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  3. 夏の雨さんのレビュー一覧

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先月(2017年1月)

夏の雨さんのレビュー一覧

投稿者:夏の雨

1,610 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

生きるとは、自分の物語をつくること

物語はつづく

23人中、21人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 小川洋子さんの『人質の朗読会』は海外でテロ事件に巻き込まれた人たちがそれぞれの人生の風景を語り合うという構成になっています。そのテーマなり場面はまったく違うのですが、人にはそれぞれ語るべき物語があるのだと深く心に沁みこんでいく一冊でした。
 特に東日本大震災で犠牲となったたくさんの人々のことを思うと、高齢者も若い人もあるいは子供たちでさえ、それぞれ彼らの物語があっただろうと思います。
 それは多分年齢に関係なく、物語はあったはずです。犠牲になられたたくさんの命と同じ数だけの物語。
 それを私たちは想像するしかないのが悔しく、そして悲しい。

 本書は、小川洋子さんと臨床心理学者の河合隼雄さんとの対談集ですが、そのテーマが書名にあるように「生きるとは、自分の物語をつくること」です。
 ちょうど小川さんのベストセラー『博士の愛した数式』が映画化された後の対談ということで、小川さんの作品をベースに話が進められていきます。
 その対談のなかで小川さんはこんなことを話しています。「あなたも死ぬ、私も死ぬ、ということを日々共有していられれば、お互いが尊重しあえる」と。
 死ぬということは物語の終わりでもあります。それがどれほど短いものであっても、あるいは未完であっても、絶対に物語があります。
 小川さんの発言は、人にはそれぞれに物語があるということを共有していられたら、互いに尊重しあえると読み替えてもいいのではないでしょうか。

 対談の相手でもあった河合隼雄さんが亡くなられたので、この文庫版には小川さんの「少し長すぎるあとがき」が書き下ろしで収録されています。
 その中で小川さんは「生きるとは、自分にふさわしい、自分の物語を作り上げてゆくことに他ならない」と書いています。
 自分の物語を作り上げてゆくことは、亡くなった人たちの物語を読むということにもつながってゆく。
 物語は物語へと続くのです。

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紙の本

老前整理 捨てれば心も暮らしも軽くなる

生き方整理術

22人中、21人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 86歳になる父親が母の死から一年経ち、息子の名前を忘れるまでに心が折れてしまいました。父にとって加齢の衰えだけでなく、母の死はそれほどまでに深い悲しみだったのでしょう。年をとるというのは、そういった悲しい事実を受け入れるということです。
 『老前整理』という題名で整理術を思い浮かべる人もいるでしょうが、もちろんそのことも書かれていますが、どちらかといえば「老いる前の生き方」の本です。
 そのことを著者の言葉で書くと、「単なる片付けではなく、どのように生きたいかというこれからの人生設計を考えることにつなが」るとあります。
 整理するのはモノだけでなく、生き方すべてだといえます。

 今私たちにはたくさんのモノがあふれかえっています。今から何十年前に買った衣料品、もう使われなくなった日用品、それだけでなく思い出にかさなるアルバムやDVDなど、たくさんのモノとともに生活しています。
 著者は「減らすとは、判断すること」と書いていますが、それらのモノをどう減らすかは、どんな生き方を選択するかということです。それは同時にいい晩年を過ごすための生き方を選ぶということでしょう。

 私たちは誰もが年老いていきます。やがて、私の父のように記憶さえ薄れていきます。モノはそのことを埋めてはくれないでしょう。
 きちんと記憶しているうちに、それらのモノと「さようなら」をしておくことも大事ではないでしょうか。
 始めることを先延ばしにするのではなく、老いる前の今こそ、自分の過ぎし人生と向き合いたいものです。

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紙の本

火花

紙の本火花

2015/08/13 07:18

これは、いい作品だ

24人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

作者には属性がある。
 男、女、若い、中年、初老、会社員、契約社員、無職、もちろん作家。
 それが大手商社の人事マンであっても構わないし、まして人気漫才師であっても、小説を書いてはいけないということはない。
 又吉直樹という現役の漫才師が純文学を書いて、「文学界」という作家志望の人ならそこに掲載されることを一度は夢見る文芸誌に掲載され、話題となる。
 何故、話題となったのだろう。
 又吉が漫才師であったからか。
 まるで、漫才師などは文学ともっとも遠いところにでもいるかのような騒ぎ方だ。
 きっとそんな騒ぎ方をされている本は読みたくないと思っている人もいるだろうが、読まないとあるいは損をする作品かもしれない、これは。

 若手漫才師の「僕」はたまたま同じ現場で仕事をした先輩漫才師「神谷」に弟子入りをすることになる。
 「弟子入り」といっても、「漫才師とはこうあるべきやと語ることと、漫才師を語ることとは、全然違うねん」、そんなことを語る神谷のあとをついてまわって、お酒を飲んだり、神谷の彼女の部屋に転がりこんでばかりいる。
 「僕」も神谷も売れないことには変わりない。
 しかも、神谷は「僕」の先輩ゆえに、いつも出費は神谷だ。
 いつしか、少しは名前が売れ出した「僕」のコンビ。その一方で、神谷のコンビは芽が出ない。

 立場が逆になり、「僕」はとうとう神谷をこき下ろすことになる。
 「徳永やったら、もっと出来ると思ってまうねん」という神谷に「ほな、自分がテレビ出てやったらよろしんやん」と毒づく「僕」。
 漫才の世界の話ではあるが、そこにはもっと深い世界がある。
 その世界を男二人のせめぎあい。それは昔見たアメリカン・ニュー・シネマの主人公たちのような世界観。
 例えば、「真夜中のカウボーイ」のような。

 やがて「僕」たちのコンビも絶頂を知らないまま、コンビ解散となってしまう。
 「一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう」、そのことに気づいて、やっと「僕」は自分の人生を手にいれたことを知る。

 漫才師は漫才だけをすればいい、と神谷ならいうだろうか。
 いい作品なら書けば、もう作家だ。

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紙の本

おおきな木

紙の本おおきな木

2010/09/22 08:40

贈り物

20人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私たちは、生まれてから死ぬまでに、どれだけ「贈り物」をもらったりあげたりするのでしょうか。
 初めての「贈り物」は、お母さんの頬ずりかもしれません。お父さんのおっかなびっくりの握手かもしれません。それから、何度でもやってくる誕生日、小学校への入学式、初恋の人への片思い、結婚式、そして、子どもが生まれ、今度はあなたがたくさんの「贈り物」をする番に。還暦のお祝いだってあります。金婚式もあるかもしれません。そして、死を前にして、「さようなら」の頬ずりを「贈り物」としてもらう。
 もらったり、あげたり。私たちの一生はまるで「贈り物」のやりとりばかりしているよう。

 でも、残念ながら、ちっとも「贈り物」をもらえない子どもたちもいます。「贈り物」をあげないおとなたちもいます。「贈り物」をもらえばうれしいし、「贈り物」をあげればそれもまた気持ちのいいものなのに。
 「贈り物」って、でも、何でしょう。お金のかかるものでしょうか、時間をこめたものでしょうか。
 四十年以上も前に書かれたシルヴァスタインのこの絵本(今回翻訳をしたのは村上春樹さん)を読んで、本当の「贈り物」とは何だろうと考えさせられました。

 この本の原題は「The Giving Tree」(与える木)です。いっぽんの木と少年の、たくさんの時間が描かれています。
 子どもだった少年は木から「遊ぶ場」をもらいました。りんごももらいました。でも、きっと少年には「贈り物」をもらったという気持ちはなかったと思います。
 やがて、おとなに成長した少年は、仲良しだった木にお金をねだるようになります。お金をもたない木はそれでも自分のはっぱとりんごを売ってお金をつくるようにすすめます。そして、また月日が流れて、もっとおとなになった少年は、また木にねだります。
 木はいつも与えつづけるのです。ただの古い切りかぶになるまで。
 木が少年にした「贈り物」は無償の愛だったのでしょう。そのことに不満を感じる人もいると思います。おとなになってねだるだけの少年をみると余計にそう思います。
 そのように、この絵本はいろいろな読み方ができるでしょう。
 木になってみてください。少年になってみてください。
 そうすれば、何かわかるかもしれません。
 「贈り物」が何だってことが。

 訳者の村上春樹さんは「あとがき」のなかで、「あなたがこの物語の中に何を感じるかはもちろんあなたの自由です」と書いています。
 もしかしたら、この言葉は村上春樹さんからの「贈り物」かもしれません。

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紙の本

本を読む本

紙の本本を読む本

2009/01/05 17:35

たまには机に向かって本を読む

21人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 原題の「How to Read a Book」が示すとおり、これは極めて高度な読書「術」の書物であり、「読むに値する良書を知的かつ積極的に読むための規則」(4頁)が書かれた本である。
 だから、日本語訳書名の『本を読む本』という、どことなく情緒的なものを期待した人に応えるものではない。
 また、小説や詩といった「文学」の読書方法については一単元が設けられているものの、ほとんどは「教養書」といわれるジャンルの読書「術」であると思った方がいい。(但し、わずか一単元ではあるが、「文学」の読み方について、「文学は、経験を創造し、そこから読者は学ぶのである」(203頁)といったような視野に富む見解があり、これはこれで見逃すべきではない)

 それでは、著者はどのような「読む」という「技術」を奨めているのであろう。
 一言でいえば、書き手と対話を行う「積極的読書」である。
 それは単に情報を得るだけのものではなく、読み手に「理解」という段階(さらにいえば、書き手の意見に対して批評できる段階)までを求めるものだ。最終的に、そして確かに本書の最後の文章でもあるのだが、「すぐれた読書とは、われわれを励まし、どこまでも成長させてくれるもの」(255頁)だとすれば、読者の側になんらかの結果が残らないといけない。
 それが著者のいう「積極的読書」である。

 そして、その読書のレベルを四つにとらえている。
 順に「初級読書」「点検読書」「分析読書」そして「シントピカル読書」(比較読書法と書かれているが、この段階では自己への知識の注入よりも他者への知識の抽出に近くなる)である。
 「積極的読書」とはこのうち第三レベルの「分析読書」からだといっていい。
 だとすれば本来「書評」とは「点検読書」までを読み手に代わって行うものであり、読み手は良き「書評」を経ることで「分析読書」にそのまま進むことが可能になるうるかもしれない。
 もちろんそうなれば、「書評」の書き手はよくよく心しなければならないのだが。

 たまには、机にむかって「読書」するのもいいかもしれない。

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紙の本

寝ても覚めても本の虫

寝ても覚めても本の虫

2011/05/30 08:13

追悼・児玉清さん - どこまでいっても本の虫

19人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「温厚、誠実な好人物にとどまらず、知的でダンディー」と5月19日の朝日新聞「天声人語」で紹介された俳優で書評家の児玉清さん。
 華やかな大スターでも代表作がある書き手でもありませんでしたが、児玉さんの死は「天声人語」に記されるに値いするほど、静かな悲しみとなって日本全国に広がりました。
 児玉さんはNHKの「週刊ブックレビュー」での名司会で世の読書家を虜にさせましたが、「天声人語」の中にも「長身にまとった知は自前だった。蔵書で自宅の床が傾くほどの読書家で、米英の小説は原書で読んだ」とあります。
 この『寝ても覚めても本の虫』は、児玉さんが大好きだった海外小説がふんだんに紹介されている書評本です。児玉さんが読書家だったのは知っていましたが、こんなにも海外小説に精通しているとは、実は知りませんでした。まして、読みたい気持ちが高じて、原書で読んでおられたのですから、児玉さんがいなくなって初めて気づくなんて、恥ずかしいかぎりです。

 児玉さんは「大好きな作家の新刊書の最初の頁を開くときの喜びにまさるものはめったにない」と、「どうして本が好きになったか」というエッセイの冒頭に書いています。
 「最初の頁を開くときの喜び」はまさに読書家ならではの喜びだと思います。きっと本に興味のない人には、この「喜び」は理解されないかもしれません。電子書籍の時代になってその「喜び」がどう変わるのかわかりませんが、やはり紙の書籍ならではのものかもしれません。
 そんな児玉さんがどうして本好きになったか、ましてや海外小説にはまっていったのか。その原因は高校時代に読んだ一群の海外小説にあったようです。
 若い時の読書は、人間形成に影響します。児玉さんが生涯ダンディーでありつづけたのは、こうした読書体験とそれにつづく膨大な読書量の賜物のような気がします。

 冒頭紹介した「天声人語」では児玉さんを色に喩えて「控えめだが親しみ深い中間色だろうか」と結んでいるが、新しいページが常にそうであるように、絵の具には絶対欠かせない「白い色」だったように私には思えます。

 児玉清さん、ありがとうございました。

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紙の本

打ちのめされるようなすごい本

紙の本打ちのめされるようなすごい本

2009/06/03 08:15

井上ひさし氏と丸谷才一氏の解説文を読む

20人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 2006年5月に逝去した米原万理さんは、ロシア会議の通訳だけでなくエッセイ小説などの書き手としても高い評価を得た女性でした。そんな彼女はたくさんの本を読み、そしてたくさんの書評を私たちに残してくれました。この本は書評家米原万理さんの書評の集大成です。
 しかも、単行本では井上ひさし氏が解説を書き、今回の文庫版には丸谷才一氏の解説まで加わりました。井上、丸谷両氏が絶賛した書評とはどのようなものか。
 二人の解説から、書評とは何か、米原万理の魅力とは何か、が見えてきます。

 井上ひさし氏は本書の解説「思索の火花を散らして」の中で、書評を「書物の芯棒になっている考えやその中味を上手に掬い出すのが要約であり、この要約というのもだいじな仕事だが、書評にはその上に、評者の精神の輝きがどうしても必要になってくる」と定義付けされています。
 これは丸谷才一氏がよくいう「紹介と批評性」と同じでしょう。丸谷氏がいう「批評性」を井上氏は「評者の精神の輝き」と書いている。その上で、井上氏は「評者と書物とが華々しく斬り結び、劇(はげ)しくぶつかって、それまで存在しなかった新しい知見が生まれるとき」、それは良い書評になるのだといいます。

 かつて丸谷才一氏も「知性を刺激し、あわよくば生きる力を更新すること」が「批評性」であると、『イギリス書評の藝と風格』(『蝶々は誰からの手紙』所載)に書いたことがあります。
 井上氏がいう「それまで存在しなかった新しい知見」が丸谷氏の「生きる力を更新する」ものになりうるのでしょう。
 つまり、書評とは単に本の紹介や感想を書くだけでなく、創作として書評を読む読者に生きる力を与えるようなものであるべきだというのが井上、丸谷両氏の論考です。

 今回の文庫版解説に「わたしは彼女を狙っていた」とウィットに富んだ題名をつけた丸谷才一氏は、米原万理さんの書評を論じながら、しかも氏の考える「良い書評」論を展開していきます。
 丸谷氏は米原万理さんの魅力を「本を面白がる能力」、次に「褒め上手」、そして「一冊の本を相手どるのでなく、本の世界と取組む」姿勢の良さ、と書いています。
 特に最後の条件は丸谷氏のいう「批評性」とも関係するのですが、氏は「批評とは比較と分析によつて成り立つ」としています。

 先に「生きる力」と書きました。実は私たちはその力を自然に持つものではない、多くのことを経験することで、その力を持つことができるようになるのだと思います。
 その力を得るまでに積み上げた経験、それは書物で得たものも含まれるでしょうがそれだけではない、が一冊の本をどのように読み解くかの基準になっていくのではないでしょうか。
 そのようにみたとき、書評家米原万理さんは単に「無類の本好き」だっただけでなく。複合的に物事を見る眼をもった女性だったにちがいありません。癌治療をしながらの書評などは他に比べようもないほど面白い。

 ◆この書評のこぼれ話はblog「ほん☆たす」で。

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紙の本

図書館ねこデューイ 町を幸せにしたトラねこの物語

おもわぬ出会いがありました

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今年の読書週間(10.27~11.9)のテーマは「おもわぬ出会いがありました」。まさにそんなコピーと同じ思いをこの本で味わうことができたのを、奇跡のように感じている。私は猫が好きではない。ただ「図書館ねこ」という言葉に興味をもっただけだった。書店に並んだ猫のデューイを描いた装丁が魅力的だったにしろ。むしろ今は「図書館ねこ」のデューイが優しい鳴き声で私を呼んでくれたのかとさえ思っている。このような「おもわぬ出会い」があるから、本を読むのは楽しいのである。
 「おもわぬ出会い」といえば、著者のマイロンさんと猫のデューイの出会いも物語のように劇的である。先に言っておくと、この本に書かれていることは事実である。事実は小説より奇なり、という使い古された言葉があるが、もしかするとある事実をごくつまらないちっぽけなことにしてしまうのも、夢のような物語にしてしまうのも、その人次第ではあると思う。そして、マイロンさんはデューイとの出会いを奇跡の物語にしてしまったのだ。
 アイオワ州の北東部にあるスペンサーは、トウモロコシ畑に囲まれた、小さな町である。マイロンさんはその町の公共図書館の女性館長だった(今はすでに退職されている)。1988年の寒い朝、彼女は図書館の返却ボックスの中で寒さに震えていた一匹の子猫に出会う。それがのちに「図書館ねこ」となるデューイとの出会いだった。彼(子猫は雄猫だった)は捨てられたのかもしれないし、寒い夜をしのげるように図書館の返却ボックスにいれられたのかもしれないが、いずれにしても小さな町ながらも公共図書館のありかたを真剣に考えていたマイロンさんと出会ったのは彼(もちろんデューイのこと)にとっても奇蹟だったに違いない。
 ここに書かれているのは、そうして命びろいをしたトラねこの話ではない。本書の副題にあるように、図書館に住むようになったデューイ(彼の正式な名前はデューイ・リードモア(もっと本を読もう)・ブックス。なんて素敵な名前だろう)が、小さな町を幸せにする話なのだ。映画の話をしているのではない。彼は何も魔法を使わないし、人の言葉を話したわけでもない。ただ毎朝図書館に来る人を優しく迎えただけであり、誰へだてなく擦り寄り、膝にのぼっただけなのだ。ではどうして町を幸せにできたのか。そのことをマイロンさんをこう書いている。「デューイは改めて、スペンサーが他とちがう町だと思い出させてくれた。わたしたちはお互いに気づかいをした。ささいなことを大切にした。人生は量ではなく質だということを理解していた」(170頁)
 繰り返すが、これはハリウッドの夢物語ではない。トウモロコシ畑に囲まれた小さな町に起こった真実なのだ。今の日本で都市と地方の格差の問題は深刻だ。でも、この本を読めば、私たちが何をしないといけないのかがわかる。自分たちの町に誇りをもつことだ。そして、同じようなことが著者のマイロンさんの生き方にもいえる。この本の魅力はもちろんデューイの可愛いさにおうことが多いが、アルコール依存症の夫との離婚やシングルマザーとしての子育ての困難さや乳がんの苦しみといった難題を幾重にも抱えながら、それでも図書館館長としての仕事をやりぬく彼女の、生き方の素晴らしさに誰もが胸打たれるにちがいない。
 マイロンさんは書いている。「いちばん大切なのは、あなたを抱きあげ、きつく抱きしめ、大丈夫だといってくれる人がいることなのだ」(318頁)。マイロンさんにとってデューイはそんな猫だったのだ。デューイにとってマイロンさんはそんな女性だったのだ。そして、スペンサーの町の人にとっても、デューイは、そんな奇跡のような「図書館ねこ」だったのだ。
 鼻の奥がツンとして涙を少し滲ませながら、表紙の絵のデューイにそっとつぶやいて本を閉じた。「おもわぬ出会いは、とっても素敵でした。ありがとう」

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紙の本

14歳の君へ どう考えどう生きるか

14歳の君へ どう考えどう生きるか

2007/03/27 23:58

池田晶子さんが伝えかったこと−追悼・池田晶子

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 人生の、おそらく中間地点も過ぎた年令になっても、生きるってどういうことかわからないでいる。幸福って何か、実感できない。だから、何度か池田晶子さんの著作に挑戦するのだが、そのつど挫折、つまり読みきることができなかった。難しいのである。大変よく売れた(実際に読まれたかどうかは知らないが)という『14歳からの哲学』も数十ページで前に進めなくなった。だから、自信をもっていうわけではないが、14歳の君が池田さんの著作を読めないからといって嘆くことはない。52歳のおじさんも読めなかったのだから。ただわかってほしいのは、生きるってことはそれくらい難しいということだ。
 そして、『14歳からの哲学』よりは「もう少し柔らかく、ある意味で読みやすく、エッセイふうに」書かれたこの本はなんとか最後のページまで読みきった。でも、それでもなんとかだ。「友愛」とか「道徳」とか「人生」といった16の単元で書かれた内容は、いくら読みやすく書かれていても難しいものだ。難解だ。それでも読みきろうと思ったのは、池田さんが突然亡くなったからだ。今年(2007年)の2月。46歳だった。先に書いた著作をはじめ、池田さんは彗星のごとく現われ、一躍人気文筆家になっていた。ある意味絶頂期の、突然の訃報だった。池田さんの著作に何度も挑戦し、そのたびに途中で投げ出していた一読者として、なんとか一冊でも読んでしまいたい。そういう思いで本を読むっていうのは不純な動機かしら。
 そんなことはない。どういう気持ちであれ、一冊の本を読みおえることは大切なことだ。想像してほしい。もし、君が14歳だとしたら、池田さんは君のお母さんぐらいの年令の人だ。そんな人がどのような気持ちで亡くなったか、その人が生きている時、どのようなことを書いていたのか知りたいと思わないか。「なんだかんだといっても死んじゃったら終わりだよ」って思っていないか。そうかもしれない。死んだら生きていないのだから。でも、池田さんだってそう書いている。「いいかい、生きている者は必ず死ぬ。それは絶対的なことだ」(182頁)
 これはある意味すごい文章だ。池田さんが自身の死についてどこまで自覚があったのか知らない。しかし、「不思議を知り、それについて考えるなんて、これ以上の面白さが人間の人生にあるものだろうか」(186頁)と続く文章は池田晶子という人間の、高らかな勝利宣言みたいなものだ。生きていくことは難しい。きっと池田さんが書いてきた多くの著作よりも、本当は比較できないくらい難しいものだ。でも、きっと生きていくということはその難しさ以上に素晴らしいものがあるはずだ。簡単にいってしまえば、そんなことを池田晶子さんは伝えたかったのではないだろうか。だからこそ、この本は池田晶子さんが若い人に読んでもらいたいと強く願った、一冊に違いない。

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紙の本

働き方 「なぜ働くのか」「いかに働くのか」

思いは必ず実現する

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 稲盛和夫氏の著作に、「経営の神様」松下幸之助氏の講演会に初めて参加した時のエピソードが度々出てきます。まだ京セラを創業したばかりの頃です。
 有名な「ダム式経営」の話をされた松下氏に、「どうすれば余裕のある経営ができるのか、具体的な方法を知りたい」という質問がでます。そのときの松下氏の答え「それは思わんとあきまへんなぁ」に、会場には失笑がもれたとその場にいた稲盛氏は記憶しているのですが、氏自身は「身体中に電撃が走る」ほどに、その答えに感銘を受けるのです。
 「思わなければ何も実現しない、このことは仕事のみならず、人生における鉄則でもあるのです」(82頁)と、このエピソードにつづいて本書に書かれています。さらに、重ねて稲盛氏はこう続けます。
 「思いは必ず実現する」。

 昨年より続く経済不況は依然厳しいものがあります。在庫調整や雇用調整で企業の業績は底打ち感がありますが、それは単に数字上のみせかけに過ぎません。
 先日発表された有効求人倍率は驚くべき低さまで下がっています。そして裏表の関係で、失業者の人数が増加しています。
 働きたくても仕事がない、そういう環境下にあって、「働くことの意義」を説く稲盛氏の著作は有効なのでしょうか。多くの人たちは「哲学」よりも新しい雇用を創出する提案を待っているのではないでしょうか。
 しかし、そうであっても、私は稲盛和夫氏のこの本『働き方』は有効であり、私たちに勇気を与えてくれる一冊であると確信します。

 「働くことは人間を鍛え、心を磨き、「人生において価値あるもの」をつかみ取るための尊くて、もっとも重要な行為である」(21頁)という稲盛氏に、実際に働くためにはどうすればいいのかと問うたとして、果たして稲盛氏はどう答えるでしょう。きっと具体的な解決方法を聞くことはできないでしょう。その時、あなたは失笑しますか。失望しますか。
 私には松下幸之助氏の「そう思わんとあきまへんなぁ」という答えに失笑した多くの人のことを思います。彼らとその答えに深く感銘した稲盛氏との、大きな差を感じざるをえません。
 仕事がないことは事実です。それでも私たちは生きていかなければなりません。
 今や経済界の重鎮でもある稲盛氏にもかつて周りの人たちが「また稲盛が泣いている」とまで噂したつらい時期があるといいます。そんなとき、夜ひとり故郷をしのび、親兄弟のことを想い、自分の心を癒したそうです。そんな稲盛氏だからこそ、「苦難がずっと続くことはありません。もちろん幸運のままであることもないでしょう。得意のときにはおごらず、失意のときにもくじけず、日々継続して懸命に働き続けることが何より大切です」(121頁)といったような言葉が重みを持つのです。

 この本は、働けなくて困っている人や働くことに悩んでいる人にとって、勇気の一冊です。

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紙の本

断る力

紙の本断る力

2009/03/20 09:32

「勝間和代」に「No!」といいますか

15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 新書の一冊であるのにレーベルデザインではなく、真っ赤な表紙。そして、書店の平台ではお馴染みとなったご本人の顔写真。しかも、今回は正面にむかってパーンと手のひらを広げて「No!」のサイン。
 勝間和代という書き手はとてもブランディングの上手い人です。「勝間和代」ブランドをどう認知させ、高めていくかということで、本のデザインであったり販売戦略が組まれているように感じます。
 書物というものは不思議で、あくまでも商品ですから大量に流通されるべきものなのですが、一方で質を重視しそのように販売戦略を組むこと自体毛嫌いする傾向があります。「勝間本」というのはその矢面に立ちやすい事例でしょう。
 それをわかった上で、今回この『断る力』という本の出版をもってくるあたりが、勝間さんの自信の表れのように思います。

 この本の中にしばしば「同調志向・行動」という言葉が出てきます。
 「相手に合わせて行動すること」という意味ですが、その裏には「嫌われたくない」であったり「仲間外れになりたくない」といった心理がつきまといます。
 しかし、本書では「既存の枠組みを疑って、自分の軸を持ち、自分の評価で意見を表明する習慣をつけることが中長期的にはもっとも有効な成長方法であり、生き残り方法である」(54頁)と説明しています。これが「断る力」です。
 「勝間和代」は今ブランドになりつつあります。ブランドというのは消費者の忠実度を増加させますから、そのロイヤリティが高くなればなるほど代替はされ難くなります。しかし、反面それは「同調志向」も生むはずです。
 つまり、「勝間和代」というブランドを「No!」ということもできるのですよと、この本では教えているのです。
 先ほどこの本が勝間さんの自信の表れと書いたのは、そういうことです。

 勝間さんは「断る力が必要な理由」として「私たちの時間と能力が有限だから」(288頁)と書いています。
 勝間さんの愛読者(いわゆるカツマーと呼ばれる人たち)は若い人たちが多いでしょうが、本当に「断る力」を必要とするのは「時間」が少なくなってきた中高年の人たちではないでしょうか。
 中高年の「カツマー」というのも素敵ではないですか。

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紙の本

レバレッジ・リーディング 100倍の利益を稼ぎ出すビジネス書「多読」のすすめ

読書とは何か

15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者(本田直之)自身が「レバレッジ・リーディングはそもそも読書ではありません」(118頁)と書いているように、この本は「読書家のための本」ではない。
 では、何か。
 先の言葉に続けて「投資活動です」とある。すなわち、本を活用(レバレッジ)し、自己の知の体系を高めていくための方法論といえる。
 著者がこの本に書かれている方法にたどりつくまでには書かれている挿話以上の思索や錯綜があったと思うが、私たちは本書を読むだけで、少なくとも、ものの二時間もあればその方法を習得できる。
 書き手の一〇〇〇日は読み手の一日である。
 一冊の本は一〇〇〇日の時間を提供する。
 それがレバレッジ、「てこの原理」である。
 著書は太字でこう書いている。「本当は本は読めば読むほど、時間が生まれます。本を読まないから、時間がないのです」(46頁)

 しかし、「勝ち組」と呼ばれる人たちはこのようにドライに本を読むのかという驚愕のような思いが残る。
 書かれていることはよくわかる。
 よくわかるが、本当の読書というのはそうではあるまい、と自問をしている自分を消せないでいる。

 では、読書とは何か。
 それは、投資活動ではなく、心の深みや知識の幅を掘り下げていく行為だと思う。
 私たちは本を読むことで、単に物事の核心だけを知るのではない。周辺の無駄やくだらないものをも含めて、私たちは認知する。
 何故それらの混沌が大事なのか。
 それは私たち自身が混沌だからではないか。

 「勝つ」ことは間違いではないだろう。
 「負け」たくはない。
 それでも「負け」てしまう人がいるのも事実だろう。
 そして、「勝つ」ことは「負け」ることの排除ではない。
 私たちは「勝つ」ことも「負け」ることも受け入れた上で生き続けなければいけないのではないか。
 読書とは、そういう生きる上での応用性を学ぶ行為だと思う。
 「ビジネス書を効率よく読むための手法」である本書を読んで、自身にとっての読書とは何かを考えてみるのもいいかもしれない。
 つまり、読書とはそういうことではないだろうか。

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紙の本

わかりやすく〈伝える〉技術

紙の本わかりやすく〈伝える〉技術

2010/06/14 09:16

この本はわかりやすい文章読本でもある

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 何かと話題の多い「事業仕分け」だが、あれをみているといかに高いプレゼンテーション能力が求められているかがわかる。
 説明時間が短時間すぎるという批判があったり、事前に仕分け人たちがその事業について学習しているということはあるにしろ、限られた時間のなかでどのように仕分け人たちにその事業が必要であるかを伝えなければならない。
 事業の「廃止」であったり、規模の「縮小」といった結論をだされた事業であっても、もしかするとプレゼンテーションがもっとうまくいけば、導きだされた答えはちがったものになったかもしれない。
 おそらく今後は政治やビジネスの世界だけでなく、広く一般的にプレゼンテーション能力に長けた人が優遇される時代がくるのではないだろうか。

 元ニュースキャスターの池上彰氏の最近の活躍もそのような事情と密接に関わっているように思う。池上氏自身も「私がテレビでわかりやすさについて心がけていたことは、決して特殊な業界の話ではありません。基本的で応用のきくことだと思います」と書いているが、それほどに「伝える」ということは今や私たちに必要な能力として欠くことのできないものになっている。
 本書では池上氏のテレビ時代のエピソードなどを織り込みながら(人に何かを話す時には抽象的な概論ばかりを話すのではなく、具体的なエピソードを交えることで、聴衆を飽きさせない効果がある)、わかりやすい説明の仕方や図解の方法、さらには具体的なパワーポイントの作り方(パワーポイントは説明用のコンピュータソフトだが、これを使いこなせることがビジネス現場では非常に高まっている)まで丁寧に「<伝える>技術」が説明されている。

 ここに書かれていることはビジネスの現場だけのことではない。
 たとえば、人にわかりやすい文章を書きたいと思っている人にも、多くのヒントがある。
 特に「「日本語力」を磨く」という章は必読の価値がある。無意味な接続詞のことや、文章を生かすための「マジックワード、人をひきつける「キーワード力」など、文章を書く際にも有効である。
 「人の心をつかむ話し手になってください。あなたらしい、個性的な話し方を生み出してください」と池上氏は最後にまとめているが、当然、「話し手」は「書き手」に読み替えることができるし、「話し方」は「書き方」と読むことができるのである。

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紙の本

ゲゲゲの女房 人生は…終わりよければ、すべてよし!!

彼女はビビビ??

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 著者の武良布枝さんは、人気漫画家水木しげる氏の「女房」です。
 氏の代表作といえば『ゲゲゲの鬼太郎』、だから本書は『ゲゲゲの女房』。おかしなタイトルですが、わかりやすい、いい書名です。
 水木しげる氏の著作のなかに『妖しい楽園』(2000年刊)という、氏の身辺雑記をつづった本がありますが、そのなかで氏は「父」や「母」あるいは「子供」については書いていますが、布枝夫人のことには触れられていません。
 唯一、自身の結婚の事情を描いた「結婚」という短文のなかに「長い顔の女がホホ笑んでいる」という文章があるばかりです。水木氏が丸顔だから余計にそう見えたのか、漫画に登場する「女房」も「長い顔」をしています。
 もっとも、本書口絵の「女房」の写真を拝見すると「長い顔」どころか、美人顔で、文章にも書かず、漫画でも揶揄するのは、おそらく水木氏の照れであろうと思われます。
 「ゲゲゲ」どころか、ねずみ男の「ビビビ(美美美)」の女房とお呼びしたいくらいです。
 本書は、そんな「女房」の、青春から今にいたる、一代記です。

 今でこそ水木しげる氏といえば故郷の島根県境港市に「記念館」があるほどの人気漫画家ですが、布枝夫人と結婚した頃は四十前のまだ貧しい貸本マンガ家で、しかも戦争で左手をなくしていました。その男性がこれほどの成功をおさめると、布枝さんは考えたわけではありません。
 見合いからわずか五日後に二人は結婚式をあげるのですが、これなどは現代では考えられないことかもしれない。
 「恋愛に価値があると思っておられる方々には、これ以上の不運はないと思われるかもしれません」と、「女房」は書いていますが、すぐさま「最初に燃え上がった恋愛感情だけで、その後の人生すべてが幸福になるとは、とても思えません」と記しています。このあたりは、現代の「婚活」にいそしむ女性たちはどう受けとめるのでしょうか。

 結婚はしたものの水木しげる氏の経済状況は好転するはずもなく、まして貸本マンガ界も不況にあえいでいました。
 「伴侶とともに歩んでいく過程で、お互いが「信頼関係」を築いていけるかどうかにこそ、すべてかかっていると思うのです」と書く布枝さんは、困窮生活のなかで一所懸命絵筆をふるう水木氏を見てきた「女房」でしたし、漫画週刊誌ブームにのって人気漫画家の仲間入りをした水木氏ではあっても「目を見て話してくれることがなくなったことが、寂しくて」たまらないと感じる、女性らしい優しい「女房」でもあったわけです。

 水木しげるご夫婦の物語は現代の成功物語かもしれません。しかし、「女房」の文章にはそんな奢りはありません。
 『ゲゲゲの女房』とは、「普通では味わえないような、喜びも悲しみも、誇らしさも口惜しさも経験」したことを感謝する、おおらかな「女房」の物語です。 

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紙の本

ロスジェネはこう生きてきた

紙の本ロスジェネはこう生きてきた

2009/06/27 09:34

世代を越えて読んでもらいたい本

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 1955年生まれの私にとっては衝撃的な本だった。
 あるいは、こう云い直してもいい。
 そこそこの会社で正社員として働いてきて、なんとか人生の中盤以降まで安穏と生きてきた者にとっては、深く考えさせられる本だった、と。
 ぜひ私よりも上の団塊の世代にも読んでもらいたい。あなたがたの子供たちは、これほどに傷つき、これほどに悩み、そして今「ロスジェネ」(ロストジェネレーションのこと)の名のもとに必死に生きようとしているのだということを、わかってもらいたい。

 「ロストジェネレーション」(ロスジェネ)について少し書いておく。もともとは「第一次世界大戦後に青年期を迎え、既成の価値感を拒否した作家たち」を指す言葉であったが、近年「バブル経済崩壊後の『失われた10年』に成人し、就職氷河期に世に出た」1970年代生まれの世代のことをいう。本書の著者雨宮処凛は1975年のまさに「ロスジェネ」世代である。
 この本は彼女の生い立ちから現代までの、中学時代のいじめ、「バンギャ」(バンドギャルの略)としての高校時代、リストカット、新右翼団体への参加と脱退、といった「生きづらい日常」を漂流する波乱に富んだ自身の過去をたどりながら、今を、そして明日を見据えている。

 特に衝撃的だったのは、中学時代の「いじめ」の経験だった。雨宮はその内容についてあまり詳しく書いていないが、「自分の中で自分をいじめられっ子と定義してしまうと、自分が崩壊してしまう気がした」(38頁)と記している。そのことの心理的負担が彼女をどんどん追い詰めていく過程がつらい。
 地域で「一番いい高校」にはいった雨宮にもしこの「生きづらさ」がなければ、彼女は「ワーキングプア」とは対極の地平にいたかもしれないと思えるだけに、それほどまでに人間を追い詰める「いじめ」というものの恐ろしさを感じる。

 本書で描かれた世界は「ワーキングプア」に代表される「貧困」な若者たちだ。
 しかし、と思う。
 たとえば、「カツマー」と呼ばれる経済評論家勝間和代を支持するものたちの多くもまた、「ロスジェネ」であるのだ。彼らはひたすら「勝ち続ける」ことをめざしている。
 この二極化は一体なんだろう。彼らが子供の頃に味わった「いじめ」と「被いじめ」の構造と同じではないのか。一方は「いじめれる」ことを怖れるあまり「いじめ」側に立とうとし、もう一方は「いじめられる」心の負担を解消できず落ちていく。その構造そのままが今に続いていないだろうか。

 この国が見誤ったことは「多様化する価値」の創出であり、その評価だと思う。
 ひとつの価値の座標軸(たとえばお金という座標軸)でものごとを理解しようとすると、どうしても二極化あるいは優劣ができてしまう。
 優は時に劣であり、劣もまた時に優である。
 そういう価値観を創出しないかぎり、この問題は解決しないように思う。

 「文章を書きながら、若者の痛みに常に心を寄せ、時にはアジり、実際に運動に参加する、というような生き方」(212頁)をめざす雨宮処凛からしばらく目が離さられない。

 ◆この書評のこぼれ話はblog「ほん☆たす」で。

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