紙の本
「思想」をもつ、ということの難しさ
2010/05/13 07:08
9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中堅 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『転向論』は第二次世界大戦時に生じた、共産党員の「転向問題」に関し、一連の論議の中から、近代の知識人における「転向」及び「非転向」のタイプを著者(吉本)が明快に整理してみせた小論である。
吉本によれば、「転向」とは「日本の近代社会の構造を、総体のヴィジョンとして掴みそこなったために、インテリゲンチャの間におこった思考変換(P.286)」を指す。
吉本が示す「転向」の3つのタイプを下記に示す。
(1).論理的な思考をいくらかでも身に付け、日本的な小情況を封建的/前近代的と侮っているタイプ
権力からの強制により、「現実」として「小情況」が迫ってきた際、「小情況」として馬鹿にしていたもの(天皇制/封建制等)が、社会の中に確固として存在し、大衆の支持を得ており、逆に自分がそういった状況において異端であり、非・正統的(吉本の言葉では劣性遺伝的)であることを自覚⇒正統(優性遺伝)なものへの全面屈服に至るタイプ
(2).日本的な近代主義(モデルニスムス)者のタイプ
このタイプの人間は、思考される論理(硬直したマルクス主義思想等)が現実の社会構造と対決/検証されることがなく、思考する人間の内部で自己完結している。よって、例え目の前の現実がその論理から離れていったとしても、決して論理が修正されることなく、論理のオートマチズムにより生産され続ける結論をオウムのように繰り返す(吉本の言葉ではサイクルを回す)。⇒よってこのタイプは、己の体系内に、原理的に「転向」が存在しない。吉本はこのタイプを「非転向」的転向と呼ぶ(現実を最初から見ていない、つまり、あらぬ方「向」に最初から「転」じているという意味での「転向」と解釈していると思われる)。
(3).本来の意味における転向(思考変換)のタイプ
(1)と同じく、現実(「小情況」と侮っていたもの)が迫ってきた際、その正統的(優性遺伝的)なものの強靭さの前で一度屈服するが、そのあと、これまでの現実認識の甘さを突き付けられながらも、この屈服により、自分の侮っていた敵(優性遺伝的なるもの)を見出し、それと対決するすべを探していこうとする(中野重治が唯一の例としてあげられる)
以上が、3つの転向のタイプであり、(1)(2)が典型的なタイプとされ、(3)が前2つに優越した新しい転向(思考変換)だったとされる。
『転向論』は、思想における「節操(≒死)」の問題以前の、「誕生」の問題を取り扱っている、という意味で根本的である。
((2)のタイプの思想家がいくら節操を守ったところで笑い話にしかならないのは明白である)
吉本は思想の「一貫性」等を問題にするよりももっと根本的に、それが「現実」に触れているか、を問題にしているのだ。「自己を疎外した社会科学的な方法では、分析できるにもかかわらず、生活者または、自己投入的な実行者の観点からは、統一された総体を掴むことがきわめて難しい(P.287)」この日本の社会の特異性にもかかわらず、「当面する社会総体にたいするヴィジョンがなければ、文学的な指南力がたたない(P.286)」と切迫した心情において、社会総体に対するヴィジョンを得ようと果敢に切り込んでいく。
『転向論』だけでなく、もう1つの標題作『マチウ書試論』や、『芥川龍之介の死』などについても、いかなる「架空性」も排除して「現実」に迫ろうとする吉本の醒めた目があり、緊張感あふれる文章となっている。
本書は、吉本の一つの達成点であることは間違いない。そして、本書の後の大作『言語にとって美とは何か』以後、吉本隆明に対する評価が、絶賛と酷評の二極化することを踏まえ、「吉本隆明入門」として薦める著作を考えると、この本になる。これ以後の著書が面白く、代表作であることも認めるが、『言語…』『共同幻想論』から吉本アレルギーになった人を見ている私としては、本書を入門として強く推したい。
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個人的な話になるが、私は昔、図書館のカビ臭い「作品集」(?)か何かでこの短めの批評文『転向論』を読んだ時、自分が(2)の典型的なタイプであることを突き付けられ、呆然としてしまったことがある。吉本という思想家のことを殆ど知らなかった自分としては、出会っていきなり侮辱されたような気持ちにもなった。恥ずかしながら、私も「論理的な思考をいくらかでも身に付け」始めた青臭い学生だったのだ。
だから、というだけの理由でもないが(苦笑)、思想書の如きものを読み始めた学生にお薦めしたい本でもある。
紙の本
思想と生についての論考
2023/07/27 01:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:哲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
全てではないがいくつかの収録作品を読んだ。
表題作のマチウ書試論・転向論はどちらも思想に対する関係というものの重要性を提示し、思想を空論的にただ脳内で展開することに対する厳しい批判をする(これは後者の作品に見られる)。
ちなみにマチウ書試論の「マチウ書」とは新約聖書のマタイ伝の事を指し、中に出てくるジェジュはイエスであったと記憶している。
ここについて所謂衒学的な態度を批判する向きもあり、私自身現時点ではそれに対し明確に反論することは出来ないが、そのような作品自体に対する態度はともかく内容の面において「関係の絶対性」と呼ばれるものは現代において哲学を学ぼうとする人間はある程度心がけなければならないものであるだろうと考えられる。
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ゼミに入るための課題だった。
最近ちょろっと読み返した。
やっぱり意味が解らなかった。
でも
「絶対の関係性」については
考えは変らなかったな。
キーワードを拾って読むといいかもしれない。
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現代思想2008年8月増刊号は『総特集・吉本隆明 肯定の思想』です。現代思想を買ったからには、ちゃんと吉本を読まんば!と思って買いました。1200円と文庫の割には高価ですが、これはおすすめできます!「マチウ書試論」、「鮎川信夫論」、「戦後詩人論」、「芥川竜之介の死」、「芸術的抵抗と挫折」、「転向論」などなど、たっぷり吉本隆明を味わえます。
「人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間の生存における矛盾を断ちきれないならばだ。」(p139)
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Ⅰ
恋唄
エリアンの手記と詩
異神
マチウ書試論
Ⅱ
西行小論
宗祗論
蕪村詩のイデオロギー
鮎川信夫論
戦後詩人論
Ⅲ
芥川竜之介の死
芸術的抵抗と挫折
転向論
戦後文学は何処へ行ったか
著書から読者へ
解説 月村敏行
作家案内 梶木剛
著書目録
(目次より)
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この本の内容を理解したとは言えませんが、間違いなく私に大きな影響を与えた本でしたので、登録しました。『マチウ書試論』。原始キリスト教とユダヤ教という二つの異なる宗教は、共に聖書を原典として出発した宗教です。しかし、この二つの宗教は激しく対立していました。何故出発点が同じ宗教なのに対立が起きてしまうのか。吉本さんは「関係の絶対性」というモチーフをもとに「試論」を展開していきます。思想や人間関係がもつ党派性について考えを深めることができた一冊。
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吉本隆明は1924年11月25日生まれですから、今年85歳になる、マルクスからCMまでその意味を解き明かす、知の巨人、と形容されることが多い詩人・文芸評論家・思想家。
彼が他を寄せつけないずば抜けた特異性とは、ひとつは大学教授などの務めに就かず常に在野にあって何事にも束縛されない位置にあること、ふたつ目は構造主義だの現象学などという世界中の主義主張に呪縛されないで、まったく独自の自前の思想を構築しようという意欲に燃えていること、みっつ目は、昨年話題になったCD・DVDで存分に聞けますが、難解な晦渋に満ちた自らの思想を、孤高然とするのではなく常に私たちに向けて平易に語りかける努力を惜しまないこと、この3つはいくら強調しても強調しすぎることはなく、その思想の正当性に疑問を感じるという人がたとえいるとしても、他を圧倒するものであると思います。
自ら個人誌『試行』を出して、定期購読者がいたとはいえそれで十分な生活が出来る分けはなく、それを補うべくパチプロのようにして生きた初期の時代、学閥や子弟を作れる境遇にはなく、代わりにその思想に共鳴した人たちの無理解や曲解、早い話は教祖に祭り上げられて踊らされた時期、またそのエピゴーネンの訳知り顔が彼の思想性を歪曲した季節などなど、どれも有り体に、東京大学教授として東大出版会や岩波書店から本を出し、学会で発表して、全国に学際的に師弟関係を結ぶということでもしていれば起こり得なかった雑事だったかもしれません。
でも、それらをひっくるめて、世間全部を生きて思索する現場としたことこそ、聖も俗も混在した活き活きとした彼の思想世界を作ることになったのだと思います。
まあ、偉そうに言っても、全著作を揃えて読んでいるのに、いまだにどれだけ理解しつくしているのか不明ですが、多分、もし理解度検知機なるものがあったら、相当ひくい数値を針は指すのではないかと思いますけれど、何しろ伊達や酔狂ではなく、難解な部分はさておいてもその面白さは相当なもので、常に興味深く興味尽きなく読んでいます。
この本も、原始キリスト教批判とかマタイ伝とか普段耳慣れないものが登場して戸惑うばかりですが、ひとつ解ることは彼が巨大なものと格闘していること、ものすごい馬力で今まで見たこともない確信に満ちた考えを突きつけているということです。
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日本における戦後思想の巨人とも言われる吉本隆明(最近はむしろ娘さんの吉本ばななの方が有名だけど)。彼の立ち位置を簡単に言うとするなら、「お前ら、戦争体験というものをきちんと考えているのか」「知識人とかって観念的な事を適当に言ってるけど、本当に現実を見た上で言ってるのか」という感じか。とはいえ、詩的かつ難解な語彙を用いたその文章は読み解くだけで一苦労。『共同幻想論』とか本当に皆ちゃんと読んでいたのか?
で、1958年に発表された転向論なのだけど、ここで主張されているのは、戦前におけるマルクス主義からの「転向」というものは権力からの弾圧・強制だけによるものではなく、むしろ彼らが日本の社会構造の相対を捉えそこなったが故に大衆から孤立していた事に原因があるのであって、そうした意味では非転向を貫いた者でも現実と断絶し、大衆的動向と無関係なまま保持されていたのでは同種ではないかとという主張だ。
基本的に、このような捉え方に異論はない…のだが、どうしても違和感が残るのは、「大衆」という言葉を肯定的な面で用いている事。現代に於いては、むしろ大衆という言葉は"愚かな大衆"みたいな批判的な文脈で用いられる事が多く、またそもそも大衆って言った時にアンタはどうなのよ?といった具合に、正直「大衆を批判している自分」を肯定するための手段としか思えない物言いも多々見受けられる気がする。
むしろ、今、語られるべきなのは「他者」についてだ。大衆と言うものの最小単位であり、かつ自己の理解外にありながら自己と関係しようとする他者。あらゆるものが断片化し孤立化してしまっても、それでも自己の中から想起されうる他者。この他者というものについて考えてきたレヴィナス、を研究していた内田樹がこれ程までもてはやされるのも、そうした文脈があるのかも。勘だけど。
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今年3月にお亡くなりになられた「戦後思想界の巨人」吉本隆明の初期の文芸評論と詩を所収。
あまり詩を読まない自分にとって冒頭の詩からがつーんときた。特に「エリアンの手記と詩」は失恋の痛手からの逃避と再生の物語で、詩からほとばしる熱い情念に当てられました。ラストはミリカの視点で熱い想いを柔らかく包み込むような終焉。
「マチウ書試論」は吉本初期の代表作とのこと。新約聖書のマタイ伝(マチウ書)がその比較分析からユダヤ教教義の稚拙な剽窃とした上で、弾圧され続けた原始キリスト教がユダヤ教への憎悪のパトスと反逆の倫理で対峙しなければならなかった「関係の絶対性」論理を導き出している。その鋭く容赦のない切り口と舌鋒はとても清々しく面白かったが、生の人間社会秩序の矛盾を鋭く抽出してみせ、マチウ書の作者の意図の分析を通じて、自由意志での選択を幻想として、その人間間の関係性を基本とする論理展開がとても魅力的でした。
一連の詩人論として、西行、宗祇、蕪村、鮎川信夫などを対象にした評論は第Ⅱ部として収載。自ら創造した理論や意識がないただの時代迎合詩人とした宗祇論もなかなか興味深かったが、個人的には日本語の内部感覚の論理化に取り組んだする蕪村論が面白かった。第Ⅲ部の「芥川竜之介の死」は芥川の中産下層出身というコンプレックスからの破滅とした分析が興味深いが、第Ⅲ部の魅力は何と言っても「芸術的抵抗と挫折」「転向論」「戦後文学は何処へ行ったか」の一連の文芸評論であろう。戦前の世界共産党組織であるコミンテルンでの三二テーゼが下層社会の現実から著しく隔絶し、当時の日本における「封建性の異常に強大な要素」と「独占資本主義のいちじるしく進んだ発展」との一体支配構造を見誤った結果、彼ら文芸者たちが挫折・変転・体制協力し、また逆に改めることなく現状姿勢に安住した非・転向者も同類として、強烈に批判を加えた評論群となっている。戦中・戦後を経てそうした過ちの上で、思想信条を変節した人々の背景と論理を示した「転向論」をはじめ、著者の戦後文学における政治との対峙姿勢について問うた「戦後文学は何処へ行ったか」などその熱き想いを語った作品たちは現在も光り輝いている。
著者の反骨の精神と論理化を追求した本書は、社会秩序の中で人間の生きる姿勢を示した試みとして読み継がれなくてはならないだろう。
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とりあえず「転向論」は読み終わった。
日本という環境が生み出した「田舎インテリ」が忘れかけ、いやほとんど忘れてしまったと言ってよい日本の封建的な制度という優性遺伝子の存在に足元をすくわれるという話。日本という国は日本人にとって離れようと思っても離れられない。そんな国で我々は生きていくのだ。ということを忘れてはならないと考えた一冊。
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関係性の絶対性、不可避なそれは、体制に反逆することが、体制に加担している逆転、体制のなかにあることが、反体制である逆転、個の逆立を見事に分析した。もちろんその反対の現象も起こるという、一見、自由な選択に対して、関係の絶対性が先立つ人間のありかたは、真実をついている。
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マチウ書試論のみ読了。
探偵のように原始キリスト教を追いつめていく吉本隆明。面白かった。
「関係の絶対性」は最後のほうに少し出てくるだけ(それも突然に)。
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[ 内容 ]
『芸術的抵抗と挫折』『抒情の論理』の初期2著からユダヤ教に対する原始キリスト教の憎悪のパトスと反逆の倫理を追求した出世作「マチウ書試論」、非転向神話をつき崩し“転向”概念の根源的変換のきっかけとなった秀作「転向論」、最初期の詩論「エリアンの手記と詩」など敗戦後社会通念への深甚な違和を出発点に飛翔した吉本降明初期代表的エッセイ13篇を収録。
[ 目次 ]
恋唄
エリアンの手記と詩
異神
マチウ書試論
西行小論
宗祇論
蕪村詩のイデオロギイ
鮎川信夫論
戦後詩人論
芥川龍之介の死
芸術的抵抗と挫折
転向論
戦後文学は何処へ行ったか
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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マチウ書試論・転向論
(和書)2009年08月16日 22:54
1990 講談社 吉本 隆明
柄谷行人はよく読むのですが吉本隆明はなんだか体質に合わないような気がして読まずにいました。最近「関係」というところが面白く感じて読み出すようになりました。マルクスの宗教の批判に出てくる一切の諸関係というところと統合失調症における関係妄想、吉本隆明のいう秩序という関係とを関連付かせると面白く感じます。それなりに刺激を受けることが多くて読んで良かったと思います。統整的理念に関しては柄谷行人に補完をして貰いながら読んだらいいなって思いました。
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メモ→ https://twitter.com/nobushiromasaki/status/1685510961212637184?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw