H2Aさんのレビュー一覧
投稿者:H2A
紙の本比類なきジーヴス
2018/05/04 21:52
ジーヴスもの第1弾
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これは執筆年代からいうと最初のものではない。しかしジーヴスとバーティ・ウースターものの翻訳がいちおう完結したシリーズ14巻の最初に出た巻である。バーティ・ウースターは有閑の青年で叔父の援助を受けて暮らしている。そのお付き執事がジーヴスでこの2人は時に諍いも交えて最高の名コンビを成す。この巻ではそのコンビがバーティの親友ビンゴ・リトルの縁談の世話をする連作短篇という形式。イギリス上流階級の滑稽で呑気で優雅な生活を垣間見せるし、実際ジーヴスとバーティのやりとりはかなり笑える。このシリーズが全部読めるなんで幸せだ。
2021/04/24 16:57
「退屈」の博覧会
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暇と退屈のメカニズムについて論じた長編論考。堅苦しくなく著者の生の声も時々聞けるので飽きずに読め通せる。といっても決して安易な流行本とはちがう。身近なテーマが意外なほど深く掘り下げている。ハイデッガーの退屈への考察、3つの形式についての考察が全体の背骨のようにになってたびたび参照される。そこに古今の様々な学際的な知見を参照しながら議論を進めていく過程がおもしろい。著者は誰かひとりの議論に寄りかからず、部分的に肯定しても結論部分はなかなか認めようとしない。それでも倫理学と言っている手前、「結論」をつけてはいるが自身で言っているように、そこに超越的な策など示されない。そこにがっかりする向きもあるだろうが、私はそこに至る探求の道筋こそスリリングに感じた。また、人間の「本来の姿」という概念に対する著者のはっきりとした拒絶の姿勢も自分には好ましい。
大抵は、「増補新版」に付いている増補された部分は余計でつまらないことがほとんどだと思うが、この本は増補された書き下ろしの論考も充実しているのも稀少。
2021/03/09 15:07
須賀敦子の再来
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漢詩に寄せた珠玉のエッセイ集。著者はフランス在住の女性詩人とのことだが、某読書界隈で話題になっていて、そういうことは珍しいが読んでみた。扱う漢詩は盛唐の大詩人の杜甫からはじまって王国維などの中国清朝の近代、さらに日本の平安時代の菅原道実から夏目漱石、幸徳秋水まで。詩そのものの詩風も多彩で食を題材にした杜甫の詩から思弁的だったり虚無的な内容まで漢詩の多彩さを教えてくれる。さらには漢詩以外の本も多数取り上げて古今東西縦横無尽にさらりと博識に語る。それでいて生活感あふれた内容も多いのでとっつきやすく読んで楽しい。かと思うとまた考えさせられる警句をいきなり出して驚かされる。手管を見せない天性の書き手。書店でそう見かけないためそう有名にはなりづらいだろうが、内容は素晴らしい。
紙の本冷血
2019/01/24 00:04
大人になった天才作家
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カンザス州に住むクラター家がある日全員惨殺されたという実話を元に構成。犯人はペリーとディックの2人。この2人の視点と、その犯人を追う警察側のほか事件の大勢の関係者を小説として描いた。事実だけを素材にしているので本来はノンフィクションだ。しかしカポーティによって選び出され再構成され小説としても十分に読ませる。犯人であるペリーには尋常でない共感を持っていたのではないか。理不尽な犯行動機を自供する場面はこの小説の核心部分で鬼気迫るものだが、そうした悲惨な事件を起こした当事者であるにも関わらず、ペリーに勧善懲悪的な正義感を振りかざす気にはなれない。ペリーとディックは「12人の陪審員」の証人の見守るところで絞首刑に処せられ、この地域の平安が戻ったと語られると、この2人の死も結局は社会のための生贄として供されたとわかる。実在の事件の取材という制約があるにも関わらず、これだけの小説世界を創り出し定着させたカポーティはやはり素晴らしい才能の持ち主だった。読んだのは旧約版。
紙の本夜の果てへの旅 改版 下
2022/05/03 17:44
夜明けでも心の中は「夜の果て」
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アメリカから帰国したバルダミュは途中で放棄しかけた医学を修め、パリ近郊のランシー街で医師として働く。戦場からアフリカ、アメリカと目まぐるしく駆け回った前半とは対照的にごく狭い舞台の中で人間たちが蠢く。ますます救われないことが確実になる人間の姿。陰鬱さはさらに色濃くなりともに歩んできたロバンソンの最後を看取ったところで物語は唐突に終わる。セーヌ川で朝を迎えたのに心の中は闇につつまれたまま、バルダミュは言葉を失う。再読しても虚脱状態のようになりそう。多少距離は取れたつもりだけれどこの作品の持つ毒性はやはり強い。
紙の本夜の果てへの旅 改版 上
2022/03/27 21:58
呪詛という行為
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フェルディナン・バルダミュは衝動的に志願兵となり、戦場に送られる。そこは無意味に人が死に、死地においやられ苦痛を被らされる場所。負傷して帰還して療養施設に隔離されても理不尽な目に逢い続け、やがてアフリカに渡りさらにアメリカに行きつく。どこへいってもバルダミュがみるのは汚物まみれの見にくい人間の姿。巻の終盤でかすかに善意を見いだすが、それも振り切って帰国を決意するところで下巻へ。暗澹とした内容だがこのどこか飄々とした語りはドンキホーテ譲りだろうか。
2022/01/14 23:50
ホリガイとイノギ
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青春小説のような題名からはちょっとかけ離れた成熟した内容。これがデビュー作だとすればこの作家は異質。トラウマものだが、この小説は独自で新しい。言葉選びがおもしろいとか洒脱だというのとは全く違う資質。
2021/09/12 16:55
進化論をめぐる言説
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進化論を軸にして、種の99.99%が絶滅してしまう絶滅論争と、適者適存を巡る社会一般の「進化」概念の誤用、悪用と、ドーキンスvsグールドの一方的な論争、「説明」と「理解」に代表される知の2極(科学と歴史)へと話題は広がる。著者の親切そうな人柄を反映してか、著述も丁寧に説明するので晦渋さはなくて親しみやすいし、気ままに別の話題が繰り出されて脱線したり、煩わしさも少し感じた。しかし無駄話も含めて視野が広くおもしろい内容だった。進化論というより科学をめぐる哲学本、というのが実態ではないかと思う。
紙の本リア王 改版
2021/05/02 22:14
悲劇の典型
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筋書きや内容については訳者の福田恆存の解説を読むのが最善。リアの気まぐれのような領土配分はいきなり狂気を感じさせるが、その並外れた情念が周囲の人物たちに渦巻く悪意を攪拌して、わずかな善意も押し流して、なにもない場所に行き着く。以前ローレンス・オリヴィエの映画を観たことがあったがそれは大分ストーリーを刈り込んでいたように思う。原作は(月並みな表現だが)その複雑さ、深刻さ、スケールの大きさで別格。個人的には道化の存在が悲劇の中にアクセントを生んでいて、その小唄も見事に韻を踏んで訳されている。訳者の短い解説も的確で重みがあって素晴らしい。
紙の本断想集
2021/03/13 19:23
深淵のアフォリズム集
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イタリア文学史上大変に有名な詩人レオパルディが晩年に残したアフォリズム集がルリユール叢書として翻訳された。アフォリズムといってもフランスモラリストのように簡潔な警句で人生や世界に対する機知を感じさせる、という類いのものとはちがう。どちらかというとその頃から成熟してきた市民社会と芸術家の対立や、それが与える孤独や厭世観を先駆的に表現を与え、次の時代の哲学を先取りした思索の方により大きな意義があるということだろう。長いものでは数ページ、短ければ数行で終わる断想が111篇。この痛烈な皮肉は抒情詩人というイメージからは遠く隔たって胸に刺さる。近代のイタリア文学は日本では少し影が薄いようにも思うが、そこに光を与えたこの刊行はうれしいし、もっと読まれると良いと願う。内容のわりには訳文は読みやすいし、ちょっとだけユーモアものぞかせて、表現がとても個性的。
紙の本人形の家
2021/02/21 14:37
現代劇の源流
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西欧中心の世界のなかでは近くにありながら、まだ辺境であったノルウェー。舞台はあるひとつの部屋だけで登場人物はほぼ5人だけという簡素な道具立て。そこにイブセンは濃厚な劇を作った。夫の「人形」としてかりそめの愛情を享受するノラは、夫の銀行頭取への就任を喜び贅沢な生活を過ごしている。ノラにはその夫のためにある法的な不正を働いていた。それを知る当事者はノラに夫に便宜を図るように迫り優雅な生活は暗転する。法的に、というのは社会的な規則でそうしたものは男性が作り上げたものである。こうなるときっとノラがきっと悲劇的な最期を迎えて、その社会通念の問題をといかけるといった終末を予想するが、そこは歴史に名を残す劇だけあって、ノラは生きようと「人形の家」を飛び出していく。その決断に共感する人も多いだろう。破局を突き抜けて社会通念の彼岸に辿り着く。ある種のリアリズムといおうか、決断主義にはっとさせられる劇だった。
2020/11/29 22:46
壮大な歴史劇
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ユリウス(実は女性)とイザークというピアノを志す2人の少年。物語はドイツの古都レーゲンスブルクの寄宿生活から始まるが、それからイザークのピアニストとしての活躍を描いたウィーン編、さらにユリウスが記憶を失ってたどり着いたロシア編に広がっていく。このロシア編が、ユスーポフ家のレオニードはじめとして魅力的な人物たちの織りなすドラマが良く描かれていて素晴らしく、ベルばら以上かもしれない。そこにロシア革命が起こって主人公たちを飲み込んでいく壮大な展開。最期は再び故郷のレーゲンスブルクに戻り、ユリウスは過去の罪の報いを受ける。ロシア編が圧倒的なのに比べると少し割り切れない結末。イザークもあれで良かったのか、と不満もあるがこれは傑作。
紙の本オーバーストーリー
2020/11/28 23:08
アメリカポストモダン文学の旗手
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森林破壊、環境破壊という主題で、植物学や生態学に依拠して精細に描くというスタンスは文学のメインストリームにいるとされる作家としては希少。しかしその内容自体が特別に独創的だとは思えなかった。むしろ人種や様々な出自を持つ多彩な登場人物たちが、環境破壊への敵対に収斂していく過程が執拗なディティールとともに説得力をもって描かれていているところがこの長い小説としての眼目。アメリカ資本主義の混沌としたわけのわからなさ、理不尽さもうまく捉えて描かれている。パワーズ自身は人物たちに入れ込んだりはしないが、期せずして環境活動家になってしまった人物たちの過激な活動には同情的なスタンスを取っている。人間がもう少し快適にしたいといった「ささやかな願望」を捨てることはできないから、結局は人間がいなくなることでしか森林破壊は止まらないというのがパワーズの本音なのだろう。それに樹木や森という生態系事態が人知を超える存在として捉えられている。題材盛込みが過多なのがおそらくこの作家の特徴なのだろうが、ちょっと意図を測りがたいところがある。でもこの長い小説の読み応えは充分だった。アメリカのポストモダン文学もおもしろいと思った。
紙の本ウンガレッティ全詩集
2020/09/12 12:55
全詩が文庫に
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イタリア二十世紀を代表しているのにおそらく名のみ有名なウンガレッティの全詩を収め、それがこのような文庫シリーズにおさめた岩波書店は大した決断をしたと思う。初期の語単位に切断されたような詩句がちりばめられた短詩から始まり、次第に韻を重視した伝統への回帰、後年の難解な表現を駆使した長詩群、フランス語で書かれた詩や、散逸詩、さらには詩論まで入っている。一読してわかったとは正直言えないし、そもそもイタリア語を日本語という系統の全くちがう言語に移すのはかなり困難なはず。おそらく原文をできる限り忠実に、語順も生かして良い意味で直訳したのだろう。それこそ「訳業」というにふさわしいし、まず初めて訳し下ろしたというだけでも偉業というべきだと思う。
最後にある『詩の必要性』には繰り返しイタリア詩の伝統について書かれている。中でもレオパルディは傑出した存在であるようだが、イタリアという文学の伝統が最も豊かなはずの世界が、あまり手に取りやすい形で流布していないのが現状なのはちょっと残念。
2020/07/24 17:13
帰郷
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失意のまま帰郷したリュシアンに安息は訪れない。親友ダヴィッドは自ら考案した発明で成功を手に入れようとしていた。しかしパリで苦境にあった時にリュシアンが振り出した手形のせいで親友をも苦境に立たせる。さらにダヴィッドの父さえも、息子の発明を盗み出そうと策謀を巡らせる。リュシアンは故郷にあっても、その優柔不断さから周囲の人間を期せずして陥れてしまう。物語の終盤には、故郷にも居場所を失ったリュシアンが死に場所を求めて彷徨う。それを救った、というより別の地獄に導いたのはカルロス・エレーラ。ヴォートランことジャック・コランの変装した姿だ。悪の言葉で誘惑されたリュシアンはコランに囁かれるままに再びパリに向かう。
主人公がここまで痛めつけられ辛酸をなめさせられ、苦しむのはいかにもバルザック。代表作という評価も頷ける。リュシアンはここで死んでいた方が幸せだったかもしれない。続編ではコランの操り人形になったリュシアンが絶望的に踊る。