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「たったひとつの方法」は探せないかもしれない、選択肢を一つ増やす/考えるきっかけにはなるかもしれません
2011/04/18 09:43
3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:rindajones - この投稿者のレビュー一覧を見る
「雨の降る日曜は幸福について考えよう」(「知的幸福の技術―自由な人生のための40の物語」)を先日読んだ。本書はその発展的内容というより
自己啓発によって人は変わることができ(更には世界も変わって)
人は幸福になれるのだろうか?
もっと平たく言えば
人の能力を向上させることが出来るか?
を考えている。「雨の降る...」より「亜玖夢博士のマインドサイエンス入門」を想起させる内容だった。「亜玖夢博士の...」が幸福が主なテーマではないにも関わらず。
カツマー(勝間和代)とカヤマー(香山リカ)の論争のことは知らなかった。本書の序章で知ったその論争は非常に興味深い。どっちの言い分も正しいのでしょうが、橘氏の指摘のように議論はそもそも噛み合っていないと私も思う。本書はその論争に端を発した第三の見解と捉えることも出来るかもしれないが、著者は別段この論争に加わる気は無いと思います。
著者は「この世界が残酷だということを、僕は知っていた」で本書を始めているように「この世は残酷」という前提のうえで、幸福になることを模索している。「幸福になること」は少し語弊があるかもしれない、幸福のカタチを紹介している、という感じでしょうか。勿論、著者らしく何ものも強要していない、紹介しているだけです。
なので、タイトルの「たったひとつの方法」を教えてくれるという期待を裏切られる方は少なからずいると思います(でもさ、たった一冊の本で「幸せの方法」を期待するのもどうかと思うね)。
余談:しかし、著者のこの手の本のタイトルは誤解が招く、ちょっぴりイケテナイのが多いような気がする。この業界では、この手の本のタイトルにはこのぐらいのが良いのかもしれないが、良く分からない。
本書を読んで、その「たったひとつの方法」を私自身が見つけたかと問われればYESと応えるでしょう。正しくは「やっぱそうだよな」という程度。それより良かったのは、これから自分がやるべき道の選択肢を一つ増やすことが出来そうな予感を抱けたこと。具体的にここで書くのは野暮なので、しませんけどね。
さてさて、どうでも良い話題ですが(なら書かなきゃ良いのだが...)、カツマーブームはまだ続いているのだろうか?カヤマーブームってあるのだろうか?ブームに乗って幸せを感じられるなら乗れば良いと思うけど、強要するのは良くないと思う。本人は強要していないかもしれないので、主張し過ぎるのはチョットどうかな、程度の疑問は呈したい。
結局、人の幸せはそれぞれで、幸せを得られる方程式など存在しなくて(「**の方程式」って凄い変な表現だ、「メソッド」「パターン」ならちょっとは理解できるけどね)、日々を生き延びるために試行錯誤(それを「努力」と呼ぶ人もいるかもしれない)して、この残酷な世の中の日々を過ごさなければならないのです。
あ?別に「残酷」と思う必要はありません。けれども「残酷」と知って生き抜こうという姿勢の方が、よりポジティブでいられると思います。ユートピアと思っていた挙句に裏切られるよりずっと幸せで、生き延びていけるような気がします。
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刺激にみちた本だが説得力が欠けている
2011/08/04 10:54
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は勝間和代のように「やればできる」という自己啓発論者に反発する. 「高度化した資本主義社会では,論理・数学的知能や言語的知能など特殊な能力が発達したひとだけが成功できる. こうした知能は遺伝的で,意識的に "開発" することはできない」という. それをみとめて「バザールに向かえ」,つまりグローバル化した世界のなかでは「ロングテール」のなかになら特別な能力がなくても自分の好きな仕事をみつけられるだろうという. いろいろ刺激にみちた本だが,肝心の最後の部分には説得力が欠けている.
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本書の唯一の救いは私の大嫌いな中国人が、あたかもスーパーマンであるかのように描いていた前作までと違い、本書には中国人のキャストは全く出てこない(リンレイも中国マフィアの陳も出てこない)。これだけが唯一の救いと言えば救いだ。
2010/10/22 18:18
20人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「橘玲も衰えたなあ」。それが本書を読んだ印象である。とにかく暗いのだ。以前、橘が書いた本には独特の明るさがあった。橘は、ご存じ「海外投資を楽しむ会」の創業メンバーだ。この会は「日本の証券市場は規制でがんじがらめで、野村証券を筆頭とする証券会社護送船団が財務省に守られ顧客を食い物にする構造になっている。こんな日本の市場にはさっさとサヨナラして、税金のかからないタックスヘイブンに口座を設けて資金をそこに移し、世界の金融メジャーリーグ市場(アメリカ、ロンドン等)で高度な金融テクを駆使して高収益をあげて独立しよう」と呼びかけ、当時、ITバブルで湧きかえっていた欧米市場に勇躍漕ぎ出した(漕ぎ出そうとした)のである。当時、私は、この会に集うオツムの弱そうな自称投資家たちと大論争した。私は抜群の経済力を誇る日本経済の実力は相当なもので、日本円には常に円高圧力がかかっており、少々外国で儲けても、円高になればその大半が吹き飛んでしまう。それよりアジア金融危機で暴落した日本株を買った方が為替リスク無しで儲けることが出来るんじゃないか」と論陣を張ったのだ。その後、ITバブルが崩壊し、私と大論争していた相手は何時の間にか消えてしまった。しかし、その後、今度はアメリカと欧州で盛大な不動産バブルが発生し、欧米株は再び急騰。海外投資を楽しむ会の連中も元気を回復したかに見えた。しかし、そのあとがいけない。ご存じ、リーマンショックである。あれで欧米の株式市場は文字通り崩壊している。欧米の金融機関や証券会社の株は大きく落ち込んだ。本書で橘が醸し出す独特の暗さ(ある種の諦念さえ感じさせる)は、今回のリーマンショックで橘が負ったであろう金融資産へのダメージと無縁ではないように思えるのだが、これは気を回し過ぎだろうか。
「お金なんか持っても、人間幸せにならないよ」と言った調子の後ろ向きで暗い話が多い中で、「日本人は会社が大嫌いだった」という部分は半分当たっていると思うし、半分は間違っていると思う。橘は日本人に自殺が多いのは理不尽な雇用制度にあるという。橘は、弱肉強食で過酷な人生を歩む人が多いはずのアメリカに自殺が少ないのは、アメリカの制度が透明でオープンで本人と組織が相対して双方納得ずくで格差をつけるから、そこで暮らす人は案外日本人ほどストレスを持たないかのような話をするがウソである。日本に自殺者が多く、アメリカに少ないのは、宗教の問題もあるだろうし、もうひとつは本文にも出てくるヤクザ社会に似た濃密空間である日本では、一旦社会不適応者の烙印を押されると、その人間はまず再生できない(やり直しがきかない)構造になっていることが大きいと思う。ただ日本的雇用がマイナス面ばかりのように橘は書いているが、日本的雇用の真っただ中にいる人間として一言いわせてもらうと、この橘の評価に私は大いなる違和感をいだかざるをえないということになる。確かに日本は「能力主義」の社会ではない。日本では「資格の取得」はほとんどの場合、意味を持たない。たとえMBAを取得しても、それが故、急にポストが上がったり給料が増えたりと言ったことにはならない。弁護士の資格を持っていようが公認会計士の資格を持っていようが、だからといって社内の人事考課で非資格保有者に比べ圧倒的優位にたったりはしない。大学の専攻や資格は考課の一要素に過ぎず、もっとも重視されるのは「周囲の総合評価」であることは橘が書いている通りである。もちろん以前より給与格差は増えているようだ。ただ2倍も3倍も違うかねというと大半の企業がそうはなってはいない。皆さん、結構な給与をもらえるのだ。しかも考課が不十分なまま年齢を重ねるとどういうことになるかというと、仕事がどんどんどんどん減るのである。メールもほとんど来ないし打合せもない。ひたすら机に向かって静かにじっとしていることになる。確かにこれは退屈でしんどいことかもしれないが、解雇はされないし給与は相変わらずもらえるのだ(不祥事や犯罪をおかせば話は別)。一方、責任あるポストに就いた人は、確かに部下も増えるし仕事は増えるが、その分、ストレスも急増する。土日も接待ゴルフが入り、海外出張で長期に家を空けることもしょっちゅうだ。転勤も多くなる。責任ある地位に就けばつくほど、あちこちの支店長や支配人として転勤することを求められるのだ。だから出世する人ほど家庭が空洞化し子供がぐれるというケースも起こりうる。一方、そうでない人がかえって家族サービスをたっぷりして土日もゆっくり休んで健康なんてこともありうる(もちろんその逆もある)。ただ重要なことは、日本の組織内で何よりも重要視されるのは「協調性」であり「素直さ」であるということだけは言っておこう。日本人は組織で仕事をする。個人の知識や能力は、あまり問われない、3人寄れば文殊の知恵というが、個人で知っていることなんてたかがしれている。それより誰とでも円滑にコミュニケーションでき、多くの人をまとめ、チームの総力を結集できるような人のほうが、結果として、より多くの知恵を集め、良い結果を出せるものなのだ。日本の組織で何より邪魔なのは、己の能力を鼻にかけ、周囲を小馬鹿にしたりする人。「能力ある私に向いているのはこの仕事であって、ほかの雑務なんかできません」などと言うやつは最悪なのである。日本の組織が求めているのは均一な角砂糖みたいな人材であって、とげのある金平糖や、ジグソーパズルのピースのようなユニークな人材は邪魔なのである。昨今、「世界でひとつだけの花」なる珍奇な歌が流行った。「ナンバーワンよりオンリーワン」などこの歌は個性を煽るが、個性のある人材なんて邪魔なだけなのである。これは実際にチームの長になり、組織を動かす立場に立てばすぐ分かる。組織運営で何より邪魔なのは自己主張が強すぎる自分勝手な人、何かと周囲と喧嘩してはチームの雰囲気を悪くしムードを暗くする人である。それに角砂糖型人材は組織の効率的運用や改変にも非常に向いている。日本では解雇は出来ない。一旦やとったら定年までクビになることはまずない。しかし組織を取り巻く環境は絶えず変化し、時代の変化に合わせ、組織も柔軟にかえていかなければならない。今日まであった部門が明日からいらなくなることなんて日常茶飯事だ。こういう時、簿記一級取得者であるがゆえに経理専門要員として採用された人でも、明日から営業をやってもらう、中国に駐在してもらうなんてこともあるわけだ。こういうことが出来るのが日本の組織の最大の強みなのだ。「転勤はいやです」「私は営業する為に入ったのではありません」なんていう奴ばかりだと、整理解雇するしかリストラの方法がなくなるが、日本では素直に職種の変化に応じる社員ばかりだからこそ、大胆なリストラせずに会社を維持し発展させることが出来ている訳だ。この辺りを理解できていない橘の悲しい現実を目の当たりにして、かつて輝いてみえた橘玲も「衰えたなあ」と読後、思わず嘆息してしまう私なのであった。
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残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法、橘玲
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51751062.html
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キュレーションとは、「ある視点」に基づき、情報を収集・整理・共有することを指す言葉である。
当然、著者が定めたアンテナの指向性(と方向)とその感度が重要である。
これらの能力がコンテンツをかき集め、どのような素材でどのように調理し、どのような料理が出来上がるかが決まる。(最近はこのカタカナ語が流行しているが、まとめ行為の延長である)
本書は、著者が「残酷な世界」を俯瞰し、そんな世界でもなお「生きていく術」を述べている。キュレーターとして「残酷な世界」である証を集める(囚人のジレンマや伽藍等)。それに抗うための「生きていく術」を整理する(しっぺ返し戦略やバザール)。上手く纏まったキュレーションだと思う。
「みんなのタグ」の欄に「自己啓発」があるが、本書は特にあなたを勇気づけない。キュレーションによる「共有」が及ぼす「共感」が存在するだけであり、キュレーションの結果を「共感」したことによって、自己啓発と誤認することはあるかもしれないが、この本は全く以て自己啓発とは違う。
(というか、この本はむしろ自己啓発を否定するスタンスで展開されてるのにこのタグが付いている意味が…)
「これを読めば何かが出来るようになる」といった実用書的なものは期待せず、著者である橘氏と共に、氏が俯瞰した世界観を旅しよう。それが楽しい。
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世界がどうして残酷なのかの記述が本質を捉えていて面白い。自己啓発ブームに、一言物申すの一冊。
一報、その世界で生きのびる方法については、やや弱い感じがする。
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自己啓発批判がテーマで,HowTo本ではない.ネタは進化心理学,ちょっと付け焼き刃的.リバタリアニズムについては触れていない.エッセイ集とも言い難いし,かと言ってまとまっているとも言えない.読み物としては相変わらず面白いが,「雨の降る日曜は…」の方が切れ味も深みも上に感じる.
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自己啓発のアンチ本。結論は、評価経済について岡田斗司夫さんの話を聞いたことがあるため、特に新しさはなかった。しかし、本作の豊富な引用は、一読の価値あり。知らなかったことがたくさんあり、楽しく一気に読めました。繰り返すが結論は期待してはいけない。
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やっぱりそういうことなのね、「伽藍を捨ててバザールへ向かう」しかないのね。いわゆる技術的な自己啓発ではない。幸福になるにはどうすればいいのか?では、まず幸福の正体を探っていこうという、科学的論拠に拠る、でもすごく読みやすいお話調の内容。
著名な本の引用が沢山使われていて、そっちも読みたくなった。
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・ハワードガードナーによると知能とは
①言語的能力
②論理数学的知能
③音楽的知能
④身体能力的知能
⑤空間的知能
⑥博物的知能
⑦対人的知能
⑧内省的知能
➈実存的知能
の組み合わせ。ただし労働市場は知能を平等に扱わない。「音楽的知能」や「身体能力的知能」は衆に抜きん出ていないと評価されない。それに対して「言語的能力」や「論理数学的知能」は他人より少しすぐれているだけで労働市場では評価される。
・能力競争で一番にならなくても比較優位を活かすことでみんな仕事が得れる。
・資本主義社会では人的資本を労働市場で運用し、自分の利潤を最大化するべく協力・競争を繰り広げている。そういう意味ではみんな投資家で資本家だ。資本家と労働者が二手に別れて綱引きをしているような単純なゲームをしているわけではない。(マルクス主義)
・愛情空間・友情空間・貨幣空間。共同体でありムラ社会である愛情空間・友情空間は時には残酷だ。(いじめ、人種差別、男女差別・・etc)でも貨幣空間では市場のルールさえまもっていれば、外見、出身、人種なんて関係ない。
・僕たちは複雑系な社会を因果論で解釈し、そこに何者か(神)の意図を感じ取ろうとする。これは人間の本能だ。
・影響力の武器。「返報性」「権威」「希少性」「好意」「社会的証明(渋谷の真ん中で空を見上げてみよう。)」「コントラスト効果」「勝者の呪い」そして「コミットメントと一貫性(一度決めたことは取り消せない。失敗を認められない。過去の判断を覆せない。
・囚人のジレンマは連続性があれば(1回だけではなくて繰り返し)「しっぺ返し作戦」が有効。(初回は信じる。一度裏切られれば裏切る。再度相手が友好的になれば自身も友好的になる)
・日本の会社は社員という共同体によって構成されている。そこでの人事は共同体による評判によって左右される。評判獲得ゲームは競争のルールが明確ではないため成果主義より過酷だ。しかもその評判は共同体の中でのみ有効なのだ。
・恐竜の尻尾の中(ロングテール)に頭(ショートヘッド)を探せ。
・伽藍(狭い共同体)を捨ててバザール(開かれたマーケット)へと向かえ。
・好きを仕事にしろ。(あなたが好きである以上、そこには必ずマーケットはあるではないか。大きくはないかもしれないが)
・収益モデルを自分で設計しろ。(でないとバイク便と同じことになる)
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他の著作で開陳されているような経済的自立に向けた珠玉のノウハウを期待したが、新味の無い話にうだうだと付き合わされた挙句、「これが結論?」という肩透かし感だけが残った。老成?
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序章 「やってもできない」ひとのための成功哲学
第1章 能力は向上するか?
1. 「やってもできない」には理由がある
2. 能力主義は道徳的に正しい
3. 「好きを仕事に」という残酷な世界
第2章 自分は変えられるか?
1. わたしが変わる。世界を変える。
2. 『20世紀少年』とトリックスター
3. 友だちのいないスモールワールド
第3章 他人を支配できるか?
1. LSDとカルトと複雑系
2. こころを操る方法
第4章 幸福になれるか?
1. 君がなぜ不幸かは進化心理学が教えてくれる
2. ハッカーとサラリーマン
3. 幸福のフリーエコノミー
終章 恐竜の尻尾のなかに頭を探せ!
伽藍(がらん)を捨ててバザールに向かえ! 恐竜の尻尾のなかに頭を探せ!ワーキングプア、無縁社会、孤独死、引きこもり、自殺者年間3万人超など、気がつけば世界はとてつもなく残酷。だが、「やればできる」という自己啓発では、この残酷な世界を生き延びることはできない。必要なのは、「やってもできない」という事実を受け入れ、それでも幸福を手に入れる、新しい成功哲学である。 (中略)
残酷な世界を生き延びるための成功哲学は、次のたった二文に要約できる。 伽藍を捨ててバザールに向かえ。恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。 なんのことかわからない? そのヒミツを知りたいのなら、これからぼくといっしょに進化と幸福をめぐる風変わりな旅に出発しよう。(本書「はじめに」より)
.勝間香山論争の根底にあるもの
勝間は、料理教室でアップルパイをつくったり、自動車教習所で縦列駐車を教えるように、幸せになるための"レシピ"や"技術"を教えているだけだ。ナショナリズムや共産主義のような政治主張があるわけでもなく、特定の宗教を伝道しているるのでもない。(中略)
だとすれば香山の異議申し立ては、ただの空回りなのだろうか。勝間個人に対しては、おそらくそうだろう。二人の対話を読むと、なぜ自分が批判されるのかわからず困惑する勝間の様子がありありと伝わってくる。
だがその"言いがかり"が、勝間のスキルの核にある自己啓発に向けられているのなら話は別だ。自己啓発は縦列駐車のような生活技術ではなく、ひとつの強固なイデオロギーだからだ。
能力主義は道徳的に正しい
能力主義がグローバルスタンダードになったのは、それが市場原理主義の効率一辺倒な思想だからではない。
会社はヒエラルキー構造の組織で、社負は給料の額で差をつけられるのだから、なんらかの評価は必要不可欠だ。その基準が能力でないならば、人種や国籍、性別、宗教や思想信条、容姿や家柄・出自で評価するようになるだけだ。すなわち、能力主義は差別のない平等な社会を築くための基本インフラなのだ。
日本人はアメリカ人よりも個人主義だ
安心社会で暮らす日本人は、仲間内では集団の規律に従うが、相互監視・相互規制のくびきから離れれば個人主義的(というか自分勝手)に行動する。それに対してしっぺ返し戦略��基本とする社会で育ったアメリカ人は、仲間であるかどうかとは無関係に、人間関係をとりあえずは信頼(協力)からスタートさせる。このちがいが、社会的ジレンマに直面したときに、協力か裏切りかの選択の差となって表われるのだ。
貨幣空間で成功する人々
貨幣空間の成功者は、ひととひととをつなぐことに喜びを見出している。でもこれはたんなる善意ではなく、優秀な人材を紹介することで人間関係の貸借対照表に資産を加えることができることを知っているからだ。紹介されたほうは心理的な負債を負うけれど、これは金銭とちがって返済義務はなくて、逆にそのひとを受け入れることが貸しになったりもする。
それと同時に彼らは、いろんなひとたちと積極的に知り合おうとする。パーティで立ち話をしただけでビジネスにつながったり、ウマい話が転がり込んできたりするわけはない。でも世界じゅうのすぺてのひとと六次以内でつながるスモールワールドの貨幣空間では、たくさんの弱い絆の向こうに大きな鉱脈が眠っている。グローバル時代のビジネスでは、その"真理"を本能的に知っているひとが成功の果実を手にできるのだ(いつもではないけど)。
マルチ商法にひっかかる人の特徴
マルチ商法の被害者に決定的に欠けていたのは社会常識だ。預金金利が0.1パーセントの時代に、元本保証で年利36パーセントの投資商品など存在するはずがない。だけど多くのひとは、こうした経済(経済学ではない!)の常識にはまったく興昧を持たず、楽してお金が儲かることを夢見て漫然と日々を過ごしている。
社会的な知性の高いひとは、他人を信用する。だけど、社会常識のないままに他人を信用するのは自殺行為だ。
人は無意識のうちに支配と被支配の関係をつくりだす
人間の耳には、500へルツより低い周波数は意昧のない雑音(ハミング音)としか聴こえない。ところがぼくたちが会話をすると、最初はハミング音の高さがひとによってまちまちだが、そのうち全員が同じ高さにそろう。ひとは無意識のうちに、支配する側にハミング音を合わせるのだ。
声の周波数分析は、アメリカ大統領選挙のテレビ討論でも行なわれている。1960年から2000年までの大統領選挙では、有権者は一貫してハミング音を変えなかった(すなわち相手を支配した)候補者を常に選んできた。わざわざ選挙などやらなくても、討論のハミング音を計測するだけでどちらが勝つかはわかってしまうのだ(ドウ・ヴァール『あなたのなかのサル』)。
あなたのなかのサル―霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源
7.日本的雇用が生み出す自殺社会
ムラ社会的な日本企業では、常にまわりの目を気にしながら暖昧な基準で競争し、大きな成果をあげても金銭的な報酬で報われることはない。会社を辞めると再就職の道は閉ざされているから、過酷なノルマと重圧にひたすら耐えるしかない。「社畜」化は、日本的経営にもともと組み込まれたメカニズムなのだ。
このようにして、いまや既得権に守られているはずの中高年のサラリーマソが、過労死や自殺で次々と生命を失っていく。この悲惨な現実を前にして、こころあるひとたちは声をからして市場原理主義を非難し、古きよき雇用制度を守ろうとする。しかし皮肉なことに、それによってますます自殺者は増えていく。
彼らの絶望は、時代に適応できなくなった日本的経営そのものからもたらされているのだ。
.人が幸福になるには
高度化した資本主義社会では、論理・数学的知能や言語的知能など特殊な能力が発達したひとだけが成功できる。こうした知能は遺伝的で、意識的に"開発"することはできない。すなわち、やってもできない。
ところがその一方で、金銭的に成功したからといって幸福になれるとは限らない。ヒトの遺伝子は、金銭の多寡によって幸福感が決まるようにプログラムされているわけではないからだ。ひとが幸福を感じるのは、愛情空間や友情空間でみんなから認知されたときだけだ。
◆ただ、本書の冒頭から展開される、「勝間香山論争」を含む「自己啓発ブーム」の分析は、「目からウロコ」でした。
お恥ずかしながら、本書を読んで、初めて「社会進化論」なるものを知ったワタクシ。
本当に「やればできる」のか、それとも「やってもできない」のかは、本書を読んで、各自考えて頂きたく。
個人的には、「分野」の問題と「程度」の問題は、まず前提としてあるのではないかと……。
さて、この本の最初の章は「自己啓発」についてだった。
自己啓発本やセミナーに関しての著者のスタンスは実に明快だ。
「やってもできない」が答えだ。
人はなんらかの努力により自分を変えることができ、より高い能力を身につけて、高い報酬を得ることができるようになるという前提で様々な自己啓発本が書かれている。
しかし僕自身、そういった自己啓発本や自己啓発セミナーで本当にそのように成功した人物を全くといっていいほど知らない。
なぜだろうか?
答えは「人間の能力というのは遺伝的に大方決まっている」だ。
橘玲は一卵性双生児の研究や、様々な教育実験の研究を持ち出し、人間の能力のどれだけ多くの部分が遺伝子で決まってしまい、環境要因のほとんども思春期までの間の子供同士の人間関係でほとんど決まってしまうことを説明する。
これは僕の経験とも一致するし、周りを見渡してみても非常に説得力がある。
多くの親が自分の子供にそういう会社で働き、高い給料を稼いでほしいと願い、教育に多大な労力とお金をかける。
そんなに教育のような環境要因が重要なら、僕の周りの同僚はみんなそういう教育熱心な親に育てられた人間ばかりになりそうだが、そんなことは全くない。
貧乏な家で育ったもの、金持ちの家で育ったもの、放任家庭で育ったもの、過保護に育ったもの、本当にバラバラだ。
しかしこういった本当のことはマスコミからは決して聞こえてくることはない。
なぜならそれは「政治的」に正しくないからだ。
テレビで誰かが「犯罪者の子供は犯罪者になる確率が高い」なんていったら、それこそ犯罪者のごとく大バッシクングされるだろう。
また能力の多くが遺伝的に決まるし、環境要因とて幼年期の子供同士の人間関係が大部分だとしたら、それは美しい教育の理念を全面否定してしまうことになりかねない。
多くの人は醜い真実よりも、美しい嘘の方を好むし、それで何の問題もない。
この本の幸福論もまた面白い。
人間の心というのは長い進化の過程で、それが生存上有利だからという理由で獲得されたものだ。
つまり人間の心は個体の生存と繁殖に有利な行いをすると快楽や幸福を感じるようデザインされており、不利な行いをすると不快や不幸を感じるようになっている。
食べ物に貪欲でない個体は飢え死に、性愛を激しく求めなかった個体も子孫を残せなかったのだ。
しかしこうした人間の進化というのは何十万年という途方もない時間の中で起こるものであって、人間の心の大部分は狩猟採集時代に最適化されたままだ。
それがこの50年ぐらいの間に科学技術が爆発的に発展してしまったために多くの奇妙なことを起こるようになってしまった。
世界中に食料が溢れ返るようになると、他人から承認されたり、社会に貢献したりというより高次元の快楽の実現が困難になったアメリカの貧困層は、非常に安価で簡単に手に入る快楽、つまり高カロリーのジャンク・フードを食べ続け、飢餓ではなく肥満に苦しむようになった。
貧困層が肥満に苦しむのは今や途上国でも同じだ。
世界的に安価な食料が溢れかえっているのだ。
子孫を多く残すためのセックスへの衝動も、セックスの快楽だけが分離され、ポルノをはじめとするヴァーチャルなセックスが溢れかえっているし、セックスだけが目的ならそれを提供する性産業がいくらでもあるのが現状だ。
そして生身の人間との恋愛はずっと面倒で、子育ては経済的に大きな負担だ。
こうして先進国ではどこも少子化が進んだ。
こういった人間の「心」を誤作動させることは簡単で、ドラッグなどがそのいい例だ。
脳のある部分に電気刺激を加えると1000回のオーガズムが同時に襲ってくるほどの快楽を感じることが大脳生理学の研究からわかっている。
ボタンを押すとそこに刺激が行く装置を作り、それをサルに与えると、エサも食べずに餓死するまでひたすらボタンを押し続けることが実験により確かめられている。
そういえばそんな感じで自分は死ななかったけれども、運悪く相手が死んでしまって、塀の向こうに落っこちてしまった芸能人が最近いたような気がする。
ここに書いたことは一例で、その他にも公立学校の先生まで簡単に首になる「市場原理主義」のアメリカで自殺率が低い一方で、なぜ終身雇用で会社が社員を首にすることが絶望的に難しい日本で自殺率がこんなに高いのかについての考察など、面白い話題がいろいろ読める。
本日の一冊は、ビジネス書作家として絶大な人気を誇る橘玲さんに
よる、「現実的な」成功哲学書。
著者いわく「自己啓発へのイデオロギーへの違和感から生まれた」
一冊で、自己啓発の旗手である、勝間和代さんをネタに、教育至上
主義が生まれた背景と理論、そしてそれに対する著者なりの見解を
示しています。
ハーバート・スペンサーが唱えた「社会進化論」を使って現在の適
者生存の価値観を説明しつつ、人間の知性が7割遺伝で決まってし
まう現実を指摘。
また、人間が複数の知能を持っていたとして、そのすべてを教育で
伸ばせない現���や、市場がいろんな知能を平等に扱わない現実を説
き、なぜ格差が生まれるのか、その本質を論じています。
あらゆる働き方、稼ぎ方の人間を一律に評価できるゲーリー・ベッ
カーの「人的資本論」の話を読めば、ハイリターンの投資や宝くじ
で儲けたといって人を集めるのがいかに愚かなことかわかりますし、
起業した人間が大企業に勤めるサラリーマンより給料が高くても何
ら不思議ではないことにも気づきます。
自己啓発に過剰にはまる人が、夢から覚めるには、絶好の本ではな
いでしょうか。
しかし、「努力しても変わらない」という本書のような考え方が広
まれば、本来開発できるはずの能力が開発できないリスクはあります。
もし土井が勉強していなかったら、英語やパソコンはできていませ
んし、ゲラの赤入れの方法も知らなかったでしょう。
だとしたら、外資系企業にも就職できていませんし、現在の仕事に
も就けていないでしょう。
たとえ人間の知能が遺伝で7割決まるとしても、どの能力を伸ばす
のかという「目利き」と、それを伸ばすための努力の余地は残され
ているのです。
われわれは、キャリアにおいても能力開発においても、ソクラテス
の「無知の知」を尊重すべきだと思います。
どんなに頭のいい人が何を言っても、その人がどんなに成功してい
ても、本当の才能は「試してみるまでわからない」のですから。
ただし、本書が人生やキャリアの現実を説いているのも事実。
ぜひ読んで、自己の能力開発に活かしてみてください。
残酷な世界を生き延びるための成功哲学は、たった二行に要約できる。
伽藍を捨ててバザールに向かえ。
恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。
アメリカの教育心理学者アーサー・ジェンセンは、一九六九年に知
能(IQ)と遺伝の関係を調べ、知能の七〇パーセントは遺伝によ
って決まると主張した
知能や性格は“運命”のようなもので、努力によっては変わらない
ぼくたちが複数の知能を持っていたとしても、そのすべてを教育に
よって伸ばせるわけではない。時間も資源も限られているのだから、
仲間との競争に勝って異性を獲得し、自分の遺伝子を残そうと思え
ば、もっとも得意なものに資源を集中するのが最適な戦略なのだ
市場は、いろんな知能を平等に扱うわけではないのだ。身体運動的
知能や音楽的知能は、衆に抜きん出て優れていないと誰も評価して
くれない(中略)それに対して言語的知能や論理数学的知能は、他
人よりちょっと優れているだけで労働市場で高く評価される
ライシュの推計ではルーティン・プロダクション・サービス(製造
業の労働者)とインパースン・サービス(対面で顧客サービスをす
るひとたち)に従事するアメリカ人は全労働人口の八割に及び、こ
のひとたちは“ふたつの国際化”によって貧困層に転落していく
金融市場でリスクとリターンが釣り合っているのなら、大きなリス
クを取った投資家のなかから��儲けするひとが出るのは当たり前だ。
こういうひとが「株で一億円儲ける」みたいな本を書くのだけれど、
これは「宝くじ必勝法」と同じでまったく役に立たない
人的資本が小さければ、大金を稼ぐには大きなリスクを取るしかない
ひとの働く価値は、「学歴」「資格」「経験(職歴)」の三つで評
価できる
人的資本を介して教育と富が直結することによって、ぼくたちは、
「自己啓発」の終わりなき競争に駆り立てられることになった。
“自己啓発の女王”勝間和代の登場は、時代の必然だったのだ
問題は、好きなことが常に市場で高く評価されるわけではないとい
うことだ
市場の論理は、顧客に対して誠実であること、公平であること、差
別しないことを求める。となれば、貨幣空間の勝者であるお金持ち
とは、こうした美徳を体現したひとということになる。彼らは楽天
的で他人を信用し、その一方で嘘を見抜くのがうまく情に流されない
「うまい儲け話」にひとが簡単に引っかかるのは、「特別な自分に
は特別な出来事が起きて当たり前」と、こころのどこかで思ってい
るからだ
マサイ族が幸福なのは、家族や仲間との強い絆(愛情空間と友情空
間)のなかで暮らしているからだ
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■ 感想
- たいとるはなかなかにキャッチーなフレーズだが、現代社会(残酷な世界)でうまくやる方法(生き延びるたったひとつの方法)をまとめた本
- まず、遺伝子学の観点から人それぞれの特性と、人それぞれは個性が違うことに触れている。つまり、誰もがペーパーテストで100点を取ることは望むことではないし、個人は目指しても成功するとは限らないと言う事
■ よかった点
- 現代社会において人はどのように取り組むべきか、どうやって成功するのかという点についてまとめられているのがよかった
- 自己啓発本のように「気持ちを切り替える」、「トレーニングをつむ」など対処療法的な内容ではなく、ありのままの自分でどこに力を向けるべきかと、ある意味一番根本的な内容を分かりやすくまとめていた
■ この本に適している人
- 自己啓発本にあきた人
- ありのままの自分の特徴と経済(世の中)を結びつけて、どこに落とし所をもつのが良いのか考えたい人
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身も蓋もないタイトルに惹かれて購入。
誰もが能力を伸ばすことで豊かな人生を生きられると説く自己啓発書がいっとき大流行したが、本書では自己啓発書を一刀両断している。
曰く、性別や年齢など努力ではどうしようもない性質での差別は禁じられているから、社会は道徳的・政治的理由で能力による区別を選択しているが、実際には、一定の年齢から能力は向上はしないし、自分は変えられない、閉塞した社会では幸せにはなれないし、他人を動かすこともできない、と。
そんな残酷な社会で生き残るには、やってもできないことを認識し、閉塞した社会から出て行く哲学が必要。
タイトルの通り、身も蓋もない内容だけど。
人生経験のない若い人に、道徳的に正しいかもしれないけど、実際には間違っているかもしれない価値観を押し付けるよりは現実を示す本書の方が優しいのかもしれない。
ちなみに、タイトルでは、そんな残酷な世界で生き残るたったひとつの方法が書いてるかのようになっているけど、現状の認識がほとんで、だからどうしたら良いかは書いていない。
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「人間の能力というのは遺伝的に大方決まっている」という大胆なメッセージが印象的。読み進めるとそれはやがて「そうなんだろう」という理解にもつながる。
一卵性双生児の研究や、様々な教育実験の研究を持ち出し、人間の能力のどれだけ多くの部分が遺伝子で決まってしまい、環境要因のほとんども思春期までの間の子ども同士の人間関係でほとんど決まってしまうことを説明している。
となると、教育ってなんだ?という疑問が出てくるだろうが、それについても本書の中には書かれているので、気になる人は読んでみてください。
って、俺が読み直しそうだな…