにしたらそのうち自然にスイッチが入るようになった」という教授の個人的な挿話も、いかにも研究者というか逆に人間臭いというか独特の面白さがある。「人間とは何か?」なんて答えもないしいつまでも考え続けられるものだが(「植物とは何か?」という問いだって、答えるのは簡単ではないだろう)、技術の進歩によって問いが深まり身近になり、それが人類の進化なのである、という考え方はとても面白い。
投稿元:
レビューを見る
3:こちらは工学的アプローチからロボット、アンドロイドとヒトとの関わりについて述べたもの。人は人工皮膚を張ったアンドロイドに体温を感じるそうです。ふーむ。ジェミノイド一回見てみたいなあ。