投稿元:
レビューを見る
いやぁ面白かった。このジャンルではなかなか当事者の話は聞けないと思います。どっぷりと頭の先までひたっていたからこそ書ける話。
宗教との違和感を感じ始めてから決裂するまでの調べに調べ、
学習していく著者の姿がすごいです。必死という言葉そのもの。
アイデンティティが崩壊すれば人は生きていけないのだな、と知りました。
そして「宗教を失えば死んでしまうだろう」とまで誰からも思われていた
お母さんを理詰めで「解除」してしまうのは圧巻。
でも感情を一番動かされたのは、著者がエホバの証人をやめると
伝えた時、お父さんが話してくれたことです。
著者のお父さんは何よりも著者のお母さんの存在が大切で愛しかったのだと思います。
お母さんが信じるもの、自身を掛けるものを一緒にしたかったのだと思います。そのために宗教をすることはお父さんの中では違和感はなかった
のでしょうね。お母さんの向かうところが自分の向かうところ。
愛だなぁと感じました。
著者は特定の宗教というものを信じはしなくなったのでしょうけれども、
神の存在はきっと信じているのでしょうね。文章からそう感じます。
最後に、「ものみの塔」と「エホバの証人」って、別々の派閥みたいな
モノだと思ってました。
ものみの塔の信者をエホバの証人て言うんですね。知らなかったなぁ。
投稿元:
レビューを見る
『人生の答えを他の人に委ねた瞬間、自分の人生はなくなってしまう』
『答えとは探すものではなく、創るものである』
著者のこの言葉に全てが凝縮されている。
カルトのみならず、占い、スピリチュアル、自己啓発セミナー、マルチ商法…
何かに依存しなければ生きていけない人は、正に答えを他の何かから探そうとしているから。
考えるということをやめてしまえば確かに楽な人生だ。全てを「○○のせい、○○がこう言ってるから」で片付けられる。
しかし考えることを放棄した瞬間、自分の人生に対する責任を放棄することになる。
9歳から35歳までエホバの証人として宗教の道を歩んできた著者が、母親の影響で入信するところから組織を脱会する「解約」までを理路整然と、非常に分かりやすい文章で描いている。
著者は神を、聖書を信じながらも、おかしいことはおかしいと考え悩み続ける。
人を幸せにするはずの宗教が原因で、なぜこんなにたくさんの家庭が目の前で不幸になっているのか。
常に考え続け、ようやく答えを得る。
「ここにいてはいけない」と。
ドア一枚、開けた先にはカルトが待っているかも知れない。
人間は考える葦。答えが出なくてもいい。考え続けていくのもまた人生なのだ。
投稿元:
レビューを見る
熱心な教徒だったが故に、教団の姿勢に疑問をいだいた著者。
「最初からこれが正しいんだ」という環境の中にいて、
疑問を見出しそこから去るというのはかなり難しかったはず。
カルト的な衝撃内容などはあまり書いていません。
投稿元:
レビューを見る
私はいかにして証人となり、いかにして去ったか。人が生きていくことと、宗教はどう関われるのか、どの程度関わるべきなのか。
読み進める手が止まらず、一気に読み終えた。
投稿元:
レビューを見る
私は若い頃からエホバの証人とは幾度となく接触してきた。二十歳の時、長老と思しきオッサンを完膚なきまでに論破したのが最初であった。爾来、40人前後のエホバとやり取りしてきた。エホバの書籍も読んだが負けることはなかった。
http://sessendo.blogspot.jp/2013/11/blog-post_10.html
投稿元:
レビューを見る
知りすぎると逆に何が真で何が偽なのかわからなくなることがある。そういったところから、信じる、信じないがわかれてくるんだなぁとこの本を読んであらためて思った。著者はこの本を通して、間違った凝り固まった思考の壁も、極々小さな穴が空けば、いつか崩すことができることを証明した。非常にエネルギーに富み、資料性の高い本でありたくさんの人に読んで欲しいと思う。
投稿元:
レビューを見る
冬の冷たい雨の降る夜の9時頃、こたつに入って本を読んでると、ピンポーン、こんばんはー、ドアを開けると一組の男女、「アンケートのお願いに参りました、御協力いただけますか?」とのこと、「その前に、どちらからいらしたんですか?」ときくと聞くと、「統一教会です」とのこと。この本にエホバの証人の訪問勧誘に来てほしくないときは「訪問拒否します」といえばいいと書いてあったのを思いだし、エホバの証人じゃなくて統一教会だけど通じるかと思い言ってみたら、「そうですか、お邪魔しました」と、すんなり引いてくれた。「この寒い中お疲れです、寒いのでお身体に気を付けて」と挨拶してドアを閉めました。中世ヨーロッパ史の本を読むの好きで、キリスト教史にも興味はあるんだけど、リアルなキリスト教系カルト関わりたくないです。
投稿元:
レビューを見る
とてもよくできた本ですなぁ。自分の気持ちを客観的に書いているので、何でエホバにはまったのか、そして、どうして解約できたのかがよくわかりました。
印象に残ったのは巻末の一言。
『人生の答えを他の人に委ねた瞬間、自分の人生はなくなってしまう。』
投稿元:
レビューを見る
同じ経験をしてきた身として、親の態度、集会や大会、伝道など非常にリアリティがあった。
違いは著者がアメリカ(特にベテル)にいたこと。
日本の組織とはまた違った様子が伺い知れる。
近頃証人の姿をよく見かけるので、
自分の人生に何らかの役割があったと信じ、糧としていきたい
投稿元:
レビューを見る
エホバの証人脱会記。冗長な叙述も多く、著者の考え方に必ずしも同意できない箇所もあるが、経験の質からいってここまで克明に記録されることも少ないと思われる。貴重な記録として読んだ。
以下抜粋メモ
マルチ商法とカルト宗教の共通点
p.181「一、絶対性(これが絶対の宗教・商品よ!) 二、純粋性(私たちの教義・商品は以外は(ママ)信用できない!) 三、選民性(私たちの教団・商品は選ばれている!) [略]四、布教性(弟子をつくろう!)」
p.277「洗脳は一〇〇%の絶対のダムの壁に一%の穴を開けることができれば解除できる。一%の「もしかして?」さえあれば、あとは時間と共に壁が加速度的に速く崩壊していく。」
p.288「洗脳解約のチャンスは一度限りである。一度目の対面で失敗したら二度目はない。」
p.305「人生の答えをほかの人に委ねた瞬間、自分の人生はなくなってしまう」
投稿元:
レビューを見る
何かの本で知って借りた本。サブタイトルの通り、9~35歳までエホバの証人をやってた人の自伝って感じ。筆者が東京ガールズコレクションのプロデューサーだった、というのが売りか。しかし、ちょっと期待はずれというか、もっとカルトカルトした話を聞きたかった。あと、ところどころ自慢っぽくて鼻につく。やっぱアメリカで育ってるからかな。アメリカは宗教に寛大というか、いろんなのがあるから学校生活でもそんなに苦労してないのだ。本にも書いてあったけど、日本人は生真面目だから細かい規則をどんどん作っちゃう、というのがなるほどと思う。同じ宗教でもお国柄が出るのだ。あと、エホバは自分たちを宗教だと思ってないというところ。なるほどなー。聖書の引用がちょくちょく出てくるけど、全然意味がわかんない。みんなこんなのよく読むよな。あとムチの話も出てきた。やっぱほんとなんだ。高校の同級生・Hちゃんは今どうしてるだろうか。
投稿元:
レビューを見る
暴力的に批判するわけではなく、自分が辿ってきた道をありありと描いている。今までよくわからなかった内部事情が手に取るようにわかった。
投稿元:
レビューを見る
9歳から35歳までエホバの証人として教団活動していた著者、信者の日常、自らと家族の脱会を描く。
キリスト教の下地がないため、教義からエホバに傾倒する理由、エホバが真実ではないという理由などわからないことが多かった。
(図書館)
投稿元:
レビューを見る
東京ガールズコレクションやらキットソンやらのやらのプロデュースを手掛けている佐藤典雅さん。
9歳から35歳まで「エホバの証人」を信仰していたそうで、入会から脱退するまでを綴った本。
めちゃくちゃ興味深く読めた~!
クリスチャンだった母親がハマってそこから家族に浸透していく様子がすごくリアル。
洗脳や宗教やマルチ商法の恐ろしさはじわじわ浸透していくというところ。
じわじわくるから自分自身が洗脳されているかどうかもわからない。「自分は今までと変わらないよ。洗脳なんかされてないよ。」なんて刷り込まれていくんだよね。
「エホバの証人」は何かあると聖書からその答えを求めるらしい。
聖書にある文章=「聖句」から部分だけを抜き取って自分でいいように解釈して使う。
それって、自分のいいように聖書を捻じ曲げて使っているってことなんだけどね。
彼らは「聖句」を議論の剣と盾として使う。
いかにして人は宗教に取り込まれていくか
いかにして人は洗脳されていくか
いかにして洗脳を解くか
そのリアルがこの本に書かれている。
で、思うんだけどね
ハマる人って真面目な人が多いな~、って思う
語弊があるかもしれないけど。
自分の人生や可能性を誰かに託すなんて面白くなくない?
楽園ってそんなにいいところ?
で、そこに行って何したいの?
って私は思う。
でもね
「私はハマらんぞ!」なんて言いきれないよね。
知らないうちに取り込まれる恐怖…
誰でも陥りそうな話だからこそコワイんだろな。
投稿元:
レビューを見る
・買った経緯
深夜ラジオで作者が語っていて怖いもの見たさで
・買った理由
宗教がどうなってるか知りたい
・のこってる感想
オチが忘れられない。