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知っていると知らないでは、人間関係に大きな違いがでるであろう情報である。大学の授業でも取り入れてほしい内容。
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モラルハラスメントの意味としてはやや限定的な意味。学術的な分析ではなくて「人生案内」的なアドバイスをくれる。とても至極まっとうなことを繰り返し述べているだけといえばそうだが、自身が渦中にいるような時に、はっとさせられる視点がある。
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(なぜ、分かりにくい人間関係なのか?)……愛を強調することで相手を束縛しようとしている場合には、分かりにくい人間関係になる。ピストルを突きつけて脅すのは分かりやすい人間関係であるが、「私に死ねというのね」という脅しは分かりにくい人間関係である。
(見せかけの愛は恐ろしいとは?)……「あなたさえ幸せならお母さんはそれでいいの」これは表面的には愛情の言葉であるが、隠された内容は束縛の言葉である。相手を支配するための好日として「愛」を言っているだけである。相手を奴隷にするための言葉である。それよりさらに困ったことは、その口実が無意識であるということである。
(他人の不幸を喜ぶ人?)……他人の不幸が嬉しいという人は、エネルギーがない隣の貧乏を見ているうちに働いたほうがよい。しかし、エネルギーのない人は、額に汗して働かない。働く気力がない。他人の不幸が楽しいという人はそうした働くエネルギーがない。もっと一般化すれば、神経症と言われる人は生産的エネルギーがない。
(モラハラはなぜ分かりにくいの?)……現実の世の中でもっとも恐ろしいのは素のままの悪ではない「善の仮面」を被った悪である。真面目な人が、時にものすごい憎しみの人であるということが理解されていない。真面目と誠実さは違う。。今の世界では真面目な人と誠意のある人が違うという基本的なことが理解されていない。
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読んでおくと、自分がモラハラになっていることに気づく点がある。
むしろなっていない人間はいるのだろうか。
そうならないために、モラハラとは、を理解しておくべきだと思う?
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前述のとおり、モラルハラスメントからの「きづき」のための本をリスト順にせめているんやけど、私の場合もう自分はモラハラの被害者体質なのは充分にわかったので、それよりも今後のライフプランの設計のほうが気になるんやけども、図書館でリクエストしていた本が届いたということなので、読んでみるか・・・、と、なりました。
(長いな)
元々私はモラハラの家庭に育ってるというのは、モラハラという言葉を知ったときから思っていた。
父親が母親に対するモラハラである。
でも、いくつかモラハラの本を読んでいて、父親にモラハラを受けている母親からのモラハラを受けて、私は育ったのだなと思った。
正直そこは感じていなかったので、自分の中で母親からのモラハラを認めた瞬間は多少ぞっとしなくもなかった。
気付いていないところに存在するのが、モラハラの恐ろしさなんやけども・・・。
夫からのモラハラと母親からのモラハラは同じだなー、と、思った。
「あなたのためにやっている」
「あなたが幸せなら私はどうだっていい」
と、いう言葉に私は異常にしばられる。
こういわれると逆らってはいけないのだと思ってしまう。逆らうということに罪悪感を覚えてしまう。
そして、
「夫および母親が自分のためにここまでやっているのにうまくできないのは、私が悪いのだ」
「私がうまくできないから、夫および母親は不幸なのだ」
と、思ってしまう。
たぶん、未だにそう。
この言葉に縛られるとわかっていても、縛られてしまうんやから悲しい話よな。
モラハラの被害者は「悪人になるべき」とも、よく読む。
加害者に対し、罪悪感を感じる必要はないのだそうで、現在私はそればかり唱えております。
こんな状況なので、実家の援助なしではとても暮らせない。
けれどそれを「申し訳ない」と、肩身狭く考えるのはやめることにした。
「こうなったのは親のせい」
と、思うほど若くもないけど、せいぜい私をしばってきた代償と、いうのか、吸い尽くせる限りは吸い尽くしてやれくらいのふてぶてしさで、この先生きるつもりだ。
本当は、被害者体質の私にもやっぱり問題があって、依存症がひどいのよね。
私にとって害があるとわかっているくせに、なんのかのと理由をつけて離れない。
お金のため、生活のため、というのも、充分依存なんだそうだ。
そうか、なるほど・・・。
そして基本、ほめられずけなされるだけで育つとこうなるのかもしれん。
もちろん私もほめられることもなくけなされる印象ばかり強い毎日を(未だに)送っているわけだが、ほめすぎる子育ても取りざたされているとはいえ、やはりわが子はとことんほめて育てるべきなんやなあ、と、思った。
叱ることももちろん必要。でも、ほめる、認めるところはオーバーすぎるくらいにやろう。
とにかく、このモラハラの連鎖はここで断ち切りたい。
私たちの年代やと、夫から妻に対するモラハラや親から子に対するモラハラも
「世代のものでしょうがない」
と、くくられがちなんやけど(昭和50年代生まれ)、もしほんとうにそうなら、周りのすべての人がモラハラの被害者および加害者ということになるよね・・・?
ほんまに、そうなの?
そうかな??
同じ環境で育っても、モラハラにならないほど自己をしっかり保てる人もいるんやろとも思うけど・・・。
私の友人には、私に対してモラハラをする人は不思議といない。
そういえば、私が尊敬する友人たちは
「あなたのためにこうするべき」
とは、絶対にいわない。
私を否定することもあるし、
「こうやったほうがいいんじゃない?」
とはいうけど、それが
「あなたのためを思って」
なんていう枕詞をいちいちつけたりはしないのだ。
そんなことをいう友だちも確かにいたけれど、気付けば私の周りにはいなくなってるんだよね。
私は、友だちにはほんと恵まれてるなあ。
ちゅうか、友だちに対してはある程度割り切れるんやろうなあ。
「この人には悪く思われてもいいわ」
と、素直に判断してるんやろうな。
自分のその判断力を今後は大事にしますよ。
(2015.08.16)
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普段、けして手にとるジャンルではありませんが、最近の家族や職場の人間関係で潜在的に思うことがあるのかもしれません。
状況によっては、加害者や被害者も意識することがない、モラル・ハラスメントはたいへん恐ろしいものだということを、強く感じました。
自分も無意識のうちに加害者になっていないだろうか…。
ただ、自分にたとえ世間で通例といわれるレベルのモラルがあるとしても、人との関わりというものは、所詮は相対的なもの。
意識せずのモラル・ハラスメントが生じる可能性も否定できません。
コントロールの難しさを痛感します。
ちなみに、著者の加藤諦三さんには、学生時代 人間関係に深く悩んでいた時に、著作を読んで救われた想い出があります。また、ご支援いただきました。サンクス!
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モラハラについての本ではあるが、一般的にモラハラといってイメージされるタイプのものではなく、美徳や正義、同情といったものを出してきて相手を支配するというタイプのモラハラについて書かれた本である。
本書にもあるが、モラハラをする加害者は、美徳などで上手く相手に対する攻撃を隠しているので気づきにくい。しかし、本書を読んでいると、ほとんどの人はここで書かれているモラハラにどのような形であれ遭遇しているのではないだろうか。そして、あーこういうこと言う人いるわーと絶対に思う。その時感じた不快感について、本書がその不快感や嫌悪感の理屈を教えてくれているので、自分が感じた感情はそういうことだったのかと納得することができる。
本書は、多くの例えを出して解説してくれているので、非情にイメージしやすく分かりやすい。
心理学の知識がない人でも、全く問題なく読める。
本書を読み終えた後には、周囲の人間に対する見方や評価が変化するかもしれない。
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「美徳」「善意」「相手の弱さ」などを持ち出して相手をコントロールすることがモラルハラスメントだと説いている。
この方の本は、何度も同じことを繰り返し書くので、読みづらいと感じるときもあるが良いことを書かれている。
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モラハラにはいくつもの種類がある。代表的なものは大きく分けてふたつあり、ひとつが「攻撃的」なパターン、もうひとつが「迎合的」なパターン。この本は、より分かりにくい「迎合的」な方に焦点が絞られている。
(「攻撃的」な方は、否定的な内容が直接言葉に表れるので比較的分かりやすい。)
専門用語が少なく(ほとんどない)、さまざまな事例を元に分かりやすく説明されているため、特別な知識がなくても読み進めやすいと思う。
個人的にはもう少し内容ごとの章わけが整理されていた方が好みだが、この書き方には心に呼びかけてくるような効果があるような気もする。
本の内容としては、おそらく知っているのといないのとでは日常生活に違いがあるので、モラハラ被害者・加害者を自認している人だけでなく、自分は関わりがないと思っている人にも幅広くおすすめしたい。