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村上春樹、三島由紀夫、太宰治、志賀直哉、夏目漱石……確かに言われてみれば……と素直に思える一冊。(ちょっとこじつけ?な所もあるけど)全体に流れる謙虚〜な感じと謎を明かす度に溢れ出るテンションの高さも必見!ひととおり村上作品と「豊饒の海」の『春の雪』『奔馬』を読んでから読むとさらに楽しく読めます。
ユング自伝のニーチェのくだりはこの本のテーマと共通のものがあるかも…
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「日本の小説はほとんど読まなかった」そんな村上春樹と、三島由紀夫、太宰治、志賀直哉などの文豪達との類似点を探る!!。。。みたいな本。わたし村上春樹って読んだことないんですよね。三島由紀夫も太宰も芥川も読んだけど。この本読んで村上春樹読もうと思いました。
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村上春樹の作品を日本文学との断絶ではなく、それとの文脈の中で、いかに村上が戦いを挑んできたかを追究した意欲作。題名通り、村上春樹の隣りには、三島がおり、太宰がおり、志賀がいる。ただ、切れ味は、・・・。
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まだ読みかけです。少し、話が強引すぎる面がある。読み進めていけば強引な面が解消されるかもしれないが。村上春樹というよりも最初は、三島と太宰、志賀直哉の関係性が書かれてある。
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村上春樹を日本文学の流れで読み解くみたいな本。面白い。村上春樹は嫌いと思わなきゃいけないという呪縛から逃れられた。批判するのは簡単だけど、ここまで構築するのはなかなかできない。これが小説を読む面白さだと僕は思っている。それより何より、この本はもうアマゾンで「なかみ検索」ができるのが衝撃だった。試みにデレクと入れたら、2ページ分の画像がどーん。す、すげえ。アマゾン恐ろしや。
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私も以前、村上春樹と三島由紀夫に類似する点があると感じたことがあった。あまりに文体の違う二人であるから、なかなか信じられない人も多かろう。この本にはそれが詳細に述べられている。しかし、私が思った或る部分は書かれていなかった。
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09/08/30〜09/09/08
面白いと感じたところもたくさんあるけれど、すこし強引のような…?いや…でも…。批評はむずかしいなあ。実は、村上春樹に本格的に切り込んでいく第二章以降よりも、志賀直哉・太宰治・三島由紀夫について書いた、第一章「ある闘いの文学史」が好きだったりする。
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20年近くになるハルキストとしては、無視できないタイトルに、
思わず衝動買い。
現在のわが国において圧倒的な人気と実力を誇る村上春樹。
現代作家でありながら、既にその作品は時代を超え、
『名作』の域に達している。
文壇に入ることを嫌い、外国文化の影響を大いに受けていると
自他共に認めている一方で、国内の文学の影響を殆ど語らず、
むしろ否定しさえしていると思われる彼だが、
実は、彼の念頭に最もあったのは、三島由紀夫だったという話。
著者は、これを世紀の大発見を語るかのように、
「なぜかこのことは、これまでほとんど語られてきませんでした」と
書いているのだが、私に言わせれば、この著者は本当にちゃんと
研究したのかと言いたかった。
というのも、この話は、12年前に出版された
『ねじまき鳥の探し方―村上春樹の種あかし』という
本の中で、大いに語られていることだからだ。
確かに、『羊をめぐる冒険』は、
1970/11/15・・・三島由紀夫が自決した日に始まっていたり、
彼と符合する部分が色々あるのは事実だ。
でも、だから、何だというのだろうというのが正直な感想。
作家は、作品の中で、本当に言いたいことを巧妙に隠したがる性
のようなモノを持っており、中でも村上春樹は、そのような技術にかけて、
一級の技術を駆使しているというのが著者の言い分であり、
それをこの本の中で、一生懸命解読して見せるのだが、
どうもこじつけとしか思えない部分が多く、
私にはあまりピンと来なかった。
ただ、著者が強調しているように、村上春樹が
只者の作家でないことは間違いない。
彼の小説は、確かに、複雑な計算に基づいて
書かれていることも確かだろう。
だからこそ、彼の作品は、何度読んでも新しい感動があり、
いつ読んでも、決して陳腐化することがない。
私自身、『海辺のカフカ』は2度読んだだけだが、
『ノルウェイの森』や、『風の歌を聴け』などは、
何度読み返したかわからない。
ここに書く本には珍しく、必ずしも必読を勧める気にはなれないが、
村上春樹の世界を別の目で見てみたいという人は、
チェックしてみる価値はあるのかもしれない。
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羊をめぐる冒険は三島の自決の日から始まるが、その他の作品も、三島作品と対比していてとても興味深い。村上春樹作品には、色々と謎が多いが、筆者の分析は謎を解く手がかりになり得る。
漱石、鴎外、志賀、太宰、三島と日本文学の系図に位置づけたうえでの村上春樹論。
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村上春樹と三島由紀夫、さらには三島と太宰、太宰と志賀直哉、志賀直哉と漱石といった具合にさかのぼってつなげてみたり。いろいろと検証が甘いというかちゃんと論ができてないようなところもあるけれど、私は楽しく読めた。細かいことが気になる、許せないって人は苦手かもしれない。
三島由紀夫の天人五衰を読んでいて、なんか村上春樹っぽいと思ったことがあったので、ああ同じ事を考える人はいるんだと思って読んでみた。
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[ 内容 ]
「作家の発言は多かれ少なかれみんな嘘だと思っています」。
そう語る本人が25年間ついてきた“嘘”?
「日本の小説はほとんど読まなかった」。
作品にちりばめられた周到な仕掛けに気づいたとき、村上春樹の壮大な自己演出が見えてきた。
しかしそれは読者を煙に巻くためだけではない。
暗闘の末に彼が「完璧な文章と完璧な絶望」を叩き込まれ、ひそかに挑んできた相手はだれか?
夏目漱石、志賀直哉、太宰治、三島由紀夫…。
「騙る」ことを宿命づけられた小説家たちの「闘いの文学史」が、新発見とともに明らかになる。
[ 目次 ]
序となる文章 「巨大な事物の真実は現われにくい」(村上春樹)
第1部 闘いと迷宮と-新しい“村上春樹”の発見(ある闘いの文学史-志賀直哉・太宰治・三島由紀夫 太宰と三島という「二」の問題-『風の歌を聴け』 「三」という出口へ-『1973年のピンボール』)
第2部 世界分裂体験-村上春樹とその時代(「鏡の中」の異界の問題-『羊をめぐる冒険』 脳と意識の微妙な関係-『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 「死=生」を描くリアリズム-『ノルウェイの森』を中心に)
第3部 世界を含む世界へ-『豊饒の海』から読む村上春樹(「『絶対の不可能』=可能」という主題-『春の雪』と『ノルウェイの森』 「幻でないものがほしい」-『ダンス・ダンス・ダンス』と『奔馬』)
終わりとなる文章 「(小説家は)理解したほうが負けなのである」(三島由紀夫)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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志賀、太宰、三島の系譜は昔々の講義を思い出さされ、かなり楽しく読めた。
連綿と続く日本文学の延長に村上春樹をのせて進める話は、面白いものの少々無理も感じた。
ただ小説を読みかたという点では、勉強になった。
とはいえ、こんな読み方ちょっとできないけれど。
80年代村上春樹の小説はよく読んだが、その後たまに読んでもいまひとつピンとこない。 一番怖かったのはノルウェイの森。 あれほど皆が良いというので読んだものの、さっぱり、、、 これはおかしいとすぐに再読してもやっぱり、、、 感受性がなくなったのかなぁ。
これを機会に村上春樹を再読しようか。
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日本の小説は読まないと豪語している村上春樹に待ったをかけ、三島を初めとした日本が誇る偉大な作家達と春樹氏の関係性を論じた、あるようでなかった本。こじ付けだろ、と思わず指摘したくなるような部分も少なくなかったが作品解釈の幅を広げてくれたと思う。文章中に登場してきた小説を読みたい、または読み直したい、という気持ちにさせてくれた。
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日本文学史に続く闘いの歴史の中で、現在もその闘いを続けている村上春樹という視点の本。
漱石、鷗外、志賀、太宰、三島と闘いの歴史が語られたのち、村上春樹の三島由紀夫に対する闘いを描いている。ちょっと無理があるのでは?は思える部分が多々あったが、村上春樹の小説読むにあたってまた新しい視点で読めそうでなかなか楽しい本だった。
「羊をめぐる冒険」と「夏子の冒険」は有名だが、「ノルウェイの森」と「春の雪」はなかなか意外な組み合わせだったけど、少し納得出来る部分もあった。
「ダンスダンスダンス」と「奔馬」はちょっと無理がある気がしたけど、全体的に村上春樹の小説の奥深さを実感できたので、改めて「風の歌を聴け」から順番読み返してみたくなりました。
日本の近代文学の有名どころを読んでから読むのがオススメです。特に三島由紀夫の作品は沢山読んでおいた方が面白く読めると思います。
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この村上春樹のパズル的「解読」には辟易するが、とにかく春樹が三島を超えねばならないという動機や志については、小説世界それ自体の乗り越えとしてしか説明されていない。誠に浅き夢みしの本。