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「日陰者」自衛隊から見たあの日(3.11)
2016/02/13 22:32
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投稿者:やきとり - この投稿者のレビュー一覧を見る
第一部では地震直後に所属部隊(多賀城駐屯地)へ駆けつけようとしていた彼らに津波が襲いかかり、流された先で他の被災者を助ける自衛官たちと有事の際にすぐに被災地に出動できるよう準備していたにもかかわらず、自身も被災したため機材が駄目になり、交通網が寸断され初動に時間を取られた部隊が如何にして現場に向かったのかが語られます。普通の人間であれば自分自身が生き残るのに精一杯の状況で、自身の生かしながら同じく津波に呑まれた・流された人々を救うという強靭さには感嘆します。
第二部は要救助者と遺体の捜索・救助の話で、特に「ご遺体」の章では読んでいて不覚にも泣いてしまった。72時間という生存時間リミットを過ぎて生存者よりも亡くなった方を発見する機会がどんどん増えていく絶望的な状況で警察だけでは対処できない数の遺体の捜索・搬送を担った彼らの奮闘振りが描かれている。初年から古参の隊員に至るまで連日連夜、不眠不休で「ご遺体」に対応する姿は涙なくしては読めない。何故そこまでできるのか?と思うぐらいの献身ぶりには本当に頭が下がる。
そして第三部は、未だに先が見えない福島原発での命がけの注水活動の話。核・生物科学兵器を対処する「中特防」102防護隊とCH47チヌークを運用する104飛行隊による福島第一原発・三号機の炉心プールへの海水注入による炉心冷却オペレーションが描かれている。これはNHKでも放送され当時全国民が見守る中、行われたあのシーンの裏でどのように作戦が遂行されたのかが語られている。
「日陰者」である彼らが唯一人々から感謝される災害救助という場面で自身も被災者になりながら「他を生かすため」に活動する姿を賛美するわけでもなく淡々としかし一人の人間として、同じ被災者としてあの日の彼らの行動を追った自衛隊員たちから見た震災レポート。これは自衛隊を何十年も取材してきた作者だからこそ書ける本だと思う。
紙の本
すざまじい
2017/01/30 21:26
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投稿者:飛行白秋男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
自衛隊の隊員の方々の、すざまじいまでの覚悟には本当に心から敬服するばかりです。
解説の有川浩さんも書かれていますが、ドラマチックなのにそれを抑えた書き方が、作者の自衛隊隊員への思い入れが感じられ、とても感動いたしました。
ここまで、職務に忠実になれるものか、職務とは思ってらっしゃらないのかもしれません。
これが「覚悟」なのでしょうか。自衛官の方に感謝しかありません。
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有川浩氏の解説「抑制された筆が掘り起こす覚悟」の書き出しの一文
「これほど強い意志に貫かれた原稿は他に知らない。」
他の「兵士」シリーズには、少しの明るさがあったように思うのだが、この作品ではそれもない。ただただ圧倒されるばかりであった。
以下、長いけど引用。知っておいてほしい。
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P.287
もう半世紀以上も昔の話だが、のちのノーベル賞受賞日本人作家が、彼と同じ年頃の防衛大学校生を捉えて、『ぼくは防衛大生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの恥辱だと思っている』と、およそ一級の文学者とは考えられないような、相手の人格をも全否定する、薄汚い蔑みの言葉を投げつけたことがあった。さらにこの作家は止めの一撃のようにして、『そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている』と書きとめたのである。きらめくばかりの才能に溢れ、「戦後民主主義」のスター的存在だった若き作家の容赦ない言葉は、いまでは考えられないほどの大きな影響力をもって社会に広がり、それでなくても風あたりが強かった自衛隊への逆風をますます強めて、当時の防衛大生に限らず多くの自衛隊員とその家族に心の棘となって突き刺さった。
言葉にした本人はとうに忘れてしまったのかもしれないとしても、言われた人々は、言われた言葉をずっと忘れない。
それもまた言葉の力である。そのことに代表されるように、自衛隊は戦後長らく「日陰者」として不当な扱いを受けつづけ、戦争放棄といっさいの軍備の否定を掲げた「憲法九条」があれば日本の幸福は守られると信じ切っていた、マスコミの冷たい視線にさらされてきたのである。だが、その『恥辱』とされた自衛隊のヘリが被爆の危険を冒して原発に海水を投下する模様がNHKHによって全国に生放送され、それを日本人の多くが見つめていたこの瞬間は、自衛隊が、はじめて圧倒的多数の国民から、日本人と日本を守ってくれる〈最後のとりで〉として認知され、心から頼りにされた瞬間だった。
震災後、ノーベル賞作家は、脱原発の旗手となった。
しかし、あの三月の、この瞬間、原発の暴走を食い止めるためフクシマの最前線に、彼がいみじくも『ぼくらの世代の…一つの恥辱』と吐き捨てた防大生の後継者たる自衛隊員たちが、未曾有の危機の前に身を挺して立ちはだかったことについて、思想信条を越えた感謝のしるしとして「ありがとう」や「ご苦労さま」の言葉を彼ら隊員にかけることはなかった。まるでいまも「日蔭者」として自衛隊の存在など、この老作家の眼には入っていないかのように……。
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もうひとつ。本書ではこういう場面はなかったが…
「大震災の時に避難所にいると「俺だって家族が見つからないんだよ!」と叫び声。近づくと自衛隊員がしゃがみ込んで号泣していて…」
http://oniyomediary.com/archives/44695023.html
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3.11での自衛隊の活躍が描かれている
感動、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂を務め、もって国民の負担にこたえる」という言葉に感動
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自衛隊は災害救助に徹するよう、役割を明確にできないのだろうか。寡黙で任務に忠実な組織。がしかし、同時に軍隊であるという現実…
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東日本大震災の際の自衛隊の働きは目覚しかったが、ニュースになったものばかりでなく、その陰にあった夥しい数の隊員の活躍やドラマが本書には汲み上げられている。家族の安否を気にしながら、その無事を確かめることもせず任務を遂行した隊員たちには頭が下がる。そういうことを本書は改めて思い起こさせてくれた。
本書のテーマとは関係ないのかもしれないが、震災時に世界中から賞賛された住民の秩序ある行動に裏で、火事場泥棒のような行為があったり、助け合いの精神を発揮した住民がいた一方で我が身第一の人もいたことが印象に残った。また、著者の大江健三郎に対する厳しい批判も印象的であった。
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自衛隊員に地道な取材活動している著者ならではの、自衛隊員が新聞報道されていない個々の活躍を描いたノンフィクション作品。
安易な自衛隊批判の反証材料や大規模震災の描写資料としても価値がある作品。
圧巻なのは、通勤途上の自衛隊員達が津波に罹災しながら、生命の危機にある救助を要する人達へのリミットである72時間を意識し、出せうる限りの救助活動をする描写は、感動させる。
また、福島原発へ決死の冷却作業を冷静沈着な陸上自衛隊員の姿には、日頃の鍛錬や準備の重要性に気づかせてくれる。
この作品を読んで思ったのは、
将来、政治判断ミスで、国益がない国際紛争に巻き込まれ、自衛隊員を殉死させるのは、国家の重大な損失になるだろう。
彼らは、最期の切り札として温存すべきであり、国民として愛すべき公務員であると断言しても言い過ぎではないと思います。
時系列が分かりづらかったぐらいが難点で、何も言うことなしのノンフィクション。
過去に、自衛隊批判した大作家殿って誰?と思わず調べたくなります。
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抑制された筆致が余計に津波の凄絶さを物語る。あまりにも凄惨すぎて何度か本を閉じた。果敢に救助活動に立ち向かうも、そこに存在するのは遺体累々。過酷過ぎる現場で幾度も嗚咽しながらも、これ以上傷まぬよう、細心に遺体を運ぶ自衛隊員。
ひとりの自衛隊員が呟く。
◉「来るか来ないかわからない<いつか>のために備えている。その<いつか>が今日遭っても明日遭ってもいいように」
◉「自衛官は活躍しないまま退官することが一番いいんです」
震災から5年。あの衝撃や記憶が薄れていく中、今日も明日も「有事」に備え、激しい訓練に励む自衛隊員がいる。どうか、その訓練が徒労に終わることを祈るのみ。
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その存在の是非を常に問われてきた組織の中で、最前線に立って「戦う」人たちのノンフィクション。
彼らの戦いは奪うことでなく救うことで、であればこそ未曾有の大災害の中、危険を省みず救命にあたった自衛隊の皆さんには本当に頭が下がる。
彼らの仕事が「奪う」ことに変わらないよう願うばかりです。
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もちろん、涙無しには読み進めることができない。
手を汚さない高みから皮肉なご高説を述べるだけの大江健三郎や坂本龍一が伝えることのできない、「現場」の視点だ。
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東日本大震災の時に実際に被災しつつも救助活動等にあたった隊員への取材結果をまとめた本。
その他、普通に隊員に取材した結果をまとめた本もシリーズ化されている。
彼らの「普段の生活」を知るには良いかも。
「軍隊またはその他の実力組織」というのは何十万人、何百万人で構成される「自己完結型組織」だから、ある意味「運用要領がマニュアル化されている社会そのもの」なところがあって、それについての知識を得るというのは、ミリタリー関係なしに面白い。
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ほんまに、こんな風な気持ちで活動してくれとるんかと思うと、頭が上がらへん。しかも、それやのに感謝されることにそれでも葛藤しとるってのは、なんて報われへんことなんやろう。ほんまに。
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何度も涙が出て来そうになった。
自衛隊員の方々の『覚悟』には本当に頭が下がります。
皆様のお陰で今もなんとか平穏に過ごせている日常に感謝致します。本当にありがとうございます!
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父は自衛官でした。私は今”フクシマ”に住んでいます。大きな災害の時は、たとえ自宅が被災していようと父は家にいませんでした。
この本はかなりきれい事としてかっこよく書いてはいますが、おそらく事実として当時はこのとおりだったのだろうと思います。本来の任務は戦争での人殺しのはずの軍隊ですが、災害派遣とは「これ以上揺るぎなく正々堂々としていて誰からもうしろ指をさされることのない目的」であり「現場に立ったとき隊員たちは自衛官としての日頃の慎みと寡黙を打ち捨てるかのようにここぞとばかり人命救助という任務遂行に邁進」したのでしょう。
ですが宮城や岩手はそのとおりでも、原発が爆発し放射能がばらまかれた福島の原発立地自治体の町々には軍隊である自衛隊ですら入り込めず、核専門部隊が原発対応を行うだけで、通常の自衛隊員による地域住民の救助活動は一切行われませんでした。原発のリスクを放置した東京電力と政府、経済産業省によって数多くの被災者全員が見殺しにされました。生きていた人たちも、福島県選出の議員が国会で言っていたように東電職員の家族だけはいち早く逃げ出しましたが、東電職員の家族以外の地域住民も自らの家族の救助はできませんでした。
地震と津波は天災ですが原発の爆発は人災です。東日本大震災以降、戦後、自民党や官僚がついてきた嘘や悪事が次々と暴かれ、この国を全く信じられなくなりました。
能登半島地震では東日本大震災などの教訓は全く生かされず、被災直後の72時間は陸路がだめなら海からでも空からでも大規模に人員を投入し救助を行うべきところを、新年会に浮かれたバカな自民党政府に邪魔され、犠牲者、被害者は増えたのではないでしょうか。
国に対する不信感はこの13年間、今でもどんどん募るばかりです。