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  3. tokuさんのレビュー一覧

tokuさんのレビュー一覧

投稿者:toku

314 件中 1 件~ 15 件を表示
人民は弱し官吏は強し 改版

人民は弱し官吏は強し 改版

2011/03/03 18:53

星新一の父・星一の清廉潔白でタフな姿を描き、国家を挙げて彼を抹殺しようとする理不尽を描いた伝記。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、星新一の父であり、星製薬社長である星一(ほしはじめ)氏を主人公とした伝記である。
 その内容は大正時代から急成長を始めた星製薬と、清廉潔白かつあらゆる困難にも挫けず乗り越えていくバイタリティー溢れる星一の姿、そして彼を快く思わない権力者たちによる理不尽な冤罪との闘いが描かれている。

 本書は、一気に読んでしまうほど魅力に満ちた作品だった。
 しかし読み進めるにしたがって不快が募る作品でもあった。
 作品自体が不快という訳ではない。星一が不快なわけでもない。星一を嫌う官僚、星製薬のライバル会社と、それに癒着した政治家らの行為が不快なのだ。そして恐ろしく思う。星一を潰すべく官憲の仕組む不当な罪の数々。一人の人間を葬り去るために権力があの手この手で襲ってくるのだ。
 物語は星一の視点であるため、一方的に官憲の行為は悪とも決めつけられるものではないが、それでも読者の気分を悪くさせるのは、星一に対して行われている悪質なイジメが、容易に想像できてしまう現在の政治家や官僚の姿があるからだろう。傲岸不遜な官僚、政権を争う政治家、何ら進歩していない日本に失望すら感じる。

 その不快な感情の一方で、星一の不安を押しのけ困難を乗り越えてゆくタフな姿、国や人民のために奉仕しようとする清廉潔白の姿に感動させられる。星一の心情の深淵を描いていないにもかかわらず、彼の奮闘する姿が浮かんでくるのは、端正な文章とショートショートで培われた物語性が、星一の心情や置かれている状況を伝えるのに余りある役割を果たしているからである。

 ところで解説では、後藤新平の孫・鶴見俊輔氏が、作中で仮名となっているライバル製薬会社社長三原作太郎の実名(塩原又策)を記載している。星新一の父が被った理不尽さへの抗議に、彼も少しだけ助力をしたかったからではないだろうか。

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真田太平記 改版 第1巻 天魔の夏

真田太平記 改版 第1巻 天魔の夏

2009/12/26 13:37

武田の壊滅と信長の破滅が真田家を翻弄し草の者が真田家を支える

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本の厚さと12巻もの長い物語に、手に取るのを躊躇してしまいがちだが、まったく読むことが苦にならない。
あっと言う間に一日で読み終えてしまうほど、読みやすく面白い作品。

物語は、武田家が織田・徳川連合軍に壊滅させられるところから始まり、織田信長が本能寺にて明智光秀によって急襲を受けるところまでを描いている。
今まで知らなかった武田亡きあとの真田家の動きが描かれているので、非常に興味深く読み進めることができた。

落城した高遠城から辛くも生き延びた武田・長柄足軽の向井左平次と、少年の真田源二郎(幸村)との出逢いや、怪我を負った左平次を助け、真田の庄近くまで連れてきたお江など「草の者」たちの活躍が、今後の物語を方向付けていく存在であると感じさせる。


武田家に仕えて、戦国の世を生き抜いていこうとしていた真田昌幸は、武田家が滅んだ後、真田家のような小さな家が生き残っていくには、大きな組織に仕えなければいけないと考え、北条や弟・信尹(のぶただ)を通して徳川へ道を付けておこうとしている事に興味を覚えた。
昌幸の徳川嫌いはよく聞くことで、始めから徳川嫌いだと思ったのだが、この頃は徳川嫌いなどはまだ無いようである。
家康も昌幸に一目を置いており、これが後々どう転んでいくのかが楽しみである。

また武田家亡き後、信州の一部と上州一国を貰い受けた滝川一益と、仕方なく信長への臣従する昌幸の会談も心地よく描かれている。
真田の心中を察し丁寧に向き合う滝川一益とそれに感銘を受ける昌幸の姿は、相手の腹を探り合う戦国の世にあって清々しいものを感じさせる。
また余計な事は言わず、真田の地は詳しくないので「安房守殿。ちからを貸してもらいたい」とあっさりと助力を請う滝川一益の姿勢は、武将としての大きさを示している。

十分な調査の上に書かれた歴史的事実と創作の部分が絶妙に織り込まれ、読んでいて物語の展開に疑問を感じる余地はない。
史実の部分はしっかり描かれつつ、物語の流れを淀ませるようなくどい内容はなく、あくまで物語の展開を補足する程度のものなので、歴史的な流れも十分楽しめる。

筆者の思想などは織り込まれていないので、物語に集中して入り込める作品となっている。

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きょうも、いいネコに出会えた

きょうも、いいネコに出会えた

2011/12/27 18:19

とにかくいろんなネコに癒されました

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ボクは犬派。
なのに近頃なぜかネコが気になる。

写真家・岩合さんのネコ写真集を手に取った。
猫。
ねこ。
ネコ。

全国のネコがいる。
港町のネコ。
古都のネコ。
雪国のネコ。

幸せそうなネコがいる。
ノラネコ。
飼いネコ。
自由なネコ。

じゃれあうネコ。
じっとこっちを見つめるネコ。
くたーっと伸びてるネコ。

あぁ、癒される。
マイペースの気楽さが伝わってくる。
心がほぐれる。
心地いい。

ネコをなでる。
気持ちよさそうに目を細める。
でも本当はネコたちがボクの心をなでているに違いない。

きょうも、いいネコに出会えた。

***
岩合さんの撮影旅話にオールカラーのネコ写真。
とにかくいろんなネコに癒されました。
とくに『裸のマハ』ネコには癒されたなぁ。

【撮影地】
金沢(石川県)、田代島・網地島(宮城県)、備前(岡山県)、佐渡(新潟県)、川越(埼玉県)、小樽・積丹半島(北海道)、名古屋(愛知県)、四国・松山(愛媛県)、鎌倉(神奈川県)、弘前(青森県)、新潟(新潟県)

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橋ものがたり 改版

橋ものがたり 改版

2010/05/20 19:06

市井に生きる人々の、橋にまつわる悲喜の物語10編。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

藤沢周平著「小説の周辺」に、「橋ものがたり」について書かれている『芝居と私』というエッセイがある。
ここで小説集「橋ものがたり」について、『二ヶ月に一編ぐらいのわりで書き、一冊の本にまとまったのは、それから二年ぐらい経ってから、執筆も本になるのもスローペースで、少しも目立たない地味な小説集』と述べている。

このエッセイは「橋ものがたり」が芝居化された、喜びと新鮮な感動を綴ったもので、地味で目立たない存在の我が子が、思わぬ好機を得て、立派になっていく姿を喜ぶ親のようである。

実際「橋ものがたり」を読んでみると、地味で目立たないというよりは、丁寧に綴られた橋にまつわる物語という印象で、作者の作品に込めた愛情が伝わってくるような作品集である。

【約束】
幸助は、三つ下の幼なじみお蝶と、五年前に再会を約束した橋の上で待っている。
お蝶は、十三の時、引っ越しして料理屋へ奉公に出ることになったと告げに、奉公先の幸助を訪ねてきた。
遠くから、わざわざ別れを言うために来たお蝶のいじらしい姿に、彼女が幼い頃「大きくなったら、幸ちゃんのお嫁さんになるの」と言った情景がよみがえり、年季が明ける五年後に逢おうと約束したのだった。

五年も経てば人も変わると自分に言い聞かせながらも、お蝶が来るのを期待する幸助と、汚れてしまった自分を卑下し、再会を逡巡するお蝶を描いた作品。
未だ心は繋がっているのにすれ違う気持ちと、読者の期待する結末が、心地よい歯がゆさを読者に感じさせ、お互いを分かり合い、本当の姿を見つめる様子に心が暖かくさせられる。
印象的なラストシーンは、本短編集のうち、一番の気に入った場面である。

【小ぬか雨】
おすみが、夜は一人で住み込んでいる叔父の出店に、一人の男が逃げ込んできた。
一度は出ていったが、再び戻ってきてもう少し匿って欲しいというその男の言葉を怪しんで、様子を見に行くと、すべての橋には男を町から逃がさないよう見張りが付いていた。
躾のいい家のお店者らしい様子と、困惑と不安が滲み出ている男を匿うことにした翌晩、縁談が決まり我が物顔で接するがさつな勝蔵が、亭主気取りでやってきた。

両親を亡くして叔父に育てられ、野卑な勝蔵との縁談が決まった、おすみの半分諦めた人生に灯ったひとときの光を描いている。
物寂しいおすみのこれからの人生は、ひととき灯った光が支えになっていくのだろう。

【思い違い】
指物師の源助は、三月ほど前から両国橋で顔を見かけるようになった女を探して、きょろきょろとしている。
醜男の源助は、朝と夕二度会う、少し愁い顔のきれいな彼女と擦れ違い、ただ顔を見るだけで幸せだった。
源助は、ある日の仕事の帰り、女が二人の男に絡まれているのを助け、思いがけなく言葉を交わすこととなって喜んだが、後日親方から娘との縁談を持ち込まれた。

橋の上で、仕事に向かう朝と仕事帰りの夕方、二度すれ違う女に一目惚れした源助の一途な思い。
自分の醜男ぶりを知っている源助の、不相応な縁談話への戸惑いと、橋の上であう女と縁談の天秤に揺れる源助の逡巡が、絶妙に描かれた作品。
源助のささやかな思い違いが物語のアクセントとなっている。

【赤い夕日】
育ての親・斧次郎は博奕打ちだったが、おもんにはやさしかった。そして、ちゃんとした所に嫁に行くのが一番だと言って、おもんを孤児として料理屋の女中奉公に出した。
どんなことがあっても永代橋を渡ってくるな、俺を忘れろと言って別れた斧次郎とは、縁が切れ、おもんは若狭屋の跡取り・新太郎と結婚して五年になる。
やさしい夫に何の不満もなくしあわせだったが、手代の言った夫に女がいるという言葉が、おもんのしあわせに影を落とした。
そんな折り、斧次郎の使いで来たという男が、おもんを訪ねてきた。

女性を大きく包む父性を存分に感じさせる作品。
父から夫へと愛情が引き継がれていくようなラストシーンに、結婚式で父から新郎へと娘を渡す場面が浮かんでくる。

【小さな橋で】
米をといでいる十歳の広次は、原っぱに行こうという友達の誘いに、気持ちが揺れながらも断った。姉を迎えに行くためだった。
米屋に通い勤めしている姉が、手代の重吉と”でき”て、夜遊びをしないための見張りを母から言いつけられているのだ。
父は家を出ていき、母は飲み屋で働きだし、夜の五ツ過ぎに酒臭くなって帰ってくるので、姉を見張るのは広次しかいなかった。

父の失踪から家庭が崩れだし、さまざまな事が幼い広次の背に乗っかってくる重圧と、意味が分からなかった”できる”ということが理解できた広次のわずかだが確かな成長を描いている。
この作品のクライマックスである、小さな橋の上で友達のおよしと心を通わせる場面は、幼い二人の少しだけ大人になる様子が印象的で、あたたかで優しい余韻が残った。

【まぼろしの橋】
おはつは、幼い頃美濃屋に拾われた。
実の父との記憶は、橋のたもとに自分を残し去っていく父の姿と、父を捜し知らない町をさまよう自分のことだった。
兄妹として育った信次郎の嫁になって二月半が過ぎた頃、おこうは実の父の知り合いという男から声をかけられた。

おはつの、橋のおぼろげな記憶を巡って起きた事件と、父のまぼろしを消した幸せを描いた作品。
やくざ者に沸き起こった思わぬ父性が、物語を暖かくしている。

-------------
他、『氷雨降る』『殺すな』、『吹く風は秋』、『川霧』を収録。

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西南シルクロードは密林に消える

西南シルクロードは密林に消える

2010/02/07 19:57

『縁』が紡いだ西南シルクロードを踏破する、悲惨で過酷で滑稽なエンターテインメントノンフィクション

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

オンライン書店ビーケーワンから届いた本を見て喜んだ。本が厚いのだ。
厚い本を読む場合、大抵「よし、読むぞ」と身構えてから読むことが多いのだが、著者高野秀行氏の作品は別物である。

彼の作品は、彼が目指すエンタメノンフ(エンターテインメントノンフィクション)の言葉通り、多くは過酷で悲惨な旅の実録にもかかわらず、その苦難をハラハラドキドキに変えて描き、ユーモラスな書き味と合わせて、とても面白い。まるで自分も一緒に旅をしているようなのだ。

しかも、ただ面白いだけではない。
彼が訪れる辺境の人々(反政府独立ゲリラなど)に、溶け込んで仲良くなるのである。
その辺境の人々を鋭い観察眼で生き生きと描き、恵まれた言語感で何とかコミュニケーションをとって交流していく様子はすばらしい。

作品を読み終えるときには、祭りのあとの静けさのようでもあり、『このまま終わってしまうのが寂しい。でも終わってしまう。これまでの旅は苦難つづきだったが、終えてみると楽しかったなぁ』という余韻を残す読後感が、読者を包み込む。


本書「西南シルクロードは密林に消える」では、そんな高野秀行作品の魅力がふんだんに詰まった傑作である。
中国四川省成都~雲南省瑞麗~ビルマ北部~インド北東部~カルカッタの旅程を踏破した四ヶ月の記録であり、その半分以上がビルマ北部とインド北東部における、カチン人ゲリラとナガ人ゲリラと行動を共にしてジャングル抜けや山脈を越える探検行となっている。

ゲリラ達が活動するエリアというのは、当然、外国人の出入国など許している筈もなく、国境越えはすべて密入出国。
これがこの本の緊張感を生むピースの一つとして組み込まれ、中国公安による拘束から始まるプロローグで、『いきなり大ピンチ!これからどうなるのか』と、読者の心を鷲掴みにする。

プロローグに続く、第1章『中国西南部の「天国と地獄」』は四川省成都、雲南省瑞麗の紀行文的なものになっており、嵐の前の静けさといったところ。
しかし7節『タイ族の古都・瑞麗の悪夢』、8節『全財産は風とともに去りぬ』で、いきなり訪れた嵐によって持ってきた現金七十万すべてが消え去るのである。
プロローグでの危機、本格的な旅を前に全財産が無くなる危機を読んだら最後、この本の魔力に取り憑かれてしまう。


ところで高野秀行氏がなぜ、外国人が出入国できないエリアを出入りすることが出来たのかと、不思議に思う人がいると思う。
この答えこそが、本書のテーマ『シルクロード』と密接な関わりを持っている。
彼がビルマ北部へ入ることができたのは、同じビルマのたった一人の知り合いシャン人ゲリラから、ビルマ北部を支配するカチン人ゲリラを紹介してもらったからだ。

この後も知り合いから知り合いを渡り歩き、ついにはインド・カルカッタへ到達する。
この旅程を読んで私の頭に『縁』という言葉が浮かんだ。
彼は『縁』によって紡がれた『道』を通ってカルカッタまで行くことができたのだ。


高野秀行氏の作品、特に文庫本の魅力が他にもある。
それは必ず掲載されている『あとがき』である。
文庫本にはさらに『文庫版へのあとがき』も掲載されていることが多々ある。
これらによって、探検紀行の補足だとか、旅の後日談が書かれており、本書では特に『文庫版へのあとがき』で、別れたゲリラたちのその後が描かれており、読者を満腹にさせる。

本書を読み終えると、彼がこの旅を完結できたのは『縁』だけではないと感じる。
インドからの奇跡の帰国(北京の入国で止まっているパスポートとビザなし)、旅の翌年に発生したゲリラの地域に騒乱、が彼の幸運を示している。

とはいうものの、奇跡の帰国を果たした彼は、今回の旅が原因のアクシデントに後年襲われる。
それは「怪魚ウモッカ格闘記 - インドへの道」や「神に頼って走れ! - 自転車爆走日本南下旅日記」へと紡がれている……。

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時雨のあと 改版

時雨のあと 改版

2010/01/16 19:00

下級武士や市井の人々に降る時雨のあとに、心地よい時が訪れる

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ある出来事を越えたあとに待っている希望や暖かさなどを描いた作品集で、どれもが人の愛情に満ちている。

『雪明かり』
嫁ぎ先での辛い仕打ちに耐える妹。高禄の家に婿入りが決まり、禄の低い実家との交流を絶たれる兄。
血のつながらない妹の不遇が、兄を縛り付ける鎖から解放し、一緒に育った女の元へと跳ばせた。

妹の元へ跳ぼうとする兄の逡巡を描いた心の緻密な動きはすばらしく、また嫁ぎ先の仕打ちの果てに病となった妹を救い出す兄と、ぼろぼろになった自分の姿を恥ずかしいと言う妹の気持ちが、とても印象に残った。

『闇の顔』
幾江の婚約者泉之助に向かう気持ちは淡い。喧嘩から相討ちとなって死んだあとも実感が薄い。
二人の死にもう一人の人間の存在が浮かび上がった時、幾江の頭には石凪鱗次郎の顔が現れた。

幾江の頭に浮かんできた鱗次郎の顔が、読者に仮想の犯人として印象づけられ、幾江の小さな嫉妬心と自尊心、そしてそれによる思い違いが犯人探しの緊迫感に弛緩を生んで、緩急を織り交ぜたサスペンス的物語となっている。

『時雨のあと』
博奕にはまっている安蔵。妹のみゆきは錺職人の見習いをしていると信じ、女郎屋で働いた金を渡している。
十両の金を無心に来た安蔵の様子に、みゆきは金策に走っていた父の姿を重ねた。

みゆきの無償の兄を思う気持ちが、堕落した兄を目覚めさせる様子は、兄弟の絆の強さを感じさせる。

『意気地なし』
隣に住む伊作は、妻を亡くし赤子を抱えて覇気がなく、おてつは腹立たしかった。
仕事先に赤子を連れていけず、本当に困っていると知ったおてつは、赤子を預かることにした。
婚約者と一緒にいても赤子のことが気になりだしたおてつの胸に、小さな思いが生まれ始めていた。

赤子の世話を始めたことで母性本能が生まれ始めた様子は、夢を見ていた少女から現実を見る大人の女への脱皮のように感じられる。
やがて母性本能はある人物へ向かうべくして向かって、世の中上手い具合にできていると思わせる。

『秘密』
七十六になる舅の由蔵は、いつものように切石の上に腰を下ろしていたが、おみつはいつもと何かが違う事に気づいた。
由蔵は、近頃ぼんやりしだした頭で、手代だったころに顔を合わせた女のことを思い出そうとしていた。

とりとめのない老人の物思いのようでもあり、夫婦仲が良かった理由を描いているようでもある。
嫁とのやり取りが、一日が長い老人のとある一幕を写し出しているようで、ほのぼのとする。

『果たし合い』
五十八の庄司佐之助は、若い頃の果し合いが原因で、甥の家族に部屋住みとして面倒を見てもらっているが、疎んじられている。
佐之助に唯一優しい甥の娘美也が、松崎信次郎に思いを寄せ、縄手達之助との縁談を断ると、達之助は信次郎に果し合いを申し込んだ。
美也は剣技が不得手の信次郎を心配して、佐之助に助けを求めた。

佐之助を無気力にさせてしまうほどの過去は悔恨に満ち、美也と信次郎の姿に過去の自分を重ね合わせて、自分に優しくしてくれた美也に後悔をさせまいとする思いがとても力強く、暖かい。

『鱗雲』
小関新三郎は使いから城下へ帰る途中、病で倒れている娘雪江を助けた。
死んだ妹のようだった雪江は、新三郎の家でしばらく世話になり、目的地へ旅立っていった。
そして新三郎の耳に婚約者が自害したという知らせが届いた。

新三郎の元を去ってい者と、やってくる者、それによって動く新三郎の心情を描いている。
新三郎が、婚約者と雪江がいなくなったあと寡黙になった母にかけた「あなたの娘が一人、帰ってきたようです」という言葉は、鱗雲が広がる冷えた秋空に似ず、とても暖かい。

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真昼の悪魔

真昼の悪魔

2009/12/22 19:41

ミステリーが読者を引き込み、女医の『いやらしい悪』が現代の悪魔を浮き彫りにさせる

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

純粋に推理を楽しむミステリーに加え、『女医』に潜む悪魔についての心理描写が強く印象に残る。
病院内で起こる事件は『女医』が行っているというのは始めから分かっているが、『女医』とは誰なのか、『女医』の犯行を見て推理する読者視点と、結核で入院した難波の視点、から推理欲をかき立てられる。
その一方、社会道徳という善悪の判断基準のない『女医』の心象を描いている部分は、ミステリーというよりサイコホラー的なものを感じさせる。

物語は、神父がミサにおいて『悪魔』について取り上げることから始まる。
ミサで神父は『悪魔』について以下のように説明する。
『悪魔は人間を狂人にさせたり、奇怪な行動に走らせたりは滅多にしないのです。……中略… 悪魔は自分が悪魔だと訴えるような姿を少しも持ってはいません。…中略… 悪魔は埃に似ています。部屋の中の埃には私たちはよほど注意しないと絶対に気がつきません。埃は目だたず、わからぬように部屋に溜まっていきます、…中略… 悪魔もまたそうです』

偶然ミサを聞いていた『女医』は、高校生の頃から心に空虚感や白けた気持ち、無感動な心を持っていた。そして悪とは一体なんだろう、という疑問を持っていた。
心の渇いた無感動の『女医』は、やがて『心の呵責』を覚えることでひからびた心から立ち直れるのではないかと考え始め、人間的理由のない自己弁護できない悪を実行し始める……

『神父』が説明している通り、本作品には『醜い姿をした悪魔』は登場しない。
登場するのは『埃のような悪魔』である。
読み終えると『埃のような悪魔』に気分が悪くなるが、現代に多くの『埃のような悪魔』が存在することに気付かされる。

本作品は『女医』の悪と『女医』の正体を読ませるものとなっているが、それだけでなく神父と悪魔の対決のシーンも描かれており、『悪魔』がよりリアルに感じられる。
神父と悪魔の対決のシーンといっても、神父がプロローグで話した『エクソシスト』のようなものではなく、神父と悪魔が相対し、神父が確かに悪魔と認識する場面である。


ところで、病院内で起こる事件が誰によるものなのかを探り始める難波と羽賀の存在も面白い。
この二人の存在が思わぬ展開を孕み、ミステリーの部分をより面白くしている。

推理物語を楽しませつつ、悪魔とは何かを考えさせられる本書は、心に強く残る一冊だと思う。
それにしても『女医』の行う『いやらしい悪』に気分を悪くさせられたなぁ。

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百鬼園随筆

百鬼園随筆

2011/04/14 18:22

読者に迎合しないマイペースとギャップが愛おしい

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 読み始めて思うのは、飄々とした文章がユーモラスな味わいを滲ませていることだ。真面目な話でも、間抜けな自分の暴露話でも常にペースは変わらず、読者が食いつこうがつくまいが、「面白いんだ。ふーん」とさっさと前へ進む。読者のことなど我冠せず、そんなマイペースぶりが魅力なのである。そしてさらに魅力を高めているのがギャップである。

 本書を手にとって間違いなく目を引くのが、表紙に描かれた百間の肖像画である。恐ろしく下手くそで、『ぐるぐる』によって不思議度が増しているその肖像画は、「見て、おじいちゃんの絵を描いたよ」、「どれどれ、上手いじゃないか。よしよし随筆本の表紙にしてやるぞ」と、孫と祖父のやり取りを想像させるものであり、さてそのおじいちゃんはどんな顔かなと表紙をめくってみれば、そこには恐ろしくむっつりとした堅物丸出しの人物が写っているのである。このギャップにやられてしまった。この随筆集に散見されるギャップが愛おしい。それでも著者は、つれなく話を進めていくのだ。ところで、この表紙の絵を描いたのは芥川龍之介である。

 このギャップの基本にあるのが堅物丸出しの百間の写真なのだが、士官学校や大学の教授というお堅い肩書きによって、さらに堅物度が増す。それに相対するのは、彼の子供っぽい言動であり、それを大真面目に淡々と綴るギャップにたちまちやられてしまうのは、前に書いたとおり。借金を返さなければいけないから給料日はイヤだの、目は字を見るための物ではなさそうな気がするだの、人間の手は字を書くのに使うものではなさそうな気がするだの、四十七士がきらいだから縁のある泉岳寺もきらいだの、妙な理屈をこねくり回す。これが教授の言うことか、なのである。

 収録されている随筆は、子供の頃を綴ったものから、師である漱石の思い出話、教授時代の事、貧乏話など多種多様。分かりづらい比喩など使っていないから、いたって読みやすい。ストレートな文章ながら、滋味の感じられる作品を収録しているのが本書の妙味である。

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剣客商売 新装版

剣客商売 新装版

2010/10/18 18:31

池波正太郎の剣客小説の集大成。剣客商売シリーズ第一弾

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

すでに説明不要なほど、多くの人に知られ、そして虜にした「剣客商売」
このシリーズ第一弾を読み終えて、多くのファンを獲得した秘密に触れることができた。

第一に、どの話も序盤から物語に動きがあり、「このあと何やら起こりそうだぞ」と思わせて読者を引きつける魅力。

第二に、第一話『女武芸者』から、個性的で魅力的な人物を登場させ、豪華な印象を与えていること。
この第一話で主要な人物はほぼ登場するが、ここで言う魅力的な人物とは、言わずと知れた女武芸者『佐々木三冬』である。
男装を纏い、凛として颯爽、それでいて優美さが匂い立ち、道行く人々は振り返らずにはいられないその姿に、ファンとなる読者も多いのではないか。
加えて、老中・田沼意次の妾腹の娘という立場も、彼女の存在をいろいろと面白いものにしている。

第三に、シリーズものにしては、第一弾から「剣客商売」の世界が完成していること。
シリーズものの第一弾というと、物語の世界や人物像がしっくりしていない場合が多い。
その点、この「剣客商売」は、登場人物にブレや不明瞭感がなく、読み始めるとすぐに頭の中に物語の世界が広がる。

このように完成度の高い「剣客商売」は、主人公に秋山小兵衛、準主人公に息子の大治郎に据えた、親子二代の剣客小説。
内容を簡単に言えば『剣の道に生きる者たちのさまざまな生涯』ということになるだろう。
ここに登場する剣客たちの生涯は、生きるも死ぬも本人の才覚次第という剣客の宿命を背負いつつ、過去に負けた相手に勝つまで勝負を挑む者(第二話:剣の誓約)、大治郎の剣の冴えに勝負を申し込まずにはいられない者(第六話:まゆ墨の金ちゃん)など多彩で、彼らによって物語が作られていると言ってもいい。
その多くの剣客の生涯に彩られた「剣客商売」は、数多くの剣客ものを書いてきた池波正太郎の、剣客小説の集大成だろう。

* * *
主人公・秋山小兵衛は、道場をたたみ、剣術をやめた五十九歳の老剣士である。
近頃、剣術よりも女が好きになり、四十も年下の下女おはるに手をつけてしまうほどなのだが、無外流を使う剣の腕は超一流。
息子・大治郎には、道場を建ててやり、あとは自分一人の力でやっていくように、と厳しい顔をみせながらも、息子が夜襲されると知ると居ても立ってもいられず、場合によっては助太刀に出ようと、息子の道場近くに潜む(第六話:まゆ墨の金ちゃん)など、親ばかな一面も見せる。

息子の大二郎はと言えば、無名の剣客である自分が田沼意次主催の剣術試合に出場でき、剣術界に鮮烈なデビューを果たせたのは、父のおかげだと感謝し(第一話:女武芸者)、剣客としてのあり方に悩むこともある(第五話:雨の鈴鹿川)、実直で謙虚な人物。
しかし彼もまた剣の達人であり、前述の第六話『まゆ墨の金ちゃん』では、影ながら夜襲の顛末を見ていた父を驚かすほどの、剣の冴えを見せる。

そんな二人に加え、危機を助けてくれた小兵衛への深い思慕をみせる男嫌いの佐々木三冬、小兵衛が事件を解決する際の最大の協力者であり、かつての弟子だった御用聞きの弥七ら、登場人物たちの見せる個性もこの作品の魅力である。
また幕政を壟断したと悪評高い田沼意次が、剣術好きで好人物として描かれているのも目新しく、最終話『御老中毒殺』で小兵衛の活躍により距離の縮まった二人が、今後を大いに楽しみにさせる。

* * *
ちなみに、作中に無外流の始祖・辻平内とその弟子について軽く触れられているが、これを描いた短編「かわうそ平内(剣客群像に収録)」を読むと、無外流がどんなものか分かるだろう。

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こゝろ 改版

こゝろ 改版

2010/08/05 18:52

こころの空気を読む。空気を読めなかった男達の顛末。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

大正時代に刊行された「こころ」は、
厭世的であった先生と私の交流を描いた【上 先生と私】
故郷の両親と私を描いた【中 両親と私】
先生の若き日の出来事を手紙で綴った【下 先生と遺書】
の三部構成となっている。

「こころ」を読んで、特に多くの人を悩ませるのが、『K』と『先生』の死の理由。
すべて『私』という視点から描かれたこの作品は、『私』から見た情報しかないことに加え、死の理由も明確に語られておらず、読み解くのに難しい。
それは、読者の視点が『私』の視点と重ね合わさり、物語を主観視してしまうことに一因があるように思う。

そこで、場の空気が読めていないと他人から指摘される昨今、「こころ」の登場人物が『空気を読む』ことができているのか、という現代的視点で客観視してみる。

そうして見えてくる平成の「こころ」
この作品に登場する男達はみな空気が読めていなかった。
Kを下宿に連れてきたいと言い出した先生、お嬢さんが好きだと先生に告白したK、そしてお嬢さんを下さいと奥さんに言った先生、等々。
その行動の末に、空気が読めなていなかったことに気づいた男達は、自ら……。

そしてもう一人、空気を読めなかった重要な人物がいる。
それは『私』
彼は、厭世的だった先生にまとわりつき、ついには先生のパンドラの箱を……。

ところで、先生のただならぬ手紙を受け取り、汽車に飛び乗った『私』の、描かれていないその後が気になる。
というのも【上 先生と私】において、過去に先生と呼んでいた人との交流を語っているのは、『現在の私』
この告白めいた【上 先生と私】は、【下 先生と遺書】で先生の告白を記した手紙と似たような雰囲気が漂っている気がしてならない。

「こころ」は、時の経過に伴って、さまざまに楽しめる名作だ。

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大番 上

大番 上

2010/04/22 19:39

愛媛の貧農に生まれた主人公・赤羽丑之助が、七転び八起きしながら株の相場師として名をあげていく、波瀾万丈の一代記。

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【大番】サイズの大きいもの(小学館 新選国語辞典第六版より)

本書は、愛媛の貧農に生まれた牛のような容貌と性格の主人公・赤羽丑之助が、昭和初期の東京カブト町を舞台に、株の相場師として名をあげていく、七転び八起き、波瀾万丈の一代記である。

この作品では、丑之助の生涯に密接な株の世界も描かれているが、株に興味のない人が苦痛に感じるものではない。
むしろ戦争や事件、政策などによって上下する株価を通して描かれる、激動する昭和初期の日本経済や国情、そしてそれに翻弄されながらも、丑之助の粘り強い七転び八起きの生涯が、深い印象を残す。

物語をより魅力的にしているのが、丑之助の株投機。
機を見るや買って買って買いまくり、儲けを買い足しに回して買い続け、大勝する姿は爽快。その分、負けるときも豪快。それでも起きあがり挑戦する七転び八起きの姿は、快感さえ感じてしまう。

舞台もカブト町という狭い世界だけに留まらず、大きく負けて愛媛の故郷に引きこもり、金儲けの匂いがすれば大阪へ出てヤミ屋をやる、など窮屈な印象を与えない。
丑之助の牛のような体躯と同様に、人生も『大番』なのだ。

このような濃厚な人生を堪能した後には、力強さに満ちた不屈の生涯が走馬燈のように甦り、感動と哀惜が入り交じった複雑な余韻が沸き起こる、魅力的な作品である。


主人公・赤羽丑之助は愛媛(南予)の貧農に生まれた。
丑之助は、十八才の時、町の名士のお嬢様・可奈子の美しさにのぼせてしまい、複製して持っていたガリ版ラブレターを渡してしまう。
侮られたと彼女の父や兄は激怒し、故郷を捨てるしかないと決意した丑之助。どうせなら出て行くならと、何の計画もないまま東京へ向かった。
丑之助は、日本橋のソバ屋で働く友人の兄を頼り、そこの主人から株屋太田屋を紹介され、小僧として働くことになる。
丑之助は学のなさに悩みながらも、株の師となる富士証券の木谷寛二との出会いや、持ち前のツキ、記憶力の良さから、やがて株の相場師としてメキメキ頭角を現していく。


この物語の主人公・赤羽丑之助は強烈な個性の持ち主である。
名が表すとおり容貌から性格まで牛のよう。短躯で横に広く、思い込んだらわき目もふらず突き進み、何度転んでも立ち上がる粘り強さに満ちている。
極めつけは、彼が、株の売り方でなく買い方で儲けるブル(bull, 牡牛)タイプであること。

勇敢ささえ感じられる彼の個性は良い面ばかりではない。良くも悪くも自分自身の欲に忠実な性格。
仏教の五欲である財欲・色欲・飲食欲・名欲・睡眠欲のうち、睡眠欲以外が彼の中に渦巻いている。
株で大金を手にすれば豪遊し、親身になって世話をした女性をおいて何人も女を囲い、態度が大きくなり見栄を張る。
人として問題ありである。

それでも彼を憎めないのは、可奈子お嬢様を何十年も女神のように崇拝する姿や、自分に素直な姿が、大きな子供を想像させるからだろう。
そして彼の行動を客観視して、失敗も冷静に解説する語り口のユーモラスさと、彼を「ギューちゃん」と呼んでサポートする株の師・木谷さん、親友の新どん、姉のような女房のようなおまきさんなどの存在が、丑之助を愛すべき人物に創りあげている。


本書は、『昭和エンターテインメント叢書』の選者であり解説者の北上次郎氏が、解説で述べているとおり、読む人によっては、株を通して日本経済を描いた作品とも、貧農から大金持ちになる丑之助を描いた「ど根性サクセスストーリー」とも読めるだろう。
また私が感じたように、激動する日本の経済や国情に翻弄されながらも、力強く立ち上がる丑之助の波瀾万丈一代記と、さまざまな読み方ができる作品である。

この作品の面白いところは、主人公の見方も人によって変わることだろう。
彼の危なっかしい行動にハラハラしながらも、大敗から粘り強く起きあがる姿を応援し、成功を喜ぶ、兄姉のような目線で丑之助を見守る人。
彼の大勝に喝采し、大敗に意気消沈し、赤手空拳から億の資産を持つに到った生涯に、爽快さを感じる丑之助と同視点の人。
私は、大敗しても凹まず粘り強く起きあがる姿に、力強い生命力を感じながらも、大金を儲けて豪遊する姿に「もう止めとけって!」とハラハラしながら読んだ。


ところで、本書を読み始める前に頭に入れておきたいのが、丑之助の生まれた時代と場所。
彼の幼少時代を描いた物語の始めには、明確な時と場所が描かれておらず(愛媛という言葉は作中一度も登場しない)、環境などが想像しづらい。
そこで物語を読み終え、彼の生まれた場所と時代をまとめてみた。

【場所】
愛媛県八幡浜市より南の架空の海沿いの村
作中に出てくる南予と八幡浜、現在の八幡浜市川上町白石に姫宮大神宮があることから推測。
※彼の故郷を示す、姫之宮市、鶴丸町、比江村、旧有島藩はインターネットで検索した限り見つからず、架空の地域らしい。

【時代】
明治四十二年生まれ。
十八才で東京入り。その一年後の昭和三年に、東京株式取引所創立50年祝賀会が催された。

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本書は、北上次郎選『昭和エンターテインメント叢書』第二弾。
第一弾は『ごろつき船』

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まんぞくまんぞく

まんぞくまんぞく

2010/01/05 18:35

女剣士の仇討ちの行動が事件と幸を呼び、そして女剣士は女となる

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<あらすじ>
男装の女剣士・堀真琴は、深夜、侍を襲っては髷を切ったり川に投げ込んだりして、楽しんでいる。
真琴は、16才の時、浪人者に犯されそうになり、供をしていた父とも慕う家来を失った。
それ以来『家来の敵を討つため』と剣の道に身を沈め、やがて一流の腕を持つまでになっていたが、深夜に行っていたいたずらが思いも寄らない事件を呼び込んでいく……。

<感想>
読み出した途端、小説の世界が映像として頭の中に映し出され、非常に面白くて1日で読み終えてしまった。
16才の少女たっだ真琴、25才の女剣士の真琴、そして女に戻った真琴がリアルに想像できる。

物語の所々に話を展開させるポイントがある。
一つは、自分に勝った男と結婚すると言う真琴に対し、見合い(試合)に来た織田平太郎は、その高慢な態度に腹を立て「このような女、抱く気もせぬ」とバッサリと言い捨て、試合をせずに帰ってしまう場面。
もう一つは、16才の頃に起きた事件と深夜に行っていたいたずらが招いた事件。
これらの出来事が繋がり出す展開と、スリルとサスペンスとロマンスという起伏が、読者を惹き付ける。
また、失踪した真琴の父についての話が、物語にスパイスを加えている。

この物語は、女剣士が主人公だが、女剣士について説明している部分では、剣客商売に登場する『佐々木三冬』を例に挙げ、この時代にも女流の剣士が数は少ないものの存在したと、書いている。
池波氏の作品「[堀部安兵衛"","http://www.bk1.jp/product/01709648"]」にも、安兵衛と恋仲になる女性として『伊佐子』が登場し、真琴、佐々木三冬と同様に、自分に勝った男でないと結婚しない女性として描いている。
しかし、最後には心を許す男性が現れ、今までの反動もしくは、自分の中に押し込められていた女の部分が溢れ出したように、魅力的な女性として描かれている。
池波氏の女性の好みの一端が現れたように感じられた。

それにしても池波正太郎の小説は、読みやすい。
その答えの一つを井上ひさしほか著「井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室」で見つけた。
池波氏の小説について『やたらと多い改行が独特のリズムをつくり、それが読者に、いい感じを与えている』、『優れた書き手というのは自分と読者の関係のなかで段落をつくっていく』と述べており、実にしっくりする答えだと納得した。

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井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室

井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室

2010/01/05 18:33

文を書くのが苦手な人に文を書いてみようと思わせるお薦めの一冊

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本書は、岩手県一関市において開かれた、井上ひさし氏による『作文教室』を本にまとめたもので、『教室』で話された言葉のまま収録されているため、非常に読みやすく、分かりやすい内容になっている。
全四時間(単位としての『時間』でなく、区切りとしての『時間』)の構成。

一時間目は、作文するための基本的なルールと考え方。
二時間目は、日本語の特色について。
三時間目は、文を書く上でのコツ
四時間目は、『作文教室』に参加された方々の作文と、井上氏の添削

単純な文章(黒い目のきれいな女の子、象は鼻が長いなど)を例に、句点や言葉の並べ方や、助詞「は」「が」の使い方など丁寧に解説され、あまり考えないで書いてしまいそうな単純な文章にも、気を付けようと思わされる。
そして助詞は普段気にせず使っているが、いざ説明しようとすると明確にできない。
それがはっきりと書かれているので、読んでいてスッキリする。

一時間目では、作文の基礎となる事柄が書かれているので、読み始めてすぐに本書に引きずり込まれる。
夏目漱石を例に『短期記憶はキャパシティーが少ないから、小さく千切ったものを提供していく』とか、
『雪国』を例にして、『いきなり核心から入ることが大事』とか、
『段落を決めていくのは、論理と持ち味の二本立て』として、段落をどう作っていくか、
など本当に基本が書いてあるが、それが出来ていない(考えたことがない)自分に気付く。

三時間目にある『一問一答』では、感想文を例に日本の国語教育のまずさを説明しており、それが作文嫌いになった原因か、と納得する内容だった。
『頭の中に起こっていることを書かせようとする感想文は、大人でもプロでも難しい、それを子どもに要求しているから、子どもは嫌いになってしまう』と説明し、『観察文や報告文など、自分の目でどう見たのか』ということから書かせると良いなど、読書感想文がうまく書けないからダメ(文才はない)だと思っている人間にとっては、実はダメでないことが分かる。いきなり高いハードルを跳ばせようとしているのだから。

四時間目の、参加者の作文の添削もタメになる。
井上氏が添削した部分が、いちいち的を射て、その文が引き締まるのがよく分かる。

どうも感想文を書くのが苦手、文章が上手く書けないなど、作文に自身がない人は一度読んでみると、文章を書いてみようかなという気にさせる作品です。

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忍びの女 新装版 上

忍びの女 新装版 上

2010/09/19 14:19

奔放な甲賀女忍び小たまの母性と、単純かつ純粋な福島正則の人間性と悲運の生涯を描く。

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■あらすじ■
秀吉亡き後、徳川家康の存在感が増すなか、福島正則は領内で乱暴されかかった女を助けた。
しかし妻の反対で側室も持てない欲求不満と、その女のあられもなく気を失った姿とで、彼女を抱いてしまった。
再び抱かれることを求める彼女から離れられなくなった正則は、その女が徳川方の甲賀の女忍び小たまとも知らず、彼女の望むまま清洲城三の丸の侍女として召し抱えた。
正則は、本丸に忍んでくる小たまを不思議がるものの、疑いはせず、彼女の身体を求める。小たまは、そんな正則が『可愛ゆい』と思うようになった。その一方で、清洲城下に足袋師として暮らす甲賀忍び才兵衛とともに、福島家の内情を甲賀の頭領・伴長信へ報告しているのである。
やがて石田三成と、加藤清正や福島正則ら武断派の大名たちの間が騒がしくなり始めると、それに乗じて徳川家康の野心が露わになりだした。
そして小たまは、やがて起こるであろう戦に『戦さ忍び』としてはたらくために、清洲城から消えた。

■書評■
本書は、秀吉の死から大阪の陣、福島正則の死までを時代背景に、奔放な甲賀・伴忍びの女忍者小たまを主人公として、徳川方の忍びの視点で物語を描きつつ、福島正則の視点で、彼の人物ともの悲しい最後までを描いた作品でもある。

この作品には元となっている「霧の女(黒幕に収録)」という作品がある。
本書と短編作品「霧の女」の内容はほぼ同じであるものの、比較的小たまと福島正則の精神的関係はあっさりとして描かれた「霧の女」に対し、本作品ではその内容を昇華させ、福島正則の悲運や単純かつ純粋な人間性と、自分を求める正則を『かわゆい』と思い、その行く末を心配する奔放な女忍び小たまの母性を濃厚に描きだした内容となっている。

そのため福島正則や小たまの人間性と、二人の奇妙なつながりに焦点を当てたような作品となっており、他の忍びものの作品に比べると、緊迫した忍びの戦いは少ない。
しかし、その数少ない忍びの戦いの一つ、池波正太郎の忍者ものではおなじみの、真田忍びが東軍の最前線赤坂を目指し長良川渡河の家康を襲撃する場面は、何度読んでも手に汗握る。
この場面は「忍者丹波大介」や「真田太平記<七>関ケ原」では家康を襲う真田忍びや丹波大介の視点、本書では家康を守る甲賀忍びの視点で描かれており、併せて読むとより物語が楽しめるだろう。

物語は後半になると、主人公が福島正則ではないかと思われるほどに、福島正則の後悔(徳川に味方せずに、秀頼の元で戦えば良かった)、幕府に追い詰められていく福島家、信濃に改易された晩年の正則が描かれており、落日していく福島家がもの悲しく伝わってくる。
物語の最後に、正則と小たま、二人だけの場面を用意したのは、寂しい最後をむかえる福島正則への池波正太郎の『はなむけ』のような気がした。

ところで作中に、正則の晩年の屋敷跡を訪れた著者の感想や、改易後の領国で正則が、川の氾濫に苦しむ領民のために堤防を築き、『大夫の千両堤』と呼ばれるようになった、など民政に尽くした挿話や、八丈島に流された宇喜多秀家に、彼の故郷広島・三原の酒を分け与えた家来を褒める人情味溢れる挿話が語られている。
これらきっちり描かれた正則の最後を読んで、悲運の猛将福島正則最後の地を訪れてみたくなった。

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麦屋町昼下がり

麦屋町昼下がり

2010/06/26 10:25

災い転じて福と成す。身に降りかかる火の粉を振り払って訪れる幸せを描いた武家物四編。

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主人公の身に降りかかるさまざまな災難と、それを乗り越えて訪れる幸せを描いた武家物四編が収録されている。
災い転じて福と成す、災難を乗り越えた安堵感とともにやってくる心地よい幸福感が魅力の作品ばかりである。

【麦屋町昼下がり】
片桐敬助は、五ツ過ぎに上司で御蔵奉行の草刈甚左衛門から寺崎家との縁談話を受けた。そしてその帰り、抜身刀の男と逃げる女に遭遇した。
女を庇う敬助といきなり斬りかかってきた男。斬りむすんだのち敬助が斬った男は、奇行で知られる天才剣士・弓削新次郎の父で、庇った女は新次郎の妻女だった。
やがて、弓削新次郎との騒動が噂される敬助に訪れたのは、寺崎家からの破談の知らせだった。

一度も勝ったことのない弓削新次郎との対決が迫る緊張感と、四面楚歌で酒に溺れ落ちぶれた剣士・大塚七十郎に頼るしかない絶望感を描いている。
緊迫する物語の中で、破談になりながらも見え隠れする寺崎の娘の姿が、仄かな暖かさを感じさせ、本書中、一番心地よい作品となっている。

【三ノ丸広場下城どき】
失態があって近習組から御馬役に左遷されていた粒来重兵衛に、密書を預かる使者の護衛を新宮中老から命じられた。
しかし、そこには藩政を壟断する次席家老臼井内蔵助の、使者もろとも重兵衛を亡き者とする企みがあった。
使者を斬られたものの、辛くも逃げおおせた重兵衛は、かつて剣と女で争った臼井内蔵助の悪意に気づくのだった。

かつて坂巻与七郎といった臼井家老の悪意が重兵衛を襲う。重兵衛の左遷事件にまで話が遡るサスペンスが魅力。
妻を亡くした重兵衛の元に、手伝いとして来ている、出戻りで怪力の茂登のエピソードがユーモラスである。

【山姥橋夜五ツ】
柘植孫四郎は、息子の俊吾が道場で荒れていると、右筆で道場の次席野々村新蔵から聞いた。
理由は分かっている。不義の噂が立った妻の離縁を納得していないのだ。
その夜、親友の塚本半之丞が腹を切った。半之丞は、孫四郎に、前藩主は毒殺という真相と後を頼むという遺書を残していた。

半之丞の遺書によって、前藩主の毒殺という真相と、家禄を削られるもとになった出来事が結びついたときに始まる、孫四郎の闘いが読みどころ。
妻の不義の真相にまで及ぶ壮大なサスペンスに息もつかせない。

【榎屋敷宵の春月】
寺井織之助の妻・田鶴は、宗方惣兵衛に嫁いだ三弥と、夫の執政入りを巡って密かに争っている。
かつての親友に負けたくない気持ちは、家の対面というだけでなく、兄を裏切り死に追いやったであろう三弥の行動からきていた。
田鶴は、その三弥と理江の三人で、行儀見習いの旧交を温めた帰途、家の前で武士の斬り合いに遭遇した。

夫の執政入りを巡る妻の争いと、襲われていた武士を助けたことから関わっていく、新執政の後任人事を委ねられた平岐筆頭家老にまつわる藩争、という二つの田鶴の闘いを描いた作品。
特に、したたかな三弥と正義を貫く田鶴が対照的で、印象に残る。

この作品は、瀬戸朝香と酒井美紀が出演する「花の誇り」としてTVドラマ化された。
あらすじは原作に近いものの、二人の心理的関係はちょっと違っているので、本作品とは印象が異なる。

夫の出世を望む三弥はあくまでもしたたかな女性である原作に対し、TVドラマでは、三弥は田鶴を困らせることで彼女の気を引く女性。
夫の執政入りを巡る争いや、兄に近づき裏切ったことすらも、実は田鶴を困らせて気を引こうとしているのではないかと思わせる、小悪魔的な三弥と、真っ直ぐで正義を重んじる田鶴がいる。
花とは田鶴と三弥。田鶴の正義にかける誇りと、三弥の女の友情にかける誇りの交錯を描いた作品だと感じた。
それゆえラストシーンから感じられるものは原作とかなり異なる。

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