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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
もっとも有名なバルザックの代表作。冒頭のヴォケー館の描写が有名で挫折する可能性があるが、しばらく読んでいるとその寄宿者どうしの人間模様が見えてくる。主人公はラスティニャック。貧乏な法学生。そこに寄宿しているゴリオという老人。ラスティニャックはゴリオに興味を持ち時に庇う。その彼を教化していくのが、ボーセアン子爵夫人や得体のしれないヴォートランという男。結末は父娘の情もなくむごいので書かないが、これがバルザック流のラスティニャックという青年への教化だろうか。最後の最後にラスティニャックがパリという社会と対峙してある言葉を吐く。その場面はやはり素晴らしい。きっとペール・ラシェーズ墓地に行かずにいられないだろう。
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主人公ラスティニヤックとゴリオ爺さんの交流がなんとも。。笑えるのか笑っちゃいけないのかわかりませんね。
ゴリオさんは社交界に出た娘二人にすねをかじられ死んでしまいます。娘はパパ愛してる、といいながら死に目にも来ないわけですが。ラスティニヤックは娘たちとゴリオさんとのメッセンジャーボーイみたいです。
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この話の感想とあらすじを母親に言って聞かせたら、休日の昼間、台所の片付けをしながら母が号泣しました。
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きらびやかな社交界への進出に躍起になっている二人の娘にありったけの財産をつぎ込んで、自分は貧乏下宿の屋根裏部屋で息を引き取るゴリオ爺さんの話。出世欲に駆られた学生・ラスティニャックは、そのあまりにも対照的な二つの世界を目の当たりにする。
ドストエフスキーが人間の愚かさを描く巧者だとすれば、バルザックは人間の醜さを描く巧者だと思う。
純粋な心持の人間は没落し、謀略好きな人間が出世する、社会の不条理をまざまざと描き出す。特にゴリオ爺さんの断末魔の叫びは圧巻。
そしてそのような世界をリアリティあるものにする、生き生きとした数々の登場人物は非常に印象的。
彼の作品は同じ登場人物が、別の小説にも顔を覗かせる≪再登場≫の技法が用いられているため、このようなパワフルな人物を描きだせるバルザックの本は次々と読みたくなる。
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そこの貴方最近父親につらく当たっていませんか?
お父さんだってつらいんです!お父さんだって娘、息子の幸せを願っているんです!
でもどうしても親父をうざく感じるという貴方、一度この本を読んでみては
若きラスティニャックはパリへと勉強をしに来るが、そこで欲望の渦に巻き込まれてどんどん腐ってゆくという話
純粋な主人公がどんどん悪い奴になってゆく腐りっぷりがいい作品
因みに私の頭の中のバルザック作品好きキャラリストではラスティニャックが一番です(んなことはどうでもいい)
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ゴリオ爺さんは二人の娘を溺愛する。二人には豊かな生活を与えて、自分は貧しい下宿で侘しい一人暮らしを続ける。娘たちは、ゴリオの愛情にふさわしい愛をもって父に応えることはなく、ゴリオは孤独のうちに死んでいく。
この作品が二百年近く前に書かれていることに驚く。たくさんの変化があるとは言え、二百年前にも基本的には今と同じような人間関係が繰り広げられていただなんて!
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ゴリオ爺さんの狂気は置いといて、パリの街の恐ろしさをしみじみと感じた。服従は退屈であり、犯行は不可能で、闘争はあやふやなのだ。
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しばしば指摘されるように、文体に癖がある。特に地の文における著者の存在感が強すぎるように思う。とはいえ、人間の美しい部分と汚い部分が見事に描き出されていて、読み応えは抜群。とても面白い作品だと思う。人間喜劇全作読破してみたいと思った。
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タイトルからして田舎の小中学生が喜びそうなのだが、それはさておき古典文学の傑作ということでなかなか面白く拝読できた。
でもこれは導入部が結構辛くて、そこで挫折する人も多いかもしれない。
古典にはありがちなパターンだけど。
ゴリオ爺さんが主人公、というよりはウージェーヌなる社交界に進出しようとする一学生が終盤まで物語を牽引している。
こういう上昇志向、男なら誰しもが抱くはず。
若い頃は特に。
その成り上がり願望青年にゴリオ爺さんの献身的な父性が絡み合い、物語は結末を迎える。
終盤盛り上がるゴリオ爺さんの見せ場もさることながら、やはりラストでウージェーヌの台詞が良い。
バルザックはこの作品の各登場人物の後日談をかなり書いているようで、その後が気になる展開だった。
ゴリオ魂というものをちゃんと受け継いで貴族の振る舞いができていることを願いたいが。
個人的には途中からドストエフスキーが書きそうな小説だな、と思った(文体や設定を少し変えたらホントそっくり)。
お金は大事だ。
そこに家族が絡むと余計やっかい。
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喜劇(きげき)とは、人を笑わせることを主体とした演劇や映画、ラジオやテレビのドラマ作品や、それらのなかの笑いを誘うやりとりを指す。
西洋演劇に端を発するコメディ(Comedy)は、元々は悲劇(Tragedy)の対照を成すものであり、必ずしも笑えるものとは限らなかった。
人間喜劇は、人間悲劇を皮肉った表現と思っていいのか。
枯れた涙を流すことはできなくとも、ユーモアを失った笑いを発することはできるものなのか。
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ゴリオさんの周りに、バルザックの他の作品の人物が登場するスピンオフ作品です。
古典文学は”面白い”という、古典たる理由をよく体現している一品で、バルザックの文は嫌いという人を除き、
導入部の70ページくらいを読み切ってしまえば、誰でも楽しめると思います。
この作品を読んで興味を持てば、登場人物の他の作品へと手を伸ばすと、
バルザックだけで、そこそこ長い間楽しめてしまいます。
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ちょっとシェークスピアのリア王を連想してしまったのは私だけ?ゴリオ爺さんの娘に対する無償の愛、そして自分の見栄や欲望を満たすためにだけ生きる娘たち。どろどろとした人間関係を描きながらやはりハッピーエンドにならない。様々な人間模様がおもしろい。
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実に明瞭かつ滑稽で文体のリズム豊かな作品でした。二人の娘を社交界へ送り出した事で自らの富は剥奪され、小さな下宿屋に身を留めることになったゴリオ爺さん。ゴリオ爺さんの死に至るまでの物語はシェークスピアのリア王を踏まえた伝統的な物語性とフランス社交界における当時の社会風刺、さらにはゴリオ爺さんを通じて普遍的なヒューマニズムが盛り込まれている。
更にはバルザック作品に登場する登場人物を幾人も再登場させる手法や、下宿屋そのものが、世俗的社会を完全させ表現している点など、流石だなという印象。
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ゴリオ爺さんはフランスの譲治だ。
計算高くないジュリアン・ソレルがいればメフィストフェレス(四谷さん)もいる。
パリそのものがある。
ヴォートランが早々に退場してしまったのは残念。
他の<人間喜劇>シリーズも読みたい。
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人の不幸は蜜の味。それならば私の不幸は誰か喜んでいるのか。人が死ぬこととは最大の喜劇と捉えたり。私も死んだときにも悲劇とは決してならない。喜べ。喜べ。