紙の本
汲めども尽きぬ漂流文学の世界
2021/12/22 03:26
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者による傑作「漂流」を興味を持って
読めた方にはおすすめできる一冊です。
本書は必ずしも小説ではないのですけれど、
ほぼ若宮丸という船の漂流譚と呼ぶべき
体裁になっています。
「漂流」には参考文献一覧が付されていない
ことを非常に残念に思っていたのですが、
本書では「環海異聞」という史料が紹介
されている点をとても好ましく思いました。
紙の本
興味深い
2021/05/12 09:10
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
作家の吉村昭らしい視点で、漂流記の魅力が語られていて、興味深く読むことができました。少年期から大人まで、引き込まれそうです。
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好奇心の連鎖
2019/05/11 08:10
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投稿者:ニック - この投稿者のレビュー一覧を見る
吉村氏には珍しい新書書き下ろし作品。江戸時代後期の漂流事故小説を得意ジャンルの一つとする氏が、その執筆の方法を読者に明かす内容となっている。蘭学者、通訳、船舶といった他作品の題材との接点も多く、好奇心が連鎖的に広がっていく楽しさが吉村作品群の魅力となっていることも改めてわかった。
紙の本
日本の漂流記は読んで悲しく、希望が湧いてこないのは何故だろう。
2003/07/30 22:31
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投稿者:佐々木 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
漂流記といえばロビンソン・クルーソーに十五少年漂流記というほど、小学校の図書室にあったのを夢中で読んだ記憶がある。言葉を喋るオウムという鳥を知り、遠足で訪れた動物園で懸命に実物のオウムに話し掛けたり、もしもの時に備えて木切れを集めて火を起こす練習をしたものだった。振り返れば、漂流とか冒険というものに憧れていた時代だった。
日本人の漂流記をいくつか吉村 昭氏の小説で読んだが、通勤途上、暗くて狭い地下鉄で車両が信号待ちで止まってしまった時、出口の見つからない漂流民の気持ちとぴたりと重なり、憂鬱な一日の始まりを迎えたことを覚えている。絶海の孤島に流れ着き、明日への希望も無くなったら、発狂するか自死してしまうだろうと思った。
また、長年の異国暮らしを経て日本に帰国できても、なかなか解放してもらえずに乱心したり、張り詰めた精神が緩んでしまうのか、ぱたりと死んでしまう漂流民が哀れでならなかった。
敗戦後、フィリッピンから復員する兵隊が勢いよく縄梯子を登ってきたかと思うと、復員船の甲板に座り込んだまま息が途切れていたということが多々あったそうである。せめて日本に一ミリでも近づけてやろうとしても、熱帯の太陽に晒され、止む無く水葬にしなければならなかった時には泣けて泣けてしょうがなかったと、かつて、海軍の水兵だった父が語っていたが、昔から日本人は望郷の念が強い民族なのだろうか。
ジョン・万次郎やアメリカ彦蔵のように時代の寵児として扱われた場合はいいが、多くの漂流民は罪人同様の扱いを受けたり、仲間割れや死んでしまった水夫の遺族から妬まれという結末があるから多くの日本の漂流記には鬱陶しさを感じる。
本書では「若宮丸」という船の漂流民が取り上げられ、ロシアに居留していた水夫についての記録が綴られているが、そのなかの太十郎という水夫が着用していたロシアの服が現存していることに驚いた。
同じ船の水夫でも帰国を希望する者、残留を選択した者とに別れて憎みあう姿は人間のぎりぎりの本性を見ているようであった。吉村 昭氏は漂流記に魅力を感じておられるようだが、残念ながら、まだ、その境地には達していない。
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江戸時代の漂流船・若宮丸の記録。漂流記と言えば大黒屋光太夫の話が有名だが、それ以外にも多くの漂流民がいた。運よく日本に帰還できた人がその様子を伝えているが、これもその一つ。苛酷な旅の中で、自分の今後を悲観的に見る者、現地に順応する者、帰国への希望を捨てない者等様々な人生が語られる。
当時の状況は、現代とは比べ物にならない位厳しかった。江戸時代の漂流記を読むと、自分が同じ立場だったらどうするかという事をいつも考えさせられる。
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漂流記と言っても外国文学のそれではなく、江戸時代に意図せず難破し漂流して艱難辛苦を乗り越えて日本に帰国してきた人たちからの聞き取りの記録についての本。
石巻(宮城県)から出航して遭難した若宮丸の帰還者たちの記録「環海異聞」中心に記載している。同じ船で遭難して、シベリアに到着後も、語学習得力の差から仲間割れが起こったり、ロシア永住を決意したり、必ずしも同じ船の乗組員が一枚岩ではなかったことがわかる。
現地に残った人のその後などは現在は判明しているのだろうか・・。空想のふくらむ本。
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[ 内容 ]
日本には海洋文学が存在しないと言われるが、それは違っている。
例えば―寛政五(一七九三)年、遭難しロシア領に漂着した若宮丸の場合。
辛苦の十年の後、津太夫ら四人の水主はロシア船に乗って、日本人初の世界一周の果て故国に帰還。
その四人から聴取した記録が『環海異聞』である。
こうした漂流記こそが日本独自の海洋文学であり魅力的なドラマの宝庫なのだ。
[ 目次 ]
第1章 海洋文学
第2章 「若宮丸」の漂流
第3章 ペテルブルグ
第4章 世界一周
第5章 長崎
第6章 帰郷
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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『十五少年漂流記』とかあるし、漂流記かあ、ロマンティックだなあと勝手に思っていた。よく考えればそんなことはないのだ。「漂流記」とは、漂流を経て帰還した者の叙述を当代の学者が記録したもので、著者はこれを日本独自の海洋文学と位置付ける。第1章で、なぜ漂流が頻発したのか、その恐ろしさが解説される。第2章以降は、日本人として初めて世界一周することになった若宮丸の水主の漂流の過程を、大槻玄沢による『環海異聞』などに基づいて追う。新書ですが、吉村さんは小説も大体こんな感じだと思うので、まあ小説でもあるかもしれません。
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「漂流」や「大黒屋光太夫」など漂流をテーマにした小説で知られる著者が幕末の漂流の中でも比較的知られていない1793年の若宮丸乗組員の漂流から日本への帰還までをとりあげる。
天候不良による遭難とロシア領内への漂着、ペテルブルグを経て南米大陸南端をまわって長崎までの帰還という日本人初の「世界一周の旅」は興味深い。小説作中では事実描写に徹し滅多に持論を語ることのなかった著者が「(江戸期の漂流記録は)日本独自の海洋文学である」と熱く語るのも強い印象を残す。
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日本人初の「世界一周」が、図らずもこんな形で達成されていたとは。あまり知られていないのが不思議。1793年石巻から江戸へ輸送する米を積んだ「若宮丸」が悪天候のため漂流、アリューシャン列島の小島に漂着し、ロシア本国、バルト海、大西洋、ホーン岬、太平洋を経て長崎へ到着、帰郷。13年間の乗組員の想像を絶する艱難辛苦の史実。
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近海で遭難してロシアや北米に漂着するケースが意外にあったんだねえ。記録に残っていないケースも多々あるんでしょう。
巻末の年表の中で、音吉は2年後に帰国とあるが、間違い。日本には戻れずシンガポールで客死。
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古本で購入。
漂流を題材にした小説を6篇書いてきた吉村昭が、「日本独自の海洋文学」である漂流記について語る。
新書創刊のラインナップにこれを入れてくる新潮社はなかなか渋い。
イギリスには多くの海洋文学としての小説・詩が生まれた。
しかし同じ島国の日本には存在しない。それはなぜか。
理由は船の構造・性格の違いによると、吉村は言う。
西洋の外洋航海用の大型帆船と違い、日本の船は主に内海航海用だった。一般に「幕府が鎖国を守るために外洋航海のできる船の建造を禁じた」と言われるが、実際はそのような禁令はなかったらしい。日本に外洋航海用船がなかったのは、「必要なかったから」だそうだ。
物産豊富な日本は国内の流通で事足りた。外洋に飛び出す必要がなかった。
このあたり、物産・労働力ともに豊かだった宋代中国が、ついに産業革命に至らなかった(必要がなかった)という話に少し似ている。
ちなみに、イギリスでコークス製鉄法が発明される700年以上前に、中国ではコークスによる製鉄が行われていたのだとか。
閑話休題。
陸地を視認しながらの航海とは言え、太平洋は恐ろしい海だった。それは南から北へ列島沿いを流れる黒潮のせい。急変する天候により遭難し黒潮に乗った船は漂う。運よく異国の地に流れ着いたとしても、病などで次々に船乗りが死ぬ。
奇跡的に帰国を果たした彼らの体験を、選りすぐりの学者が聞き取った記録こそ、日本の誇る「海洋文学」なのだ。
『北槎聞略』『時規物語』『蕃談』『東海紀聞』『船長日記』…
数ある漂流記の中で著者が紹介するのが、寛政5年(1793)に石巻を出港して江戸へ向かった若宮丸乗組員の体験を記録した『環海異聞』。
若宮丸は天候の激変で遭難、アリューシャン列島にたどり着く。ロシア人に保護された船乗りたちのその後はドラマチックの一言。
オホーツクからシベリアを越え、帝都ペテルブルグに至る。漂流民を送り届けることで江戸幕府の心証を良くし、交易に繋げたいと目論む皇帝を始め政府高官に手厚く遇され、帰国の途へ。大西洋を渡り南アメリカ大陸の南端を過ぎ、太平洋を横断、ついに日本の土を踏む。この間、約10年。
ロシアでの長きにわたる生活の中である者は死に、ある者はキリスト教に改宗してロシアに留まり、ある者は日本人として初めて世界一周を果たした。帰国を望む者とロシアで日本語教師となり裕福な暮らしをしようと願う者の確執、各地で見聞した貴重な体験など、『環海異聞』は特異な記録文学として光を放つ。
吉村作品、次は漂流モノを読んでみようか。
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日本は島国だから昔から多くの人が船で海に出たり、海から外国人が漂流してきたりした。
漂流記はまさに文学なのである。
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吉村昭氏は、子どもの頃から、漂流記に興味を持っていたとあとがきに記している。私も、これまでに、漂流、破船、大黒屋光太夫、アメリカ彦蔵などの小説を読んできた。そして今回、漂流記の魅力を読むことができた。漂流記の魅力は、日本に限らず、ロビンソンクルーや白鯨など欧米の海洋小説はベストセラーとなって、人々に読まれてきた。その魅力は、ほとんど助かることがない境遇のなかで、いかに人間が闘い、生き抜ける力を持っているかが試される世界が描かれるからなのだと思う。そこには、不屈の精神や体力が大きくものを言うが、それだけでなく、鎖国政策にあった日本にとって、心の支えとなる宗教(キリスト教)に委ねることは、2度と故国の地を踏めないことを意味すること(発覚すれば斬首)となるからだ。こうした時代に翻弄されることがたまらないのかもしれない。
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1793年、仙台から江戸へ向かった帆船、若宮号は途中で暴風雨により遭難。オホーツク海を北へ流され、たどり着いたのはロシアの東端。船員たちは極寒地で凍傷に倒れる者もいれば、ロシアへの永住を決意する者もいたが、それでも4人が帰国を訴え、ロシア皇帝と面会する。
そして、彼らは陸路で西へ向かう。モスクワを経由し、ロシア西端から船で地中海、大西洋、太平洋を横断して、日本の長崎へ到着。その間10年。おそらく、初めて世界を1周した日本人だろう。
そんな奇跡のような冒険を4人の帰国者から聞き取った文書が残されていたことを著者は紹介。日本にも「ロビンソン・クルーソー」に匹敵する漂流記があったのだ。