紙の本
小説みたいに読める
2016/01/14 21:33
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:メロリーナ - この投稿者のレビュー一覧を見る
親戚にもいるけど法事や結婚式(披露宴は出席してます)に来ないくらいでそんなに熱心じゃないのかなあ?そういう話をした事なかったので知らなかった事ばかりでした。特に作者はアメリカで長く過ごされているので日本との違いとかも興味深かった。勧誘の訪問活動はアメリカにいた頃は車で一軒家を回って行ってたけど日本では団地やマンションなどの集合住宅が多くて大変、とか。学校でキリスト系のイベントなどには参加できなかったけど向こうはユダヤ教とか他にも参加できない子がいるので気にならなかった、とういう話では、自分も小学校の頃クラスでクリスマス会をやるという事になったけど、ある子が宗教の関係で1人だけ参加できないというので名前を「お楽しみ会」に変えてやった記憶があります。
作者は自分で教えの矛盾に気づき、フェードアウトされてます。役に立つ人もいるのでは。まあ、誰にも迷惑をかけず、幸せなら、自由かも知れませんが。
投稿元:
レビューを見る
よく耳にする宗教団体ですが、なんでそんな名前なんだろう?という初歩的な疑問がとけて、さらにクリスチャンとは?宗教とは?と基本的なことがするするわかりました。
特定の宗教の名前を冠している本ではありますが、宗教全般の疑問、
たとえば・・ずっと以前から感じていた「幸せになる!という触れ込みで信仰しているらしいのに、幸せそうじゃない人がいるんだろう?」「よく耳にする言葉”汝の隣人を愛せよ”といいつつ全然そんな感じじゃないよね?」という疑問に対して、答え合わせになる本でもありました。
「宗教団体」のみならず、あらゆるグループに発生するやな感じがどうしておきるのか、文章でしっかり理解できる本だと思いました。
投稿元:
レビューを見る
ダヴィンチに掲載されてて知り、手に取りました。
興味深く読ませていただきました。
今読んでいる小説のなかの主人公がなんかダブって少し怖い。
フィクションだけど、その世界観。
でも、もし最後の最後でこの作者のように解き放たれたなら、きっとその小説の世界の彼も新しい世界と自分を獲得できるのかなって、それを願います。
うん、小説のなかの人だけどね、思い入れが強くてそー思わずにはいれないんだ(^◇^;)
投稿元:
レビューを見る
ちょっと、アマゾンのレビューで盛り上がっているかと思ったけど・・、
ブクログでは少ない。
著者は東京ガールズコレクションのプロデューサーで、
他にビジネス書も一冊出されています。
本書は子供のころからエホバの信者として育った彼の回顧録。
かなりエホバについての知識は深まります(別によい意味ではなく)。
子供を叩かない親は、子供を愛していないと同じこととなる(しっかりと
ムチで叩くことが子供の救いのためであるから)。
勧誘で厳しく断られたら「イエスに対して抵抗する山羊だから
仕方がない」と考える思考。
証人たちが自分のことをカルトと思わない原因の一つが、「私たちには
教祖がいないから」であること、などなど。
何故著者が脱会できたかは、彼ら信者のやることや告白が、著者にとって
現実逃避としか思えなくなってきたことが発端。
ただの不幸我慢比べ大会、と筆者が思えることが一番の要因。
たいていの人は、この不幸大会の中にいて、そしてそれを称賛される
ことで居心地の良さを感じて、その教の中にはまっていくのだろう。
エホバが働くことや、映画などの娯楽を制限している原因は、
こういった現実の世界に立ち向かえるような機会をもぎとって
しまいたいからだろう。
世の中に色々な宗教があり、全てを否定することは出来ないが
少なくとも私は、現実と向き合ってそこに向かっていく生き方を
たとえ苦しくても、選びたい。というか、普通はそうだと思う。
だがそれは、宗教にとっては好ましくない・間違ったことである。
この溝を感じなくなってきたときが、宗教にはまる瞬間だと思う。
投稿元:
レビューを見る
信仰というものに全く理解が無いのだけど、非常に興味はあるのです。
世間一般で距離を置かれがちないくつかの宗教は、
やはりマインドコントロールされていると感じる。
それは、される人がいても仕方が無いと思う。
元来の意味は違うようだけど、それらをカルト教団と呼ぶらしい。
この本には中の人にしか知り得ないドアのむこうが詳細に書かれている。
子供にとって、親の言う事は絶対に近いだろう。
命令とか、言う事をきかないと、とかではなくて、動物として、思考や習慣が受け継がれるのはいたって普通の事。
「家族が不幸になる」といった切り口でつけ込まれると、母親がはまってしまうこともよく分かる。
自覚無く何かを信じて、自覚無く依存していれば、助けてもらえると思っていられるんだから、希望に満ちた気分でいられるんだろう。
こういう集団に属して一番怖いことは、著者も書いているように、
なにもかもサタンと終わりの日のせいにして、思考停止すること。
それに気付かないこと。
ネットワークビジネスに似ているということが本書でも書かれているけれど、わたしもそう思う。
救われた気になって、他人に薦めたくなって、それで自分が潤う。
そういうお仕事に勧誘されることが何度かあったけれど、
いつも「宗教だよな…」って思っていた。
だいたいの場合、カリスマ性を持った人が指導をしていた。
こうした宗教から脚を洗いたいと思っている方、誰かをやめさせたいと思っている方、
この本は勉強になります。
疑問を持つきっかけ、気付かせる方法、納得できる。
書き出しにくらべるとだんだん雑に(書くのが面倒になったのかな?)なっていってしまって残念。
投稿元:
レビューを見る
エホバの証人とはどういう人達なのか、理解するには役立ちました。
そして自分が無宗教で良かったと心底思いました。
ただ、随所にみられる女性蔑視な行には辟易しました。
投稿元:
レビューを見る
東京ガールズコレクションなどを手掛けた著者がエホバの証人として過ごした25年間を赤裸々に綴った本書。
母親が駐在中のアメリカでエホバにのめり込んでいくところから始まり、家族への洗脳、最終的に著者が脱退するまでの顛末が詳細にかつ分かりやすく描かれており読み物としても面白い。
私が以前勤めていた職場で実際にエホバの証人として布教活動をしている女性がいた。
昼間は布教活動に励み夕方からパートとして働く。
慎み深い彼女の性格や、ちょっと変わった服装。
出勤できる曜日も決まっており年に数回長期休暇と取る。
この本を読んで様々な謎が解けた。
エホバの証人の事細かい規則が彼女の生活全てを支配していたんだと合点がいった。
彼女と出会う前まではエホバの証人と言うと怪しいイメージしか持っていなかった。
しかし、彼女の真面目で謙虚な性格と接するうちに偏見が次第に消えて行った。
確かに「地上に楽園が訪れて永遠に生きられる」と本気で語る姿や、住んでいる部屋のそこかしこにエホバの証人の教えが張ってあったり書物が置いてある光景は異様にも映った。
しかし、悩みを抱えている私をそっと励ましてくれた彼女の優しさは本物ではなかったろうか。
決して強引な勧誘もしなかったし、興味がないと言えばそれ以上勧めて来なかった。
だがそれもサタンの世の人だからと憐れんでいたのかと思うと切なくなる。
本書ではエホバの証人=カルトと定義しているが、排他的な面はあるにせよ他者に対して決して攻撃的な性格を持たない宗教としてはカルト的要素も弱いのではないかとも思う。
彼女と出会った事によって私のエホバに対する考えもだいぶ軟化していたので、好戦的な宗教でない限りエホバにせよどんな宗教にせよ信じるのは個人の自由だと思って来た。
しかし本書を読む限り、二世の信者には宗教の自由など全くないのだと言う事に改めて衝撃を受けた。
鞭やゴムホースを使っての折檻や幼いころからの集会への参加の強要などの環境下にあっては果たして取捨選択の余地などない。
私たちが日ごろ当たり前のようにしている客観的に宗教を見る目線が全く欠けているのだ。
そもそもエホバの証人の信者はエホバの証人を宗教とすら思っていない。
カルトなんてもってのほか。
それゆえ自分たちが洗脳されていることに気づかない。
こう言った状況下にあって洗脳を自ら解いた著者。
自分だけでなく家族の脱退にも成功し、自らの体験を本書につづる。
今となっては社会的に地位を得た人がここまで赤裸々に書くと言うのは勇気がいったに違いない。
しかし同時にこれを書く事によって自らの25年間にけりをつけたのだろう。
ただ一点、著者が洗脳を解く過程で霊感の強い人に言われた言葉に衝撃を受けた場面や、スピリチュアルに関しての記述については多少もやもやが残った。
これを除いてはエホバを知る上で非常に良い本だと思う。
上記の彼女とは私の引っ越し以来ずっと音信不通である。
まだ布教活動を続けているのだろうか。
それとも脱退して別の人生を歩んでいるのだろうか。
いずれにせよ彼女が幸せでいることを願ってやまない。
って、余計なお世話か。
投稿元:
レビューを見る
そうそう!
エホバの証人が形成されるまでの過程がすごくよくわかった。
親族に証人が数名いて、自分も子どもの頃片足つっこんでいたので、興味深い本だった。
決して否定や非難することなく、でも自分は何を疑問に思い、矛盾を感じ、抜け出すことになったのかがたんたんとつづられていてよかった!
証人になる人は学ぶことが好きで、真面目な人が多いと思う。あの善良さを取り込む魅力が、エホバの教えにはあり、世の中は悪がいっぱいあるのだろう。
投稿元:
レビューを見る
エホバの証人の記録
親族がオウムみたいな教団に入ったら最悪、
自分たちの教団がおかしいと分からないの?
自分たちはカルト教団でなくて良かった、
輸血禁止の教義、創世記 その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない、
死ぬこと自体はどうでもいい、仮にしんでも楽園で復活させてもらえる、
レイモンド•フランズ 良心の危機
宗教の必要性、宗教に根ざした戦争、
宗教の排他性、異端審問、魔女狩り、暴力を行使しででも強制排除、
投稿元:
レビューを見る
宗教にはまりこんじゃう人って純粋なんだろうな、って思ってましたが、どうもちょっと認識が違うんじゃないかと気づきました。著者が上司から言われたという「アプリケーションと宗教は刷り込み。最初に自分が育った宗教から人は離れないように、最初に使ったアプリからユーザーは離れない」という言葉に、深く納得。
「オレらカルトなの?カルトだったから変な奴が多いのか!」とあっさり納得する弟くんや、一緒に宗教にはまっちゃったのかと思ったら実は家族サービスで洗礼を受けただけだったお父さんに、大ウケしてしまいました。家族がバラバラにならなくてほんとに良かった。
投稿元:
レビューを見る
サタンの仕業、エホバの祝福、世は終わる、楽園に入る。何度も繰り返されるこれらの台詞は現実逃避の呪文だ。あまりにもシンプルで都合よく、信者でない自分ですら使ってみたくなる。
人生とは現実と理想のギャップをどのように認識するのか?そしてどのような態度を選択するのか?の連続である。と言っても過言ではない。只管現実を否定し逃避し理想に突き進むのもよし、現実を直視し正面から向き合い妥協し折り合いをつけていくのもよし、現実に戦いを挑み挑戦し続けるのもよし、各々の生き方に正誤はない。
著者は理想を掲げる教義と現実のギャップに疑問を持つ。そして現実を選択する。そこに是非はなく、エホバの証人を否定しているわけではない。良い面・悪い面を中立的に記述しているところは真摯的だ。ただ、彼にはエホバの証人の教義が合わないと感じ、信じられなくなっただけだ。その背景・経緯・過程を述べる6章以降は非常にスリリングである。もう宗教とは何か?ではなく、人間とは何か?生きるとは何か?を問うているようにも思える。
本書では所謂「2世問題」がテーマになっている。子供は親は選べない。特定宗教でなくとも親の思考や育て方の影響は大きく受ける。中には育てない親もいる。著者の家は裕福でおそらくエリートで恵まれた家庭の部類に入るのだろう。ちょっと変わった家庭というレベルでそんなに過酷で残酷な家庭という感じはしない。これは著者の書き方や現在の人生への肯定感及び過去を冷静に振り返る余裕があるからなのかもしれない。
「宗教とは主観を客観に置き換える試み」と著者は言う。がメタレベルでは「我が宗教が真実!」という主観が乱立しているにすぎない。よって著者が述べるように「この世に絶対的な答えはない」と言えるだろう。が、1つの宗教を選択し、それが真実と信じる事も各人の自由だ。わが国ではそれが憲法で(公共の福祉に反しない限りにおいて)保証されているし、現実に宗教は存在する。需要と供給の結果である。問題は排他性だ。そこに争いが生じる。これは宗教に限った事ではない。我々は各々の家庭や所属組織、マスコミ、CM、国家等々における様々な習慣・伝統・常識・道徳・倫理・価値観によって無意識に洗脳されている側面がある。その現状をしっかり認識した上で、信じるのか?疑うのか?を見極める事が必要なのではないのだろうか?
投稿元:
レビューを見る
エホバの証人に疑問を感じ抜け出る過程が細かく書かれていてとても興味を持って読めました。
ただ、抜け出る最終段階で、「覚醒」とか「スピリチュアル」といったものが出てくるところは若干もやっとしました。
投稿元:
レビューを見る
筆者は『東京ガールズコレクション』などのイベントを手がけ、事業戦略などのコンサルをされている方ですが、その彼が9才から35歳までを過した『エホバの証人』での出来事を綴った手記です。壮絶な内容でした。
筆者はあの東京ガールズコレクションをはじめとする数々のイベントをプロデューサーであり、事業戦略のコンサルティングなども手がける辣腕のビジネスマンですが、そんな彼がロス、NY、ハワイ、東京と9歳から35歳までエホバの証人(以下証人)として布教活動をしていたという驚愕の手記です。しかし、現在は証人を父母、妻、弟を解約し奪回されているとのことです。その壮絶な部分が後半部です。
ここで趣旨は少し外れて、なぜ僕が本書を手に取ったかというと、僕自身もまた、証人との邂逅が人生の中で2度あって、1度目は小学校に上がる前くらいから中学年くらいにかけて、自分の家に布教として出入りしていた証人の家族のT君や彼の証人の友達(あくまで今思えばだが)とよく遊んでいて、彼の家に行くと証人の雑誌である「目ざめよ!」や「ものみの塔」のバックナンバーがおかれてあって、何かにつけてはよく読んでいたことをこれを読みながら思い出しました。そのおかげで、僕は証人ではありませんが(そもそもガチガチの証人ならこの本は読まないであろうと察せられる)現在でも聖書を読むときはこのときの影響が少し残っているなということを、これを読みながら思い出しました。
2度目は高校時代のことで、1年生のときの同級生だったOが体育の授業で柔道をやっている際、彼だけは胴着に着替えずに、端のほうでレポートを書いていて、何でかなぁと思っていたらある日、彼自身か彼の周りの人間からそれとなく『Oは証人だから教義上武道である柔道はできない』という趣旨のことを聞いたような気がします。彼とは高校を卒業して以来、ただの1度も顔をあわせたことはありませんが、これを読みながら彼のことを少し思い出しておりました。
話を本書に戻すと、本書の中には信者としての自分および周りの人間の生態(とでもいったらいいのか)がつぶさに描かれており、厳格なまでに聖書のことを信じる彼らの日常と、『この世の終わり』というものを強く信じていて、筆者が大学への進学を反対されて、それが元で内定していた会社を断られたり、そんな苦労を味わったことが書かれていたのが印象的でした。
しかし、もっとも引き込まれるのは後半部の、筆者が宗教から解き放たれて、徹底的に教団の内部事情を調べ上げ、論理的に説得して自分の両親と妻、そして弟を解約させて脱会させるまでのくだりでした。無論、筆者にとってそれは筆舌に尽くしがたいほどの困難であることはいうまでもなく、今まで付き合いのあった証人の兄弟姉妹たちからはいっせいに総スカンをされ、母親を説得しようとするも、彼女は電話口で泣き叫び、筆者のことを『頭がおかしくなった』と離れる弟夫婦と妹夫婦…。ここを読みながら本当に恐ろしいものを感じてしまいました。
やがて、筆者はすべての人間関係を失いながらもビジネスで成功し、そこで培った人脈や家族とともにあるという『普通の幸せ』���現在では送っているのだそうです。僕個人は信仰の問題についてはいくつも文献を読み始めていますが、今でもあまり明確な答えはありません。
『答えとは探すものではなく、創るものである』
核心部とエピグラフにはこの言葉が掲げられてあって、それが筆者が苦悩の末にたどり着いたものであると、本書を読み終えて実感いたしました。
投稿元:
レビューを見る
ネットでカリスマになった真理真
エホバの証人教団は、カルト宗教であることを示し、教義には矛盾があることを示して、自ら教団を脱退する。家族や親族、そして親しい友人たちにも手助けした。
著者は、些細なキッカケで教義に疑問を抱く。インターネットで調べ始める。証人はカルト集団であることが分かり、洗脳を解いていく。自分⇒妻⇒家族。この方法を詳細に説明できるよう、ネット上に開設した。
何故疑問を持つようになったのか、その後はどうしたか、話の展開が非常に上手いと感じた。
成長過程で、証人には小学生から会衆に出ていた。まず、母が入信した。引越しを繰り返す。奉仕活動に嫌気が差す。大学には行けない。パブステマを受けた。自分&弟&父。べテル奉仕者となった。
証人達は、記念日は祝わない。サタンが行うことだから。
布教には、羊(理解あり)山羊(理解なし)と印をつける。
著者は、元来、証人の信者としての資質がなかったのではないか。
証人とは?
原理主義と思える。聖書研究(という隠れ蓑)からハルマゲドンの後に、楽園に入る事を求めている。楽園では永遠に生きられる。
マルチと宗教の類似性?
1絶対性2純粋性3選民性4布教性
ナチスも同様としているが、説明が甘いと思った。
引き寄せの法則?
霊能者と第六感と守護霊と、この出会いから(一般的な)宗教の理解が始まったと考える。著者の聖書解釈が示されているが、まるで宗教(伝道者)のようだ。
ダヴィディアン、オウム、イルミナティー、フリーメイソン、これらと比較してどうするの!
そして、一番スゴイと感じたこと。
著者のまわりの女達がすごい!
妻の大きな理解、母の愛情、女社長との出会い。
あえて でしゃばらず、だが、しっかりとお互いを求め影響しあっている。
respect vilureef姉妹
投稿元:
レビューを見る
荻上チキのラジオで知って読んだ。エホバって街角でよく見る人たちだな、とか、高校の同級生にもいたな、という印象だった。あと輸血できないんだよな、とか。
ルポとしてまず面白く、そして日常の薄皮一枚先の世界にこういう世界がある、ということが恐ろしくもあり。ただ、エホバ以外の普通の人、と思い込んでいる僕ら自身も気付かないうちに何かのカルトである、洗脳されているのかもしれないという問い掛けがまた、鮮烈。