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紙の本

戦争というものは、終わればそれでハッピイということにはならない。女も男も戦争を引きずって生きなければならなかった。

2009/10/02 09:34

4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:りっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

 映画「あんにょんサヨナラ」を見ましたか?お父さんが亡くなられた中国で韓国式の祭祀を一人執り行っていたのが、李熙子(イ・ヒジャ)さん。あのシーンは迫力があったなぁ。この本の第一章では、彼女の半生が書かれている。各項には心あたたかなカット。清重伸之さんの作品です。
 戦争というものは、終わればそれでハッピイということにはならない。家族を亡くした人の悲しみ、親を失くした子の苦しみは後々まで続く。この本では跡継ぎ婚にも触れている。「兄から弟へ、弟から兄へ、妻を使いまわしているようで不愉快だ」。しかし、社会福祉なんてなかった戦後の混乱期には、食っていくためには、選択の余地のない現実でもあった。戦後も女性の権利なんて、簡単に無視されてしまう。
 李さんの住む韓国はまして儒教の国。「残された子が男ならばまだしも、女の子では頼りにならない」というご近所の進言により、お母さんは、夫の生死も知らされないまま再婚、李さんもこの言葉に深く傷つく。慰安婦問題もそうだけれど、直接の加害もさることながら、この手の、身近な人たちからの偏見、差別が、2次被害となる。これも結構キツイ。言った側は善意のつもりだったりする。これを改善するためにも、日本の国の責任を明確にする、謝罪をすることが必要なのだけれど、裁判では、「国家無答責・除斥期間」により棄却という例が多い。「国家無答責」とは、「大日本帝国憲法」では公務員は天皇に対しては責任があるけれど、国民に対してはなかった、と。だとしたら、その改訂憲法である今の憲法を根本から改めたいね。「排斥期間」は時間がたっているから。だが、李さんの例を見てもわかるとおり、戦後は生きるのに必死で、今やっと問題に取り組めたのだよ。何よりも日本政府がやるべきことをやらず、やってはいけないことを勝手にやって、しかも隠してきたということがある。それを門前払いとはなんとも冷たい裁判所である。三権分立は一体どこにあるのだろうか?
 「いちばん最初に父の記録に行き当たったのは1989年でした。日本陸軍が作成した「被徴用死亡者連名簿」の江華島出身者を見ていくと、そこに父の名前「李思鉉イ・サヒョン」が載っていました。
 それにしても、なぜ日本政府は誠意を持って、私たち韓国の遺族に徴用者の戦死を知らせてくれなかったのでしょうか。名簿には留守家族の連絡先が記入されているのですから、知らせる気があれば、通知書類の発送作業は容易にできたはず。・・・
 いったい日本政府はなぜそのような非人道的な態度をとったのか。死者に対しても礼を欠くばかりか、遺族に対しては死者を悼む気持ちをズタズタに引き裂く行為ではないでしょうか。
 そう思うと、40年以上も父の戦死の事実を知らされなかったことへの怒りが、わたしの中でふつふつと湧き上がってきました。」
 名簿は、1970年代から数回にわたって日本政府から韓国政府に返還された。はっ?25年間ほったらし?で、返還しただけ?韓国もそのまま保存していただけ?家族へ連絡しなかったの?国って何のためにあるの?
 「「李原思連」という名前に目が留まりました。ハッとしました。父の日本名です。
 父の欄には、本籍地、留守家族の名前、死亡した年月日などが記載されていますが、よく見ると、そこに「合祀」という印が押されています。
 はて、「合祀」とは何でしょう。」
 「創氏改名」とやらのお陰で、日本名を知らなかった家族には、調べようもない。そのせいで遺骨が戻れない例も多い。これも日本政府の責任だよね。「合祀」は、厚生省が恩給手続きの為の個人情報を靖国神社に教えていたから・・・でも、徴兵徴用された時は日本人扱いの朝鮮・韓国人に、果たして恩給は出したの?
 「韓国人は、戦争中、日本の天皇制と神社に苦しめられました。朝鮮全土に神社を造って参拝させ、天皇への忠誠を誓わせたりしましたから、神社というものを植民地支配のシンボルとして忌み嫌っていますから、・・・」「いったい靖国神社は、だれの了解を得て父を合祀したのだろう。家族の知らないあいだに合祀するなんて、あまりに勝手すぎる。こんなことが許されていいわけがありません。」
 この怒りは当然です。
 9月28日「ニューギニア戦線遺品展」の新聞記事に「西部ニューギニアでは約5万人が戦死したが、大半の遺骨は日本に戻っていない」と。戦死というよりも餓死。兵站部無しで進軍だもの。日本人兵士への戦争犯罪だよ。その責任を問われたくないから、「英霊」にしちゃって自動的に靖国へ、ってことじゃぁないの?
 日本人兵士の家族には、戦死の通知と骨箱を送った。韓国にはそれも無し、しかも落ち着く暇もなく朝鮮戦争が始まる。小田実によれば、朝鮮戦争そのものにも日本に責任があるとか。はぁ。で、今も責任をとろうとはしていない。
 第二章は、通訳無しの「江華島ふたり旅」。言葉が通じない分、心で感じることが多かったのか、著者自身の戦争体験が描かれている。「わたしが1歳半の頃に、父が南方の戦場へと「出征」していった」、「帰還した後の父はほとんど家族と口を聞かず口を開いた時は軍隊調で家族のだれかれを怒鳴りつけた」。著者のクロアチアへの訪問では、「男たちが戦闘に熱中するなか、女性たちは敵味方なしにひそかに食料を届け合ったり、足りない日用品を分け合ったりしていたという。戦時下では、男たちはますますその「男性性」を発揮する。これは世界共通のようだ」。「もうひとつ、なるほど、と思い知ったことがある。それは、戦争が終わった直後の男たちの荒れようだ」。
 戦後の女も大変なら、男も戦争を引きずって生きなければならなかったのだねぇ。お父さんからもらった一枚の葉書に水牛が描かれていたとか。その縁か、著者は「フィリピン・レイテ島の農村に水牛をおくる活動を続けている」そうだ。こういう活動にこそ、ODAが使われるといいのにねぇ。
 裁判は継続中。「父の墓石に父の名前と事跡を彫り刻む」まで、李さんの闘いは続く。「日本がふたたび戦争に踏み出してはならないという気持ちと、靖国神社が拘束していた死者たちの魂を即刻解放すべきだという人間らしい気持ち」を持った多くの友だちと共に。

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