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驟り雨
著者 藤沢周平 (著)
激しい雨の中、一人の盗っ人が八幡さまの軒下に潜んで、通り向いの問屋の様子を窺っていた。その眼の前へ、入れかわり立ちかわり雨やどりに来る人々。そして彼らが寸時、繰り広げる人...
驟り雨
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驟り雨 改版 (新潮文庫)
商品説明
激しい雨の中、一人の盗っ人が八幡さまの軒下に潜んで、通り向いの問屋の様子を窺っていた。その眼の前へ、入れかわり立ちかわり雨やどりに来る人々。そして彼らが寸時、繰り広げる人間模様……。表題作「驟り雨」をはじめ、「贈り物」「遅いしあわせ」など、全10編を収める。
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紙の本
藤沢周平のふ・ふ・ふ
2019/04/02 15:31
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
藤沢周平の作品は暗いとよく言われる。
その暗さは魅力とも言われるのだから、不思議なものだ。
しかし、10篇の短編を収めたこの短編集を読むと、藤沢の作品が暗さだけが魅力でないことがよくわかる。
むしろ、藤沢にはどこかで笑いを意識した思いもあったのではないかと感じる。
表題作である「驟り雨(はしりあめ)」は、一人の男が雨の中一軒の大店に盗みに入ろうとしている様を描いた短編である。
雨がやむのを待つ男の前に雨宿りに走り込んできた若い男女。
なんともいわくありげなその会話。若い男女の会話がどこか面白い。
二人が立ち去ったあと、今度は怪しい男の二人組が雨宿りにやってきて、男は盗みに入る機会をうしなう。
さらには、病人の母と幼い娘の親子づれ。とうとう男は盗みを諦め、この親子を助けるはめに。
なんとも間の抜けた男の話だ。
きっと少し男の言動をおおげさにすれば、笑いをもった人情噺になるだろう。
もっと落語噺に近いのが、「うしろ姿」。
いつも酔った勢いで見知らぬ他人を長屋に連れ帰る六助という亭主が出色だ。
その女房のおはまもいい。
かつて六助がどんな男たちを連れ帰ってきたかという出だしから笑いを誘う。そして、なんともきたないお婆さんを連れ帰ったことで、話は一気に面白さと、この夫婦にかつて面倒を見切れなかった母親がいた人情噺と進む。
大家と店子である六助との軽妙な会話。お婆さんのいわくありげな振る舞い。
最後のオチまで、完璧な寄席噺になっている。
こういう藤沢周平を読むのもまた楽しい。
紙の本
驟り雨のように現れた者が降らす情の雨は、人々の心にさまざまな思いをもたらす10編
2010/03/27 18:55
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:toku - この投稿者のレビュー一覧を見る
どの作品も、驟り雨のように現れた者が降らす、さまざまな情の雨と、それによって芽吹いた人々の思いを描いている。
潤いを孕んだ驟り雨は、読む者の心にも、心地よさや人を思う心を芽吹かせる。
『贈り物』
六十年寄の作十の横腹には尋常でない病が住み着き、この日も日傭取りの帰りに激しい痛みに襲われて、道端で動けなくなった。
同じ裏店に住むおうめに助けられ、介抱された作十は、一人暮らしの気楽さの中に、人の情けを身にしみて感じた。
ある夜、おうめ元に、行方を眩ました夫が作った、借金の取り立てが来たと知った作十は、十両の金を都合すると話をつけた。
人と関わり合うことを煩わしく思っていた作十に降る、慈雨を描き、おうめにも同様に降り注ぐ、作十という驟り雨を暖かく描いている。
完全なハッピーエンドではないが、作十の暖かな贈り物によって、胸を一杯にさせられる。
『うしろ姿』
酔うと誰でもかまわずに人を連れてくる六助が、また家に人を連れてきた。
背を丸めてじっと畳を見つめて動かない、物乞いのそのばあさんは、亡くなった六助の母の様子にそっくりだった。
追い出すわけにもいかず手をこまねいていると、十日たち、二十日たっても、ばあさんの出ていく様子はなかった。
六助とおはまの前に現れた物乞いの老婆が、二人の亡くなった母への悔恨を癒す。
老婆を持て余すユーモラスな雰囲気と、亡き母への思いが相まって、絶妙でほのかな暖かさを描き出している。
『ちきしょう!』
夫に死なれ、幼い子供をかかえたおしゅんは、喰うに困って、同じ店に住む女から誘われた夜鷹を始めた。
抵抗のあった夜鷹には馴れていたが、要領の悪いおしゅんには男がなかなかつかず、客がないこの日も帰ろうかと思案していた。
熱を出していた子供が気になって帰ろうとした時、おしゅんはちょうどやって来た男をつかまえた。
幸せから坂道を転げるように落ちていくおしゅんと、偶然出会った男に降りかかった不幸を描いている。
とことん落ちていくおしゅんは、哀れとした言いようがない。
『驟り雨』
研ぎ屋仕事を本職と考えている嘉吉は、時折悪い血にそそのかされる。この夜も盗みに入る古手問屋の向かいにある、小さな神社の軒下に潜んでいた。
しかし神社の前には、揉める男女、諍いあう男二人が次々と現れ、嘉吉は焦れている。
息を入れて取りかかろうと思ったとき、道の左手に灯影が見え、具合の悪い母と介添えの子供が現れた。
降り続き、やがてあがった雨に、嘉吉の気持ちを投影させた作品。
背負っている嘉吉に気を許して、女の身体の重さが背中に乗る様子や、それまで降っていた雨があがる様子は、明確に言葉で表さない心地よさに溢れ、これが藤沢作品の良さだと再認識させられる。
『人殺し』
日斜め長屋に伊太蔵という疫病神が住み着いた。
狂暴で横暴な限りを尽くす伊太蔵に、長屋の者たちはうつむき加減に暮らしている。
若い繁太は、伊太蔵にやり返さない意気地のない長屋の連中を見て、ある決心をした。
長屋の者たちがうつむき加減に暮らしている理由が、伊太蔵に思い知らせようとした繁太の若気の至りによって、明確にされる作品。
「ガキめ!えれえことしやがって」といった源次の言葉がすべてを物語っている。
『朝焼け』
博奕にはまった新吉は、賭場から元利合わせて七両の借金をしていた。
胴元から返済日を区切られ、金を借してくれそうな当てを考えたとき、最後に一人の女の顔が浮かんできた。
会えばいつも機嫌のいい顔を見せるその女は、新吉が七年前に裏切り、捨てた女だった。
雨の降り続いている新吉の人生に、常にあった一点の光。
それに気づいた新吉の目の前に広がる朝焼けが、象徴的に描かれている。
『遅いしあわせ』
飯屋で働く出戻りのおもんは、無口な桶職人・重吉のことが気になっている。
春先から飯を喰いに来るようになった重吉は、いい男ではなかったが、落ち着いて男らしい一つ一つの印象が、おもんの中にはっきり刻み込まれている。
ある時、離縁の原因となった極道者の弟が無心にきて、店の裏口で言い合いとなった。その様子は重吉に見られていた。
春先に現れた男が、おもんに遅い春を運んでくる。
男に惹かれた、おもんの直感の正しさは、恋愛小説の定番のようにも思えるが、時代小説ならではの抑制の利いた、しっとりとした雰囲気が魅力の作品である。
『運の尽き』
女たらしの参次は、女に不自由していないことを、仲間の若い連中に自慢している。
この日も集まった水茶屋で、先日引っかけた米屋の一人娘の話をしていた。そこへ一人の五十近い大男が現れた。
これが参次の運の尽きだった。
「運の尽き」に込められた、正反対の意味が絶妙。
偶然引っかけた女によって、悪さをする男の成長を描いたユーモア溢れる作品。
『捨てた女』
歯磨き売りの信助は、頭がのろく大飯ぐらいのふきを捨てた。
信助は、矢場でのろのろ働いているふきを見ると、腹が立っていたが、折檻を受け悲しげな表情のふきを見かけたとき、情が湧いた。
以来、ふきと暮らしていたが、博奕にはまって金が無くなった信助は、金のある女の元に転がり込んだ。
ふきの頭がのろいながらも、自分の置かれた状況に気づく鋭さが、ふきを捨てた信助同様、読む者の心に突き刺さる。
捨てたはずの純粋な女が、たった一つの光と気づいた、男の後悔ともの悲しさを描いている。
『泣かない女』
山藤で働く錺職人の道蔵は、前から憧れていた出戻りの山藤の娘お柳と密会し、女房と別れるつもりでいた。
足の悪いお才に同情して一緒になった道蔵は、女房に何の未練もなかった。
別れ話を切り出すと、泣き狂うと思われたお才は、あっさりと認め、静かに家を出ていった。
道蔵の、同情が愛情に変わっていた思いを描いた作品。
道蔵を通り過ぎたお柳は、夫婦の絆を確かなものにした、慈雨かもしれない。